閑話 真空とジュードの体育祭
体育祭二日目——最終日。
リレーの決勝戦が終わり、光流たちに声をかけたあと、私は一人になってある人物の下へと駆けていった。
「ジュードさーん!」
目的の人物に声をかけると、誰もが目を奪われるような爽やかな笑顔で振り返る。
ルーシーと同じ綺麗な金色の髪がなびいて、青色の瞳が輝き、彼の端正な顔全体が視界に収まる。
「あ、真空! お疲れ様!」
私だと気づくと軽くねぎらいの言葉をかけてくれた。
「こっちこそです。ジュードさんこそ優勝おめでとうございますっ」
「ああ、そのことで声をかけてくれたんだね。でも、光流くんたちのこともあるのに良いの?」
「あっちはあっちでもう声をかけてきたので。一応家でお世話になってる身としても、声をかけておこうかなと」
「律儀な子だね。——でも、嬉しいよ。ありがとう」
どう見ても自然に見える笑顔。
でもどこかで本心では笑っていないような笑顔にも受け取れる。
そんな不気味さとミステリアスさも彼の魅力なのだろう。
実際少し前まで大勢の女子が取り囲み、彼を称えていた。もちろん男子にも声をかけられてはいたが、人数が違った。
生徒会長としても注目され、それ以外の場でも人気を集めるジュードさん。
私はそんな彼に、たまに遊びや食事に誘われる。
「じゃあ、お祝いでもしてくれるのかな?」
ほら、こんな感じに、気軽にだ。
あまりにも自然で裏がないようにも思える誘い。
下心があって私のことを良く思ってくれているからなのか、それとも一緒の家に住んでいて気にかけてくれているからなのか。
正直、今の時点ではどのような理由で誘ってくれているのかわからないけど、私も大抵はその誘いを断らない。
「しょーがないですね〜。でも、こういう大勢がいる場所では言わない方がいいですよ。私が女子たちに殺されちゃいますから」
「はは。そうだね。兄さんのファンも凄かったけど、僕のファンも凄いらしいからね」
笑いながら言っているものの、女性の嫉妬や妬みは本当に恐ろしい。
女の武器を使ってまでどうにかしようとする魂胆は男以上に苛烈だ。
「わかってるなら言わないでくださーい」
「そうだね。真空の言う通りだ。次から気をつけるよ——それで、どこが良いかな? 僕は真空が行きたいところに行ってみたいな」
「言ったそばから…………焼き肉が良いです」
「はははっ! さすがは真空、正直でノリが良いねっ!」
さすがに今の笑いは思いっきり本気の笑いだ。
私との会話ではたまにお腹を抱えて笑ってくれる時がある。私も楽しいことが大好きなので、自分の言葉で笑ってくれるのはとても嬉しい。
そんなジュードさんはいつも一緒に出かけた時には必ずお金を出してくれる。
それはこの家の人なら皆そうなんだろうけど、私はそれに甘えている。
仕送りとして父から毎月お金を送られてくるが、自分の私物を買う時にちょこっとだけ使っている。食費もかからないし家賃もかからないし、ほぼお金がかからないのがこの家での生活だ。
既に返せないほどの恩を受けているが、ルーシーはそうは思っていないらしい。
中学三年生の時、私と友達になったことがルーシーにとっては大きな出来事だった。いや、それは転勤族だった私も同じだ。彼女との出会いがなければ日本に来ることはなかったし、こんなに日本人の友達も増えなかったと思う。
結局、ルーシーも私も互いに感謝して恩を感じているということだ。
いずれあの家は出ようとは思うが、それまでには何かしらの形でできる限りの恩は返したいとは思っている。
そんな事を考えている時だった。
「——あ、会長! ここにいたんですか! まだ仕事が残ってるんですから早く戻って——ん、こちらの方は……」
するとジュードさんの下に駆け足でやってきたのは、赤縁の眼鏡が特徴的な女子生徒。
ストレートな髪は私と少し似ているが長さは私のほうがずっと長い。
「あれ、言ってなかったっけ? 朝比奈真空。ルーシーの友達だよ」
「ああ……妹さんの、ですか」
「こんにちは。朝比奈真空です」
初対面だったので、軽く挨拶をしておいた。
この人、どこかで見たことはある気がするけど、どこだったろうか。
「真空、この子のことは既に知っているかもしれないけど
「竜胆だ。よろしく」
ああ、副会長さんだったか。確か以前、教室までやってきて、光流を呼びにきていた。
彼女は礼儀正しく、お辞儀の角度は直角だった。その真面目さを見るに私とは正反対の性格の人らしい。
「真空はね、うちで一緒に暮らしてるんだ。元々はルーシーと一緒にアメリカで暮らしていてね。その流れでうちでしばらく面倒を見ることになったんだ」
「……………へ?」
ジュードさん。それ言っていいやつじゃないですよね?
副会長のメガネがズレましたよ。
「どど、どいうことですか会長! 一つ屋根の下で血の繋がらない異性と寝食を共にしているとは! 生徒会長ともあろう人がなんてことを……!」
「竜胆、どうしたんだいそんなに動揺して。だから言っただろう? うちで面倒を見ることになったんだって」
「そ、それでもです! まさかお部屋も一緒だったりしませんよね!?」
「何を言ってるのさ。部屋はそれぞれの個室に決まっているだろう。竜胆の考えは飛躍しすぎているよ」
副会長は見るからに動揺し、焦っていた。
そしてジュードさんに詰め寄るその態度を見て、私は確信した。
彼女はジュードさんのことが好きなんだと。
「じゃ、私も自分のところ戻らないとなので! てか、その話他の人にしないでくださいね! 面倒くさいことになりそうなんで!」
「ああ、そうだったね。気をつけるよ。じゃあまたね、真空」
完璧なはずなのに、どこか抜けているところもあるジュードさん。
そういうところもミステリアスさに加え、人を惹きつける魅力の一つになっているのかもしれない。
正直、ジュードさんと副会長は見た目も違えば、性格だって全然違うだろう。
なのに、ずっと副会長としてジュードさんを支えてきたとなれば、それはもう愛や恋に近いことではないだろうか。
いや、いつから一緒に生徒会をしていたなんてことは私は知らない。
だからこの二人がどこまで親密なのかも言えたことじゃない。
ただ、一つ言えるのは、副会長のパーソナルスペース。
あのタイプは、はっきりと人との距離を保つタイプなはずだ。なのにジュードさんに対しては密着しそうなほど近づいて会話をしていた。
それを見てしまえば、副会長が話し出す前にジュードさんのことを好きなことはわかってしまった。
「恋、かあ…………」
ジュードさんたちから離れ、自分のクラスの待機場所へと近づく。
すると、ルーシーと光流くんが楽しそうに会話しているのが見えた。
一方で冬矢と深月ちゃんもそうだ。深月ちゃんの顔はいつも優れないけど、嫌がってはいない。
そして千彩都ちゃんと開渡くんも。この二人は中学一年生の時から付き合い出した幼馴染の関係だと聞いている。
私たち、いつも一緒に過ごしているメンバーの中で一歩遅れているのは、しずはちゃんと私だけ。
いや、しずはちゃんは大っぴらに光流くんのことを好きだと言っている。
正直、その想いは届くとは思えない。だけど、真っ直ぐな気持ちだけは見ていても伝わってくる。私と同じ枠に入れるのは筋違いだろう。
火恋ちゃんだってそうだ。いつの間にか光流くんのことを好きになったりしている。
最初は敵視していたらしいけど、光流くんの女たらしパワーでいつの間にか懐柔されたらしい。
「私も恋したいな〜」
昔から恋愛漫画はたくさん読んできた。
いつか私も……なんて思うが、転校ばかりでそんな余裕もなかったし、アメリカ生活も長い。
あっちではカッコいい人もいたけど、なんだか私の肌に合わない感じがした。まあ、いつか日本に戻りたいとも思っていたから、そこで付き合うのも申し訳ないと思っていたりもした。
人は、いつ恋をして、いつそれに気づくのだろう。
皆から注目されるジュードさんに食事や遊びに誘われても、嬉しいことには嬉しいけど、恋という感覚は一度も感じたことはない。
だからやっぱり思い出す。
あの、私がまだ小さかった頃の特別な思い出。
私だけの王子様だと思った——そう思わせてくれた特別な人。
と、言っても素敵に育っているかはわからないけどね。もしかすると太っているかもしれないし、どこかで間違って悪い性格にねじ曲がっているかもしれない。でも、私はずっとその人のことを忘れられない。
それが私の秘密の一端で、走ることが趣味になった理由。
素敵な記憶と共に嫌な記憶も呼び起こされるあの時のこと。
ルーシーにも誰にも話せず、ずっと内に秘めている。
でも、社交界の次の日の朝、光流くんが私の部屋のベッドに間違って潜り込んできた時、なぜかわからないけど、その時だけは少し話してしまった。
王子様がいる、とだけ言ったからほぼ何も言っていないも同然だけど、話してしまった。
会いたいなあ。どこにいるんだろう。
夏休み、一人で行ってみようかな。でも、私も引っ越してるし、あの子ももうそこにいない可能性もある。
だから無駄足になるかもしれない。
でも、それでも——、
『——ねえ君、一人で何してるの?』
香川のとある河川敷。そこの階段の端で一人で座っていた私に声をかけてくれた不思議な子。
その子のことを思い出しながら、私はいつか再会できるようにと密かに願う。
◇ ◇ ◇
「——会長、会長? 聞いてますか!?」
「ん、ああ。最後の挨拶のことだよね?」
体育祭の終わりにグラウンドで皆の前で登壇して告げる最後の挨拶。
それが彼——宝条・ジュード・瀬奈の役目だった。
「わかってるならちゃんと返事してくださいね。こっちはスケジュール管理をしてあげてるんですから」
「はは。竜胆にはいつも助けられているのはわかってるよ。本当にありがとう」
「そ、そんな当たり前のことは良いんです! そ、それより——」
「ん、なんだい?」
「さっきのあの子……下の名前で呼んでるんですね……」
竜胆が少し恥ずかしがりながらジュードに聞きたかったことを告げる。
「ああ、真空のことかい? 一緒に暮らしているからね。さすがに名字呼びだと他人行儀だと思ってね。だから親しみを込めて下の名前で呼ばさせてもらっているよ」
「私のことはずっと名字呼びなのにですか?」
「ああ、竜胆は竜胆だろう?」
「か、会長……」
勇気を出したのに、その想いを汲んでもらえず目を伏せてしまう竜胆。
期待はしていなかったとはいえ、少し寂しく思えた。
「ふふ。ごめんごめん。竜胆も『真琴』と、呼んでもらいたいってことだよね?」
「ま、まことっ!? い、いや……そんなつもりは……っ」
しかしそれはジュードの意地悪だった。
初めて下の名前を呼んでもらえて、頬が紅潮する竜胆。
「顔に書いてるよ真琴」
「また呼びましたね!?」
「真琴が言ったんじゃないか。呼んでほしいって」
「呼んでほしいとは言ってません!」
「でも、言ってるようなものだったろう?」
「そ、それは…………はい……」
認めたくはなかったが、結局認めてしまった。
下の名前で呼ばれることが、竜胆にとってどれほど嬉しいことか。
「真琴も可愛いところがあるね」
「可愛い!?」
「皆はこんな真琴のこと全然知らないよね。表情豊かで面白いのにもったいない。もっと生徒会以外でもそういう顔を見せたら人気者になれるのに」
「それは……善処してるつもりなんですけど、生徒会以外ではどうにも……」
「じゃあ、それがこれからの一年間の課題だね」
するとジュードが手を叩いて、真琴に提案をする。
「課題……ですか?」
「そう。真面目なだけじゃ社会で生き抜くには大変だよ。もっと臨機応変にならないとね。理不尽なことに、この世の中は真面目な人が報われるようにはなっていないところがある。全てじゃないけどね」
「会長……人生何周目ですか?」
「はは。全部父と兄さんの受け売りだよ。僕だって社会でまだ働いたことがないからね」
「ああ、そちらでしたか……」
竜胆は自分でもそれはわかっていた。
融通の利かない性格に生徒会メンバー以外にはいつもツンとした態度を取ってしまい、嫌われがちなことを。
でも、性格など簡単に変えられることではなかった。
「君は今二年だ。来年、もし生徒会長を目指すなら、今それを変えておいた方がいい」
「生徒会長、ですか……副会長というトップを支える立場ならまだしも、会長になるなんて……」
「殻を破るか破らないかは真琴次第だ。僕は応援することしかできないからね。でも——」
「でも?」
「もし、殻を破って、新しい自分を見せてくれた時には、僕が大切にしているこの腕時計を君にあげよう」
「えっ……えっ……?」
突然のことに竜胆は目を震わせる。
勉強もスポーツもできて皆の人気者で、それでいてハーフ顔の超イケメン。悪い噂など一切聞かず、完璧過ぎる先輩。
ただ、ふわっとした一面も持ち合わせていて、そんなところも可愛い。
自分が大尊敬する生徒会長から大切にしているものをもらえるということ。
それは竜胆にとっては、とてつもなく心を震わせる内容だった。
「僕はね、君を買ってるんだ。大切な妹であるルーシーに家族と同じくらい気にかけている光流くん。そしてその友達のこと。でも僕が卒業したあとは皆のことを見守ることができなくなる。それを含めて真琴なら後輩たちを任せられると思うんだ」
「かい、ちょう……っ」
ジュードからの思いもよらぬ言葉に、竜胆はかけていたメガネを外し、ポケットに入れていたハンカチを取り出して目元の水滴を拭き取る。
「直接じゃなくていい。言葉をかけなくてもいい。でも、いつか将来真琴が彼ら彼女らを見て、何か思うようなことがあった時、今僕が真琴に言葉をかけているように、背中を押してあげてほしいんだ」
「…………っ」
竜胆は言葉が出てこず、ただ、涙を拭き取ることしかできなかった。
「真琴は優しいね。こんなことで涙を流してくれるなんて。——やっぱり僕の目は間違っていなかったようだ。君を副会長に推薦して正解だったよ」
「ぅ……ぅぅ……っ」
ジュードの言葉は真剣だ。
本心からこの学校を任せたいと思っている。
その元となる理由はルーシーと光流に幸せになってほしいから。
長く不幸を味わった妹。そしてそれを救ってくれた彼。自分がいなくなったあと、陰から見守ってくれる存在が一人でも多く欲しかった。
真面目さ故に竜胆は責任感が強い。だからこそジュードは彼女を信頼してこの学校を任せられると信じている。
「真琴。まだ早いけど、この学校を任せるよ。まあ、この生徒数だ。本当に大変だ。でも、君ならできると信じてるから。ほら、そろそろ涙を止めないと、テントに着いちゃうよ」
「だって……だって……会長が卑怯なことを言うから……っ」
「いや、まさか泣くとまで思わないじゃないか」
「そんなの、私が知りたいです……なんで泣いたかなんて……わからないんですから……」
竜胆真琴は、宝条・ジュード・瀬奈に恋をしている。
だが、この時の言葉は恋には全く関係がなかった。
ただただ、一番尊敬に値する人物が自分一人に向けて伝えてくれた言葉がどうしようもなく嬉しかった。
それが、叶わぬ恋であっても、届かない恋であっても、竜胆真琴はこの時の言葉は一生忘れないだろう。
だって、気づいたから。気づいてしまったから。
毎日毎日生徒会室でジュードの顔をすぐ傍で見ていたから、小さな表情の変化にも気づいてしまう。
誰にも見せたことのないような屈託のない笑顔を、あの朝比奈真空には見せていたことを。
「ぐすっ。……さ、涙は無理やり止めましたから、戻りましょう!」
「目元は赤くなってるからすぐにバレるだろうけどね」
「それは……もう仕方ないです。ふふ」
「ははっ。覚悟決めてるね」
この時のジュードの笑顔は真空に向けていたもののようで、竜胆が求めているような笑顔に近かった。
そうして二人で笑いながら生徒会メンバーが座る運営本部のテントへと足を進めた。
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