第十二話:同じ地球に(1)

 夕暮れの空を暗い灰色の雲が覆い隠し、ほどなくして激しい雨が降り始めた。排水が追いつかないほどの豪雨。バラック小屋が並ぶ街はあっという間に、膝の高さまで茶色の水に浸かった。

 赤道に近いこの街では、雨季になると頻繁に豪雨浸水に見舞われる。一見して災害だが、住人にとっては慣れたもの。短い軒下で雨宿りをしたり、雨をかき分け普通に生活したり。子どもなどは、まるで気にせず遊んでいる。古来より変わらない、自然と人の営み。騒々しくも穏やかな日常。

 しかし、逞しく生きる人々をも混乱させる脅威が、ここにはあった。

『宇宙線警報発令、宇宙線警報発令~~』

 粗悪な音質でうるさく繰り返される、警報音と機械音声。それを聞いた人々は焦った様子で、バラック街で最も頑丈な作りの、塀で囲まれた白色の建物へと駆け出す。

 警報から数分。建物地下のシェルターは子どもと若者だけで過密になり、入れなかった人々は外に溢れた。

 さらに数分。外の人々はシェルターを諦め、せめて屋根の下に入ろうとバラック小屋へと散った。街は一気に静まり返った。


『~~警報解除、警報解除』

 辺りがすっかり暗くなってから、再び機械音声。シェルターに集まっていた人々は街へと戻った。そんな中、十歳くらいの見た目の、よれよれのボーダー柄タンクトップを着た少年が一人、街には戻らず建物地上の金属扉の前に立った。

『認証完了。入室できます』

 扉横の装置に掌をかざし、生体認証を済ませる。扉がゆっくりと開いた。

 入ってすぐ、室内のスピーカーから大人の男の声。

「大丈夫だったかい? 【ジャオマ】」

「ボクはね。でも、友だちが間に合わなかったよ」

 名前を呼ばれた少年──ジャオマ──は軽く答えて、慣れた様子でコンピュータだらけの部屋を進む。この建物は、街唯一のデータセンター【金の卵】。軌道エレベータ建設のために建設会社が作った仮事務所を、改装して作られた。

 部屋の奥は古いつくりのオフィスになっており、大小様々なサーバー機器が立ち並ぶ。最奥には、サーバー類とケーブルで繋がる壁面大型モニタと、いくつかのデスク、点滴の袋が付いた卵形の大型イスが一つあった。

「【リオ】兄ぃ、体の調子は良いの?」

「なんとかね」

 そばまで来たジャオマを振り返って、大型イスがモーター音を発し回転。座っているのは、腕に点滴の管を繋いだ、酷く痩せた男──リオ──。

 リオは穏やかな声色で、ジャオマに諭して聞かせる。

「なぁジャオマ。オレのようになりたくなかったら、シェルターが近いここに居た方が良い。ジャオマのスキルは、みんなわかってくれているよ」

「でもボク、友だちだけにジャンクあさりさせたくない」

「……そうか。ジャオマは優しいんだな」

 リオは困った顔で笑い、そばまで来たジャオマの頬を撫でた。ジャオマはくすぐったそうにして、モニタを眺める。

「【ジャック】は動いてるの?」

「いや。【豆の木】のソフトエラーで止まった。チェックが終わるまで動かせない」

 モニタを指差し、リオが説明。画面には街に関わる設備のネットワーク構造図が映っており、ところどころ×マークが表示・点滅していた。

「そっか。今日はずっと水びたしかもね」

「それはオレ達の頑張り次第。さ、復旧作業を手伝っておくれ。非常用電源が動いているうちに済ませよう」

「うん!」

 元気の良い返事で、ジャオマがデスク前のイスに飛び乗る。机上のラップトップパソコンを使い、ソフトエラー復旧用のプログラムを起動。ついでに遠隔操作ドローンを複数扱い、街や豆の木に飛ばした。

 街の配電、排水装置等の状態確認や、豆の木へのクラッキング、エラー対応を行うためだ。

 ドローンは、ジャオマ手製のプログラムによりほぼ自動操縦。豆の木でクラッキングを行うドローンは手動だが、監視側の死角を渡ってアクセスポイントまでスムーズに飛行。仮に発見されても識別が監視側となっていたり、監視カメラの認識を阻害する擬装を施していたりと隙がない。

 手際の良さとスキルの高さは、子どもの枠を超えた天才のそれ。

 リオとジャオマはたった二人で、この街のインフラに関わるITシステム全てを管理している。もとはIT技術に長けた青年が十数人ほどで行っていたことだが、仲間は次々にこの世を去ってリオ一人に。少ししてジャオマが技術を身に着け、今の体制になった。

「ジャオマ、腕を上げたね。この分なら夜のうちに復旧できそうだ」

「リオ兄ぃが教えてくれたからだよ!」

 褒められたジャオマは、嬉しそうにニッコリ。デスクの端に飾られた虎を模した小物(張子の虎)が、キーボードを打つ振動でコクコクと首を揺らす。

「こらこら。【ヴゥラン】にも世話になってるだろう?」

「そうだった! ヴゥランも、ありがとう!」

 ジャオマは頭をかいて、モニタの端に映る女性型人工知能──ヴゥラン──に話しかけた。

 ヴゥランの見た目は、褐色黒髪アーモンドアイのクールで美しい顔立ちに、鮮やかな刺繍が入った紫色のブラウスと布を巻いた形状のくるぶし丈スカート。とてもバラック街のコンピュータで動いているとは思えないほど、衣装テクスチャもモデリングも整っている。

 ヴゥランは柔らかな微笑みをジャオマへ。しっかりとした口ぶりで話した。

『礼には及びません、ジャオマ。ジャオマの成長は未来を拓く。その年齢でそれだけのスキルに到達しているのは、世界でも稀です』

 上質なコミュニケーション能力は、優れた自律学習・判断能力により獲得したもの。この街のインフラシステムの管理と防衛を一手に担っているだけあって、電脳戦闘能力などの性能も非常に高い。

 ハードが古い型のスーパーコンピュータやジャンクパーツの寄せ集めのため性能限界こそあるものの、十分なハードがあれば、小規模国家の中枢使用ですら耐えうる完成度。

 昔、【タロウサン】と名乗るエンジニアが持ち込んだ人工知能・学習データを基にして作成され、稼働以来この地域の暮らしを支え続けてきた。

「ヴゥランに認められて良かったな、ジャオマ」

「大げさだよ~」

「よし、エラーの修復は済んだ。ヴゥラン。ジャックを起動してくれ」

 作業はひと段落。リオが別のソフトウェアを準備する。すっかり夜も更け、窓から見下ろせるバラック街は、ろうそくの火程度の僅かな灯りしかなく暗い。

『わかりました。ジャック起動』

 ヴゥランが答え、コンピュータ冷却用ファンが唸りを上げた。

『起動完了。擬装プログラムも正常稼働しました。送電はいつでも可能です』

「ありがとうヴゥラン。後はこっちでやる」

『承知しました。潜伏モードに移行します』

 モニタ映像が、宇宙から地球を見下ろす景色に切り替わる。地球から黒いケーブルが飛び出し、その周りを輪の形をした巨大建造物が浮遊。ケーブルにはコンテナが昇降する様が見えた。

「さぁ、今日も頼んだぞ……。送電開始!」

 リオがキーボードを叩き、画面に映る巨大な輪の一部が変形。輪の周囲に羽のような突起が出現し、そのうちの一枚が紫色に淡く光った。

「来たよ、リオ!」

 窓から外を見ていたジャオマがはしゃぐ。さっきまで夜闇で真っ暗だったバラック街に、ポツポツと光が灯り始める。

 安堵したリオは深い息を一つ。椅子に深く腰掛けた。

「何とかなったな。排水ポンプも動いたし、これで大丈夫だ。……あぁ、疲れた」


*****

 リオとジャオマが使ったジャックというプログラムは、豆の木のマイクロ波送電機能をクラッキングし、バラック街向けに電気を盗むもの。リオ達の仲間と、バラック街の窮状を見かねた流浪のエンジニア、タロウサンが協力して作った。

 ジャックが必要となったのは、天蓋が完成してすぐ、街の暮らしが崩壊したから。完成に伴い街は居住困難領域に指定され、インフラが停止。続いて建設会社が倒産し、報酬の支払いも止まった。

 生活が成り立たなくなったことで暴動が起こり、街や周辺が荒廃。徐々に街が死に体となり暴動が沈静化した頃、どこかから大量の廃棄物ゴミと僅かな食糧、最低限の日用品等が運ばれてくるように。そうして、施しとゴミに【生かされている】だけの人々が生まれた。

 リオはそんな街を支え自立させるため、データセンター運営やジャンク品の売却で資金を集め、インフラの維持や廃棄食品の入手などを行っていた。

*****


──


 真っ暗な部屋で、大型モニタだけがぼうっと点灯。赤色の衣を見に纏った、この世の者とは思えない絶世の美女が映る。

 美女は妖しい笑みで、オレに囁いた。

わたしに協力すれば、物資の援助を考えてあげる。悪くない話でしょう?』

「そんなこと、オレは……」

 悪くない話だと思ってしまった。断りたいのに上手く話せない。

『だったらお前はどうして、BOTネットなど所有している? 悠長な事を言っているが、時間が無いのはお前だけとでも思っているのか?』

「それは……」

 ジャオマの顔が頭に浮かんだ。あの子をオレのようにするわけにはいかない。

『VAMPにリークされていること、知っているんでしょう? 連中はお前達を騙し、居ないものとして無視し、虐げている。酷いものね。自分たちの安全が確保できた途端、I・Eなどという箱庭に引きこもって』

「ッ……!」

『こんな世界、ひっくり返しましょう。その気になったら連絡なさい。良い返事を期待してる』

 否定できなかった。女の言葉が、頭の中で何度も何度も繰り返された。


──


「~~オ、リオってば。起きて、朝だよ」

「……ん? ジャオマか。おはよう」

「急に眠っちゃうからびっくりした~。あんまり無理すると体をこわしちゃうよ」

 イスに腰掛けたまま眠ったリオを、ジャオマが揺すって起こす。昨日の作業後、リオは気を失うように眠った。そんなリオを心配してジャオマは金の卵に残り、昼になっても起きなかったため声をかけた。

「心配かけたね、ジャオマ。オレは平気さ。ジャオマこそ、疲れていないかい?」

「ボクは平気だよ!」

「そうか、それは良かった」

 元気に話すジャオマを見て、リオの顔が穏やかになる。ゆっくりイスから立ち上がり、イスに取り付けていた点滴を車輪付きのスタンドに付け替え。弱々しい足取りで部屋の外へと向かった。

 医療の心得がある仲間に診察を頼みに行くためだ。

「……ん? ジャオマ?」

 ふと、リオは振り返った。診察を受ける時、決まってジャオマは補助をしてくれるのだが、珍しくついてきていない。

「! ジャオマ! どうしたんだ?!」

 視線の先にあったのは、うつ伏せに倒れる背中。点滴のチューブを外し、ふらつく脚で駆け寄る。

 ジャオマは酷く発熱していて、苦し気な息づかいをした。

「しっかりしろ! 今、診てもらえるようにするから!」

 板状の通信端末を操作し、仲間に連絡。最悪の事態が脳裏をよぎる。

「(まさか、違うよな? ジャオマ……!)」

 数分後。到着した仲間の女性がジャオマを抱き上げ、診察室まで運びこんだ。


──


「とりあえず、山は越えたけど……」

 白衣姿の女性は言った。運ばれたジャオマはいくつかの薬を飲み、診察室の一角にあるベッドで眠っている。

 女性とリオは、診察室のコンピュータを使い、ジャオマの症状を調べた。小さなモニタには、ヴゥランの姿。

「ヴゥラン。ジャオマの状態から、何の病が予測される?」

『【再現プログラム】でのシミュレートで最も可能性が高かったのは、一般的な感冒、細菌感染、デング熱です。しかし線量限度を超えているため、造血能力低下の疑いも強くあります』

「……ッ」

 ヴゥランの返答に、リオは唇を噛んだ。

『再現プログラムでのみの分析では、特定は不可能です。機器による精密検査が必要──』

「──わかっている!」

 リオが声を荒げる。この施設は診察室と称しているものの、検査に必要な機材などなく、正式な教育を受けた医師・技師もいない。症状を人工知能ヴゥランの機能で調べ、対処療法的に市販薬を処方する場所でしかない。その市販薬も、ほとんどが寄せ集め。

 真っ当な治療が施せないことは、リオも理解していた。

『申し訳ありません。リオ達のおかれる状況を配慮できませんでした』

「……すまん。ヴゥランが正しい。少し頭を冷やしてくるから、看病してやってくれ」

 ジャオマのことをヴゥランと仲間の女性に託し、リオは視線を下げたまま診察室を離れた。おぼつかない足取りでバラック街を歩き、考えを巡らせる。


「(もし。もし、ジャオマが普通の病気じゃなかったとしたら。こんな環境で過ごさせるわけにはいかない。オレや仲間みたいに、未来を無くさせるわけには……)」


 視界の端に見える街は、酷く不衛生だった。昨日の雨水はなんとか排水しているものの、そこかしこに汚水だまり。病原菌やそれを媒介する虫、細菌の温床。

 それに加え……。

「(……光を失ったか)」

 中年の男が一人、小屋の前に座っていた。本来であれば働き盛りだろうに、白く濁った瞳を足元に向け、うなだれるばかり。彼は視力を失っていて、それ以外にもある体の不調から、まともに働ける状態ではない。

 見渡せば、似たような人がいたるところに居る。

「(どうして天蓋をあのままにして、I・Eニセモノに引きこもれる?!)」

 リオは遠くを見た。視線の先には、灰色の外壁をしたあまりにも巨大な施設と、天まで伸びる黒いケーブル。街からかなりの距離ながらはっきりと見えるそれは、軌道エレベータ兼宇宙太陽風光発電装置【豆の木ビーンストーク】。

 人類の希望を運ぶ施設──だったもの。


「(オレ達や親父達は、ここで命を懸けた。なのになぜ未だに、怯えて暮らさなきゃならないんだ!)」


 意義を失った塔を睨みつけ、リオは拳を握りしめた。


*****

 軌道エレベータ豆の木は、地磁気低下前の発展目覚ましい頃に建造が始まり、戦争により一時中断。しかし天蓋関連資材の輸送装置としての役割が生まれ、何とか完成までこぎつけた施設。

 バラック街の原型は、小さな村に後付けで作られた、豆の木建造作業労働者の仮住まいである。建設を再開した際、戦争による治安悪化や宇宙線による環境悪化は酷いものだったが、「豆の木(と天蓋)が完成すれば、争いや宇宙線に怯える日々は終わる」、そう信じて、労働者達は危険を顧みず命懸けで働いた。

 天蓋が一応の完成を見た後も、豆の木は改良用の資材を宇宙へと送っていたが、その量は年々減少。原因は運用国の国力不足であると、VAMPネットに情報がリークされた。VAMPではこれに関連して、開発国は改良を諦め、最低限の機能を維持する運用にシフトしようとしている、との噂まで広がっていた。

*****


「(天は皆で支えれば良いだろう! なぜそうしない! 何もする気が無いのなら、オレがやってやる……!)」


 金の卵に戻ったリオは、冷めた頭で全てのコンピュータを起動。決意はすでに固まっていた。座る者のいなくなったいイスを見つめる瞳には、強い怒りと哀しみがこもっている。

「(……みんな、ごめん。オレはそっちにはいけない。黙っていられないんだ)」

「ヴゥラン。【再現プログラム】を使う。豆の木から侵入するぞ」

『……本気なのですね、リオ』

 鎮痛な面持ちでヴゥランは答えた。つい先日、大規模な攻撃を行った時から予測はできていた、が。


 道具であるヴゥランには応えることはできても、止めることはできない。

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