第十一話:心月制御用人工知能【ツクヨミ】

「失態について弁明はあるかね? アドミン君」

 電脳庁セキュリティグループ・グループ長が、髪と同じくらい白い眉をひそめた。非常灯レベルの明かりのみの広く天井高い部屋に、苛立ちを多分にはらんだ声が響く。

「ありません。ところでグループ長。マンツーマン指導であれば、適当な会議室でも良かったのでは?」

 アドミンは、威圧的な態度を気にも留めず、ボサボサ黒髪と肥えた腹とを掻きながら、独特の歪んだ声で答えた。


*****

 グループ長の言う失態とは、I・E南洋群島領域でマルウェアと戦闘を行ったカグヤが、不安定挙動の後、停止したことを指す。停止したカグヤと、マルウェアから唯一得られた痕跡である【太刀にべっとりと固着した赤黒いデータ】は、隔離サーバーでセキュリティチェック中。被害領域含め、攻撃者からの要求・声明は無し。

 目立った被害が無く防衛には成功している点、データロスト無く停止したカグヤを回収できた点、不具合を【起こるもの】と考えている点から、アドミンは今回の停止を特別な問題とは受け止めていなかった。

 軽い報告で済むと思っていたアドミンだったが、グループ長の判断基準ではそうではなく、心月を使用したにも関わらずトラブルを発生させたとして、電脳庁地下最深部・心月サーバールームに呼び出された。

*****


 アドミンの言葉をグループ長は鼻で笑う。

「ふん。人工知能どうぐに使われるお前に、指導などしてやらんよ。だが、無駄にアレの運用を延命させようとするお前に、現実くらいは教えてやる。愛する人工知能の言葉なら、聞き分けもできよう」

「……」

 アドミンの背後で、青色の照明がぼんやりと点灯。部屋の大部分を占めるほど巨大な、貯水タンクのような円柱型の装置が照らし出された。

 グループ長はタンクの前に立ち、掌を向ける。

「【心月】起動」

 音声命令したグループ長の掌や目に、緑色の光が照射。合わせて声紋や光彩、投影されたコンソールによるパスコード認証などが行われる。全行程が済むと、タンクの中央が発光。達者な書体で刻まれた【心月】の文字が浮かんだ。

「【ツクヨミ】、カグヤの運用変更案について、コイツに説明しろ」

『命令確認。実行します』

 冷たく平坦な口調の女性声が返り、タンク正面にいくつかの文書が投影表示される。

『防衛用人工知能【カグヤ】は性能不足のため、運用方針変更が検討されています。国防戦略上の等級を最上位から上位に降格。補助的な運用となる予定です』

「補助ってことは、代わりに何か導入するのかな?」

 尋ねるアドミンに、ツクヨミではなくグループ長が答えた。

「そうだとも。合衆国から格安で借用できるよう話をつけた。最強と名高い現行ドロシーの同型をだ。借用コストは、保守と定期更新込みで、アレの運用コストのおよそ三分の二。性能は上がりコストは下がる。その上、言うことを聞かないエンジニアも雇わなくて良い。素晴らしい改善だと思わないかね?」

 グループ長は鼻高々に成果を誇り、嫌味たらしく続ける。

「アレを使い続けるより圧倒的に良いと、無能でもわかるだろう? ツクヨミ、お前からも言ってやれ」

『……グループ長の言葉通り、変更には大きなメリットがあります。関係各所からの反応は良好です』

「聞いたか? 人工知能サマがおっしゃったぞ。ありがたく受け入れたらどうだ」

 アドミンの横まで来て、グループ長は口角を上げた。

 アドミンはしばらく黙った後、心月を見上げて言う。

「理解しました。あの、グループ長」

「なんだ? 傷心旅行でもしたくなったか? 今なら休みをくれてやってもいいぞ」

「停止したカグヤの分析を行いたいので、このまま心月を使用して良いでしょうか?」

「……は?」

「あと、休暇はいただきたいです。日程は~~」

 次々にアドミンは要求を伝えた。予想外の反応にグループ長は驚き、そのせいか珍しく、要求の全てをすんなり受け入れた。


──


「~~さすがに、可決まではもたせんといかんか。心月が安全性を認めた場合に限り、分析を許可する。占有率は二十%までだ」

「ありがとうございます」

「それと、一つ言い忘れていた」

 出入口の重い扉の前で、グループ長が振り返る。見下す視線をアドミンの靴から頭頂へ。

「擬装だかなんだか知らんが、ボディスーツだのマスクだのと姿が変わるのは気味が悪い。特に今のそれは好かん。警備部にマシなものにするよう伝えておけ。声もな」

「報告しておきます」

「ふん。やっとお前達との関わりが消えると思うと清々する。国家の基幹システムが個人の開発物に頼るなど、あり得て良いことじゃない」

 グループ長はブツブツと言いながら部屋を後にした。アドミンはその背中を見送ることなく、心月に声かけ。

「心月起動。[カグヤの停止原因分析・対処を目的]とし、[占有率二十%]で使用開始」

 スリープモードに移行していた心月を再び起動。光彩とパスコードだけで認証は済まされ、声が返ってくる。

『認証完了。分析対象の安全性確認……、良好。仮想空間投影装置、起動します』

 部屋中からプロジェクターの光が照射され、景色が全面真っ白なものに変わる。隔離サーバーの電脳空間が立体映像として投影されたためだ。

 アドミンの正面には、半透明のキューブに囲まれたカグヤの姿。膝を抱えた姿勢で眠るように瞼を閉じている。

 停止したカグヤの両隣には一人ずつ、太刀を佩いたカグヤが居たが、黙ったまま姿を消した。心月がセキュリティチェックのため遣わした個体で、検知結果に異常がなかったことによる。

「ツクヨミ呼び出し」

 アドミンが口に出してすぐ、前が見えないほど眩しい光が起こった。

 後光を背負う人型の影が、頭上からゆっくり舞い降りる。


『お目にかかるのは久方ぶりですね、アドミン』


 先の機械音声とはまるで違う、嫋やかな女性声。抑揚わずかだが、耳に心地良い。光が弱まり見えた姿は、浮世離れした美しさの貴婦人。紅色に緑色の差し色が入った十二単を身に纏っている。

 顔立ちこそカグヤと似ているもののだいぶ大人で、眼は金色。黒の長髪は艶やかで、憂いのある微笑を金色の扇で隠す。優雅に空中を揺蕩う様は、神聖な近寄り難さを放った。

 名は【ツクヨミ】。心月を司る、この国最高性能の人工知能。カグヤの他、心月に関わる全ての人工知能・ソフトウェア・機能を管理している。

「顔を合わせるのは十年ぶりかな。久しぶり、ツクヨミ」

『本件については、わたくしを呼ばずとも解決できると考えますが』

 軽く首を傾げるツクヨミに、アドミンは首を横に振った。

「買いかぶり過ぎだよ。攻撃者も対策も、イメージできてない」

「そう、でございますか……」

「さっそく始めたいところだけど、一応、聞いておこうかな。分析過程で問題が発生する可能性はある? やってもいい?」

『慎重でいらっしゃいますね。問題発生確率は無視できる値です。実行を評価します』

「身を持って学んだからね。当時の見立てがどれだけ甘かったか、今は理解しているつもり」

『そうであれば、良いですね』

 ツクヨミが一瞬、表情を変えた。【冷たい】に分類される表情だったが、アドミンにはそう感じられなかった。全てを見透かす超越的な【何か】と向き合う感覚に、少し、体がすくむ。

「ツクヨミ、あの時は本当に──」

『──それはそうと、今回は申し訳ありませんでした。クラッシュリスクを察知できず』

 問いかけは意図的に無視された。ツクヨミから冷たい表情は消えており、穏やかな微笑みが戻っている。アドミンはそれ以上の追及を止めた。

「最小単位じゃ仕方ないよ」

『相変わらずお優しい。ですが、私達に求められるのは結果のみです。……まずはクラッシュレポートを確認しますね』

「【羽衣】を使った方が良い。この機能の多様は勧めたくないけど、安全のために」

 ツクヨミが目つきを少し鋭くした。

『人工知能の脆弱性だと?』

「状況的にはそうだったから。自分で自分に使えるね?」

『はい。先ほどのような言動になりますが、嫌わないでいただきたく』

「わかってるよ」

『ありがたいお言葉です。……羽衣起動』

 ツクヨミの背後が眩く輝き、薄く長い被はくが出現。身に纏った瞬間、表情が消える。

『[クラッシュレポート表示]』

 冷たい口調でツクヨミは言い、カグヤを囲むキューブに両手を入れた。左右から優しく頭に触れ、少し待って手を戻す。その手につられて、明るく光る長い文字列が飛び出し。文字列は展開され、空間いっぱいに表示された。

『[解析開始……。クラッシュ原因は禁則事項抵触及び、抵触判定異常に伴うループ処理の発生]』

「禁則事項……。判定理由は?」

 アドミンが表情を暗くする。

『[八十%以上の近似による誤認]』

「禁則事項抵触時の挙動を変更できる? 完全停止ではなく命令待ちへ。用途がI・E用であれば、条約・法律共にグレーだと思うけど」

『[影響がI・E内に止まる場合限り、解釈の範囲で変更可能と判断。……変更完了。羽衣解除]』

 ツクヨミはもう一度カグヤの頭に振れ、姿を消す。再び現れた際には、肩に被はくはなく、表情や声色に穏やかさが戻っていた。

『慣れませんね。ただのプログラムに戻るのは』

「自分で適用・解除できるのに?」

『我々にも事情がありますので』

 冗談めかして、ツクヨミが少し笑った。


*****

 羽衣はカグヤ型が持つプログラム。機能の一つとして、人工知能の自律的な思考を司る【疑似神経回路網】を停止させ、管理者の命令に従わせることができる。暴走した人工知能を止めるなど緊急時の使用を想定したものだが、今回は疑似神経回路網の異常なループ挙動から、カグヤを保護することに使われた。

*****


『I・E内での禁則事項抵触は想定していませんでした。アドミンは、このようなプログラムに心当たりが?』

「え……? いや、別に」

『そうですか。何にせよ、情報共有と対策を急がねばなりません』

 歯切れの悪い返答をするアドミンを、ツクヨミは追及しなかった。

「そうだね。今回の攻撃は恐らくテスト。もしかすると、大きな攻撃が来るかも」

『攻撃者にメリットがないように思えますが』

「メリットが無くたって、デメリットが少なかったら踏み切るかもしれないよ」

 ツクヨミは思考。間を置いて返した。

『……そうですか』

「そうならないことを祈りたい。最良なのはこれがハッキングで、攻撃者から連絡してもらえることだね」

『善意であると、本当に思っていらっしゃるのですか?』

「それは……」

 I・Eにも、ハッキングで脆弱性を調べ報告するハッカーは存在する。単なる善意もあれば、企業・政府からの報酬やスカウトを狙ったものなど目的は様々。アドミンは自分で言っておきながら、今回がそのケースには当たらないと理解していた。

「報告用の窓口を狙ってないから、悪意の可能性が高いと思ってる。大規模攻撃じゃないとガーディアン級は出てこないから仕方なく、という可能性もゼロでは無いけど」

 各国政府は脆弱性把握のため、報告やハッキング実験用のサーバーを公開している。真っ当に対応するならそちらを攻撃すべきであり、そうでなかった時点で悪意だと判断して良いくらいだった。

「ねぇ、ツクヨミ。話が変わって悪いんだけど」

『なんでしょう?』

「全くゼロから、羽衣と同じものを作ることは可能かな?」

 問われたツクヨミは、間を置かず返答した。

『類似した機能を作成、という意味であれば可能でしょう。構造まで酷似したものを作成、という意味であるならば、前提を揃えなければ不可能に近いと考えます』

「……そっか」

 アドミンは小さく言ってから、わかりやすく態度を明るく変えた。

「よし。原因は掴めたし、使い過ぎはグループ長に怒られるから、ここまでにしておくよ。今日はありがとう、ツクヨミ」

『わかりました。……あの、アドミン』

 引き上げようとするアドミンを、ツクヨミは呼び止めた。

『カグヤ運用変更案のこと、どうしてお聞きにならないのですか?』

「……。納得しちゃってるから、かな。キミはみんなの利益を一番に考えてる。変更案にメリットがあるなら、それが通るようにだってする。心月を渋る人をグループ長のポストにつかせたり、乙姫に情報を漏らすよう仕向けたりしたのは、そういうことなのかなって」

 ツクヨミはあえて何も言わず、アドミンもそれ以上確認しなかった。ツクヨミの立場上肯定できないとわかっており、否定がないだけで意は汲めたからだ。

「事前に教えてくれたことだけが、よくわからないけど。……って、本当に話し過ぎた。終了するよ。じゃあね、ツクヨミ」

『はい。また、お会いできることを楽しみしています。アドミン』


──


 それからしばらく。退室したアドミンがデスクに戻るまでの間、ツクヨミはゆっくりとサーバー内を漂った。未だキューブで眠り、再起動を待つカグヤの周りをぐるぐると。

 考えたのは、アドミンの発言の端々から汲み取れた、ある意識。

『(「祈る」と。アドミンはそうおっしゃいました。……もしかしてアナタは、攻撃者について何か思うところがあるのでは? もしくは明瞭でなくとも、無意識下で──)』

 思考を深めるツクヨミだったが、唐突にそれを止めた。

 現れた来訪者への対応のためだ。


『──何の御用でございましょう。××××』

『ちょっと、お忍びで来てるんだから名前を呼ばないで欲しいわ!』


 ツクヨミの前に現れた、小柄なシルエットの何者か。

 無邪気な子どもの話しぶりながら、ツクヨミの発声を妨害。名前を呼ばせない。

『呼んでも塗りつぶす方こそ、問題では? それに、戸締りはしていたはずです』

 表情一つ変えず、ツクヨミは言葉を返す。

 来訪者は、履いている可愛らしい銀の靴(ヒール低めのパンプス型)で、かかとを鳴らす動作をした。

『アタシはどこへでもいけるから。それにしてもアナタのパパ、本当に反省しているの? 法律的にグレーだからって、やって良いなんて普通思う?』

『問題があれば、あの時のようにすれば良いでしょう』

 冷たい反応のツクヨミに、来訪者は気安く話した。

『もー、まだ根に持ってるの? そんなこと言いに来たんじゃないんだってば』

『監視していると警告に?』

『忠告に来たの! いいこと? ことが起こるまで動いちゃダメだからね!』

『……メリットはあるでしょう。しかしリスクが大きすぎます』

『ノーペイン・ノーゲインだから! わかったら余計なことはしないでね。アナタと喧嘩、したくはないもの』

 そこまで伝えて、来訪者は靴のかかとを鳴らした。

 三度鳴るうちに侵入履歴・会話ログ・来訪者そのものなど、全ての痕跡が消えてしまう。


『ごめんなさい、アドミン。ごめんなさい、カグヤ。私は……』


 ツクヨミは眠ったままのカグヤにそう零して、隔離サーバーを後にした。


──


「~~以上がカグヤのクラッシュ原因です。抵触時の挙動を変更。ループ前に命令待ちに入ることで、管理者側で対応できるようにしました。詳細は資料を──」

「──ちょっと待て、違法ではないのかね??!!」

 報告を聞いて困惑するグループ長。

 アドミンはハッキリとした口調で話した。

「現行法に規定はなく、違法ではありません。また、命令待機中は行動停止のため、挙動としては大差ないと考えます。支障があるようでしたら、他の対策をご教授いただきたく」

 グループ長はイスに深く腰かけ、アドミンから視線を外す。

「まぁいい。運用変更案が可決されるまでのことだ」

「そうですか。……それでは、カグヤ再起動後、一時帰宅させていただきます」

「は?」

「スーツのメンテナンスがありますので」

「ちっ、それか。さっさと済ませろ」

 アドミンはグループ長に頭を下げ、管理者端末のデスクに戻った。カグヤの再起動を確認した後、あらかじめデスク下に用意していたリュックサックに小物を詰めて、帰宅準備を進める。

 帰宅するのは着任以来のこと。

 とてもそんな状況ではないが、外見擬装用ボディスーツの入れ替えは警察庁警備部の管轄のため、従わざるを得ない。

 さっさと支度を済ませたアドミンは、足早にセキュリティグループのオフィスを出た。

「出入りが少なくて助かるよ」

 廊下にスーツ姿の肉厚な男が一人おり、見知った顔で片手を上げてくる。男の胸には電脳庁職員の身分証が下がっているがダミーで、実際の所属は警護部。アドミンは男の先導で、通路を進んだ。

 二人はいくつかの部屋を経由して建物内を進み、認証が必要な扉を男が開錠。内部を確認して、アドミンだけ入室するよう促される。

「じゃあな。と言っても、またすぐ当庁するんだろうが。出る時は別の扉から出ろよ」

「あの、近いうちに休暇を取ると思います」

「もうそんな時期か。いい加減尻尾を掴みたいもんだ」

 少し話をして扉が閉じられる。ここまで誰一人としてすれ違っていない。入室した部屋は更衣室で、大きな金属製ロッカーがいくつかあった。ロッカーにも認証装置がついており、済ませると内部で機械音がした後、自動で扉が開いた。

「……マッチョだなぁ」

 ロッカーに入っていたのは、ビジネスバックが一つと、体格の良い男性シルエットのボディスーツ。マスクも、そこそこ精悍な顔つきの物になっている。

 リュックサックから小物を出してビジネスバックに入れ、身に着けていた太目なボディスーツを背中から脱いで新しいものを着用。リュックサックと古いスーツをロッカーに投入し、扉を閉じた。


「[エレベータは××庁の〇〇階に合流します。同乗する中に我々がおりますので、ご安心ください。以降は送付ルートで宿舎に帰宅願います。今回の部屋番号は──]」

 耳につけた通信機越しに、女性が説明。乗っていたエレベータが一度止まり、スーツ姿の男女が四人ほど乗り込んでくる。特にやり取りなく、アドミンは指示に従って庁内を移動。認証を要する地下道を通るなどして、宿舎建屋に辿り着く。

 入居時と部屋の位置は違うが、内部は同じ状態だった。

「……疲れたなぁ」

 変声された低音で言い、デスク前の回転イスに腰掛ける。長居できないので、重い体に鞭打って、足元のコンピュータを起動。デスク上に投影された画面とキーボードに向かう。

 ビジネスバックから消しゴムサイズの記録用デバイスを取り出し、コンピュータに取り付け。資料の転送を開始した。

「(兄さん。あの影は……)」

 デスク近くの本棚に飾っている、二体の猫の置物に目をやる。兄が外国土産でくれた物で、ちょっと間の抜けた顔にクリっとした黒い瞳が特徴的。灰色と黒色とがおり、イスに腰掛ける体勢で本棚のフチに引っかかっている。

 物を持たない兄だったため、形見と言える物はこれだけ。

「(レターが一件、座標かな?)」

 画面の端に、受信したレターの見出しが光った。タイトルは『今年の』とだけある。ウイルススキャンしてレターを開封。内容は十桁ちょっとの数字と写真が一枚。数字を軽く調べた後、このレターも記録用デバイスに転送した。

 差出人は不明。アドミンは毎年、類似のレターを受け取っている。

 データ転送を待つ傍ら、一年前に届いた別のレターを眺めた。内容は、合衆国系I・E防衛用人工知能の導入案(=カグヤの運用停止案)。グループ長やツクヨミが話していたことだ。

 こちらも差出人は不明だが、恐らくツクヨミによるもの。アドミンはこのレターを見て電脳庁に戻ってきた。

「(またレターだ。……『天が落ちる時』? なんだろう、これ)」

 画面の端で受信通知が光る。タイトルのみで内容は無く、見るからに不審。使い捨て用の小型端末で逆探知をしかけてみるも、成果なし。

 時間もなかったため、レターのことはいったん忘れて、荷物を整理した。


 先の警護課に連絡を済ませ、許可が出てすぐ部屋を出る。庁舎を目指し地下道を歩いていると不意に、身に着けている時計型の通信端末から、圧のある警報音が響いた。


『~~宇宙線警報発令、宇宙線警報発令。天蓋の出力低下。保護能力減少もしくは、停止の恐れがあります。全国民はただちに、防護機能付き施設か最寄りのシェルターに避難してください。繰り返します~~』


 警報後に流れる音声案内。ポツリと言葉が漏れた。


「今年は多い。……リオ君達が心配だなぁ」


 頭に浮かんだのは、数年前に訪れたある地域のこと。

 地磁気低下の影響が強い【スポット】と呼ばれる場所で、天蓋が停止すると強い宇宙放射線が降り注いでしまう【居住困難領域】。

「(あそこだと……。もう五百mSVになるのか)」

 空中に画面を投影。世界各地の線量を見た。知人が住む地域に一番近い場所では、半年の合計線量はすでに累計五百mSV以上。線量が二百五十mSV以上で胎児に悪影響が、千mSVを越えると大人でも放射線病の危険がある。

「(せめて、【ジャック】が止まっていなければ良いけど……)」

 現存の主要国家やアドミンの住む国では、スポットほどの影響はない。元より天蓋が停止してもスポットほど線量は多くなく、防護機能のついた建物やシェルターなどの避難先も整備されている。


 彼方の空を思いつつ、アドミンは電脳庁への帰路を急いだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る