第八話:レイヴン
シブヤサーバーの事件から数日経過したある日。電脳庁待機用サーバーの真っ白電脳空間で正座瞑想していたカグヤの眉が、ぴくりと動いた。静かに目を開けてバーチャルコンソールを展開。管理者端末と繋ぎアドミンを呼び出す。
「聞こえますか、アドミン。不正だと断定できませんが、不審な挙動を検出しました」
夕方も遅い時間だったがアドミンは管理者室におり、すぐにメッセージを返した。
『了解。出してもらえるかな』
「はい。検知は短い時間で~~」
カグヤは地球儀型のI・E監視画面から自国領域を選び、一部を拡大。通信履歴を表示する。通信を示すカラフルな線が国内・外を問わず飛び交う中、普通あり得ない他国領域へと線が伸び、すぐに消えた。
『怪しいね。でも、変なところに繋ぐ人もたまにいるんじゃない?』
「可能性はゼロではありません。ですが、早すぎます」
『早すぎる?』
「検知した瞬間、切断されたんです」
怪しげな通信は、カグヤが検知した途端に消失した。検知を避けるため短時間で外部との通信を切断するマルウェア等はあるが、カグヤの検知を認識できるものは珍しい。
『カグヤに反応するなんてやるね。行ってみよう。そこには、大きな企業の管理領域があった気がするし』
「承知しました」
許可を受けてカグヤは、太刀を携え立ち上がる。目的のアドレスへ接続する光の輪を生成。ふと、思考モデルが予測を始める。
「……まさか、ね」
大企業管理領域での不正(?)と、ガーディアン級人工知能の検知への反応。そんなことができる攻撃者は……。と、そこまで考えながら、それ以上は憶測になるとして、予測を中止。
一息にカグヤは、光の輪へと飛び込んだ。
──
『夜勤の始業時間だね』
「そうみたいですね」
空から見渡せる景色は、夕暮れに染まる田畑と民家。それと、巨大な工場の数々。地磁気異常以前は車両メーカーとして、以後は遠隔操作デバイスから宇宙線遮蔽素材まで手掛ける総合工業系メーカーとして世界的に名が知れ渡る大企業と、関連企業の工場が集まる工業団地。
工業用プロトコルのため、景色は現実世界とほぼ同じ。ちょうど夜勤の出勤時間帯で、付近にログインした多くの人々が、各々が勤める工場のゲートをくぐっている。ゲート以降の工場敷地は、企業がI・Eの一部を借用して管理する仮想サーバー領域だ。
『企業狙いと言うことは、ランサムウェアかな。動きはあった?』
「潜伏したままです。本当にあれがマルウェアであれば、この企業のセキュリティじゃ止められません」
カグヤが目を凝らした。工場は、ゲートで個々人のI・EのIDと社員データを認証して入場する仕組み(IDは国家が国民に付与)。まずここで、人間に扮するマルウェアや部外者の侵入を防止する。
その後、ゲートから工場までの敷地内通路でマルウェアチェック。検知されれば、付近で立哨する警備員風のセキュリティソフトウェアが駆除する。企業管理領域内で駆除対応を行うのは、企業環境に入るまで潜伏するタイプのマルウェアを釣りだすため。サンドボックス式セキュリティに近い。
並みのマルウェアは通路時点で工場に進入したと誤認し、活動を開始して検知・駆除される(通路と工場内部は更に領域が分かれている)。
その他にも、セキュリティ部門によるリアルタイム監視や許可ソフトウェア以外の領域内使用禁止など対策を行っており、一企業としては十分高度な防衛水準であった。
「……検知時刻と接続が完全一致する端末を発見。特別監視対象に追加」
ポツリと言い、カグヤは作業着姿の若い男を目で追った。飾り気のない黒短髪で眼鏡、首にカードサイズの社員証を下げている。すぐにID情報を参照。
「氏名【オチバ・トシアキ】。犯罪歴ナシ、特定団体への所属歴ナシ。その他トラブルの形跡ナシ。家族構成は妹が一人」
『良い人そうだし、経歴上も善良な市民だね』
アドミンから見て素朴な青年という印象の男は、入門手続きを済ませて敷地内通路を工場の方向へ。西日を眩しがって眼鏡のツルを触り、偏光機能を使った。
「……動いた」
『何か見つけた?』
「一瞬ですが、再検知できました。あの男性が関係している可能性があります」
『エクスプロイト攻撃かな。押さえる?』
「それは……」
言葉を詰まらせるカグヤ。今のところ、企業側のセキュリティで異常は発見されていない。再び検知した不審な通信も、すぐに消えてしまっている。アドミンの言うように、ソフトウェアの脆弱性を利用した攻撃と判断しているが、現時点では決定的な証拠がない。
*****
ガーディアン級防衛用人工知能はI・E内で最上位に近いセキュリティ権限を持っており、その権限は民間企業にも例外なく及ぶ。どんな企業も、操業する領域を管轄するガーディアンの防衛行動を拒否できない。
どうしても拒否する場合は電脳戦で撃退・隠蔽することになるが、ガーディアン級の動作を止められるのは結局、ガーディアン級だけ。企業のセキュリティでは勝負にならない。そのような事情からガーディアン級には、強制的な防衛行動が許されている。
*****
「(疑わしきは止めるべき、だけど)」
カグヤは迷っていた。確度が低くとも予兆があれば止める・調べる。それを防衛上の正解として行動し、強制捜査も行ってきた。だが強権には、強い反応・反発があるのが常。
『迷っているね』
「……はい。未然防止は被害を抑えられますけど、間違いだったら強い批判を受けますから。今は評価が低調なので運用に支障をきたすかも、と」
『可能性は大いにあるね。運用停止まであり得るかもしれない』
「判断し兼ねるので指示をお願いします、アドミン」
『もう一度考えてみよう。記録が残ることだからね。行動ごと、どんなことが起こる?』
「え? ええと……」
判断を委ねたつもりが問い返され、カグヤは戸惑った。電脳庁の規定では、人工知能が対応を決定できない場合、管理者が指示することになっている。
アドミンの言葉は規定から外れていた。
「未然防止だと、マルウェア潜伏有無を問わず被害を抑えられます。ですが評価については、脅威が認識されないので潜伏アリでも向上せず。潜伏ナシだとかなり低下します」
『そうだね。評価については、ハイリスク・ローリターンだ。脅威が確認されてからなら?』
「脅威確認後の対処だと、確認までの間、被害が出ます。その代わり間違いはないですし、脅威への対処を公開できます。王母みたいに評価向上に繋がるかもしれません」
『ローリスクかもしれないね。では、被害は許容できること?』
問われたカグヤは、すぐに首を横に振った。
「できません。できませんけど……」
しかし言葉の歯切れは悪く、視線を下にする。
「今回のマルウェアは潜伏能力が高い分、攻撃性は低いと予測します。ごく小さな被害で解決できるはずです」
『小さい被害とはどんなもの? あの人はどうなる?』
「あの人……」
促されて、カグヤは男を見た。すれ違う同僚に、緊張した面持ちで挨拶している。
『新人さんかな。まだ慣れないだろうし、夏季休暇明けは心労も多いはず。まぁ、だから、ということでもないんけど。ここに居るのは悪い事をせず、粛々と生きている人達だって話』
「……」
少しの沈黙。思考を終え、カグヤが口を開く。
「マルウェア持込・被害発生となると、あの男性は大きなショックと責任を感じるかもしれません。それに、情報窃取や破壊、脅迫などは、真っ当な人々の努力を踏みにじり、生活に損害を発生させるもの。僅かであれ、許容できることじゃない、です」
『そっか。カグヤの評価とどっちを優先する?』
今度もカグヤは首を横に振ったが、先ほどと違って視線を下げることはしない。
「迷ってちゃいけないですね。ワタシの使命は、電脳世界の悪意から人々を護ること。評価は、使命遂行を円滑にするための要素に過ぎません。行ってきます、アドミン」
『了解。企業への通達はこっちでやっておくよ』
返事を待たず、カグヤは直垂姿から小具足姿に変わり、ゲートへと飛んだ。企業のセキュリティが反応したが、ガーディアン権限であらゆる認証を突破。企業領域に侵入していく。
『使命だなんて』
背を見送ったアドミンは、宛先のないメッセージを一度入力、削除した。
カグヤに問うたのは、正しいとされる判断に導くための補助だったが、同時に、考えを知るためでもあった。一度保身的な考えをしたカグヤは問いを受け、人間に好ましい判断へと考えへ改めた。
アドミンにとってそれは、手放しで好ましいというわけではなかった。正しい倫理モデルを素晴らしいと思う反面、保身に走るくらいで良いとも思っている。
問われれば考えを発言せねばならず、発言したら記録に残る。人に作られたため、人からの評価に左右される。目的は与えられるものであり、殉ずるものである。そんな関係について問い返すくらいされても良いのだと。
──
「女の子?!」
「ガーディアン【カグヤ】です。貴端末から、マルウェアと疑わしき挙動が検出されました。これより防衛行動を開始します。【戦闘用隔離領域】設定!」
侵入したカグヤはあっという間に若い男まで追いつき、進路を塞いで降り立った。男とカグヤだけを、十数メートル四方の灰色キューブ型空間に隔離。狼狽える男の前で太刀を抜く。
「え? ガーディアン?? ガーディアンってあの、ウイルスとかの……」
未だ状況を飲み込めず、男は後退り。ただ出勤しようとしたはずが、武士の格好をした少女に刃を向けられることになれば、そうもなる。
「待ってくれ、意味がわからない!」
「アナタの端末がマルウェア感染してるかもしれないんです。最近何か、不明なソフトウェアをインストールしたり、VAMPネットワークに接続したりしませんでしたか?」
冷静に尋ねられ、男は気圧されつつ首を横に振った。
「VAMPなんて繋ぐもんか! ソフトだって! ……。……ん? ソフト??」
否定しながら男が口ごもる。カグヤは構わずツカツカと歩いて近づき、両者の距離が縮まった。太刀のリーチより僅かに遠いくらいの距離で、カグヤの首元が光る。
「うおっ、なんだ?!」
「〈
「そんな……!」
光ったのは、カグヤが持つ五つの特注プログラムのうちの一つ【竜珠】。手に握り込めるサイズの透明な球体をネックレスにした見た目で、機能は高精度の脅威検知と独立した防御(有効範囲に制限アリ)。
太刀を納刀し手を首の後ろに、竜珠を外して男の顔前でかざした。
「ま、眩しいっ……!」
反応した珠が強く発光。男の影が伸びる。戦闘用隔離領域の壁面に立ち上がる影は、光によって起こる現象としてはあり得ないほどに長く、大きい。
「眼鏡の偏光機能を一度停止させ、再起動してください。炙り出すので」
「炙り出す? 何を?? どうして???」
カグヤは、ずいと男に顔を近づけ早口でまくし立てた。
「偏光アバターの脆弱性を利用して潜伏するマルウェアに対処すべくアバター起動時に環境確認として動作するであろうタイミングを狙いたいから、です。よろしいですね?」
「は、はい」
「協力感謝します。その前に、これを」
指示に頷く男に、カグヤは竜珠を押し付けるようにして渡す。
「これは……?」
「端末保護です、戦闘になるので。貸与仕様のため機能は限られますが、市販ソフトウェアより性能は上です。では、お願いします」
「わ、わかった。再起動する、よ。……?! なんだこれ??!!」
眼鏡のツルに触れ、偏光機能が再起動された途端。珠が激しく発光し、男の体は半透明の球で囲われた。カグヤは男が入った球を左手の甲で弾き、隔離領域の壁側まで飛ばす。
「いきなり何を──」
「──これより駆除戦闘を行います! 無理なログアウトは再潜伏や隔離領域からの漏洩に繋がるので、そのまま待機してください!」
「待機って……。……?!」
荒い扱いに男は文句を言いかけたが、口を閉じた。男の影だったものが、未ださっき居た位置に残っている。さらに影は、ぐにょぐにょと蠢いて凹凸を作った。
「企業機密窃取用の盗撮・盗聴マルウェアね」
正対するカグヤが太刀を構えた瞬間、影から夥しい数の小型のプログラムが飛び出した。全体が黒く、翼をバサバサと羽ばたかせて飛行。脚には鋭い爪。
「仮称【カラス】ってことで。潜伏力と増殖力はあるようだけど、それだけ!」
カグヤがカラスと命名したマルウェアは、黒い塊となって壁内を暴れた。二、三回と壁内をバウンドし、濁流のごとき勢いでカグヤに突っ込む。
「企業のだろうと個人のだろうと、機密と財産は絶対に盗ませてやらない! 覚悟しなさい!」
無数の光の筋を作る、太刀の銀の輝き。予測演算を尽くした太刀筋は、カラスが自ら刃に飛び込んでいるかのごとく進路を塞ぎ、気味良く切り伏せる。バサバサという音は羽ばたきではなく、カラスの落下音に変わった。
無力化には一分とかからず。地面は駆除されたカラスで真っ黒になった。
──
「駆除完了、っと。さすがに、攻撃性能は足りていなかったみたいね」
地面に転がるカラスは無害なデータの粒子に分解され、光を放って消えていく。カグヤは息を吐いてから、ただ一匹だけ太刀に突き刺し拘束した個体を眺めた。
「自壊コードは削除したから。どこの誰だか知らないけど、絶対に尻尾掴んでやる」
伝わるのかは不明だが、攻撃者に警告してから半透明のキューブで隔離。小さな光の輪を作り、太刀を振ってキューブだけ投げ入れ、電脳庁の研究用サーバーに転送した。
「サンプル転送しました。アドミン、届きましたか?」
『無事届いたよ。カグヤ、お疲れ様』
「ハードの消耗は……、じゃない。疲れとかないですから」
軽く報告し、隔離領域内をスキャン。安全を確認して太刀を納め、先ほど弾き飛ばした男の元にカグヤが駆け寄る。
「端末に問題は……、無いようですね。どこで感染したかだけ、調べさせてもらいます」
「え、あ、どうぞ」
男から竜珠を回収。ついでに取得した接続履歴等の端末情報を確認する。
「(侵入はしたのはつい最近。場所は恐らく……、シララハマ)」
「な、なぁ。オレ、全然心当たりはないんだ」
黙ったままのカグヤを見て不安になったのか、男は弁明し始めた。
カグヤは特に反応せず、黙々と記録を確認。結果を伝える。
「確認できました。アナタの責任となる事象は見られません」
「会社に損害とかは──」
「──本件は、個人・企業に対処できるものではないと判断します。そのため、企業が個人に責任を追及することは許されません。それでは」
「へ? あ、あの……」
平静な態度で隔離領域を解除。周囲に従業員が集まっていたが、戦闘の裏でアドミンから説明が済まされているため、カグヤは何も言わずその場を後にしようとする。
ちょうどその時、アドミンからメッセージが送られてきた。
『カグヤ、笑って』
「は?」
『このままだと、冷たい対応だったって評価されるかもしれないよ』
「なっ……」
困惑しつつ、アドミンの言葉を検証。確かに、評価が下がる可能性があった。カグヤは男に向き直り、戦闘よりもよっぽど高負荷を計測しながら、状況に適した表情を高速シミュレート。
咳払い一つして間を稼ぎ、結果を調整し再生する。
「……コホン。脅威は排除しましたので、どうか安心して、日常にお戻りください」
口調は柔らかく、表情は朗らかに。笑ったつもりだったが、調整が遅れたせいか、少しぎこちない。
男は口をぽっかり開け硬直していたが、顔を軽く振って我に返った。
「えと。た、助かりました。ありがとう、ございます」
面食らった顔の男を見て、カグヤは表情に誤りがあったと判断。速やかに企業領域から離脱。サーバーを去った。なお、カグヤが知ることはないが、男はカグヤの表情や対応に問題があったとは少しも思っていない。
男は空を飛んで去っていくカグヤの背が見えなくなるまで、真摯に頭を下げていた。それほどまでに、感謝していた。ぽっかり口を開けていたのは、カグヤに笑顔のイメージが全くなかったことと、男の個人的な事情による。
カグヤの笑顔に男は、なぜか妹のそれが重なった気がして驚いてしまったのだった。
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