番外:存在しないはずの街(1)

 正直に言えば、意外な光景だった。

 カタカタあるいはパチパチと心地の良い打鍵音でラップトップPCを操る、十数人の若い男女。ごうごうとファンを動かし、熱を排する大小様々なサーバー機器。PCの型が古かったり、サーバーが無数のジャンクパーツのキメラだったりはしたものの、パッと見はベンチャー級IT企業のオフィスだと言えなくもない。

「驚いたか?」

『失礼ながら、とても』

「そりゃ気分がいい。オレ達にもチカラがついてきたって実感が湧く」

 時計型の携帯端末で翻訳して会話。素直な感想をホログラムにして見せると、ラフな薄茶色更紗を着た日焼け男は僅かに口角を上げた。偏見に怒らずむしろ喜んで見せたのは、それだけあり得ないことを成し遂げているという自負からだろう。

「〈タロウサン〉には、ここの立ち上げでずいぶん世話になった。できれば、もう一度会って近況報告したかったが……」

 男は胸ポケットに忍ばせた小箱から煙草を一本取り出して咥えた。ライターで火をつけた瞬間に、煙草はひょいと、近寄ってきた女性に取り上げられてしまう。

「リオ。ここじゃ吸わない約束でしょ?」

「あ、あぁ。そうだった。健康に悪いもんな」

 女性は取り上げた煙草を手近なマグカップに突っ込んで消火(後にわかったが男の飲み物だったらしい)。おんぶ紐で背負った眠る幼子を気にしながら、紫色更紗のスカートを靡かせデスクに戻った。

「すまない。つい最近決まったことで、くせでやって怒られてる。オレ達が健康を気にしたところで──」

 男は表情に影を落としたが、わかりやすく明るい顔を作って話題を変えた。

「──って、そんな話をしてるんじゃないな。タロウサンの話を聞きたいんだっけ?」

『はい。どんなことでも良いので教えていただければと』

「わかった。わかったが、オレからも一つ頼んで良いか? 最近、I・Eの仕様が大幅に変わったろ? それでどうしても解決できないことがあって~~」

 情報の交換条件として、男はI・Eイミテーション・アースの仕様変更に関する技術的な解説を求めてきた。求められる情報の中には非合法な目的を想像させるものもあったが……、機密保持や不正アクセスに関する法律に違反しない範囲で回答。男はこちらの事情を汲んでくれ、回答を渋った時は深く聞くことをしなかった。


『~~以上です。詳しくて驚きました』

「まぁ、時々入って……。すまん、忘れてくれ」

 解説(や作業)に要した時間は半日ほど。男はたったそれだけの時間で、年単位で準備されていた仕様変更について理解、実際にいくつかのプログラムを修正した。

 さすが、兄が見込んだだけはある。

「あ、もうこんな時間か。泊っていくか?」

『いえ、ご迷惑はおかけできませんので』

 窓の外は薄暗くなっていた。雲に隠れた陽が、傾き始めているのだろう。コンピュータに囲まれていると、この地域がどういう場所か忘れてしまう。


 ここは、国際組織どころか自国からも認知されていない〈存在しない〉街。居住困難領域に指定され、人が離れた〈はずの〉街。この地下室付き二階建てオフィス(元は建設会社の仮設事務所)を除けばまともな建物は一戸たりとも存在せず、周囲は見渡す限り、有り合わせの建材(ですらない端材)で作られたバラックだらけ。

 近隣エリアを縄張りにする屈強な現地ガイドして、『いくら金を積まれても入らない』と言わしめるほどの危険地域。


「よし、送ろう。暗いと野犬が出て危ない。今日はオレの要求ばかりですまなかった。明日はアンタのために使う。迎えは同じ時間で良いか?」

『はい。お願いします』

「そうかしこまらなくて良いよ。アンタはもう仲間だ。オレはリオ。そっちは?」

『アドミン、と呼んでもらえれば』

「タロウサンといい、秘密主義なんだな。わかったよ。よろしく」

 軽く握手してから、男は手際良く出かける支度を始めた。デスクの引き出しから黒色の小型ナイフ(アーチ形状で獣爪のような短い刃、握り側に指を通せるリングがある)を取り出して、刃を折りたたんでからズボンのポケットへ。

「陽が出てるうちなら、一人で歩いても大丈夫だ。オレと一緒に歩いてるとこ、街のみんなが見てるから。だが夜は犬がうろつくし、外から入り込んでくるロクでもないヤツらが多くて危ない」

 なるほど、と。治安組織がない街のルールに手を打ちつつオフィスを出る。玄関口に向かうとちょうど悪いことに、外からバタバタと激しい雨音。灰色の雲から落ちる、熱帯雨林気候らしい猛烈なスコールだった。

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