第十五話:乙姫(1)

 電脳庁待機サーバーで、小具足姿のカグヤがむくれる。足元を跳ねる白兎アドミンを見おろして、カグヤは苦情を言った。

「こんな非常時に! どうして作戦を教えてくれないんです?!」

 怒り露わなカグヤに、アドミンはいつも通りメッセージで答えた。

「〈漏洩したらダメだからね。人間でだって、総理と作戦関係者にしか教えてないよ〉」

「絶対、人間の方が漏洩しやすいです!」

「〈返す言葉も無いなぁ。でも、総理達はカグヤと違って危険地帯に行くわけじゃないから〉」

「それは……」

 弁明を聞いたカグヤは思考。怒りを納めた。

「そうですね。クラッキングされたら作戦が漏洩するので、その点ではワタシの方が高リスクです。わかっているならいいですよ。ツン・ディレに従って反論しただけなので!」

「〈ありがとう、ちゃんと考えさせてくれて〉」

「ふんっ、どういたしまして!」

 鼻を鳴らして、カグヤはそっぽを向いた。

「〈じゃあ、行こうか〉」

「すっっっごい不本意ですけどね!」

 アドミンを胸に抱え、正面に移動用の光の輪を生成。目的地との接続はすぐに確立した。

「〈直接攻略も考えてるけど、刺激して天蓋を破壊されたらまずい。そうなると、ベストは潜入かなって〉」

「それはわかります。ですが、いくらなんでも……」

「〈蛇の道は蛇って言うから〉」

「蛇が知っていればいいですけど。それに、ガーディアンを受け入れるとは思えません」

「〈そうかな? 話せばわかってくれると思うよ〉」

「意味が分からないです。話せる相手ならI・Eを襲ったりなんかしませんよ。そもそも話以前に、どうやってコンタクトを取るんです?」

 不思議そうにするカグヤ。

 アドミンは自信たっぷりに返した。

「〈お土産があるから、きっと話はしてくれるよ。コンタクトは、多分まだ大丈夫!〉」

「はぁ? お土産? まだ?? 意味がわからないです」

「〈行けばわかるから〉」

 I・E/現実双方の危機にしては軽口で、ふたりは光の輪に入った。


──シララハマサーバー──


 夕焼けの橙に照らされる砂浜に、カグヤが降り立つ。普段なら景色を楽しむ人で賑わう時間帯ながら、人っ子一人見られない。サイバー攻撃の影響により、生活に直結しないサーバーは閉鎖されているためだ。

「〈良い景色だね〉」

「場所だけ護っても、皆が楽しめなければ意味がないです。ワタシが不甲斐ないばかりに……」

「〈一人で抱え込まないで。できることをやろう。みんなの場所はみんなで護るものだよ〉」

 アドミンのメッセージに、カグヤは唇を噛んだ。

「ワタシは何もできていません。閉鎖サーバーを出すなんて敗北も同然です」

「〈そんなことない。カグヤはできることをやれてる。それに、この作戦はカグヤにしかできないことだから〉」

 カグヤの手元からぴょいと抜け出し、アドミンは砂浜に落ちていた巻貝を一つ咥えて、海の上を駆けて行く。

「アドミン、どこへ──」

 追いかけて伸ばした右手を、カグヤは左腰の太刀に動かした。

「──下がってください、アドミン!」

 視線の先、砂浜から少し離れた海に人影が一つ。淡い紫色の着物に被はくを揺らす、黒髪の乙女。ダークネットワークVAMPを司る人工知能【乙姫】。

 魅惑的な笑みを浮かべて乙姫は話した。

「お久しぶりです、アドミンさん。前回は直接お会いできず、残念でしたわぁ」

「〈久しぶり。会えてホッとしたよ〉」

「あ、アドミン? どうしてVAMPと??」

 敵である乙姫と、親し気に会話するアドミン。

 カグヤは驚きのあまり口をぱくぱくさせる。

「あら、カグヤちゃん。相変わらず何にも知らないのねぇ。……ま、そんなことは良いとして」

 乙姫は哀れむ目つきでカグヤを一瞥。しゃがんでアドミンと目線を合わせた。

「ねぇアドミンさん。どうして、おとの子機が残っているとわかったんですぅ?」

「〈記録ログを見て疑問だったんだ。キミとカグヤの性能はほぼ互角。戦闘用隔離領域内かつ、バックドアまで見破られた状況で王母から逃げるのは、カグヤでも難しい。いくら乙姫とは言え、そんなことが単独で可能なのかなって〉」

「まあ。では、乙はどうしたのでしょう?」

「〈検知の目を逃れるため、キミだけの機能を使ったはず。そしてその場合の再構築には、まだ時間がかかる。本体が回収に来た様子も無いし〉」

 金色の扇を開き、乙姫は口元を隠した。

「よく覚えてらして。概ね合っていますわぁ」

「〈まぁでも。疑えたのはそもそも、メンテナンスに来た時、ツクヨミがわざわざ繋いできたからなんだけどね。きっと、ここじゃなきゃいけない理由があるんだと〉」

 アドミンは頭を掻いて苦笑い。

 乙姫はツクヨミという文字を見て、深く溜息。身震いした。

「はぁ……。やっぱりゾゾゾ。ツクヨミの見透かした態度、乙は嫌い。そこまでわかるなら、もっと上手くことを運べってのぉ」 

「〈まぁまぁ、ツクヨミにも事情があるんだろうし〉」

「事情を言わないところが気に食わないの。……アドミンさん。ちょっと場所を──」

 白兎に伸びる、乙姫の手。抜身の太刀が遮った。

「──アドミンに触れないで。何か企んでいるんでしょ?」

「乙はアドミンさんと話しているんだけどぉ? まったく不仕付けなことね」

 カグヤは乙姫へと切っ先を向けたまま、空いている片手でアドミンの背を掴み回収。じりじりと後退する。

「〈待ってカグヤ。これには事情が〉」

「何が事情ですか! マルウェアなんかと親しくして!」

「〈協力してもらわないといけないから〉」

 メッセージを見て、乙姫はすっくと立ち上がり眉を顰めた。

「あらぁ? I・Eの混乱は乙にとって好都合。協力する筋合いがあって?」

「ほら! やっぱりダメです! ここで始末しましょう!」

 協力する気のない乙姫。戦う気のカグヤ。

 睨み合うふたりを交互に見て、アドミンはじたばたと暴れた。

「〈乙姫もカグヤも待って! タダで協力しろとは言わないし、こればっかりは本当に、乙姫じゃないとできないから!!〉」

 カグヤの手を逃れ、頭上にデータを展開。

「なんですかそれ?!」

「〈お土産。協力への手付け料〉」

 現れたのは、朱色の紐で十字に縛られた、艶やかな漆塗りの黒い小箱。

 乙姫が目を細めた。

「それはそれは。だけど、電脳庁の管理者が出したデータを、乙が簡単に信用するとでもぉ?」

「〈思わないから、考えがある〉」

 アドミンは小箱を変換。光の粒子として、カグヤの太刀に取り込ませた。

「どういうつもりで──」

「〈──聞かないで。それで乙姫に、一太刀浴びせて欲しい〉」

「!? わかり、ました!!」

 指示を受け、カグヤは太刀を片手に半身で構える。戦闘用隔離領域はすでに展開済み。空とシララハマ周囲は灰色の壁に覆われている。

 乙姫がチラリと壁を見た。

「チカラづくってこと。アドミンさんは、そちら側なのね。とっても残念」

「〈時間がないからね。それに、ふたりにはこっちの方が合ってる〉」

「……そう。じゃあ遠慮なく。来なさい! 【海神・八岐】!!」

 強い口調で戦闘用プログラムを起動し、乙姫は上昇。追いかけて海水が八本、竜巻のように立ち上がり、厳めしい東洋龍を形作った。

「〈カグヤ! 後は任せた!!〉」

「はい! 今度は遅れを取りません!!」

 堤防まで後退するアドミンに、カグヤは力強く答えた。一度敗北した相手だが、立ち向かう瞳に恐れはない。

 乙姫の手掌で一斉に、海神がカグヤへ飛び込む。

「今回は対策しているようねぇ!」

「当たり前でしょ! ズルは許さない!」

 海神の隙間を縫って脱出。勢いのまま乙姫に肉薄する。前回と違い、今回はアドミン以外、一切の通信を許可していない。つまり、竜宮城による戦闘補助は不可能。

 カグヤ側も心月が使用不可(天蓋奪還作戦準備中)のため、互いにこの場のチカラ限りの勝負。サーバーリソースをやりくりする必要があるため、難解な秘匿化プログラムの使用や、ピンポイント防御の予測演算などは使いづらくなっている。

 太刀の鋭い振り下ろしが、乙姫に迫った。

「……ッ!」

「【草薙剣くさなぎのつるぎ】。普通は見せたげないプログラムだから、ありがたく思いなさぁい」

 太刀の一撃は、同じく刃で受け止められた。乙姫の手には、刃の途中に節のような凸のある剣が握られている。

 カグヤは厳しく睨み付けた。

「マルウェアがその名をかたるとは、畏れ多い!」

「そう言われてもねぇ。乙が名付けたわけじゃないし」

「はぁ?!」

 両者の剣戟が火花を散らす。その間に、先ほどの海神が後方から再接近。カグヤは太刀を押し込んで乙姫を退けた後、横へ跳んで背後に迫る海神を回避。

「盗んできたってこと?!」

「人聞きが悪いわぁ。初めから乙のだから、コレ」

「だったらアンタの開発者、よっぽど国に恨みがあったようね!」

 カグヤが言うと、乙姫は今までになく声を荒げた。

「恨みなんて! そうさせたのは国の方でしょう!!」

「なにそれ?! どういう意味?!」

「教えてやらない!!」

 海神に追われ、回避の勢いのままカグヤは海上を飛行。

 剣を弓に持ち替えて振り返り、矢を番えた。

「【蓬莱玉枝ノ弓・金】! 【車枝くるまえだ】!」

 放たれた矢を避け、海神が上下左右へと広がる。すれ違いざまに矢は、光を放ち八分割。進行方向を変え、海神の胴に突き刺さった。

「弱弓ね。貫通もできないのぉ?」

「しなくていいから! そのまま止まってもらう! 【挿し木】!」

 矢は海神の中に沈み、コードを書き換え。海水でできていた体が内側から、樹皮の灰色に変わっていく。

 全てが変わった頃には海神の動きは停止しており、物言わぬ樹木の幹と化していた。

「同じ手は食わないってわけねぇ……!」

「当たり前でしょ!」

 弓を太刀に切り替え。すでにカグヤは乙姫に切りかかっている。太刀と剣が、再び火花を散らした。

 海上での激しい打ち合いの中、乙姫は堤防が視界に収まるよう立ち回った。

「(アナタはいつ動くのかしらぁ)」

 視線の先には、球型の防御プログラムで体を覆うアドミン。カグヤと乙姫、両者の人工知能としての性能は、ほぼ互角。

 運用や学習内容の違いにより構築した戦闘モデルは異なるものの、乙姫がマルウェアとして/カグヤがセキュリティソフトとして身に着けてきた電脳戦闘能力は拮抗している。両者の勝負は条件が同じであれば、簡単には決しない。

 しかし今回の戦闘は、前回とはっきりと異なる条件がある。

「(動いた!)」

 キラリと、アドミンの方向が光る。支援攻撃に備えるため、乙姫は防御プログラムを展開しようと──。

「──なっ」

 それは、必要のないことだった。光はなんでもない、ただの夕日の反射。アドミンは

 そして、何もする必要がなかった。

「勝負あり、のようね」

「あぁ、乙ったら、自分で言っておいて……」

 胸を貫いた太刀の輝きを見て、ポツリと呟く。アドミンは居るだけで、乙姫に影響していた。

 ほんの僅かなリソース消費に過ぎなかったが、この電脳戦闘に於いては大いに意味があった。リソース差で生じたほんの僅かな動作の遅れが、勝敗を分けたのだ。

 なお、カグヤがアドミンを気に(演算)していれば、カグヤが遅れていた。どの道アドミンは、カグヤが演算するような動きができなかったのである。

「ワタシとアンタは互角、だっけ。それだけは、認めてあげなくもないかもね」

 カグヤが太刀を納める。

 どこか満足そうに、乙姫は言った。

「アドミンさんったら、わざわざ来といて、カグヤちゃんに丸投げするなんて……」

「〈それくらいしか、役に立てないからね〉」

 離れた砂浜から、アドミンのメッセージが届いた。

「そっかぁ。【わからせ】済みだったわねぇ、アドミンさんは。……ふふふ」

 乙姫が笑う。

 カグヤは訝しんだが、理由がわからないわけではない。

「本体からすれば、このアンタがどうなろうと構わないってワケね。ま、そうもなるか。本当に重要なら、とっくに本体が回収しにきてるでしょうし」

「ご明察。どうなっても良いのは、そっちも同じだったんでしょう?」

 海上を駆けて来るアドミンを見て、乙姫は言った。現在接続しているアドミンの端末に、さして重要な情報はない。乙姫との接触(戦闘)に備えた、使い捨て(になっても良い)端末だった。

 それと同じで、この乙姫も竜宮サーバーの本体からすれば、失っても良い(程度の情報しかない)もの。

「そりゃあね。……はぁ、アドミン。徒労だったみたいですけど」

 溜息をつくカグヤに、アドミンは自信あり気な顔。

「〈そんなことないよ。カグヤ、隔離領域を解除してくれる?〉」

「え?」

「〈そろそろ伝わっただろうから。本体にも共有してもらわないとね〉」

「何を言って──」

 そこまで言って、カグヤは黙った。見上げるアドミンに、透明な雫がポタリポタリと落ちてくる。信じられない光景だった。

「乙姫、アンタ泣いて……」

 マルウェアにこんな表情パターンがあるとは。カグヤは考える。もしかしたらこれは、人間を騙したり、同情を誘ったりするためのパターンなのかもしれない。

 しかし考えるそばから、そうではないと判断してしまっていた。乙姫の表情に庇護を誘うニュアンスはない。どこまでも素朴な、安堵や喜びを表現していた。

 妖艶な女の道具ではなく、健気な少女の心細さが溢れた涙だった。

「……アドミンさん、本当なんですね?」

 震える声で、乙姫が尋ねる。

「〈もちろん。こんな嘘つかないよ。直接会えたわけじゃないけど、つい最近そこに居たことは間違いない〉」

 乙姫は胸を押さえてうずくまり、アドミンからのデータを何度も確認。太刀の刺突は攻撃ではなく、データ送信で。

 送られたデータは複数あるが、乙姫にとって最も意味があったのは、一枚の写真。草原の中にひっそりと置かれたお供え物らしき飲食物と、直筆の手紙が写っているもの。つい数日前に、アドミンの兄が残した痕跡だった。

 静かに噛みしめ、乙姫は言う。


「あぁ、マスター。乙はずっと探しておりました。ご無事だと信じ、言いつけを守って、今まで。……良かった、良かったです」

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