電脳妖精御伽噺(サイバーフェアリー・フェアリーテイル)

小鷹 纏

第一話:イミテーション・アース

 電脳世界に生きる、人ならざる存在〈電脳妖精サイバーフェアリー〉。情報処理能力は人智を越え、彼女らの振舞いはもはや、人には想定外きまぐれにすら映る。人類史五百万年の先に生まれた、ヒトの分化。


 これは、そんな電脳妖精が生まれる少し前のお話。


────


 透き通るような青い海と、どこまでも澄んだ空。弓なりに伸びる白く美しい砂浜を輝かせる、眩しい太陽。夏の休暇シーズン真っ只中の〈シララハマビーチ〉は、国内屈指の観光エリアであることを如実に示す大盛況。海水浴客による輻輳こんざつは相当なもので、砂浜へと降りるための堤防上にまで人だかりができていた。

「何回リクエストさせる気だ?! もう五分以上待ってるぞ!?」

 不機嫌さをにじませる男の声。短パンにアロハシャツ姿の瘦せぎす男が、堤防上と砂浜を繋ぐ階段に張られた規制線を恨めしそうに睨んだ。同じような人は大勢おり、いたるところで苦情の声が上がっていた。

 しかし、いくら不満を言っても規制線が解かれる気配はない。それからさらに五分ほどが経過したが、砂浜に入れたのは十数人程度。年齢はまちまちだが、皆、肌つやが良く身繕いがされていた。

 先の見えない待機時間と後回しにされる感覚から、先の男はついに我慢の限界をむかえ、口を尖らせる。

「これなら〈VAMPヴァンプ〉ネットの方がマシだ! あそこならもっと過激な──」

 いやらしい視線を水着姿の女性客に向け、他人に聞こえない設定でぼやく。すると突然、耳元で女の声がした。


「──ご指名いただき、誠にありがとうございまぁす。ご要望の通り、〈I・Eイミテーション・アース〉では体験できない、刺激たっぷりのコンテンツをご提供いたしましょう♪」


 可憐ながら妖艶。蕩けるような甘い囁きが鼓膜を揺らす。男が声の主へ視線を向けると、白い細腕が差し出された。

「VAMP竜宮サーバーを司る〈おと〉にございます。どうぞ、お手をこちらに」

 絹のように艶やかな黒い長髪が頭頂付近で二つ円に束ねられ(飛仙髻ひせんけい)、端正な顔立ちに愛らしい微笑みが浮かぶ。繊細な作りの淡い紫色の着物に、腰高さの水色のすそ。肩から背には、たゆたう風をそのまま形にしたような被はくがたなびく。

 天女の如き出で立ちをした妙齢の淑女が、甘えた丸目で誘う眼差しを向けていた。

「お、乙姫……!?」

 現実離れした美しさと、容量度外視の最上級織地テクスチャ。男は考えるよりも先に、このソフトウェアが何者なのか理解した。

*****

 名を乙姫。クラスター型仮想現実ネットワークI・Eの全領域エリアで、特定マルウェアとして国際脅威指定される自律型人工知能。超高度な学習機能を有し、管理者を持たずしてI・Eへの不正侵入及び攻撃、電子通貨やNFT(非代替性トークン)商品の詐取・奪取、マルウェア拡散など、ネットワーク上のあらゆる犯罪行為をこなす。

 また、I・Eと思想が異なる匿名ダークネットワーク〈VAMP〉を運営・管理しており、プログラムとしても体制システムとしても非常に危険な存在として、国や市民に認知されていた。

*****

「だ、誰か! VAMPが出たぞ!!」

 男は声を荒げたが、周りの人々は呆けた顔。それぞれどこかを見て、口をぽっかり開けている。それもそのはず、この堤防上──〈シララハマビーチ〉入場待機サーバー──はすでに、乙姫により乗っ取られていた。

「宣伝してくださるなんて、お優しい。ですが、皆様にはご案内済みでございます」

「通報は……、できない?! アンチウイルスソフトも停止?! こうなったら、ログアウトするしか──」

 手元に半透明のバーチャルコンソールを表示、通報操作をしたが、不通。それならと、スタンガン型のアンチウイルスソフトを出すが、起動せず。いよいよ打つ手がなくなった男は、サーバーからの切断を試みた。

「──お支払いはお済みですのに、帰ってしまうのですかぁ?」

「えっ……?」

 袖で口元を隠して、ケラケラと乙姫が笑う。男は焦ってバーチャルコンソールで銀行にアクセス。預金情報を調べた。

「??? 何も変わってない???」

 内容に不審な点は無し。預金額にも変化はない。不思議に思って乙姫を見る。

「……はぁ。マルウェアの目の前で堂々と。アナタ様、閲覧なさっている接続先がホンモノだとお思いですか? あるいは、今の入力情報が監視を受けていないとでも?」

「!」

「乙が申し上げるのは差し出がましいですが、セキュリティ意識が欠如していらっしゃるようですね。人間様のその脆弱性、早めにご修正された方がよろしいでしょう」

「あ、あ……」

 男は顔をみるみる青くした。送金を示すアニメーションが再生され、バーチャルコンソールから次々と金貨が飛び出し、乙姫の袖の下に吸い込まれていく。連動して預金額が激減した。

「ま、たとえ銀行であろうと、乙なら余裕でクラッキングできますが。何にせよ、ご利用、誠にありがとうございます♪」

 隠しきれないほど笑みを零し、乙姫は軽やかに空へと浮かび上がる。

「お、俺の金! 返してくれ!!」

「ご安心ください。初回サービスとして、預金の半分しかいただいておりません」

「は、半分も??? あんまりだ、そんな……!!」

 男は目に涙を浮かべて乙姫に縋りつこうとしたが、その手はすり抜け触れることすらできなかった。I・E内全てのデータにあるはずの、接触判定がなくなっていた。


「はーい、皆様。大変お待たせいたしましたぁ」

 見上げるほどの高さで、乙姫は両手をひと打ち。待機サーバーに施していた秘匿化工作(映像偽装・消音等)を解除する。

──〈「助けて! お金を盗まれたの!」「金返せ!」「ガーディアンは何をやってるんだ!?」〉──

 途端に飛び交う悲鳴や怒号。それをどこ吹く風で聞き流し、堤防と砂浜を隔てる見えない壁に右手を触れる。

「テクスチャの出来だけは良い観光地なのに、貧弱なリソースねぇ。ええと、セキュリティスコアの高い人と警官なんかは弾いちゃって……」

 空いている左手で摘まみ捨てる動作をし、砂浜サーバーにいる人の一部を強制的に排除。気が済んだところで右手を押し込む。

「……ガセだったら嫌だし、お土産くらい欲しいわよねぇ」

 壁に無数の亀裂が走り、崩壊。堤防上と砂浜を分けるパーティションが解かれた。突然の出来事に驚く砂浜の人々を見下ろし、乙姫は海上へ浮遊移動。振り返って、控え目な仕草で袖を振る。

「休暇をお楽しみの皆様、ご機嫌よう。竜宮サーバーの乙でございます。本日は皆様を、乙の城へご招待しに参りました」

 浮遊する乙姫おんなの背後に浮かび上がる、亀甲模様の巨大な光の輪。察しの良い人はすぐに切断を試みたが、バーチャルコンソールは操作不能。すでに妨害が走っていた。

「代金はいただいておりますので、安心してご利用くださいまし。I・Eでは味わえない、無修正の快感をお届け致しましょう。さぁ、ゲートをおくぐりになって、ディープでダークなネットワークの世界へ♪」

 光の輪は中央から左右に開き、生暖かい風を吹き出した。竜宮サーバーへと繋がる道が開かれ、奥から真っ暗闇がのぞく。

「何を遠慮しているのです? はやくこちらへどうぞ」

 セキュリティ意識の差こそあれ、さすがに自ら飛び込むものはいない。しかし乙姫の手招きに合わせて、砂浜と堤防にいる人々の仮想空間用分身体アバターが、糸に引かれるように手繰り寄せられた。乙姫が仕掛けた、竜宮サーバーへの強制的な転送リダイレクトによる。

 輪の先で待つのは、無分別・無秩序のダークネットワーク。多少視認しづらく(できなく)された転送スクリプト程度を察知できない一般ユーザーが、被害を受けずに過ごせる場所ではない。

「……認識した時には、マルウェアの仕事は終わっているもの」

 目を細めて、乙姫は静かに言う。阿鼻叫喚の人々を捕らえる不可視の蜘蛛糸は、転送作業を進めながら同時並行で、捕まえた端末へマルウェアを送り込んだ。強制シャットダウン等で強引に逃げた人からは、無理な切断により残った端末情報を回収。

 鮮やかな手際。現時点で、盗み出された金額は数千万~億ほどに。このまま転送される人まで出れば、被害は計り知れないものになる。


 紛れもない犯罪行為。……で、あるならば。

 秩序あるネットワークとして、それを取り締まる存在も現れる。


「〈I・Eノード隔離〉実行! 〈戦闘用隔離領域エリア〉設定! これより、ガーディアンとして防衛行動に入ります! ユーザーの皆様は規定に従い切断してください!」


 砂浜に響く、凛とした少女の声。瞬時に、上空と目視範囲遠くの四方に灰色の壁が出現した。マルウェアを包囲する隔離領域を作り出したのは、堤防上空に現れた小柄な武者。漆黒の大鎧と兜に、夜叉のごとく厳めしい面頬めんぼお。兜正面の弓を寝かせたような金色飾りが、夜闇に輝く三日月を思わせる。

「攻撃用プログラム〈蓬莱玉枝ノ太刀ほうらいぎょくしのたちシルバー〉起動!!」

 武者は腰にく太刀を勇ましく抜き、眼下に向けて二、三回と振るった。

「今なら安全に切断できます! 切断後は必ず診断を受けてください!」

 乙姫に手繰り寄せられていた人々が止まり、自由が戻る。銀色に輝く太刀筋は試し振りのようでいて、コードを断ち切る斬撃を飛ばして転送スクリプトを無力化。

 端末コントロールを取り戻した人々は次々と切断し、一人また一人と、その場から消えていく。

「次はあれを……! 〈蓬莱玉枝ノ弓・ゴールド〉!」

 太刀を納めて鞘ごと消し、金色の弓と白銀の矢を生成。矢を番えて引き絞る様を見て、乙姫は数歩分ほど光の輪から離れた。

「……猛々しいわねぇ」

 目を細めて両手をひと打ち、輪が閉じられる。その瞬間に白銀の矢は乙姫の顔の横を通過。スパークを放ち、輪を跡形もなく消滅させた。

「乙姫! 今日こそアンタを消去する!」

「言ってくれるわぁ。これはどうかしら? 〈下降海流ダウンカレント〉~!」

 二射目を構える武者に対し、乙姫は余裕の笑みをみせる。ゆるゆるとした言葉と共に、海から腕ほどの細さの紐状の海水を生成。軟体生物の触手のごとく動かして切断途中の人々に巻き付け、処理を停止。海へと引き寄せた。

「させない! 攻撃用アルゴリズム〈玉刺突ぎょくしとつ枝垂桜しだれざくら〉!!」

 武者は弓を消し太刀を右手に。逆手にして左手を添え、地に突き刺すような動作で剣先を下ろす。刀身は弾けるように枝分かれ、落雷の如き激しさで海水の触手を貫通し破壊。拘束は解け、今度こそ人々は切断。ついさっきまで人でごった返していた砂浜は無人となった。


「あーあ、逃げられちゃった。さすが、高名なエンジニア連中に無理難題ふっかけて作らせただけはあるわねぇ。乙もそういうの欲しいわぁ」

 乙姫は残念そうにしながらも、右手に上げて海水を集めた。人の何倍かまで大きくなったそれを、軽々とした動作で武者へと放り投げる。

「こんな攻撃、通用すると思ってんの?!」

 迫りくる水の塊を、武者は左手一振りで粉砕。籠手には傷一つない。しかし乙姫は面白そうに笑った。

「まさか。堅ったいものね、それ。だけどそんな高負荷プログラム、戦闘補助もなしに動かせると本当に思っているの?」

「……ッ!」

「言葉も出ないなんて図星? それとも処理落ちだったりして。せっかく高性能なのにリソースを渋られるなんてかわいそう」

 哀れむ態度で言葉を放ち、乙姫は海上に降りる。そして滑らかに、素早く、自在に、水しぶきを上げて海上を移動。武者はそれを目と首を動かして追うが、明らかに遅れていた。

「ほうら、言ったでしょう?」

「……こんなもの!」

 武者が唇を噛んだ。兜の緒を緩めて外し、鎧・面頬も同様に解除。若竹色の直垂に籠手・脇楯だけを装着した小具足姿に変わる。

「うんうん。可愛い顔が見える方が、人間様も悦んでくれるわよぉ。〈カグヤ〉ちゃん」

 露わになった素顔を見て、乙姫はニヤリと満足そうにした。武者の顔立ちは、少しあどけなさこそあるものの、可憐な少女のそれ。ハッキリとした黒のややツリ目に、朱色の紐で品良く下げ髪に束ねられた黒髪。若干細身の体躯ながら、立ち居は鋭く威勢が良い。

 十五~十八の年頃の姿ながら、この少女──〈カグヤ〉──は、国家最高性能のスーパーコンピュータ〈心月〉で運用されるI・E防衛用人工知能。非常に高い自己学習・判断能力を持ち、I・E加盟国内での格付けは二十位。ガーディアンと呼ばれる特別な地位と役割を担っている。しかし。

「竹に油で素敵ねぇ。乙にそっくり──」

「──無駄話をする気はない!」

「おてんばなお姫さまねぇ……!」

 防御プログラムのほとんどを停止させ、戦闘アルゴリズムや確保しているサーバーリソースへの負荷を下げたことで、カグヤの処理速度は急激に上昇。動きから硬さがなくなり、空を駆けた。一息に距離を詰め、乙姫の首を狙って太刀を振るう。

「わぁ、あぶなぁい」

「……ッ! 6:4でこっちがリソース握ってるのに、なんでそんな戦闘演算が……!」

「無い袖をアルゴリズムとモデルで工夫するのが、人工知能わたしたちでしょう?」

「それを動かすにもリソースが要るでしょ!!」

 乙姫の動きはさながら、風に靡く柳。揺らめいて刃をかわした。しばらく攻防は続いたものの、結局攻撃は一度も命中せず。カグヤの太刀筋は完全に予測(よ)まれていた。

*****

 I・E防衛には、いくつかの段階がある。第一段階は、侵入前の阻止。I・Eは認証制であり、未許可端末からの接続やデータ送信が禁止されている。この段階での阻止が理想だが、今回は失敗。侵入され、乙姫というマルウェアを構成する巨大データの送信を許してしまった。

 第二段階は、隔離。被害を受けたノード(I・Eを構成するクラスターサーバー)のI・Eネットワークからの通信隔離及び、攻撃プログラムの隔離領域への封じ込め。送信されたマルウェア等が他のI・EやI・E外と通信するのを防ぎつつ、サーバー内の別領域に被害が及ばないようにする。端末操作による攻撃であれば隔離時点でほとんど無力化でき、自律型マルウェアであっても弱体化(データ送信中断による構成データ完成防止・管理者等の戦闘補助阻止等)を狙える。乙姫はサーバー内のカグヤと一対一の状況のため、こちらには成功したように見える。

 ※隔離領域には副次的機能として、データ送信やプログラム動作を遅延させる効果がある。人間の肉眼で状況把握・処置を可能にするためだが、実際はそれでもカグヤ達人工知能の方が圧倒的に速い。

 そして第三段階は、直接戦闘。攻撃者及びマルウェアを無力化もしくは消去する。隔離により防衛側もデータ送受信に制約が発生するため、戦闘は人工知能にほぼ委ねられる。隔離領域のリソース奪い合いに始まり、攻撃・防御プログラムの使用及びリアルタイムでの解析など、攻防は多岐に渡る。

 防衛の成否は、攻防両者の構成データの状態、プログラム使用・行動を選択する戦闘用アルゴリズム・モデルの完成度、そして、管理者等の戦闘補助で決まってくる。

*****

「どうして当たんないの??!!」

 もどかしい状況に過負荷いらだち、カグヤは太刀筋を荒くした。それが可笑しくて、乙姫はお腹を抱えて笑った。

「あははっ! ちょっと答えがでないからって、天下のガーディアン様がそんな短気で良いのぉ? ……って、仕方ないか。万年二十位〈弱竹なよたけ〉のカグヤちゃんだものね」

「二十位になってから、まだ五年と十三日!! ワタシは弱くない、軽量化が足りないならっ!」

 煽られたカグヤは、籠手と脇楯まで消して直垂のみの軽装に。防御プログラムを完全に捨て負荷を下げた分、太刀や体捌きは瞬きの速度に達した。

「そこまで捨て身だと、避けるだけじゃ分が悪いわねぇ。……と、言うことで。お願いね、〈海神わたつみ〉!」

「!」

 嫌な気配を感じ取りバックステップ。カグヤの眼前に、竜巻のように渦巻く太い海水の柱が立ち上がった。柱は高く伸びていくうちに先端を東洋龍の形に変え、見下ろし。大きく吠えて威圧してくる。

「水系オブジェクトは改竄し易くて好きよぉ」

「?! I・E改竄をこうも易々と……! だけど、今のワタシなら──」

「──倒せる、とか? 試してみましょうか。やっちゃえ〈海神〉~!」

 いつの間にか遠い海上まで離れていた乙姫が、右手を上から下に動かした。連動して海神は口を大きく開き、牙を剥いて飛び込んでくる。

「遅い!」

 嚙みつかれる寸前の超至近距離で、カグヤは空中を蹴り僅かに横移動。同時に右手で太刀を振り抜く。

「こんな脆いプログラム!!」

 体のすぐ横を通り過ぎた海神は、頭から尻尾まで真っ二つに。海神が崩れ海水に戻るのを待たず、カグヤは勢いのまま乙姫へと急速接近し斬りかかった。

「これで終わりっ! 〈月輪がちりん〉!!」

 反応できていないのか、防御姿勢はとられていない。回転しながら横薙ぎに振るった太刀が首に迫ったところで、乙姫の視線がカグヤに向いた。

「……こんな短絡的な予測で済ませるしかないなんて、ホントカワイソウねぇ、カグヤちゃん」

「なっ……!」

 鈍い金属音。太刀がピタリと止まった。刃が進まない。見えない何かに阻まれている。カグヤの表情がこわばった。

「秘匿された防御プログラム?? ワタシの攻撃を防ぎながら、最適なタイミングで?? まさか本当にリソース差を覆して──」

「──素直過ぎるわぁ。乙とカグヤちゃんの性能は互角。ズルするに決まってるでしょう? ガーディアン相手に無策で隔離領域に捕まるなんて、ね?」

 口角を上げた乙姫を見て、カグヤは通信ログを分析。少し経って不審な動きを発見した。電脳庁端末から、身に覚えのない通信が行われた形跡が数回。

電脳庁うちからの通信? 頼んでないのに?? ……ッ! 裏口バックドア?!」

「やっと気づいたのぉ?」

 I・Eノード隔離を実行する際、カグヤは自身に有利なよう、特定対象のみを通信可能とする設定をした。電脳庁端末はそのうちの一つだったのだが、乙姫はそれを見抜いた上、対象端末の一つをどういうわけか操って、外部との通信の踏み台に。戦闘補助データの送受信を行っていた。

「なんでウチの端末にアンタの裏口が……って、今はそうじゃない! 〈五月雨〉ッ!」

 一度太刀を離し、あらゆる角度から何度も振り下ろす。しかし、上下左右どの方向の斬撃も、見えない防御プログラムに阻まれてしまう。乙姫は溜息をついた。

「はぁ。攻撃は当てられない、戦況分析できず仕掛けに気づけない、裏口を先に壊す判断もできない。……〈心月〉を使わせてもらえないとなると、仕方ないんでしょうけど。〈竜宮城〉、貸してあげてもよくてよ?」

「誰が、マルウェアの根城なんかっ!」

 何もしていないようで、乙姫は斬撃の都度、ピンポイントに防御プログラムを使用している。これはカグヤが最初に疑ったように、乙姫が掌握しているこのサーバーのリソースだけでは不可能なこと。

 不可視(検知妨害)かつ攻撃を確実に防ぐ防御プログラムを用意したり、カグヤのアルゴリズムが選ぶ攻撃を予測したりするには、膨大な戦闘演算を行うリソース(ハードパワー)が必要になる。それを乙姫は、竜宮城なる本体で演算、裏口を使った通信で結果を取得することで実現していた。

*****

 強力なハードに戦闘補助(演算)させる戦法は本来、ガーディアン側の常套手段。普通、マルウェアはそれほどまでに強力なハードを持たず、対するガーディアンは強力なハードを使えるからこそガーディアンであるためだ。

*****

「このままじゃ……! 『グループ長! 心月開放を要求します! 電脳庁端末に裏口があり、戦況が悪化して──』」

「──あら。応えるのか待ってみるのも楽しそうだけど……。〈そろそろ〉だから終わりにしようかしらぁ。〈海神〉!」

 戦闘補助を求めるカグヤを横目に、乙姫は斬撃からスルリと抜け出て、右手をゆっくりと右から左へ。カグヤは動きこそ視認していたものの、狙いを見抜くより早く、脇腹に強い衝撃を受けることになる。

「うっ、ぐぅ……」

 乙姫の姿が遠のく。衝撃を受けた胴体のプログラムが、小さなキューブとなって崩れている。飛び込んできた海神に噛みつかれ、海中に引きこまれようとしていた。

「このっ、はなせ!」

 表情を歪めながらも、太刀を逆手に海神の頭を突く。牙が緩み、体は空へ。海神が海に潜っていくのが見えた。ダメージは少なくなかったが、身を翻して海面を蹴り、乙姫へと向かう。

「逃がさない!」

「待ってるだけで、逃げてないけどぉ。……〈海神・八岐やまた〉!」

「?!」

 突如として、前後左右全ての視界が海水で埋まった。先の海神が八体に増え、カグヤを完全包囲。これでは乙姫に接近することはおろか、脱出すら難しい。

「こんな、ものっ!」

 果敢に太刀を振り、海神の胴を横一線。しかし無力化には至らず。切断面は即座に修復され、何度斬っても海神にダメージを与えることができない。

「修復に追いつけない……! 『グループ長! 攻撃プログラムが対応していません! 心月での緊急修正を──」

「──あんな組織ヤツらに期待したって無駄よ。……じゃあね、カグヤちゃん」

 包囲の外から、乙姫の声。多分に憐れみを含んだ、そんな声色だった。言われていることは、カグヤも良く理解している。

「(……そんなの。そんなの、知ってる。ワタシの要求で心月が使えたことなんてない。それでもなんとかしてきた、けど──)」

 一斉に動いた八体の海神の牙が頭上に迫る。戦闘記録だけでも保護しようと、カグヤは太刀を納めて体を丸めた。

「(──今回は無理みたい。別のワタシ、後は任せるね)」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る