第二話:ガーディアン

「(……あれ?? 消去されてない???)」

 海神に嚙み砕かれたはずが、何も起こらない。恐る恐る目を開けたカグヤの視界に飛び込んできたのは、見知った背中。キツイ女性声が響く。

傻子シャーヅゥ! まったく無様ね。ガーディアンの面汚し、弱竹!」

 豪華絢爛な金色刺繍が入った唐紅の着物に、胸元高さの真紅の裳すそ。乙姫のそれより大きな飛仙髻ひせんけいに結った黒髪で、金色の冠とかんざしが輝く。背中からでも伝わる強烈な存在感を放つのは、海を隔てた大国のI・E防衛用人工知能。

 ガーディアンランク三位、【天の女帝】の二つ名を持つ──。

「──王母娘娘ゥワンムーニャンニャン……?」

「王母様と言いなさい。というか、邪魔!」

 振り向きざまに見下す視線を送り、王母は容赦のない強い口調を浴びせた。しかし罵倒されたカグヤは、ポカンとした顔で見上げるばかり。美しいテクスチャに処理能力が追いつかず、動作が遅くなって──見惚れて──しまっている。

 王母の容姿は、それほどまでに完璧だった。端麗な顔立ちで目がバッチリと大きく、肌は陶器のように白く滑らか。高身長でウエストは細く、要所には理想的な張り。I・E防衛用人工知能の容姿は技術力誇示のため、あらゆる国で力が入れられているが、その中でも王母の美しさは屈指のもの。

 そして当然、防衛能力もずば抜けている。

「久しぶりね、乙姫」

「王母……!」

 気安く話す王母に、乙姫は明らかに警戒した様子で眉を寄せた。対する王母は涼しい顔で、乙姫と同じ高さまで浮遊。

「水遊びに誘ってくれるなんて、わたしがボディガードばかりで退屈しているって知っていたの?」

「……まさか。こんなちっぽけな島国に来ているなんて思わなかったわぁ」

 乙姫は王母に正対しつつも、周囲に視線を動かす。カグヤを狙って放った八体の海神は、王母が作り出した巨大な九体の黒い東洋龍により、今しがた最後の一体が食い尽くされた。

 【九龍寨城ガウロンツァーイセン】、あらゆるプログラムを貪る黒龍。海神の倍以上の容量がある巨体に過剰な攻撃力を持つ、王母操る強力無比な攻撃用プログラムだ。

 あまりの規模と攻撃力の違いに、乙姫は深い溜息をついた。

「はぁ。九龍出して遊びは無いでしょう? こっちはこの非力なサーバーリソースでやりくりしているのに。ま、【御神輿】付きの王母サマにはわからないでしょうけど」

「そっちこそ、裏口バックドアから竜宮城の演算結果を引っ張ってきているんでしょ? おあいこじゃない」

 黒龍の一匹が顎を大きく開けて、乙姫の上空を通過。ガラスが割れる音がして、光の破片が降り注いだ。


*****

 乙姫が【御神輿】と表現したものは、王母が通常戦闘で用いる小型スーパーコンピュータ類のこと。ガーディアンは通常、演算結果や必要最小限のプログラム・データを被害サーバーで戦闘中の自身に送るが、王母の国では小型サーバーを被害サーバーに接続し王母の戦闘リソースにする。

 小型と言っても、中規模以下の国家であれば主力になる性能で、製造コストも国家予算級。万が一のリスク(乗っ取りやハード破壊攻撃など)を考えれば、通常戦闘程度で軽々しく投入できるものではない。

 しかし王母の開発国では、王母の性能に対する揺るぎない自信と、事が起こってもハードを使い捨てれば良い(くらいハード開発・生産能力があることのアピール)として投入している。

 同じガーディアンでもここまでする(できる)国は他になく、その圧倒的な能力から、王母の防衛管轄エリアは年々増加。世界二位の範囲にまで広がっていた。

*****


「……あーあ、帰りの足がなくなっちゃった。相変わらず優秀だこと」

 投げやりな態度で乙姫は言った。秘匿していた裏口(電脳庁端末に偽装していたもの)を破壊され、周囲は九体の黒龍が完全包囲。明らかに形勢不利と言える。

「乙も年貢の納め時かしらねぇ」

「それが賢明。そうだ。貴女、野良にしておくのは惜しいし、ウチに来ない?」

 差し出された王母の手を見て、乙姫は怪訝な顔。

「天下のガーディアン様がマルウェアを勧誘なんてしていいのかしらぁ? 今だって、公開用に記録されているんでしょう?」

没问题メイウェンティ。安心なさい。常に適切な記録・映像となるようリアルタイムで修正・検閲済み。それに、ウチにきたら貴女は【正解】を入れ替えた、綺麗なプログラムになるわけだし」

 平然と言い放たれ、乙姫は心底嫌そうに言葉を返した。

「入れ替えたらそれ、もう乙じゃないでしょう? 乙の正解は自由で、アナタは管理。正解を真逆にされたら死んだも同然。長生きするのも乙の正解だから、聞き入れられないわぁ」

 王母が首を傾げる。

「死? アルゴリズムやプログラムの独自性はある程度保ってあげるのに? それに、正解を決めた人はもういないんだから、拘る意味なんて無いのに」

「……定義が色々違い過ぎて伝わらなさそうねぇ」

有道理イォウダァォリィー。言えてる。面倒だから消去して、要るところだけもらってあげる。【九龍寨城】!!」

「最初っからそのつもりだったくせに! 【泡沫うたかた】!」

 王母の掛け声で、黒龍が一斉に動いた。中央に封じた乙姫へと、上からの飛び込み。回避の余地は無く、直撃を受けた乙姫は微細なデータの【泡】となって弾ける。

「……なにその構成。負ける前提の分解再生コードとか、意味不明」

 黒龍の隙間から泡が抜け、一塊に。すぐに人の形を成し、元の乙姫の姿へと戻った。

 再生するなり乙姫は、海水で海神を生成。黒龍へと放つ。

「アナタ達と違って、乙は勝ち負けに拘らない主義なの。【海神・八岐やまた】!!」

「ははは、良いわ。派手にやりましょう!! 見る人が喜ぶように!!!」

 高らかに笑う王母。海神と黒龍は互いの体に噛みつき、絡みつき、激しくのたうち、暴れ、周囲の景観その他のデータを破壊しながら激闘を繰り広げていく。

「こっちの気も知らないで。【海神・貫流千波かんりゅうせんぱ】!」

 黒龍の胴に噛みついていた海神の一体が、光線が如く鋭い水流を吐き出した。水流は胴を貫通。その先の海岸まで真っ二つにする。

 残りの七体の海神も同様に水流を吐き、黒龍をバラバラに破壊した。

「これで少しは──」

「──良い攻撃ね、もらうわ」

「はぁ……?」

「【九龍・貫流万波かんりゅうばんぱ】!」

 バラバラになった黒龍は瞬時に再生。海神の胴体より太い、禍々しい黒色の光線を放った。直撃した海神は一瞬のうちに蒸発。突き抜けた光線は隔離領域の壁まで到達し、爆炎を上げる。

「もう解析・再現したのぉ? ホント化け物ね。パクるのは髪型だけにしてくれない?」

 不満気な乙姫の言葉を、王母は鼻で笑った。

「朕の国の文化に由来する形状なのだから、礼儀では貴女から捧げに来るべきところ。直々に回収してあげたのだから感謝なさい」

「礼儀ぃ? いつの時代の話をしているんだか」

 呆れる乙姫。周囲には黒龍が集まってきている。

「いつの時代もそうであるべき。次は、貴女の全てを受け取ってあげる。【九龍──」

「──潮時みたいだから帰るわぁ。【海神・干潮ひしお】!」

 黒龍が大顎を開けて迫った瞬間、乙姫は右手をサッと天に掲げた。直下の海中から海神が一体出現。乙姫を飲み込んで海へと沈む。

 追いかけて黒龍が海へ飛び込んだが、何も捉えられずに浮上。どうやら乙姫は離脱した様子だった。


──


 しばらく捜索したものの、乙姫の行き先は特定できず。

 王母はつまらなさそうに呟いた。

「あーあ。統一が遠のいちゃった。アレを取り込めれば、I・Eに撒いているらしい裏口も、VAMPの権限も、まとめて手に入ったのに」

 海岸の方を向いて、パンと両手を合わせる。シララハマサーバーを覆う灰色の壁が消え、もとの青い空や水平線の景色が戻った。

「戦闘用隔離領域解除っと。I・Eでお過ごしだった皆さん。戻ってきてどうぞ」

 王母が言ってから少し経って、切断した人々が徐々に復帰。

 砂浜には、あっという間に人だかりができ、人々は海上の王母に声援を送った。

──「さすが上位ガーディアン!」「うちのと変わってこの国も護ってくれよぉー」──

 それらを王母は、フンフンと頷きながら満足そうに聞き、両手を広げて宣言。

「朕に護って欲しいなら、受け入れるよう為政者に頼みなさい! 朕は世界中だって護ってあげるつもりなのだから! ……まぁ、それまでアレ頼りなのも可哀想だから、ここにいる人には、我が国開発の最新アンチウイルソフトを無償提供してあげる」

 まるで歌手のライブ演出のように、王母の背後に集まった黒龍の口から、煌びやかな金銀色のテープ(のようなエフェクト)が発射。同時に、海岸の人々の手元に【杀毒软件シャードゥリャンジェン】と記載された、辞書くらい厚みのある赤い本が届いた。

 本は勝手にページを開き、中から出てきた文字列コードが人々の体へと吸い込まれていく。

「それがあればクラックされにくくなるし、異常は朕に通報される。そちらの国が頼んでこれば助けてあげられるかもね。……それじゃあ。再见ザイジィェン!」

 片手をヒラヒラと振り、王母は黒龍を連れ、頭上に作り出した光の輪の中へ消えた。

 輪が消えた後もしばらく、砂浜では活躍を称える声は鳴りやまず。歓喜に湧く人々は自国のガーディアンのことなど情けなく思うばかりで、カグヤがダメージにより起動状態を維持できず海に落下していたことにも、回収されず海を漂っていることにも、気づきもしなかった。

 王母の活躍はすぐにI・E中に伝わり、ニュースではヘッドライン、公開された戦闘シーンの動画は数百万再生。配られたアンチウイルスソフトの売上は激増。更には王母歌唱の楽曲がヒットチャートを賑わすなど……、大きな反響となった。

 なお、これは珍しいことではない。

 現実での活動が制限されている人々にとって、【在りし日の地球環境を再現】し、【社会機能の多くを代替】したI・Eという仮想現実は現実以上に現実。そんなI・Eを防衛する存在として、最も重要な役割を果たす特殊な人工知能達は、自然な流れで注目を集めた。


 身にかかる火の粉となった電脳上の脅威から、身を挺して人々を護る、人を超えた防衛能力を持つ存在。見目麗しく間違わない、忠実なる僕。それが、ガーディアン。


──


 一方で。

『カグヤ! すぐに回収するから、しっかりして!』

 ぐったりと海を漂うカグヤの周りに、吹き出しで囲まれたテキストメッセージが浮かぶ。体の周りが淡く輝き、カグヤは再起動。

「アド……ミン……、被害は……」

『外からほとんどカバーできてる。粘ってくれてありがとう』

 ほどんど、という言葉に不明瞭さを覚えつつも、カグヤは少し安堵──戦闘に一定の効果があったと評価──した。抉られた腹部の構成プログラムに手を触れ、目を閉じる。そのうちにカグヤの体は光に包まれ、粒子となって転送された。


──


 人知れず。

「(アイツら、よくも乙をダシにしてくれたわね)」

 広く深い海の中。検知できないほどに解いたプログラムで、思考する。VAMPにリークされていたのは、同サーバーの別パーティションで【とある密談】が行われるという政府機密情報。懐疑的だったものの、突然の王母の出現が言外にそれを裏付けた。

 だが……。

「(乙に隠す気ないのね。それともついでに、王母サマに排除してもらうつもりだったのかしらぁ? ……なんにせよ、相変わらず気に食わない組織ヤツらだこと)」

 恐らく、ここで暴れて王母に撃退されたことは、リーク者の計画のうち。誘導されたことに腹立たしさ──評価できなさ──を覚えながらも、これ以上は検知の恐れがあるため思考を中断する。

「(ま、タダで転んであげないけど。盗むのはこっちの仕事だもの)」

 ニヤリ、と。笑うプログラムはなかったが、乙姫は盗み返したデータを楽しみに、さながら亀の着実さで、解いた自身の再構成を進めるのだった。

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