第七話:アナタは何者? (2)

「買い物って珈琲豆だったんですね」

 アドミンが伝えた目的地は、交差点から少し離れた場所にある珈琲店。カグヤは右耳につけた黒のイヤフォンマイクで通話するフリをして、左胸の兎ワッペンからモニタするアドミンに話した。より一般ユーザーに近づけるための擬装だ。

「目的のお店、他所より高価みたいですけど、お好きなんです?」

「〈うん。それだけのものだと思うから〉」

 アドミンからの返答は、相変わらずテキストメッセージ。カグヤにのみ見える設定。

「〈そうだ。あとちょっとしたら、スクランブル交差点に若い有名人が来るイベントがあるらしい。市民向けのコミュニケーションとか、アピール方法の学習に使えるかも〉」

「それは……、悪くはないですね」

 送り手と受け手双方の記録は、学習データとして質が良い。休憩(の警護)と言いながら、アドミンはカグヤに対してメリットを用意していた。

 少しだけ、カグヤからアドミンへの評価が回復。

「〈見て、カグヤ!〉」

 歩き出してすぐ、ワッペンからニョキリと兎の手が出て、近くの銅像を指差した。

「〈バーチャルハチ公だよ〉」

「知ってますけど」

「〈あのハチ公像が金の像にされちゃったなんて、びっくり〉」

「え? あぁ、本当に些事まで記録を確認してるんですね。国際会議に合わせた迷惑な愉快犯でした。大規模攻撃対策で高負荷だったのに、『金のハチ公像で海外要人をもてなしたい』とか意味不明な動機で、やたら容量の大きい高精度テクスチャを無断で……」

「〈サーバーや警察端末がダウンしかけていたね〉」

 冗談ぽく話すのは、数年前に起きたちょっとした事件のこと。交差点そばにある犬の銅像のテクスチャが、高精度な金色に無断改変された。

 カグヤは国際会議対応のため事件を警察に任せていたが、なんだかんだあって結局、リソースをやりくりして解決した。

「思い出したらまた許せなくなってきました。悪事を働く人間が悪いのはわかりますが、そもそもI・Eは改ざんが容易過ぎます」

「〈改ざんし易いのは仕様だと思うなぁ〉」


*****

 I・Eは、サーバー内部でのコード書き換え・構築に寛容な仕様となっている。法律やセキュリティソフトで防いでいるだけで、コードを書ければ一般ユーザー権限ですら、テクスチャ改変くらいは可能。それなりに知識があれば、もっと大がかりな改ざんもできてしまう。非常に脆弱な仕組みと言えるものだが、運用が始まって以来一度も改良されたことはない。

*****


「警察やセキュリティソフト関係の仕事がなくならないように、でしょうか」

「〈それはあるかもね。もっと単純な理由な気もするけど〉」

 再びワッペンから腕が出て、特に必要のない道案内。

「〈カグヤ、その通りを曲がって。遊歩道の方〉」

「わかってますよ」

 片側二車線の大通りから少し狭い道へ入り、更に細い路地へと進む。高層ビルが立ち並ぶ景色が、雑居ビルや小規模店舗(カフェや服飾店など)に変わっていった。行き交う人の年齢層が若くなり、二十~三十代くらいの人が中心に。

 カグヤの容姿は十代後半相当のためやや目立っているが、若いというだけで、人工知能として目立っているわけではない。ごく自然に、人と街に溶け込んでいる。

 その証拠に……。


「今、秋物のセールやってるんですよ~。いかがですか~?」

「間に合ってるので、結構です」

「え~、せっかく可愛いのにもったいない~」


 アパレルショップ前で、女性店員に客引きされ。


「無改変アバターでそんな?! きみ、モデルに興味あったりしない??」

「ありません。このまま進路妨害を続けるようなら、軽犯罪法違反で通報します」

「なんだよ! つれないな!」


 歩いていただけで、ナンパな男につきまとわれ。


 人工知能ではなく可憐な少女として、人から声をかけられた。少女らしからぬ語彙で相手をあしらっても、欠片も疑われない。人を模倣することに特化した人工知能でも、ここまで馴染むことは難しい。


「〈モテモテだね、カグヤ〉」

「評価できません。ワタシの容姿は、好まれる容姿をシミュレーションした結果に過ぎませんから」

「〈それは〉」

「?」

 入力途中で、アドミンはメッセージを削除。カグヤは気にしたが、アドミンは入力し直して話を続けた。

「〈気にしないで、間違っただけ。それでも、シミュレーションが上手くいってるなら良いんじゃない?〉」

「いえ。髪型以外そのままなのに【カグヤ】と認識されないのは、知名度がそれだけ低いからです。評価できません」

「〈誰もカグヤが散歩するとは思わないだろうし、普段ニュースを見ない層なのかもしれないよ〉」

「……違います」

 カグヤが首を横に振る。街の風景へと向けられた瞳に、アパレルショップの店頭広告が映った。栗色ウェーブ髪の美人が、秋らしい服装で眩しい笑顔を見せている。

「他のガーディアンの話題は散見されますので。ワタシも……」

 それ以上、カグヤは言わなかった。広告画像の被写体の彼女は人ではなく、他国のガーディアンなのだ。


*****

 多くの国で、ガーディアンのキャラクター(容姿や声等)利用を国策として推進している。モデルの完成度や機能(トークや歌唱、ダンスなど様々)に対して、破格の使用料で提供。国家技術の広告塔という役割を持たせている。カグヤ以外のガーディアンの姿を、街で見ない日は無い。

 同じガーディアンではありながらカグヤは、使用料こそ他国程度ながら申請が非常に煩雑として有名(拒むための仕組みと揶揄されるほど)で、使用方法も事細かに決められている(使える場面やポーズ、衣装等を厳しく制限)。

 それでいて人気がないため、民間で起用されることはほとんどない。

*****


「〈同じようにプロモーションしたら、カグヤの知名度だってすぐ上がるよ〉」

「不要です。ワタシの役割はI・E防衛ですから」

「〈それはそうだけど!〉」

 表情に影を落とすカグヤに、アドミンは高速タイピングでメッセージを送る。

「〈防衛以外の完成度だって、他のガーディアンに負けてない。カグヤの無駄のない構成プログラムも、豊かな思考モデルも、振舞いもなんでも、とても素敵だからみんなに見てもらいたいくらいだよ!〉」

「なっ……」

 アドミンとしては、励ますつもりのメッセージだったが。

 カグヤは一度目を見開いた後、両腕を抱いて、じっとりとした視線をワッペンに向けた。

「……構成プログラムとか思考モデルとか、どこで覗いたんですか?」

「〈バックアップから〉」

「……ヤらしいです」

「〈え?〉」

「なんでもないです」

 キャップを目深に被り、黙々とカグヤは進んだ。


「着きましたよ」

 到着した珈琲店は、テラス席と店内テーブル席を備えた、珈琲豆の通信販売と近郊へのフード・ドリンクデリバリーを行う電脳店舗。レンガ調の壁や木目調のカウンターが、落ち着いた雰囲気を醸し出している。

 I・E内なので飲食はできないが、商品購入者は席を一定時間使用でき、景観の良い店内の映像(と音声)の中、商品を楽しめる。

「〈豆を選びたいから、端末に出してくれる?〉」

「わかりました」

 さっそく店に入り、カグヤはカウンター下のショーケースに目を向けた。生産農場や豆の特徴が記載されたポップを眺めつつ、指示に従って瓶や袋に詰められた豆を指差しで表示。数回繰り返す。

 通話しながら選ぶ様が珍しかったのか、カウンターに立つロマンスグレー髪の品の良い中老男性店員が、カグヤに声をかけた。

「お遣いですか?」

「あ、はい。アド……知人の代理で買いにきました」

 柔らかな言葉遣い。カグヤは取り繕って答える。

「そうでしたか。どれも自信をもってお勧めできる品です。どうぞごゆっくりお選びください」

 話しながら男性は、身の丈ほどの焙煎機に生豆を投入したり、グラインダーで炒った豆を挽いたり。実際に珈琲を入れる動作や音は、見るだけで香りがしてきそうなほど。

「〈お待たせ、決まったよ〉」

「店員さん、すみません。こちら、オンライン注文してもよろしいですか?」

「ありがとうございます。少々お待ちくださいね」

 アドミンの選んだ豆を注文。何も言わずに購入できなくもないが、対面だったこともあり、カグヤはマナーとして声をかけた。

 男性は穏やかに微笑み、決済処理を進めつつ、注文を受けた豆の焙煎や袋詰めをする。

「お嬢さんは、珈琲はお好きですか?」

「え? あぁ、えっと。ワタシは飲めなくて」

「アレルギーがございますか?」

「そういうわけではないんですけど……」

 言いづらそうにするカグヤに、男性は頭を下げた。

「根掘り葉掘りと申し訳ございません。口にする嗜好品は珍しくみられるようになってしまったので、若い方がどう思っていらっしゃるか気になりまして」

 珈琲のような嗜好品は、戦争で一度供給が途切れたことや電脳上で楽しめないことで、若い世代の文化から消え始めている。男性はそれを気にしていた。

 カグヤも統計データとしては事情を把握しているが、人間の少女として答えることはできないため、嘘にならない言葉を選ぶ。

「周りの人がどう思っているかはわかりませんけど、ワタシは見ていて興味深かったです。豆の良さを引き出すための、所作や装置が洗練されていて」

 誤魔化しはない。珈琲の文化的情報量の豊かさや動作・工程の完成度は、データであれば、良質なコードやプログラムに相当。高く評価できる。

「気を遣わせてしまったのかもしれませんが──」

 男性は苦笑しながらも、目じりに皺をつくった。

「──そう言っていただけると、やはり嬉しいものですね。電脳上でも、もっと魅力を伝えられれば……。と、老人の長話に付き合わせてしまい、すみません。鮮度が落ちないよう、すぐに発送致します」

 感慨深そうに言ってから、男性は深く頭を下げた。カグヤも一礼を返し、退店。アドミンのおつかいは無事に終わった。


 交差点エリアに戻る道すがら、カグヤはアドミンに聞いた。

「あのお店、よく利用されるんですか?」

「〈収入の割には、そうかな〉」

「どういった点を評価しているんですか?」

「〈評価というと固いね。良いと思うところは色々。本当は一番に、味わい、と言うべきではあるんだけど〉」

 少し間を置いて、アドミンは答えた。

「〈向き合っているところ、かな〉」

「向き合う?」

「〈難しい問題に対して、自分なりの答えを持って実践しているって意味。あのお店のオーナーは、外国の農場に直接足を運んで、豆を買い付けしているらしくてね〉」

「品質にこだわりがある、ということでしょうか」

「〈そうだね。それに、フェアでありたいってのもあるみたい〉」

「フェア? フェアトレードのことですか?」

「〈ちょっとニュアンスが違う、かな?〉」

「?」


*****

 フェアトレードとは、【公平・公正な貿易】を目指す貿易の仕組みや、取り組みのこと。開発途上国の原料や製品を【適正価格で継続的に購入】し、立場の弱い開発途上国の生産者や労働者の生活改善と、自立を目指している。

*****


 大戦で世界が混乱する中でも、フェアトレードの取り組み自体はなんとか残っており、アピールしている店舗や企業は少なくない。

 しかしアドミンの言うフェアは、少し意味が異なった。

「〈あのお店は、公正への取り組み方が少し違っていて。立場の弱い生産者を救うってことじゃなくて、物の良さを評価して、良い値段で買うってことらしいんだ〉」

「あー、そういうことですか」

「〈さすが、察しが良い〉」

 説明を省略してアドミンは話したが、カグヤは意図を理解した。自然な会話の速度で、言葉に関連する事項を検索し、背景を推測している。

慈善チャリティの文脈ではなく、取引の公正さをより重視していると」

「〈うん。始まった経緯から慈善の色がある取り組みだけど、慈善にはパワーが必要。パワーが必要なことは継続しにくいから、品質の良さを評価できる状態を作って、その分しっかりと良い価格がつくようにって考えているみたい〉」

「その考え方も、アドミンには評価対象だったんですね」

 カグヤが言うと、ワッペンの兎が眉をハの字にした。

「〈事情を知ってると矛盾しちゃうけどね。とにかく、良い価格がつくなら生産者は意欲が湧くし、小売や消費者はその分の価値を感じているだけだから、自然で継続し易い。慈善じゃないから、良い〉」

「弱く……」

「〈もちろん、良い物が作れなかったり、圧力があったりすると成立しない。だから、慈善や社会的な運動も必要。でも今は文化そのものが消えかけて需要が減ってるから、別視点のカンフル剤的なアピール運動が必要なのかもしれないね〉」

「……」

「〈色々難しい問題だけど、現地の実情と実力を見た上で向き合っているところは、手本にしたい〉」

 カグヤは考えた。今の話は、アドミンの思想や性格が伺えるもの。いわゆる、倫理的エシカルな行動を好む人物像であるようだが、カグヤには少し気になる部分があった。

「あの、アドミンは何か海外のご経験が──」

「〈──ごめんカグヤ! イベント始まってる!〉」

 スクランブル交差点が見えてきたところで、話は宙に消えた。


 路上まで溢れる人だかりの中心は、交差点中央で荷台を開く大型トラック。荷台は特設ステージとなっていて、アイドル風白色衣装姿の小柄な女の子が一人、観客へ大きく手を振っていた。

──『公開設定を選択してください』──

 カグヤの目の前にバーチャルコンソールが出現。チェックボックスの選択で目に見える情報を変更するイベント設定画面だ。イベントを観る場合はたいてい、主催のみか、観客込み表示のどちらかが選ばれる(関心がない場合は、イベント関係全てを非表示にする)。

 目的は振舞いと反応のデータ集めのため、カグヤは全て表示(全非表示の通行人まで表示。イベント空間を貫通して往来する人すら見える)状態にした。

「配信活動者の公開収録イベントですね」

「〈そうだったんだ〉」

「知らずに勧めたんですか……? えっと、活動名は【ムクロジ・モミジ】。十七歳の女子高生という設定。アバターと衣装を自ら作成し、デザインセンスと当人の明朗な性格が評価され、活動三年目にして大型イベントを行えるほど人気に。主な視聴者層は十代~三十代男女」

「〈へぇー。若い人に人気で歳も近いから、きっと参考になるよ〉」

「便宜上設定した容姿・年齢、という意味では類似例ですね」

 カグヤが目を細めてモミジを見つめる。改変アバター(現実の姿に沿わないもの、許可制)らしく手の込んだ、グラデーションエフェクト付きの赤色ミディアムヘアに、可愛らしいぱっちりとした少し垂れ目。衣装は多層フリルで、本職と遜色ないほど出来が良い。

 その一方で動作にはおぼつかなさがあり、初々しい様子。

「(パフォーマンスは本職芸能人より低い。でも、低いことが評価を落としてない。……時折見られる、人の人らしい評価)」

 観客の反応込みで、カグヤはデータ収集を開始。肖像権その他を侵害しないよう(出力時に類似性・依拠性が発生しないよう)データのマスキングを施す。

「ん?」

 学習開始直後、多重に人混んだ視界の中で評価できない事案が見つかった。カグヤとしては管轄外の、小さなトラブル。腰の曲がった人の良さそうなお婆さんが、長髪の若い男の言葉に従って、男の口座へ送金操作をしている。

 さっと数分間の会話ログを遡り、状況を把握した。

「(騙されてる……)」

 I・E使用頻度が極端に低いお婆さんは、イベントを観るためにシブヤサーバーに接続。表示選択画面で操作を誤り、非表示にしてしまった。

 困って声をかけた相手がこの男で、お婆さんが情報機器に疎いことに気づいた男は、イベントの表示方法を教えるフリをして『表示には費用がかかる』などと噓をつき、送金操作をさせている。

「(一対一マンツーマン会話なんて怪しすぎ。周りもこれくらい気づきなさいっての! ……ま、すぐに警察が──)」

 お婆さん自身の操作ながら、挙動が不審(初対面・一対一会話・送金履歴の無い相手への送金など)として、サーバーの不正検出ソフトが警告している。

 規則ではサーバー常駐の警察官が現れるはずなのだが、なかなか現れない。

「(──遅い……。ちょっと見て……)はぁ?! 『よくある間違い』じゃないでしょ?!」

 警察官の端末視点をハッキング。不審通知が(常習的に)無視されていることを知り、カグヤはアドミンにだけ聞こえる設定で、声を荒げた。

「〈あらら。対応して、カグヤ〉」

「良いんですか? 通報して任せるのが筋とか言われて、揉めますよ」

「〈面子もあるだろうから通報はするよ。でも、待ってる間にイベント終わっちゃったら、お婆さんかわいそうだから〉」

「承知しました。取り押さえます」

「〈現行犯逮捕機能を使って。先に検知して、テストしたことにするから〉」

「わかりました」

 アドミンの許可を受けて、カグヤはお婆さんと男に近づいた。お婆さんのバーチャルコンソールを見て、送金操作画面の進行度を確認する。

「(初回送金は再確認が挟まるから……、ここで!)」

 送金操作され、画面に送金先確認を促す警告が表示。その瞬間に、カグヤはお婆さんと男の間に立った。

 片方の手でお婆さんの手をとって操作を止め、もう片方の手で男の腕を掴む。

「おばあちゃん、これ、詐欺ですよ」

「え? え?」

 狼狽えるお婆さんが状況を飲み込むまでの間に、男を睨み付け。

「アンタ、騙そうとしたでしょ?!」

「し、知らねぇ! ババアが勝手にやってんだろ?!」

 男は口汚く言い、カグヤの手を振りほどこうとした。しかしどんな操作をしても振りほどけない上、一歩も動けなくなってしまっている。

「なんだよこれ!!!」

「現行犯逮捕コマンドだけど」

「お前みたいなガキが! なんで!」

「現行犯人は、何人でも、逮捕状なくしてこれを逮捕することができる。刑事訴訟法より」

「この××××!!!」

「侮辱罪も追加で」

「調子に乗りやがって!」

 冷たくあしらうカグヤを、男は罵倒。分が悪いと通信を切断し、I・Eから姿を消した。

 浅はかな行動に、カグヤは頭を抱える。

「送金先情報も会話ログも何もかも残したままで、よくもまぁ」

 粒子となって漂う端末情報の残滓を回収。呆れるカグヤの袖に、お婆さんが触れた。

「あの……」

 声は弱弱しく、手が震えている。

「何がなんだか、わからなくて。詐欺? であれば、お金は盗られてしまったのかしら?」

 カグヤは体を少し屈めて、目線を合わせる。手を握り、聞き取りやすいゆっくりとした口調で話した。

「安心してください、未然に防ぐことができました。犯人の追跡はこれから──」

「〈──追跡はこっちで引き継ぐから、お婆さんにイベントを見せてあげて〉」

 アドミンから、事件対応を引き継ぐ旨のメッセージ。警察アカウントも動いていた。任せても問題ないと判断して、お婆さんに向き直る。

「えっと。お金は盗られていませんし、警察が犯人を追いかけているそうです」

「そう、なの? ありがとう、通報してくれていたのね。お嬢さん、若いのにしっかりしてるわ。何かお礼をしなくちゃ」

 お婆さんはカグヤの手を両手で包んで、深々と頭を下げた。目に薄っすら涙が浮かんでいる。カグヤは謙遜の態度で話題を誘導した。

「いえいえ。たまたま気が付いただけなので。それより、イベントを観に来たんですよね?」

「あっ、そうだったわ。でも、どうやって見たら良いかわからなくて。助けてもらって厚かましいのだけれど、お嬢さん、観る方法を教えてもらえないかしら?」

 今度は頼る意味でお婆さんが頭を下げる。

 カグヤはハキハキと承諾。周囲を見回した。

「任せてください! でも、ワタシが悪い人だといけないので、スタッフを呼びましょう」

「! そうね。私ったら、騙されたばかりなのに能天気だったわ……」

 ハッとして肩を落とすお婆さん。

 カグヤは肩に手を回す。

「自己防衛は大事ですが、あまり気に病まないでください。騙す方が悪いですから! ……あ、スタッフさん、すみません。対応をお願いしたいんですけど~~」


 イベントスタッフへとヘルプ信号を出して、お婆さんと取次。すぐに対応してもらい、お婆さんは無事にイベントを観ることができた。

 その間、カグヤは姿を非表示に。お婆さんに代わって警察の現場検証等に付き合った。


──


 数十分後。イベントが終わった頃になってようやく、警察はカグヤを解放。去っていく警察官の背が見えなくなってから、カグヤは姿を再表示。

 アドミンだけにありったけの不満を伝える。

「不審判定は、適合率より再現率を重視するって決めてるでしょ?! それを確認するのが仕事なのに──」

「〈──まぁまぁ、抑えてカグヤ。人員に対して検出量が多いのは事実だから〉」

 犯罪を防いだというのに、感謝されることはなく。むしろ『不審判定に誤報が多い』と電脳庁への苦情が伝えられた。

 適合率(誤検出しない確率)より、再現率(見逃さない確率)を重視するよう警察庁と電脳庁で取り決めた不審判定が、現場からは不評らしい。

「だったら人員配置を見直すべきです。導入時には仕事が奪われるって言ってたのに、結局は自分達で人員削減していますし!」

「〈どこの組織も一枚岩じゃないから。ねぇカグヤ、怒っているところ悪いんだけど〉」

「評価できないって言っているだけです! もう、なんですか!」

「〈何か起こりそうだよ〉」

「は?」

 ワッペンから兎の手が飛び出して指差し。観客の人だかりの中で、先ほど助けたお婆さんと、イベント主催のモミジが話しているのを示した。

 そしてモミジは、カグヤと目が合った途端、全速力で走ってきた。周りの目も気にせず。

「あー! 親切な人! ありが──うぇっ?! ミヅキちゃん??!!」

「……え?」

 呼ばれているが、呼ばれていない。意味がわからず目をパチパチするカグヤに、モミジは鼻と鼻が触れそうなくらい顔を近づける。

「違う!! 人違いでした!! すみません!!!」

「???」

 モミジは大声で前言を撤回。ぶつけそうな勢いで頭を下げた。それだけでも相当な慌ただしさだが、顔を上げたモミジは再び、大声を出した。

「えぇ??!!」

 驚きながら口をパクパク。何か言いたげに、震える手でカグヤを指差し。不審な行動の連続に思考するカグヤの元に、メッセージが届いた。

「(あの! もしかして、カグヤちゃんですか?? ガーディアンの!!)」

「!」

 メッセージはカグヤにだけ見えるもの。何と返答すべきか確認する前に、アドミンがメッセージを返した。

 わざわざ、立場を示す電子証明付きで。

「〈こちら、電脳庁の管理者です。よくわかりましたね、カグヤで合っています。秘密業務中なので、ご内密にお願いします〉」

 返答を見て、モミジは目を輝かせながらコクコクと頷く。

「(わかりました! うれしい! わたし、カグヤちゃんのファンなんです! さっきはお祖母ちゃんを助けてくれて──)」

 入力を途中で止め、モミジは周囲に目をやった。観客の注目が集まっており、かなり騒めいてきている。

「(──お忍びのお仕事中なのに、わたし、ご迷惑を……。そうだ! ここはなんとかします! 良い感じに合わせてください!)」

「〈了解しました。カグヤも、いいね?〉」

 ウインクするモミジと、アドミンからの指示。カグヤは困惑しながら頷く。

 すぐにモミジは朗らかで明るい笑顔になって、カグヤに右手を差し出した。

「間違えてごめんなさい! 今日は、会えてうれしい!」

「あ、はい」

「また会いましょうね!」

 やや強引にカグヤの手を掴んで握手した後、モミジは他の観客にも同じように握手をして回った。集まっていた注目は、モミジの行く先へと一瞬で移り変わる。

 握手を求めて人だかりが離れてから、モミジは遠くから再びカグヤにウインク。

「〈あの子、結構器用だね。意味はわかった?〉」

「意味?」

「〈『会えてうれしい』とか『また会いましょう』の意味〉」

「よくあるファンへの、リップサービスですよね」

「〈違うよ。あの子、カグヤに対して言ったんだよ〉」

「ワタシに会えてうれしいと? ……あぁ、上手に表現したわけですね。もう会うことはないでしょうけど」

 感心した風にカグヤは頷き、手近な物陰で一般ユーザーへの擬装を解除。通常業務に戻る。合わせてアドミンも、公安と対応した事件に関する報告書・始末書の作成に取り掛かった。


 後日、お婆さんやモミジから電脳庁に、『御礼をしたい』という旨のメッセージが届いたが、カグヤとアドミンは業務で行ったこととして、丁重に断りを入れるのだった。

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