第十話:嵐
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G20会議から日を改めて、天蓋移譲計画は正式に国際社会へと通達された。二ヵ月の試用期間を経て問題が発生しなければ、天蓋の運用・開発等の権限は全て移譲される。これには裏取引があり、実際は移譲ではなく売却。見返りとして多額の資金や先進技術が移動すると、水面下で決まっていた。
政府にしてみれば予算食いの天蓋を手放しつつ、資金等を得られる好条件。若干の国際的評判や、国際会議・団体への参加権、I・E上の利権を失うが、参加団体への供託金やI・E防衛義務なども同時に無くなるため、損はない。
技術大国として名を馳せたのも過去のこと。長期の経済低迷に苦しみ、工業その他の技術的優位も失いつつある現状において、これ以上ない現実的な対応だった。世論は、プライドや譲渡先への警戒から最初は反発していたが、徐々に好意的な反応に。不満はカグヤへ、慰めは心月へと求めれば良かったからだ。
移譲の表面上のきっかけは、VAMPに敗北したカグヤの性能不足。カグヤは稼働以降、ほぼ自律学習・制御の人工知能。つまり、敗北はカグヤの責任と考えることができる。開発者の存在を無視すれば、道具に過ぎないカグヤへ不満をぶつけても誰の心も痛まず、問題になり得ない。
そして、天蓋が移譲され今まで運用していた心月のリソースに余裕ができれば、その分を先端研究に使用できる。『技術や景気が低迷したのは、本来使えたはずのリソースが埋まっていたから』そう思えば、プライドは慰められた。
結果、カグヤだけが割を食う形で、天蓋移譲計画は円滑に進んでいくこととなった。
*****
自身を取り巻く状況が変わる中、カグヤはいつもと変わらず待機サーバーに正座。通常監視業務を行っている。
アドミンからのメッセージに答える様は、冷静だった。
『まさか天蓋を手放すなんて思わなかったよ』
「実利を取ったということでしょう。アドミンは知っていたんですか?」
『知らなかったよ。グループ長もなかなかしたたかだね』
カグヤとしても、移譲計画は評価できるもの。しかし気になることがある。
「あの、アドミンは辛くありませんか?」
『どうして?』
計画はアドミンにとって都合が悪いはず。そう考えて、カグヤは説明する。
「明らかに、移譲計画はあらかじめ決まっていました。シララハマの一件まで意図されたものかはわかりませんが、ワタシの評価を下げることは既定路線だったはず。評価が下がる期間に管理者をやっては、アドミンの評価も下がります」
『あぁ、そういうこと。今さら評価は気にしてないよ』
アドミンは、あっさりと返答。シララハマでの敗北のきっかけは、当時オペレーションをしていたグループ長にあるが、不自然にも問題になっていない。そうなると、グループ長の関与が考えられる。
そのグループ長にアドミンは疎まれており、立場が危ういとカグヤは案じた。
「スケープゴートにされるかもしれませんよ」
『それは、そうかも。ちょっと怖いね。クビで済めば良いな』
のんきな返事。カグヤは警告を込めて声を荒げる。
「もっと真剣になった方が良いです!」
『ごめんごめん。でも、悪くない気分なのは本当だよ。
「……へ? 罪?? お兄さん???」
普段であれば、人工知能に謝ったことを咎めるところ。しかしそちらに思考リソースを割けないほど、アドミンの言葉が引っかかった。
『えっと、まぁ、うん?』
「前科でもあるんですか?」
『そういうわけじゃ──いや、どうだろ。あと少しで違法だったような──』
「──それから、お兄さんと言うのは?! 信用に関するので、詳しく説明してください!」
突然明かされたアドミンの情報に、カグヤは矢継ぎ早の質問が止まらない。
『言っちゃダメな気がするけど、もうお払い箱になりそうだからいっか。兄っていうのは、血の繋がった兄のこと。エンジニアで一緒に開発してたんだけど、一緒に失敗しちゃって。兄さん一人で責任を負って、いなくなっちゃった』
「責任? いなくなる……??」
『と、ゆっくり説明したいところだけど、救難要請だね。話は今度にしよう』
待機サーバーに警報が鳴り響き、救難要請が出たサーバーのアドレスが表示される。カグヤはすっと立ち上がり、直垂姿から小具足姿に。目の前に光の輪を作り出した。
「要請内容が不明瞭ですね」
『回線もサーバーも苦しい性能をしてるみたいだから、報告する余力がなかったのかな。防御プログラムは小具足まで、攻撃プログラムも同時展開は控えよう』
「承知しました」
大まかに対策を決め、カグヤは輪を通って現場へと向かった。
──I・E南洋群島──
到着した空から見える、点々と続く小さな島々。ヤシやシダの緑と澄んだ海の水色は、一見、平和な南国の風景そのもの。
「(救難要請によれば、防衛範囲はこの国のサーバー全部だけど……)」
いくつかある島のうちの一つ、白く長い砂浜にカグヤは降り立った。海の方向に目を凝らすと、離れた海上に十を超える数の背びれが突き出ているのが見える。
そしてその背びれを追いかけて、藁様素材のビキニトップとオレンジの腰蓑を身に着けた、褐色小柄の型防衛用人工知能【ユウコ】が、ワイヤーを投じていた。
ガーディアンと比べ性能が落ちるからか、投じたワイヤーは外れてしまっている。
「アドミン、破壊機能を持ったマルウェアを確認しました。駆除開始します」
『あちらの政府にも話を通しているよ。利用者に被害が出る前に済ませよう』
「わかってます!」
砂浜を蹴って、カグヤは海へと跳んだ。サーバー性能が低いため普段の動きには及ばないが、軽やかに海上を走って背びれの前まで近づく。
「【蓬莱玉枝ノ太刀・銀】!」
居合いの動きで抜刀、海ごと斬撃。勢いで空中に打ち上げられた大型のサメ(型マルウェア)数体は、着水することなく真っ二つに切断、消去された。
「あ、カグヤ! アリガトー!」
「ユウコさんは下がっていて!」
「わかたよー」
陽気なカタコト翻訳で話すユウコを下がらせ、残りのサメの進路を塞ぐ。三体のサメが海面を跳ね、大顎を開けてカグヤへと飛びかかった。
「ただのマルウェアなんか、敵じゃない!」
振り下ろし、振り上げ、再び振り下ろしの三連撃。を、三回。三枚おろしにされたサメは、空中でデータの粒子に。
かくして、データ破壊を目的としたマルウェアの一団は全滅。あっという間の電脳戦闘だった。
──
「ふぅ……、これで良し。ユウコさん、大丈夫?」
一息入れて納刀。近くで見ていたユウコに声をかける。
ユウコはご機嫌な顔で拍手した。
「ダイジョブ。さすがカグヤー、サムライガーディアンねー」
「ガーディアンは落第間近だけどね」
「落第しても、あたしカグヤを応援するよー。地味だけど他と違って、動作が軽くて助かるからー」
「地味……」
「ところで、何しに来たのー?」
「何しにって、救難要請出していたでしょ?」
救難要請は、ユウコが発したもの。カグヤは不思議がった。
「あぁ! それね! アレのことよー」
ユウコはパチリと手を合わせ、遠くの空を指差す。
「アレ?」
指を追って、カグヤが視線を動かす。するとそこには──。
「アクセスの嵐が来たんだよー。擬装されてて、どの通信を防いだら良いかわからなくてー」
──ついさっきまで影も形も無かった、厚く渦巻く暗雲があった。激しい稲光と吹き荒れる雨風は、さながらタイフーン。
現実の気象条件を反映しているのではなく、このサーバーに起こった異常によるもの。
「災害級のDDoS?! なんで発生前に感知できたの?!」
「風を読めばわかるのさー」
「へぇ、風。って、すぐに止めなきゃ!」
攻撃者は、傀儡化した数千万のネットワーク機器を操り、このサーバーに大量のアクセスやデータ送付を行っていると見られる。異常な高負荷をかけ不具合を誘引する目的で、狙い通り、天候制御機能に異常が発生。処理に最もハードパワーを要する天候が実行されてしまった。
攻撃と天候の相乗効果は凄まじく、爆発的に増えた負荷でサーバーの処理能力は限界に近い。嵐がオブジェクトの多い市街地エリアまで到達すれば、処理は更に膨大なものになる。そうなれば、サーバー停止は避けられない。
まともな予備サーバーがないこの国でそれは、ネットワーク全停止=島内機能麻痺を意味する。
災害に匹敵するほど危険な状況にカグヤは焦ったが、ユウコは妙に落ち着きはらっていた。
「呼んでおいてだけど、カグヤでもアレは無理よー。危ないからカグヤは戻ってー」
「サーバー閉じるつもり???」
「うん。一日くらいだったら、みんなインフラなしでも平気。漁に出てる人も帰ってこれないけど、本当の嵐じゃないからダイジョブ。学校も病院もお休みにすればいいねー。……あ」
ユウコはサーバーをI・Eから切断しようとして、手を止めた。振り返り島を見て、眉を寄せている。
カグヤはすぐに通信を分析。理由を察した。
「ユウコさん、今切断しちゃダメ。中断できるような手術じゃない」
「……だよね。どうしよう、カグヤ」
「任せて。ワタシがなんとかする」
ちょうど悪いことに、島内の病院で大きな手術が行われている。この島に対応できる医師及びプログラムがなく、I・Eを通して海外の医療機関が執刀。
通信を切断すれば手術を中断することになるが、間の悪いことに手術工程は山場も山場、開頭した患者の頭部にメスが入っている。
「病院同士の接続だけ、する??」
「いや、何か侵入してる。残そうとしたところを狙われると嫌だから、擬装して普通の通信に隠した」
「マルウェアもいるのー?!」
嵐の中に、カグヤはマルウェアらしきデータを検知していた。重要な通信が標的とならないよう手術関係の通信を擬装したが、どの道、サーバーがダウンすれば意味はない。
「変な感じだけど、恐らく。サーバーが耐えているうちに、攻撃ごとマルウェアを止める……!」
「ウチじゃガーディアンの戦いに耐えられないよー」
カグヤは嵐とマルウェアどちらも停止させることを決め、ユウコは大規模な電脳戦闘になると慌てる。ガーディアンの戦闘用プログラムは強力だが、その分負荷が高く、ユウコの予測ではサーバーが耐えられない。
「大丈夫。同時使用は一つにする。それなら、ここも耐えられる」
「そんな小さなプログラム一つで? 無茶だよ、カグヤー!」
ユウコの目を真っすぐ見て、カグヤは防御プログラムの小具足を消し直垂のみに。太刀も消し、代わりに弓と一本の矢を出した。
砂浜でも雨風が強まり、海には白波が立ち始める。
「一つで十分。王母の言う通りなのは嫌だけど──」
視線を嵐に戻し、管理者端末へ申請。
「──アドミン! 【心月】使用を要求します!!」
『最小単位だけど許可は取れてる。使い方は任せるね』
準備していたらしい、要求通りの対応。
カグヤの表情に気が漲った。
「レスポンスが早くて助かります」
『初めて褒められた気がするよ』
「っ! 無駄口はいいので、報告書でも書き始めてください」
頭上のモニタ窓から顔を背け、ユウコに指示。
「ユウコさん、利用者への連絡をお願いして良い? 攻撃があってることと、負荷を極力抑えて欲しいことを」
「わかった!」
「あと、これから心月を繋ぐから、絶対に近づかないでね」」
「ええー! シンゲツ使うの!? やったー! ……『ピンポンパンポン、利用者に連絡。現在、当サーバーは大規模攻撃を受けてます。電脳戦闘を開始するので、負荷低減のため~~』」
ユウコがちょっとはしゃいでアナウンスする間に、カグヤは十歩ほど距離を取る。
静かに目を瞑り、心月へ接続依頼を送信。
「(南洋群島サーバーから心月へ、こちらカグヤ。接続を依頼──来たっ!)」
申請した瞬間に返ってきたのは、柱のごとき光の塊。嵐とは別方向から、光線のような勢いでカグヤへと降り注いだ。心月との認証・接続工程の一つで、カグヤであることの確認と、通信用の暗号・復号(鍵)の共有等が瞬時に実行。接続が確立される。
「くっ……」
カグヤは眉を寄せた。接続するだけでありながら、工程と認証は非常に危険。工程そのものに攻撃機能があり、不正な接続者はもちろん、カグヤであっても異常(難解な工程の実行に遅れや不備)があれば、不審な対象として通信安全性確保のため消去される。
国家財産である心月はそれだけ重要であり、それほどまでに強力だった。
「はぁ……はぁ……」
接続が完了。息を整え、ゆっくりと瞼を開ける。黒色の双眸は金色に変わっていた。
「[対象:攻撃者及び傀儡端末][実行:無力化及び特定]」
嵐の黒雲を見つめ、心月に命令。金の眼に映るのは、嵐ではなくその先(または更に先)にある攻撃者の命令用サーバー。
数千万台のネットワーク機器への命令を停止させるため、カグヤは弓に矢を番えた。
「蓬莱玉枝ノ弓・金! 【
引き絞られた弦が解き放たれ、光を纏う一本の矢が嵐へと飛ぶ。暴風雨の中でも一切勢いを落とさず、矢は光の帯を伸ばして進んだ。暗雲に飛び込む寸前で矢が、パッと数本に分裂。それぞれが標的を狙って雲の海に消える。
七~八回ほど雷光が点滅。カグヤは一つ、息をついた。心月による最小単位(使用時間十秒・占有率十%以下)の電脳戦闘補助が終了。
一度の瞬きで、両の眼は黒に戻った。
「これで、ひとまずは」
命令用サーバーが停止し、操られていたネットワーク機器も停止。厚い雲のところどころが穿たれ、円形に散った。
暗く重い空に、青空がのぞいてくる。
「終わった、のー?」
あっけにとられて見ていたユウコが、恐る恐る聞いた。
カグヤは首を横に振る。
「……まだ。一つ止められた。やっぱり、何かいる」
積乱雲より小さい、暗く渦巻く繭のような球体型の雲が一塊、空に残っていた。
「ユウコさんは通常監視に戻っていて。とどめ刺してくる」
「わ、わかったよー。だけど、なんだかあれ、気持ち悪い。気を付けて、カグヤー」
ユウコの言葉を背中で聞いて、カグヤは雲へと飛んだ。弓を消し、太刀を佩いて、近接戦闘に備える。ユウコほど不安さを伴うものではないが、カグヤもまた、雲に居る何かに思考モデルが乱れた。
「(状況からしてマルウェアのはず。……マルウェアだよね?)」
接近すればするほど、分析できない異常らしき何かを検知。雲の前に到達したカグヤは、カタカタと揺れる太刀の鞘を強く握って飛び込んだ。
「ッ……!」
『無茶しないで、カグヤ!』
アドミンからのメッセージ。カグヤの体でばちりと、電撃が弾ける。暗雲に残っていた攻撃プログラムによるもので、右腕を構成するプログラムの一部が破損。直垂が黒く灼けた。
しかしこれは、異常の正体ではない。
「(捉えた!)」
損傷した右腕で太刀を抜き、雲を進む。突然、視界が開けた。
雲に囲まれた、雲の無い空間。その中心に人型の黒い影がいる。攻撃の首謀者と判別できたため、カグヤは規定に従って警告を読み上げた。
「アナタの行為はI・E規約及び国際法に違反するもの! 今すぐ身分を明かし~~」
ガーディアンの身分証を空中に投影。太刀の切っ先を向ける。
黒い影は反応しない。
「警告無視と判断。無力化する!」
刺突の構えで、カグヤは影へ突進した。太刀を受ければ攻撃プログラムは消去、端末コントロールも奪われるのだが、影は反撃も回避も行おうとしない。
「諦めた???」
『気を付けて、カグヤ。罠かもしれない』
「罠でも消去するだけです──えっ……?」
太刀はあっさり、影の胸の中心を貫いた。数秒で雲の動きが止まり、一気に霧散。風雨が止む。
目立った被害なく防衛は成功、なのだが。カグヤは肩を震わせ太刀から手を離し、酷く動揺した顔で後退りした。
「──アド、ミン。ワタシ、これ、何を……」
『カグヤ?!』
口元を手で押さえ、影を見るカグヤ。胸に刺さった刃から柄を伝って、赤い雫が落ちる。ぐにゃりと歪むカグヤの視界の中で、影が口元に赤い笑みを浮かべた。
『疑似神経回路網がクラッシュしてる! 再起動するんだ!!』
「ア……ア……」
アドミンは指示を出したが、カグヤの思考モデルはほとんど停止していて、応えることができない。
動けないカグヤに、影の手が伸びる。
『させない! [【羽衣】起動!] [対象:カグヤ][実行:カグヤ及び脅威の転送][転送先:電脳庁隔離サーバー]』
とっさにアドミンは、コマンドで隠しプログラムを起動。命令を実行させる。どこからともなくカグヤの背に、白色の薄く細長い被はくが出現。カグヤから表情が消え去り、止まっていた体が動作。
影の手を払い除け太刀を掴み、カグヤ自身と影を金色のキューブで囲み、隔離。
『え』
影とカグヤの転送を図ったものだが、成功しなかった。キューブの中には、白い羽根が一つだけ。隔離したはずの影の姿は、キューブの外にあった。
あり得ない出来事にアドミンは困惑する。
『なぜ脱出でき──それは──』
「──邪魔をするな」
影は男とも女ともつかない声で告げ、カグヤの入ったキューブに手を伸ばした。
しかし触れる寸前で、その手は止まる。
「カグヤー! ダイジョブかー!」
「チッ……」
ワイヤーを手に接近するユウコを見て、影は舌打ち。白色の光で自身を包み、同時に作り出したらしい光の輪へと消える。
アドミンは通信ログを見直して目を疑った。影が隔離を脱したのは、白色の光を放ったプログラムによる。仕組みは一目でわかった。しかし、理由がわからない。
その後アドミンはユウコの助けを借り、停止した速やかにカグヤを転送。帰還させた。
カグヤが突然停止したこと、それをもたらしたマルウェア、攻撃の目的。
多くの疑問がアドミンの頭の中で、嵐のごとく渦巻いた。
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