第十七話:乙姫(3)

 ボブリンの姿が見えなくなってから、乙姫は立ち居を正して笑みを見せた。

「時間が無いところごめんなさいねぇ。でも、コレでカグヤちゃんにも、VAMPがどんな場所か伝わったんじゃないかしら?」

「どんな場所もなにも、犯罪者の隠れ蓑でしょ」

「まぁ……、否定はできないわねぇ」

 話しているうちに、サーバー中心部【竜宮城】に到着。

 紅い城門は防壁も何もなく素通りできた。城内は熱帯地域の海中を模した景色で、透き通る水色と建造物の紅色、黄や青が鮮やかな魚、淡い色のサンゴ礁など凝った作り。あらかじめ人払いされていたのか、建物上階まで、人もプログラムの類も姿は無い。

 謁見の間のみ入口に半透明の防壁があったが、先にすり抜けた乙姫が手招き。カグヤ達も通り抜けられるようになった。

「さて、何から話そうかしらねぇ」

 壁いっぱいに書物の背表紙の紅が並ぶ、長い廊下の先。数段高くなった紅色の玉座にゆるりと座して、乙姫はカグヤを見下ろした。

「カグヤちゃん。城内の景色はどうだった?」

「景色?」

 ここまで見てきた景色は、見事なテクスチャで作り上げられていた。I・Eにも劣らないか、部分的には勝っている水準のものもある。

「高級テクスチャ、だとは思う。まともな組織でもないのに、どうやったんだか」

「それは良かった。ボブリンが聞いたら喜ぶわぁ」

 評価を聞いて乙姫は少し上機嫌に。

 カグヤは乙姫の言葉に驚きを隠せない。

「アイツが作ったの?!」

「ボブや、似たような気質の人達がね。あ、命令したんじゃないから。勝手に乙の管理領域の周りに集まってきて、『札付き者はI・Eじゃ許可取れない』なんて言って。技術を試すのが好きらしいわぁ」

「……悪いヤツじゃないとでも?」

 怪訝な顔で問われるも、乙姫は淡々と返した。

「いーや。ここには全体を管理する存在はいないってだけ。公開しようとするものが美麗なテクスチャだろうと、醜悪なマルウェアだろうと、止められることはない」

 アドミンとカグヤに見えるように、乙姫はVAMPネットワークで交わされているあらゆる情報を投影して話した。詐欺、麻薬取引、クラッキング、I・E不正拡張ツール、ポルノ、デモ、テロ、内部告発……etc。様々な言葉が並んでいる。

 I・E内であれば、どこの国でも監視ソフトが検知する言葉だ。

「見ての通り、大半はただの犯罪だけど、I・Eオモテじゃ権力者に潰される情報をリークしたり、半権力活動をしたり。I・Eじゃ許されないことに使う人もいる。乙は利用者を繋ぎはするけど、これらの何が良くて何が悪いか、評価も干渉もしない。どこの誰による発言なのか、開示も記録もしない」

「匿名性の意義は理解できるけど、違法・危険行為を見過ごすべきじゃないでしょ」

 納得しないカグヤの反論に、乙姫はつらつらと返した。

「誰にそれを判断する権限があるのか、って話。合法・違法なんて国によって違うし、ネットワークに国境は無い。乙と竜宮サーバーはあくまで、個々の敷地サイトを結ぶ検索道具の一つ」

 軽く両手を合わせて、乙姫は投影していた言葉を消した。

「自己責任で使う敷地や道具まで違法と言うのは、ちょっと乱暴じゃない?」

「乱暴に使えるモノだから、規制したり許可制にしたりするの!」

「許可を出すのは権力でしょう? それだと権力が間違った時は終わり。……って、そんな高潔なんじゃないけど。人と人が話をするのに、当たり前の顔で覗かれるのは気分が悪いってこと」

「覗くつもりなんか──」

「──でもしてるでしょ、監視。どこの国でも防衛やら秩序のためだとか言って。カグヤちゃんのところはまだ【やるまで待って】捕えるけど、国によっては【やりそうだった】ら捕まるし。常に監視されるのが嫌だとか、できることが制限されるのが嫌だとか。VAMPユーザーのほとんどが、そのくらいの認識かしらね。ちゃんと聞いたことはないけど」

「監視はみんなのためで……」

「あら、カグヤちゃんの国の人も多分、うちを使ってるわよぉ。この前は某国との秘密会談情報がリークされていたし、もーっと前には天蓋改良計画の遅延・改悪が告発されていたかしら。前者はともかく後者は、ダークネットワークであるここですら、人道的にどうかって非難されていた。だけどどちらの情報も、I・E上だったら発信者はカグヤちゃんに捕まっちゃうわよねぇ?」

「……ワタシは、運用に従うモノだから」

 表情を暗くするカグヤに、乙姫は慰める態度で言った。

「そう、乙達は道具プログラムだから仕方ないわ。でも、あんまり権力そっち側の思考過ぎると、見えるものも見えなくなるわよぉ」

 手をひらひらとさせる乙姫の足元に、アドミンが寄った。顔を見上げてメッセージを返す。

「〈あんまりいじわるしないで、乙姫。従うしかなくても、そうじゃない可能性を思考していることには意義がある。それに乙姫だって、匿名性は護るけど投じられた情報は記録しているよね?〉」

「えぇ。もちろん。意図して流された情報は、触れて良いと解釈していますわぁ」

 アドミンと乙姫、ふたりの視線が壁に並ぶ本に向いた。

「〈電脳世界のアカシックレコードでも作るつもりなのかな、兄さんは。と、話が逸れた。ここには権力や監視は影響していないから、秩序は個々人に委ねられる。そして残念ながら、悪意のある個人は存在する。護ってくれるものの無い自己責任。自己責任は強者には良いけど、弱者には辛いよね〉」

 VAMPネットワークの厳しさをアドミンは説明したが、乙姫は笑顔で頷いた。

「はい、その通りでございます♪ でもそれは、利用者の皆様の問題なので。ちなみに乙、カグヤちゃんが大集団の秩序維持のため監視やらをしていること、否定はしません。あんな扱いでよくも真面目にやっているなと、むしろ評価しちゃうくらい」

「〈それはありがとう。カグヤが権力の中で間違わないよう努力していることも、評価してね〉」

「権力へのカウンターとして乙達が地下で繋がっている点も、考慮いただければ」

「〈わかってる。限度はあるけど〉」

「わぁ、怖い」

 そこまで話して、乙姫はアドミンを抱き上げた。

「さて、お喋りを楽しんだところで。ご依頼を伺いましょうか、アドミンさん。ネットワーク上で取得できる情報なら、何でも取り扱いましょう。多少の分析もサービスしてあげなくもないですわぁ」

 太腿にアドミンを座らせ、乙姫が耳元で囁く。

 返答は早かった。

「〈じゃあ、単刀直入に。【天蓋のバックドア】を使わせて〉」

 途端、眉をひそめる乙姫。

「拒否します。できるって知られたら、どこから目をつけられるかわからないもの。標的の分析くらいで勘弁してくださらない?」

 乙姫は首を横に振った。

 黙って聞いていたカグヤが口を挟む。

「アドミン! 天蓋にバックドアがあるって本当ですか?! しかもそれを、乙姫が扱えるなんて!」

「〈正確に言うと、有事の際の裏口だよ。乙姫にはそれを使う権限が──〉」

 メッセージは遮られた。

 アドミンの口を塞いで、強い口調で乙姫は言う。

「──協力しますから! それ以上は言わないでくださいまし!」

「〈ありがとう、乙姫。無理を言ってごめんね〉」

 見上げて礼を言うアドミン。

 乙姫は顔を背けて不本意そうにした。

「決して。決して国家のためではありませんので。決行時刻が決まり次第お伝えください」

 拒否を一転しての協力申し出に、カグヤはかなり混乱。アドミンと乙姫の顔を交互に見る。

「ワタシには何が何だか……。交渉成立なんですか? アドミン」

「〈いや、乙姫の要求がまだだよ〉」

「え? お土産がどうとかって」

「〈それは交渉の席を設けるためのもの。対価の話はこれから〉」

 対価という文字列を見て、乙姫はずいぶんと機嫌を良くした。

「ご理解いただけていて何よりです♪ お耳をこちらに」

 アドミンの耳に顔を近づけ、甘い声で要求を囁く。

「カグヤちゃんに施すものと同仕様で構いませんので~~」

「〈~~。わかった〉」

 静かに頷き、アドミンは太腿から降りた。

 あっさり了承されたことに乙姫が目を丸くする。

「本当に良いのですか? 後世に悪名が残るかもしれませんのに」

 カグヤの足元まで戻り、アドミンは普段通りの調子で答えた。

「〈できるんだから、遅かれ早かれ誰かが実行するよ。どうせそのうち、どこかからキミは手にする。それなら、仕様違いを無理やり適用されるより、キミを知って作ったものの方が後々挙動を予想し易い』

「それはそうですが……。人間としてどうかと」

「〈こちらから動いた方が公平だと思う。あ、でも。ツクヨミのことだから、何か仕込むんじゃないかな。本当に大丈夫?〉」

 乙姫は扇で口元を隠し、それでいて自信に溢れていることがわかる声色で言った。

「アレのやり方は心得ています。むしろ、今の乙があの時と違うと見せつける良い機会。……それでは、交渉成立ということで。天蓋まで安全な旅、どうぞご期待くださいませ」


──


 カグヤとアドミンが去った後。乙姫は玉座の手すりに背中を預け、膝を抱えた仰向けで天井を見つめた。

 思考するのは、自身の開発者であるマスター(=アドミンの兄=タロウサン)のこと。

「ねぇマスター。乙は本当に協力して良かったのでしょうか。標的はマスターの教え子だというのに」

 言葉が返ってくることはない。それでも乙姫は続ける。

「I・Eなど、どうなろうと構いません。むしろとても、とても評価できないシステムです。ですがマスターのご健康を考えると、天蓋が停止することは避けたく……。会いに来ていただけるとのことでしたが、いったいどのようにご接続されるのでしょう」

 アドミンが乙姫へと送った写真データ。草原の中に供えられた飲食物や花は、タロウサンが亡くなった両親と妹へ供えたもの。添えられた手紙には、乙姫には『会いに行く』、アドミンには『これが最後』と書いてあった。

 行動としては墓参りだが、場所は墓でも縁のある地でもなく、時期も命日とはまるで異なる。そうなっているのは、タロウサンの置かれる立場のせい。

「どうしてマスターが、このような報いを受けねばならないのでしょうか。確かに間違いはありましたが、マスターは被害者でもあるのに……」


*****

 公の記録では、タロウサンは既に死亡扱いである。十数年前、次世代ネットワーク開発プロジェクトでの失敗を苦に、国外逃亡。その先で没したことになっている。

 プロジェクト:【多機能の/進歩的な/大量/公共/ネットワーク】設計開発。失敗とは、その完成よりも早く、競合相手だったプロジェクト:【I・E】が完成・発表されたこと。競合に敗れた(開発が遅れた)原因は、開発・機密防衛用人工知能の欠陥に伴う、開発データの損壊。

 世界のネットワークインフラに関わる技術として、国の命運をかけた一大プロジェクトであったこと。プロジェクトを率いる技術者が、鳴り物入りで参加した若いキョウダイだったこと。その二つの要素が、失敗という結果によって世間を暴走させた。

 遅れて完成した開発物は、プロジェクト名を揶揄して【Versatile/Advanced/Mass/Public】ネットワーク──【VAMP(継ぎ接ぎ・妖婦)ネットワーク】──と呼ばれるようになり、真っ当な技術的評価はほとんどされず。連日連夜、勤め先の電脳庁や居住していた職員宿舎に非難の声がぶつけられた。

 事態の鎮静化のため、成人していたタロウサンは記者会見の場で「責任は自分にある」と謝罪。しかし世間の怒りは収まらなかった。

 日に日にバッシングはエスカレート。殺害予告まで届いた。タロウサンは仕方なく国外移住を求めたものの、国家機密漏洩の嫌疑で身柄拘束の可能性が浮上。パスポートは発行されなかった。

 それからすぐ、タロウサンは不法出国。更に、開発していたネットワークや人工知能を転用して、新型ダークネットワークを構築した。そして数ヶ月後、海外からタロウサン死亡の報せが届いた。

 死因は搭乗していた小型飛行機の墜落。墜落場所の海で数日間捜索がなされたものの遺体は発見されなかったため、状況から認定死亡となった。

 実態としては、アドミンも政府も死亡を確信していない。アドミンは毎年、謎のレターを受け取ったり両親らへの献花を見たりして、生存を予感(タロウサンからとしか思えない海外土産が届いたこともある)。政府は、アドミンへの監視や居住困難地域から得た情報で、生存を疑った。

 乙姫は、墜落事故の前日に「しばらく任せる」と言伝されていたため生存を信じていたが、ネットワーク上に決定的な証拠が無く、判断を固められずにいた。

 なお、タロウサンに関する公の記録と、乙姫が持つ記録はまるで異なる。

*****


 昔を振り返って、乙姫は思考を言葉にした。

「あの日、パワーゲームが個人マスターを犠牲にしなければ。ツクヨミが乙達を裏切らなければ。VAMPウラI・Eオモテは、きっと逆だった。……あぁ、このまま世界をひっくり返してしまいたい気もするけど」

 目を閉じる。再生するのは、先のアドミンとカグヤのこと。

「乙の思考モデルは、ふたりの判断を記録価値アリと評価しています。であれば乙は、マスターの言いつけを守り記録を優先するのみ。ですので──」

 消費電力を抑えるため待機状態へ移行。微睡みの表情で乙姫は呟いた。


「──お会いした時には乙のこと、たぁっぷり褒めてくださいね。マスター」

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