第五話:I・Eと暮らし(2)
公安の一人が、手を触れた相手の秘匿プログラムを解除。何もなかった空間に、フード付き緑色ミリタリーコートを着た不審者が姿を現した。目深に被ったフードで顔はわからないが、抵抗する意思がないと示すようにゆっくりと両手を上げる。
『大丈夫かな、アレ』
「後ろのチームが気づいています」
説明のためカグヤは、アドミンの管理者端末に映像を表示。やや離れたビルに陣取る公安の別チームが、狙撃銃型の攻撃プログラムで不審者に狙いをつけている。
『あっちは通すんだね。それはそれで気になるけど』
「懸念には同意します」
そのうちに不審者は公安の指示に従い、懐から手帳サイズのI・E身分証を取り出した。受け取ろうと伸びる手を見て、口元に笑みが浮かぶ。しかし、手が触れようという瞬間に発砲音。身分証は銃弾に撃ち抜かれ、地面を転がった。穴の開いた身分証は少し間を置いて、小型の黒い両刃ナイフ(型の攻撃プログラム)へと姿を変えた。
攻撃の意思が見えたことをきっかけに、包囲していた五人の公安が一斉に不審者──電子計算機損壊等業務妨害犯──を取り押さえるため動いた。スタンガンや警棒を模した形状の端末掌握用プログラムを取り出し、ジリジリと距離を詰める。犯人は笑みを崩さず見回し、おもむろにコートの前を開いて内側を見せつけた。
『うわ』
「あれは……」
カグヤが目を細める。コートの内側と不審者の胴体に、赤色の筒状プログラムが並んでいた。現実の爆発物を模したそれは、〈機能〉も現実に近いもの。
『
「難読化されているのに、よくわかりましたね」
『あってたんだ。見た目がそれっぽくて、公安のアンチウイルスソフトが反応していないから、そうかなって』
「当てずっぽうだったんですか?! まぁでも、勘も一種の思考モデルと言えなくも……」
アドミンの予測は的中していた。赤色の筒は、端末やサーバーの破壊を目的としたマルウェア〈論理爆弾〉。起動条件を満たすまで潜伏する性質から検知が難しく、起動すれば破壊が終わるまで攻撃を続ける。公安の隔離措置では被害を抑えることは難しく、初撃の爆発だけでも、交差点周囲の人(の端末)や店舗データはたちまち破壊されるだろう。
公安が犯人から要求を聞き出そうとしているが、反応無し。そのうちにコートの内側で論理爆弾が紐状の先端部を赤く光らせた。
『起爆コードが動──』
「──問題ないです。朧がいますから」
後ずさりする公安と犯人の間に落ちる、黒い影。犯人の胴に横一閃、黒い筋が走った。発光していた先端部は全て切り落とされ、ボロボロと地面に落下。
『さすが、キミの
コードを消去した朧は左手を地面についた低い姿勢で、クナイ型攻撃プログラムを右手に犯人と見合った。姿の秘匿を解いているのは、威圧や警告のため。朧のそばには犯人に投降を促す、規定のメッセージが表示されている。
論理爆弾は完全に機能停止。コード作動から
しかし、カグヤの表情は険しい。
「……ダメ」
『まだ何か?』
「はい。……あの、アドミン」
『認めるよ。行っておいで』
「話が早くて助かります」
許可を受けてすぐ、管理者端末に対応の根拠(公安への電脳戦闘補助が必要だと判断した理由)と、
静観していたカグヤは抜刀。公安の隔離エリアをすり抜け、太刀を逆手に降下する。標的は、先に撃ち落とされたナイフ。犯人が視線を向けていた。
「〈玉枝突・挿し木〉!」
落下の勢いを乗せ、切っ先をナイフの柄へ。現実と違いなんの金属音もなく、太刀は柄を貫いた。即座に自壊コードが注入され、ナイフ(だったプログラム)は膨らんで弾け、データの粒子となって消える。
予期せぬ出来事に犯人の動きが止まった。ナイフがあった方向に視線を向け、つぶさに観察している。犯人の権限ではナイフが弾けたこと以外、何も視認できていない。つまり、状況はカグヤが圧倒的に有利。
それでもカグヤは、犯人へと太刀を向けて警戒を維持。近くの朧に強い口調で指示した。
「朧! 動かして!」
「どうしてそんなこと……?? 鎮圧できたんじゃないの……???」
言葉以上の情報が一瞬で交わされ、管理者端末に省略された指示が飛ぶ。管理者承認を待つだけの、警察との〈特別な〉連携対応の申請画面。
アドミンは後始末の面倒さを想像しつつも、許可のボタンを押した。
『あんまり脅かさないようにね』
「! 相手次第です!」
カグヤの口角が少しだけ上がる。止まっていたように見えて、犯人は動いていた。起動しなかった爆発物がアバターと融合。緑色コートが裾を分かれさせ巨大化し、人の上半身に巨大な蛸の下半身(触手)が合わさったような、異形へと姿が変わっていく。
『仕込みはしてたんだろうけど、今ここで手を加えるとは。なるほど攻撃プログラムを高圧縮データにしておいて、展開することでサーバーを圧迫。下位権限ながらカグヤの動作を不安定にしつつ、攻撃自体も──』
「──手口に感心するのは後にしてください!」
『それにしても良く事前に気が付いたね、カグヤ』
「視線制御でコードを記述……じゃない! 褒めるのは後……も違う!! 人工知能を褒める必要はありませんから!!!」
攻撃用プログラムとアバターを書き換え、更に別の攻撃プログラムに。警察やセキュリティソフトの面前で実行した犯人の手際に、アドミンは感心した。カグヤがそんなアドミンを
「……? あれは、えっと……??」
攻撃が迫っているにも関わらず、朧は瞬きをして見上げるばかり。未知の脅威に対する分析動作が始まってしまい、固まっている。
「あれは[敵]! 朧っ!! [退避]!!!」
「!? わ、わかった!」
触手が動いたところで、カグヤは退避を〈命令〉。強制的に分析を中断させる。なんとか間に合い、朧は横っ飛びで触手を回避。
「ここはワタシに任せて。朧は味方の脱出と市民誘導をお願い」
「うん……!」
回避こそ許したが、触手は広くない隔離領域内を激しく暴れ続けた。逃げ場のない公安達が展開したライオットシールド型の防御プログラムを、払い除ける一撃で粉砕。吹き飛ばされた公安達は、端末の制御を失い地に伏してしまう。
「……ごめんカグヤ、後は任せる」
朧は倒れる公安達を次々に隔離領域外に放り投げ、申し訳なさそうに言ってから自身も離脱した。
「さて」
公安の脱出が済んだところで、カグヤは太刀を納めて両手を一打ち。姿の秘匿を解く。犯人は威圧的に見下ろしてきたが、臆することはない。
「詳細送ったけど。公務執行妨害、違法プログラム使用、I・E内プログラムの無許可改竄、ほか。現行犯として端末停止対応するから。不服があれば裁判で」
罪状をまとめたレターを生成し、人差し指で犯人へと弾く。その間も触手は狭い隔離領域中をのたうったが、涼しい顔で避けて歩いた。
レターを受け取らされた犯人は、歯噛みして表情を歪ませる。無理もない。カグヤの検出に失敗して攻撃はことごとく外れ、秘匿している自身の端末はあっさり特定された。もはや隠す意味がないからか、犯人は沈黙を破りメッセージを送ってきた。
『早すぎる。無能AIの分際で』
「はぁ、やっぱり感化された人が出てる。それ、ワタシの立場を攻撃したい人が言ってるだけで、実力とは関係ないから」
『嘘だ。お前はマルウェアに負けた。なのになぜ、VAMPで手に入れた最新の──』
「──論理爆弾を改造した、オリジナルの攻撃プログラムが通用しなかったのか。惜しかったんじゃない? VAMPのままでもI・Eや警察くらいなら騙せてたし、オリジナルかつリアルタイムでいじったから、朧相手もいい線いってた。あ、こんなの普通は教えてあげないことだけど、検体のお代ね」
『こざかしい、AIが人の考えを読むな』
メッセージを送りながら犯人は、腹正しそうに触手を地面へと叩きつける。大きく凹んで痛んだ地面のテクスチャを見て、カグヤは呆れ顔になった。
「はぁ。せっかくの技術を、どうして犯罪なんかに使うんだか」
犯人は高度な能力を持っていた。公安はともかく、朧までもが即応できないことはなかなかない。
「余計なことを……」
不意に不機嫌な表情に変わり、カグヤの視線が犯人の頭部高さの壁に向く。少し遅れて、壁を抜けて飛び込んだ銃弾が犯人の頭部に命中。残念ながら目立ったダメージはなく、むしろ犯人は笑みを見せ、銃弾が通った壁に触手をぶつけた。強烈な衝突音がして、壁に大きな亀裂が走る。
『脆い脆い』
「まぁいっか。上から戦闘用隔離領域は設定してるし」
犯人は続けて、壁の別の場所(ナイフを撃ち抜いた弾丸の通過箇所)を打突。二ヵ所の亀裂は全体に広がり、ついに壁は崩壊。ガラスが砕けるように、粉々に散っていく。犯人の技術は単独の〈人間〉としては、稀に見るものだった。
「ねぇアンタ。それだけできるってことは、そこそこのところに居たんじゃない?」
『居場所を奪ったのは国とお前達だ』
「……そういうこと」
一つの空間に戻る交差点。公安と朧によって人払いされてはいたが、歩道やビルには切断指示に従わなかった見物人が見える。
『国民よ聞け! AIは人間の生活を奪う! 今すぐ規制を強化すべきだ!!』
隔離を脱した犯人はメッセージをビルの吊り広告ほどのサイズで表示。犯人自体は更に巨大化して建物や歩道へ触手を振り回した。
『お前に当たらないなら──』
「──I・Eや民間人を攻撃すると。恨みがあるなら
『黙れ』
触手はビルや歩道に直撃……することはなく。細切れの断片データの粒子となって、淡い光を放って消える。カチャリと、太刀が鞘に納められた音がした。
『な』
「もうネタ切れみたいね。AI云々言ってたけど『人間同士なら奪って良い』の?」
『他に手段がない。危機感の無い馬鹿共の代わりに世直しをしてやっている』
「馬鹿だとか、世直ししてやるだとか、アンタねぇ……!」
端末を停止すべく、カグヤは太刀に手をかけた。その瞬間、犯人の眼前にメッセージが浮かぶ。アドミンからだ。
『アナタに忍耐が無いだけです。もっと厳しい状況でも誰も傷つけず、世の中を良くしようとしてる人はいます。アナタの言葉と行動は、そんな人達への侮辱です』
「? アドミン……?」
予想外の行動だった。管理者が表立つことは基本的に無い。なぜなら……。
『管理者! AIに魂を売って、政府に尻尾を振る悪魔! お前らがいるから世の中がおかしくなったんだ。お前から×してやる』
明確な敵意と殺害を仄めかす発言。この犯人のように、政府組織に対し攻撃的な考えを持つ者はまま見られる。I・Eや人工知能技術には戦前戦後問わず反発があり、旗振り役の電脳庁は、政治家に次いで脅迫等の被害が多い。
ここまで犯人の発言を遮断しなかったカグヤも、脅迫罪にあたる言動はさすがに看過できず、即座に太刀を抜いた。
「どんな考えがあろうと、人の生活や平穏を奪うことは許されない!」
『どの口が──』
触手はカグヤに伸びたが、触れることはなかった。犯人が認識すらできないうちに、アバターも攻撃プログラムも、構造を保てぬほどに切り捨てられていたからだ。
これは、犯人個人の能力の問題ではなく、すでに〈人間〉の性能がカグヤ達に太刀打ちできるものではなくなっていることによる。
*****
人がマルウェアを用意してI・E内で大きな被害を起こすことは、非常に困難である。僅かでもマルウェアと疑われれば検知・侵入阻止される上、難読化・ダミー・ループ処理等を駆使して検知の目を盗んだとしても、起動させた瞬間(マルウェア的振舞いを見せた瞬間)にガーディアンは飛んでくる。そして少しの被害が発生するかという間に用意したマルウェアは分析されきって、消去・無力化される。
攻撃してガーディアンを無力化しようにも、まずI・E内権限の差を突破して検知できるようにし、次に難読化に対処。それから
今回の犯人は、カグヤを検知できないうちに、攻撃用プログラムの重要なコードを消去された。そもそも、侵入段階でカグヤは検知しており、公安に合わせて様子見していただけ。これでもまだ心月を使っていないので、全力には程遠い。
なお、人工知能と言えど簡単には、ここまでの能力は身に着けられない。〈ツン・ディレ〉を用いてカグヤが自ら多くの情報を採り、実戦の中で思考・戦闘モデルを作り上げた結果だ。
*****
「すみません、アドミン。お話の邪魔を」
『いや、良いよ。割り込んだのはこっちだから。それにあれ以上、攻撃的な発言を公開するのは良くないね』
「言論統制と取られないでしょうか?」
『殺害予告までされたら仕方ない、と思うけど、苦情を言う人はいるだろうね』
アドミンと話している間に、犯人のアバター頭部がゴトリと地面に落ちた。カグヤはそれを横目に、駆け付けてきた朧に聞いた。
「朧、準備できた?」
「うん、できてる……」
頭部は公安が半透明のキューブに収納。これで、端末コントロールは掌握となる。キューブの中で、犯人が最後に入力していたらしいメッセージが表示された。
『アバターを捕らえて終わったつもりか? これだからAIはダメなんだ』
目を閉じた頭部を見て、カグヤが軽く鼻を鳴らす。
「ふんっ、そんなわけないでしょ。朧、ここにモニター出すからね」
「え? どうして……?」
「市場調査」
返答を待たず、バーチャルコンソールを操作。ビルの大型モニタの映像を切り替える。映し出されたのは、空撮されたどこかの港湾にある灰色の倉庫。
突然、倉庫のシャッターが開き、一台のくすんだ白色の乗用車が飛び出した。先の犯人の逃走用車両だったが、カグヤは別段驚きもせず冷静に眺めている。
「通信機能なしの旧車ね。……
映像は車を画面の中心に捉え追従。バーチャルコンソールに添えられた右手の親指と人差し指がつまむように動かされ、空撮映像の縮尺が変更。車の周囲一帯が広く映し出される。
港湾内道路は碁盤目ながら、市街地に抜ける道は一ヵ所。対処は済んでいた。
「『あー、もしもし犯人? 完全に包囲されているから無駄な抵抗を止めて投降しなさい』」
車の周りに白黒ストライプのドローンが飛び、カグヤの声を再生する。ちょうど進行方向に、車両停止装置(L型の金属板が複数連なったもの)と数台の警察車両が見えた頃合いだった。
結局、その後に目立った抵抗はなく。犯人はカグヤ(と警察)の指示に従い、両手を上げ降車。大人しく逮捕された。アバターと同じコート姿だったが、危険物は無し。抵抗は無駄だと察したのだろう。
端末を掴まれた時点で、現実であろうと犯人に逃げ場はなかった。
「事件は無事解決されました。I・E内に影響はありませんので、ご安心ください」
犯人が降車する前に映像を元に戻して、カグヤは市民に軽く頭を下げる。元の映像に戻った頭上のモニタには同事件のニュースが流れており、言葉通り、犯人逮捕が報じられた。現実に跨る事件はやや珍しく、シブヤサーバー内の多くの市民が見物に集まっている。
カグヤはそれを、良い機会だと考えた。
「このように、ガーディアン〈カグヤ〉は日々、I・Eと皆様の生活を防衛しています! ご理解とご協力のほど、よろしくお願いいたします!」
元気の良い発声は、どことなく選挙中の政治家のような雰囲気。そう振るまったせいか、返ってきた市民の反応も似たようなものに。
──〈「うるせぇ!」「政府の監視アピールか?」「無人機を操るなんて、戦争を思い出して怖い」「AIは規制しろ!」「可愛げがない」〉──
そこかしこから罵声、あるいは否定的な言葉が飛んでくる。
「あの! 不正動作が検出された場合にのみ、法律にのっとり対応しています。ドローン等は警察の代理で操作しただけです。オペレーションに法的問題がないことは~~」
法令や通信記録、削除したプログラムの危険性を示す資料を投影するも、見向きもされず。やがて人だかりは散り、スクランブル交差点は普段の喧噪に戻った。
「……これが、ワタシへの評価」
カグヤに対する世間の評価は低い。目立てば批判され、目立たなければ興味ももたれない。姿の秘匿を再び施し、カグヤは黙って空中へと上がった。地上から、朧の声が聞こえてくる。
「カグヤ、公安としては感謝してる……」
「……そう。攻撃プログラムのパターンと振舞い、送るから後で見といて」
「ありがとう。こっちもなにか、参考にできるデータがあれば送るから」
「……」
何も答えず通常監視モードに。高空から街を見下ろすカグヤの背中に、アドミンはもの寂しさを感じた。
『あまり気にしないで。良い対応だったよ』
「……ッ! 言いましたよね、人工知能にそういうのは不要だって!」
『ごめん』
「謝罪も!」
慰めるメッセージにツン・ディレが反応。鋭い言葉が返ってくる。アドミンは反省して、今度はカグヤが受け入れられる表現、フィードバックを送った。
『世間の評価は、短期で回復するのは難しいと思う。長期で、地道にやろう』
「……はい」
『それはそれとして、アピール方法の参考データは見直した方が良いかもしれない。押しが強すぎる気がするし、カグヤのビジュアルに持たれるイメージと合ってない気がするよ』
「……サンプルデータが政府要人に偏っていました。再度収集します」
フィードバックに対して激しい反応はなく、返ってきたのは淡々とした自己分析。反論するほどの意見を形成できていなかった。アドミンは、そんなカグヤの状態を気にした。
管理者業務としては、カグヤがどう評価されていようと問題はない。どうであれ、セキュリティ機能に影響がないからだ。対応を要することと言えば、仕事していることをグループ長に示すため、先に集めた世間の評価を業務報告書にして、提出することくらい。提出が済めば、グループ長は指示などさっさと忘れ、通常業務の日々が戻る。
しかしアドミンにとっては、〈セキュリティ機能〉こそ問題ではなかった。強い人工知能であるカグヤが、アピール程度に苦戦している。それはつまり、学習機会が少なかったことと、学習しようとする〈意思〉が挫かれたことを意味する。
よってアドミンは、管理者としてはあり得ない提案をした。
『ねぇカグヤ、少し付き合ってくれない?』
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