第四話:I・Eと暮らし(1)
上下左右全てが真っ白。広さだけは屋内競技場ほどある何もない空間──電脳庁の待機用サーバー──に、カグヤの姿はあった。普段通りの直垂姿で正座。ピンと伸びた乱れの無い姿勢で、瞑想然と目を瞑る。
しばらくして、胸元高さに半透明のバーチャルコンソールが出現。〈Hello〉と表示される画面に、カグヤは黙ったまま手を触れた。通信開始の合図で、すぐに画面は相手の顔へと切り替わる。
その途端、カッと目を見開いた。
「〈
乱れに乱れた荒い声。画面からはゲンナリとした様子の、カグヤとそっくりの声が返ってくる。
「うるさい……。カグヤと同期するとごちゃごちゃするし、防衛に関係なさそうだからヤダ。自分でやってよ」
通信相手は、警察庁と電脳庁が共同運用(主は警察庁サイバー警察局)する、カグヤと同型の治安維持・監視用人工知能〈朧〉。同型だけに姿はカグヤとよく似ているが、混同を避けるため若干差異はある。
黒髪は肩にかからないくらいと短く、目つきは鋭くなくじっとりとした半目。衣装は真っ黒の忍者装束で、全体的に暗い雰囲気。監視用とある通り、I・E、現実、国内、国外と多くの通信を監視・諜報する人工知能で、カグヤをベースに機能の一部を追加・削減して作られた。
*****
所属と用途が異なるだけでカグヤと朧に立場の上下は無い。カグヤはI・E全般の防衛のため、朧は国内治安維持のため、必要に応じて情報共有している。なお、今回朧が共有を渋っている理由は、求められた情報に共有必要性があると評価できなかったことと、カグヤ(電脳庁の権限)だけで収集可能な情報だったことから。
それに対してカグヤが共有を求めたのは、必要だと判断しているのもあるが、自身で収集すると全て電脳庁のリソース(ハード・電力等)使用になるところを、朧の成果を利用して節約することが狙いだった。
朧はカグヤの狙いを知っており、電脳庁側の
*****
「関係あるの!」
画面に顔を近づけて主張するカグヤに、朧は溜息をついた。
「はぁ……。そもそも、〈悪口〉なんか集めて何に使うの……?」
「回答拒否。防衛上の機密に──」
『──世間の評価を自覚しろって、グループ長の命令でね』
「アドミン?!」
事情を伝えるメッセージを送ったアドミン(の端末画面の窓)を、カグヤはキツく睨み付ける。朧が要求されているのは、カグヤに対する
しかし改良しようにも、そのための申請はグループ長に止められているので手詰まり。シララハマ修復作業に続く、グループ長からカグヤへの懲罰的な指示だった。
「電脳庁の単独案件ならますますヤダ。というか許可出ない。自分でやって」
背景を推測した朧が首を横に振る。それでもカグヤは食い下がった。
「単独じゃなくて、治安案件! 判断理由は~~」
自身が考える判断理由を、無理やり朧へと送信。人工知能同士、目にも止まらぬ速度で意見交換はすまされ、折衝は終了。朧は再び深い溜息をつき、カグヤは鼻をフンと鳴らした。折れたのは朧らしい。
「はぁ……。『敵性勢力による〈カグヤ〉運用妨害の可能性』、確かにゼロじゃないけど……」
「いつまでもぐちぐち言わない! さっさと寄こして!」
「ワガママなお姫様……」
朧はぼやいてから、黒い布で口元を隠した。画面が消え、カグヤは正座を解いて立ち上がる。間もなく待機サーバーに光の輪が出現。通って現れたのは、真っ黒忍者装束の朧。
カグヤはその姿を足先から頭の先まで、まじまじと見つめた。
「ねぇ朧、それって意味ある?」
「ある。警察庁の『特別な仕事』に、『忍者』のイメージを重ねられる。国内外とも忍者は人気。仕事にご協力してもらいやすくなった」
そう言って朧は、右手の親指・人差し指・中指を立てて口元に。いわゆる『忍者のポーズ』をしてみせる。
「一日署長だとかマスコットキャラクターだとかの、イメージ戦略の一環ってことね」
「そう。公権力は市民と壁ができるもの。電脳庁もやれば良い」
「やってるけどね。国民番号兎ちゃんとか。でも、
「ノウハウは渡さない。自分のとこの予算でやって」
「さすがに正論ね」
カグヤ達は話しながら、互いに向き合って視線を合わせる。それだけで同期は終わり、記録の一部を共有。朧が眉を寄せた。
「……なに、今の」
「流すって言った情報。そっちでもマークしてるでしょ? これから起こる可能性が高いから。じゃ、ワタシ行くね」
「ちょっと、カグヤ!」
朧が尋ねるのも構わず、カグヤは光の輪に飛び込んだ。いつの間にか腰に携えられていた太刀が、かちゃりと音を立てた。
──
『賑わっているね』
「これも景観の一つ、と理解はしてますけど。
接続先は、首都を代表する繁華街サーバーの一つ、〈シブヤ〉。澄んだ空のビルほどの高さから見下ろして、カグヤはアドミンのメッセージに首を捻った。眼下のスクランブル交差点では歩行者信号が青に変わり、歩道に並んでいた多くの人々が交差する横断歩道を渡っていた。袖が触れそうなくらい密集した人々が互い違いへ一斉に行き交う様子には、独特の迫力がある。
『これだけの人がぶつからずに渡っちゃうのは、珍しいらしいよ。これを見たくて海外から接続する人がいるくらい』
「そのために信号やランダムな車両データを用意するのは、容量の無駄遣いかと。元はただの待ち時間や騒音ですし」
『人や車の往来に郷愁があるんじゃないかな。そうじゃなくても、知らない人の楽しそうな会話声が聞けたり、ファッションが見られたりするのは、結構楽しいよ』
「郷愁、懐かしさ……」
しばしの間カグヤは、腕を組んで交差点を眺めた。歩行者信号が点滅から赤に変わり、人々が歩道に溜まる。皆、思い思いの服装で楽しげに話をしながら、信号が青になるのを待っていた。少し視線を動かせば、付近のアパレルショップや家電量販店、ドラッグストアなどの電脳店舗で買い物を楽しむ人が見える。
都会の穏やかな暮らしが、そこにあった。
*****
観光の場であるのは、シブヤサーバーの持つ役割の一つに過ぎない。娯楽に止まらず、ネットワーク上で可能なあらゆる経済活動が、同サーバーで行われている。小売業の通信販売やアバター用衣装・ツールの販売、CGサンプルを並べる電脳店舗などは代表的な例で、他にも医療業の遠隔問診や手術、運輸業の自動運転監視など、様々な経済活動の場となっている。
なお、多種多様な業種業態で動く全てが、各ユーザーの端末に表示されているわけではない。アドミンの管理者端末では一般ユーザーと同じように、主として小売・サービス業等に関わるものが表示されているが、これは、
例えば建設・輸送業等の用いるプロトコルでは、全地球測位システムや環境測定センサ等で観測された正確な現実情報が主。曇天の下、ビルやシェルター建設のため忙しなく稼働する多数の重機・遠隔操作ロボット・資材輸送トラックや、それをI・E上で操作・管理する作業員の姿が見えるといった具合だ。
管理者端末の監視設定が特定プロトコルに絞られているのは、「ここだけ見れば良い」というカグヤの配慮。電脳庁の業務はI・E自国領域内全ての防衛だが、人間に対応できる情報量ではないので、管理者判断が発生しそうな案件だけをカグヤは抜粋している。
当然ながらカグヤは全て監視しており、シブヤサーバー内ではどの業種の空にも浮いていることになるが、一般利用者はおろか、警察のような治安維持組織でさえも、その存在に気づくことはない。
これは、I・E内で
*****
『言われてること、気になる?』
「……いえ」
賑わう繁華街とは対照的に、カグヤの表情はどこか暗かった。朧が同期した監視情報──カグヤへの強い批判──の数々は、乙姫の襲撃事件以降、火が付いたように広がり始めている。
事件では、二千箇所ほどの観光エリアが同時攻撃を受け、カグヤはそのうち三分の一に対応(残りは自衛隊サイバーコマンド・警察・民間組織が対応)。乙姫が現れたシララハマ以外は無事鎮圧している。そのシララハマも、被害者の取引凍結措置によって影響は比較的軽微(資金流出の九割超を阻止)。戦闘中にシララハマ外で別働のカグヤが対応したためで、乙姫相手に能力を制限しての結果と考えれば、上々の成果と言える。
敗北こそしたものの、カグヤは時間稼ぎという仕事を果たしていた。しかし。
──〈『不良品』『恥晒し』『税金の無駄』〉──、多くの市民から聞こえる厳しい言葉。国のIT技術を代表する存在が〈マルウェアに敗北〉し、〈他国ガーディアンから救助された〉ことに、ヒステリック気味に反応していた。
不要論すら巻き起こる加熱ぶりだが、それには敗北以外にも理由がある。
『運用方針通りにやっているんだから、カグヤは悪くないよ』
「……」
多少のトラブルであれば、カグヤは一般ユーザーに姿を見せずとも解決できる。〈電脳上の治安維持者として、無暗に市民を刺激しない〉という電脳庁の運用方針に従い、カグヤは稼働からずっと、数多のトラブルに対処してきた(活動状況報告書に数字のみ記載)。これが、今回は脚を引っ張っている。
普段の貢献が見えていなかったことで〈働いていない上に、役に立たないソフト〉という不名誉な印象が生まれ、そこに結び付けて、少なくない維持費用を問題視したカグヤ不要論が持ち上がってしまった。
『一部の人が言っているだけだから、気にしないで。ほら、「カグヤちゃんはがんばってる」って意見もある』
「慰めは不要です。問題があると評価しているのは、発言内容ではありませんし」
冷めた顔でメッセージを払い除け、カグヤは高度を下げた。ビルの大型ビジョンほどの高さから、往来の人々に向け目を細める。内容でないのなら、と、アドミンは聞いた。
『発言者に問題があった?』
「はい。今まで以上に外の勢力が多いです。世論誘導を強化している可能性があります」
『それは嫌な傾向だね。近いうちに何かイベントがあるのかも。ここに来たのはその関係?』
「厳密に言えば違います。朧のフォローです。公安案件でしょうから」
カグヤの視線がビルの入口を向いた。注視しているのは一階のカフェ(の通信販売用電脳店舗)付近にいる、五人の一般I・Eユーザーの男女。カフェで販売されているコーヒー豆を選んだり、地下鉄入口の壁に寄りかかってバーチャルコンソールを操作していたり。五人一まとめにしようと思わないほど、ばらばらに行動している。
一見ではただの市民にしか見えないが、実際は五人とも公安の覆面捜査員だった。
『来てたんだ、公安。良く気が付いたね。朧から捜査状況でももらったの?』
「これくらい、見ればわかります。動きが普通じゃないですし、会話や通信内容も状況とのミスマッチが目立つ。すぐに分析できることです」
数千人のアバター挙動から不自然な動作を見抜くことも、会話等にまぎれる暗号(プログラムとしてではなく、本来の意味での)を解析することも、人間技ではない。マルウェアや不正検知のためカグヤが鍛え上げた、異常分析モデルの為せる技。
『公安が擬装してるってことは、相手は優秀なクラッカーだね』
「人間としては、ですね」
『手厳しい』
公安が擬装しているのは、監視対象からの検知を防ぐため。サーバー内には他にも、検知されにくい距離を保って、同じく五名、黒サングラス・スーツ姿の公安アカウントのアバターが潜伏。擬装側と暗号で会話・通信して情報共有している。
距離を取っているアカウントは公安権限の秘匿(幹部警察以下では検知・干渉不可)に加えて、独自開発した隠密・擬装プログラムを使っているが、カグヤは認識・監視していた。一方で公安側は、カグヤの存在を検知できていない。
「ん」
カグヤが地下鉄入口を見た。入口の影に、忍者装束の少女〈型〉人工知能〈朧〉が見える。カグヤに近い権限を持つため、朧もまた、仲間である公安に検知されていない。布で隠れた口元が微かに動いた。
「動くのね、朧。アドミン、応援依頼は来てませんよね?」
『カグヤの判断でフォローに入って良いよ』
アドミンのメッセージに、カグヤは目をパチパチと瞬きさせる。
「良いんですか? 苦情来ますよ」
『構わないよ。怒られて書類書いて、頭を下げるだけだから』
「評価悪化と減給もあるの、忘れないでくださいね」
介入の準備を進めるうちに朧は姿を消し、一般ユーザー擬装の公安が各々、交差点の真ん中へと進む。行く先は往来があるばかりだが、最初に到達したラフな服装をした公安の男が〈肩に〉手を置いた。
素早く残りの公安が周囲を取り囲み、頭上に金色の桜の代紋(警察のエンブレム)が浮かぶ。周囲に注意を促す音声が流れた。
「〈当エリアは隔離されました。ただちに距離を取り、切断の準備を~~〉」
代紋から円柱状に半透明の隔離エリアが設定され、近くにいた市民が押し出される。驚いた市民の少しの悲鳴と事件を珍しがる声で、シブヤサーバーが騒めいた。
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