261話 体育祭 その5

 女子たちに揉みくちゃにされたあと、リレーで大騒ぎしていた生徒たちが自分のクラスの待機場所へと戻っていく。


 俺たちはメダル授与があるので、これから運営のテントに向かうことになる。

 その間に女子のリレーの準備が進んでいった。


「く、九藤くん…………」


 後ろからイケメンの声が聞こえた。

 ピクリと反応した俺は、嫌悪感を抱きながら振り返った。


「…………」


 F組の君塚来人がなんとも言えない表情で、こちらを見ていた。


「決着はついた。僕は君の言う通り、宝条さんには近づかないことにする。……君に言われたことで、独りよがりな考えをしていたことに気付かされたよ」

「そう……」


 てっきり、絶対に諦めないと言われるのかと思っていた。

 好きな人への執着というのは、そんなに簡単に諦められるようなものではないと思うから、尚更だ。


「君の周囲を見ていてよくわかったよ。とても愛されてるね。僕とは全然違う。僕と仲良くしてくれる人のほとんどは、見た目とか表面的な理由で興味を持っているんだと思う。いや、僕自身も容姿をうまく利用して過ごしてきたから、人に言えることじゃないな」


 愛されているなど、よくもこんなに恥ずかしいセリフを簡単に言える。

 それに君塚くんはよく自分のことをわかっているようだった。


「一つだけ、良いかな」

「……何?」


 まだ何かあるのかと思い、俺はため息を吐いた。

 ただ、君塚くんから発せられた言葉は、俺が予想したものではなかった。


「上位二チームは明日、上級生と一緒にもう一度リレーをすることになってるのは知ってるよね。だから、そこでもう一度勝負をしてほしい」

「条件は、ないってことだよね?」

「もちろん。不純物なしの綺麗な気持ちで競いたい。でも、今度は勝負するために、待つだとかそいうことはしない」


 君塚くんからの不純物なしとか、綺麗な気持ちだとかの言葉は正直まだ信じられない。

 けど、条件なしなら、勝負しても良い。というか既に競争することは決まってるのに、わざわざ言うことなのだろうか。


「ありがとう。——できれば、また俺を負かせてほしい。そうじゃないと、自分の殻を破れないと思うから」

「はっ!?」

「じゃあ皆のところに戻るね! また明日!」

「は、はあああっ!?」


 こいつ、マジで何を言ってるのか。

 負かせてほしいなど、ドMとしか思えないような発言だった。


 しかも最後は気持ちの良さそうな笑顔をしやがって……。

 俺は鳥肌が立っていた。




 ◇ ◇ ◇




 メダルをもらい待機場所に戻ると、ブルーシートの上でルーシーたちが準備を済ませており、ちょうどこれから軽く体を動かしに行こうとしているところだった。


「ルーシー、頑張ってね」

「うんっ!! 絶対一位!」


 軽くルーシーと握手を交し、パワーを送った。


「真空もね」

「はーい! ちゃんと見ててね!」


 俺は真空とハイタッチした。


 ルーシーも真空も、髪を結び直しており、走りやすいよう二人共ポニーテールにしていた。


「友希ちゃん、頑張ってね!」

「やまときゅーん! もちろん!」


 やまときゅんが遠藤さんに声をかけると、とびきりの笑顔で返していた。

 あれから二人の関係が進展したのかはわからないけど、距離感はあまり変わっていないように思える。


「委員長、期待してる!」

「うん。頑張るね!」


 クラスメイトの女子から声をかけられていた、委員長の的場史緒里さん。

 

 見た目は真面目系といえば失礼かもしれないが、明るさも持ち合わせ、責任感もある。

 いつもラウちゃんの面倒を見ていることもあり、よく俺の席の近くにもくる。


 ただ、彼女の足の速さだけはわからなかった。



 そうして四人を見送ると、水筒の中の麦茶を一口喉に通してから俺たちも応援するために移動することにした。




 ◇ ◇ ◇




「ルーシー、友希ちゃん、委員長。やるよっ!」


 軽く準備運動をしたあと、リレーの集合場所に行く前、真空が最後の声をかけてくれた。


「うんっ!」

「頑張ろう!」

「よしっ!」


 それぞれ反応を返すと、自然と円陣を組む。そしてクラスの代表である委員長が、大きく掛け声をした。


「C組〜〜、勝つぞー!」

「「「おーーーっ!!」」」


 クラスメイトと一緒に競技をすることの楽しさ。初めての感情だった。

 もちろんアメリカでは様々なスポーツに取り組み、その中には団体競技だってあった。

 でも、今ほどワクワクする感情はなかった。


 それはここが日本で、そして光流や真空がいて、他にも仲良くしてくれる友達がいるからかもしれない。

 私はその想いを胸にリレーへと向かった。




 ◇ ◇ ◇




 教師からの説明のあと、私たちは光流たちがしていた時と同じようにそれぞれのレーンに向かい、スタンバイをした。


 リレーの順番は、委員長、友希ちゃん、真空、最後に私だ。

 どう見ても友希ちゃんのほうが速いのに、なぜか私をアンカーに推してきた。なのでしょうがなくアンカーのポジションに収まったが、光流と一緒なので、今は嬉しい。


 私は一走者目の委員長の方に目を向ける。

 光流たちの時と同じように沢山の観客がレーンを囲んでいた。


 あれ、そう言えば私。

 そんなに緊張していないかもしれない。


 小学校の時は、あんなに学校が嫌で、人に見られることが嫌で、何もかもが嫌だったのに。

 トラウマになっているのかもしれないとも思っていたが、そうではないらしい。


 それを理解し、あとは走ることに全力を尽くすだけだと、ピストルの音が鳴るのを待った。


『パンッ!!』


 ピストル音が鳴ると、ついにリレーがスタート。

 委員長が走り出したのが見えた。


 委員長こと的場史緒里。彼女がなぜリレーメンバーに選ばれたのか。部活に入っているわけでもなく、クラス委員長を自ら立候補して引き受けた、リーダー的存在。

 体育授業ではよく話す機会があるので、その時に聞いた話では、元々は陸上部だったらしい。けど、高校では勉強に集中したいそうで、部活に入るつもりはなかったとか。そのせいもあり、友希ちゃんとも話が合ったようだ。


 そんな委員長の走りは、クラスの中では速いとは言え、陸上部を辞めてからブランクがあるからか、四位スタート。

 それでも、現役で部活動をしている生徒に必死についていっているように見えた。


 現役陸上部の友希ちゃんにバトンが渡ると、一気に前の生徒へと詰め寄った。

 ちなみにリレーでは、陸上部は一人のみの出場が可能だ。ただ、他のクラスもどこかには入れているだろう。


 友希ちゃんのランニングフォームは圧倒的に綺麗で、そして速かった。

 一人抜き、三位に浮上し、ラストでギリギリ二位に並んだ。


 その状態で真空にバトンが渡ると、クラスメイトの声援が聞こえてくる。


「真空っ! ファイトー!」


 一つだけその中に聞き覚えのある声が聞こえた。

 ジュード兄だ。


 私と同じ金色の髪なので、すぐに見つけられた。ちょうど私の後方20m付近に顔を出していた。

 ジュード兄にしては珍しく大きな声を上げていた。やっぱり真空のことは少し特別なのだろうか。


 彼女が必死になって綺麗な黒髪を揺らして迫ってくると、さすがに胸がドキドキしてきた。

 手汗が出てきたように感じ、私は体操着の裾でそれを拭う。


「真空、もうちょっとだよ! 頑張れ! 頑張れっ!」


 私も周囲と一緒になって声を出す。


 30m、20m、10m…………。


 バトンを受け取る準備をし、助走の体勢を取る。

 二位の女子とは、ほぼ並んだ状態で目の前までやってくる。


 真空は体力はあるとはいえ、流石に午前中の1000m走を走った影響が大きかったようだ。

 なのに、この速さだ。十分とも言える。


 ——勝ちたい。


 光流たちの時とは違い、先行しているクラスがある。

 私はそのクラスの生徒にバトンが渡るのを横目で見て、そして、続いて真空からバトンを受け取った。


「ルーシーっ! 行って!!」


 受け取ったバトンを強く握り直し、真空の声を背中に受けて、私は駆けた。


 同時に、隣の走者もバトンを受け取り走った。


「いけー! 宝条さん!」

「宝条〜〜っ!!」


 クラスメイトからの声が聞こえる。

 200m走の時のように、皆からの声が私を後押しする。


 息を乱し、歯を食いしばり、腕を前後に思い切り振る。


 30m付近で、やっと横並びになっていた走者から一歩前に出た。

 でも、まだあと一人いる。


 二秒……いや、一秒。追いつけるか微妙な距離だ。

 でも、諦めるわけにはいかない。


 ここまで繋いで頑張ってきてくれた、三人のバトンを一番最初にゴールへと運びたい。



「ルーシー!! ラスト〜〜っ!!」

「ルーシーちゃんっ! 頑張れ!!」



 光流と冬矢くんの声が聞こえた。

 これだ。この声に私は元気づけられるんだ。



「————っ」



 距離を詰める。


 あと一歩。あと一歩。


 もう三位の走者は視界の端には見えず、一位の走者の背中をすぐ目の前まで捉えていた。


 いける。いける。絶対に追い越すんだ。



「ぇ—————」



 小さな、ほんの小さな小石だった。

 レーンを区切る右側の白線の上に乗っていた、小さな小石。


 どうしてか、視界に入ってしまった本来は気にするべきではないほど小さなモノ。


 見た瞬間、私は少しだけ走るルートを横にずらした。


 それが、いけなかったみたいだ。



「いっ———」



 気づいた時には、黄土色の硬い地面に前のめりになって転んでいた。


 肘と膝が擦れ、大怪我を阻止しようと咄嗟に両手で地面に手をつく。

 自分の白い肌が傷ついていき、痛みを感じていく。


 一位の走者の背中が遠くなり、三位の走者が倒れた私を追い越していく。


「わ、痛そう……」

「大丈夫かな」


 どこからか、私を心配する声が聞こえてくる。

 それは、聞いたことのない他クラスの生徒の声で。




「————もう、辞めたほうがいいんじゃ……」



「——っ」



 多分、私を心配しての声だったのだろう。

 純粋に可哀想でそう言ってくれたのだろう。



 でも、今の私が欲しいのは、そんな言葉じゃなかった。



「あぁ…………」



 すぐには立ち上がることができず、手や足にこびりついた小さな砂が、痛みの感覚を倍増させる。

 膝から流れる赤い血が見え、血の気が引いていくような気がした。



 また一人、私の横を通り過ぎ、五位に転落。


 あと二人に追い越されれば、ビリになってしまう。


 せっかくリレーのメンバーに選ばれ、クラスの期待を背負い、委員長、友希ちゃん、真空から繋ぎ渡されたバトン。


 悔しくて、悔しくて。目端に何かが込み上げてくる。




「——ルーシー! 立って! まだ走れる! 諦めるなっ!!」




 たった一人。


 私が今欲しい言葉をくれた存在がいた。



 私を知らないほとんどの人は、私のことをか弱い女子の一人だと思っているだろう。


 アメリカで行ったスポーツでは結構活躍してきたつもりだし、女子同士で体をぶつけ合って試合をしたりもした。


 だから、私はそんな弱い人間じゃない。


 立ち上がれる。もっとできる。だって、リレーはまだ終わってないんだから。



「く、ぅ………っ」



 子鹿のようにぷるぷると震える二本の足に力を入れ、痛む両手を地面に押し付ける。

 いつの間にかなくなっていたバトンを探し、低い姿勢のままそれを拾い上げた。


 後ろからやってきた足音がまた一つ、私の横を駆け抜けていく。



「頑張れっ! 頑張れルーシー!! 最後まで走れっ!!」

「ひか、る…………っ!」



 彼の力強い声が、ガタガタの私の体を起き上がらせる。

 

 前を見据える。


 あとほんの少し走ればゴールだ。



「ん、あああああぁぁぁぁぁっ!!」



 皆の前でドスの利いたような声を出し、必死に前へと進んだ。



「がんばれっ!」

「あと少しっ!」

「頑張れー!!」


 見知らぬ生徒から、私を応援する声が増えた。


「後ろに来てるぞ!」

「負けるな!」


 その声を聞き、私は最後だけは絶対に抜かせないと腕を振った。



「ん、あ……っ!」



 既に切られたゴールテープは目の前にはなく、私は白線の切れ目で自分がゴールしたことを認識した。


 一歩遅れて、後ろにいた走者がゴール。



 リレーが終わった安心感で、倒れた時のように再び地面に手足をつけた。



「はぁ……はぁ……はぁ……っ」



 汗をかき、ポタポタと地面に水滴が落ちていく。


 次第に虚無感と後悔が押し寄せ、顔を上げることがつらくなる。


 痛い、ごめん、どうして。痛い、ごめん、どうして。

 色々混ざって、私の頭の中はぐちゃぐちゃで、その場から動けなかった。



「どけて! どけてどけてっ!」



 ドタドタと、生徒たちを掻き分けて私の下へやってくる声が聞こえる。



「ルーシー! ルーシーっ!」



 真空の声。ぎゅっと抱きしめられた。


「大丈夫!? 痛い……痛いよね! あぁ、こんなに血が……」


 私の状態を見て、重ねるように心配をしてくれる。


「ルーシーちゃん!」

「宝条さんっ」


 続いて友希ちゃんと委員長も傍にやってきてくれた。


 三人の顔を見た。


 私を心配する顔だ。誰も私が転んでゴールに遅れたことを責めなくて、本当に優しい人たちだ。

 だから、だからこそ。グッと悔しさを感じてしまう。



「ぁぁ………わ、わたしっ……わたしっ……ごめんっ」



 汗が涙に変わり、申し訳無さが込み上げる。



「大丈夫! 宝条さんは頑張った! 私見てたよ! 最後までちゃんと走るところ! こんな怪我して走りきったんだもん、偉いよ!」


 温かい声だ。

 だからこそ、史緒里ちゃんは委員長なのかもしれない。


「うんっ! ルーシーちゃんはよくやったよ! こういったトラブルはしょうがないよ。これも含めてリレーなんだから。私だって、転ばない方法とか事前に教えておけば良かった。なんのための陸上部なんだって話だよ」


 日焼けした肌が眩しい友希ちゃん。

 頭を掻きながら、人を慰めることがあまりうまくないのか、しどろもどろに声をかけてくれる。

 でも、だからこそ、その優しい気持ちが十分に伝わってきた。


「皆優しいね、ルーシー! じゃあ、こんなところで泣いてる場合じゃないね! ほら、まずは保健室行くよ!」

「まそらぁ……わたし…………っ」


 私が責任を感じないようにか、明るく笑顔で私の肩を持ち、立ち上がられせくれる。

 

 すると、私が立ち上がったタイミングで、なぜか拍手の音が聞こえた。


「ルーシーの頑張りに対してのものだね。関係ないクラスだってのに、優しい子多いね」

「あぁ…………」


 私は、真空に支えられているなか、観客の中を掻き分け、グラウンドの外へと向かってく。



「す、すいません! ちょっと開けてください!」

「ぁ…………」



 ちょうど、観客の中を抜けた時だった。

 光流の声が聞こえてきたと思えば、私の目の前にやってきた。



「ルーシー、よくやった。最後まで頑張ったな!」

「——っ」



 彼の明るく笑う顔を見て、再び涙腺が緩む。

 真空はやれやれという表情をしており、そして、私の肩から手を離した。


「最後のバトンタッチ! 光流くん任せた!」

「へ……?」


 真空がうまいのかうまくないのか微妙なことを言い出したと思ったら、私の体を光流へと委ねる。


「任しとけ!」


 なぜか光流は真空の意図を汲んだようで、私の肩を優しく掴むと——、


「ちょっと失礼するね」

「ええっ!?」


 軽々と私を持ち上げ、急にお姫様抱っこをしだしたのだ。


「今の状態のルーシーをこれ以上皆には見せたくない。ダッシュで保健室まで行くから!」

「えっ……あ……ええええええっ!?」


 痛みを忘れるほど驚いてしまい、私はそのまま光流にお姫様抱っこされたまま、グラウンドから遠ざかり、校内へと運び込まれた。


「光流っ!? もう大丈夫だよ!?」

「良いから良いから。今は任せて」


 硬く力強い腕に長く包まれ、勉強合宿の時以来のお姫様抱っこを経験。

 涙はもう吹っ飛んでいて、ただただ、顔が熱くなっていた。





 ◇ ◇ ◇




「ふぅ……こんな程度だろぉ〜」



 保健室に入ると、養護教諭の不破まちこ先生が中にいて、すぐに手当てをしてくれた。


 この先生はクールな印象が強いが、口にはなぜかキャンディーを咥えているし、言動はどこか気だるげだ。

 でも手当てはしっかりとしてくれていた。


 今、私の手や膝や肘には消毒したあとに大きめの絆創膏が貼り付けられており、見た目は結構酷い。



「てかお前らなぁ。グラウンドの横にも簡易的な治療室作ってたろ。そっち使えよぉ〜」

「あ……そうでしたか。でも、あそこだと皆にも見られそうですし」


 光流がこちらに連れてきた理由を説明。ただ、そもそもグラウンドの治療室のことを知らなかったように聞こえた。


「まあ良い。今日はそこで寝ていってもいいぞぉ」


 このあとの競技は、上級生のリレーを残すのみとなる。それで今日の競技は終わりとなるが、終わるまでには三十分近くはかかると思われた。


「じゃ、じゃあ……競技が終わるまではここにいようかな……」

「おぉ、好きにしなぁ〜」


 私は競技が終わるまで保健室にいさせてもらうことにした。


「じゃあルーシーちょっと待ってて! 体操着泥だらけだから、着替え持ってくるよ!」

「えっ……あ……」


 そう言い残すと、すぐさま光流は保健室を出ていき、着替えを取りに行った。


 というか、着替えって何?

 私、着替えなんかなかったはずだけど。あとは制服くらいしか……。



「ふうむ。やはり君たちはラブなのかぁ?」

「せ、先生!?」

「少し前にも、あの子が頭打ってここにやってきただろう。あの時は三人でベッドでもぞもぞしていたじゃないかぁ」

「ち、違います! あの時は……!」


 光流が心配で保健室を訪れ、その後一緒にベッドに入って寝てしまい、さらにしずはも加わって三人でベッドの中に入ることになってしまった。


 まちこ先生はその様子を見て、よくわからないことを言ったあと、保健室を出ていった。


「まぁ、シーツは濡らすと洗うのが面倒だから、ほどほどになぁ」

「何のこと言ってるんですかっ!?」


 ふんわりと理解できてしまう言葉。この人の頭の中はピンク色らしい。


 そうして光流が戻ってきたかと思えば、手にはジャージを持っていた。


「着替えって……」

「ああ、ルーシーのジャージどこに置いてあるかわからなくて、だから制服の下に着る予定だったTシャツと俺のジャージ持ってきた!」

「へ……っ!?」

「や、やっぱ俺のじゃ……嫌、かな……」


 光流は急いで走ってきたであろう様子が、荒くした息遣いから読み取れた。

 そもそも着替えなんて全然考えてなかったから、その気持ちだけでも嬉しいのに。


「あと、ジャージなら腕も足も隠せるでしょ? 制服だと女子ってスカートだしさ」

「ぁ…………」


 そこまで考えて、このセットを持ってきてくれたのだろうか。だとしたら、光流はどこまでも……。


「全然嫌じゃない! むしろ光流のが良いっ!」

「むしろっ!?」

「…………気にしないで」


 本音が出てしまった。

 好きな人のジャージとかTシャツとか着たいに決まってる。


 私は光流からそれらを手渡されると、ベッド周りをカーテンで閉め、着替えをした。



「ど、どうかな……」


 少し恥ずかしがりながら、光流の前に出てみる。


 光流のTシャツもジャージもサイズが大きくて、ダボッとしていた。

 でも、なんだかそれが良かった。


「良い! めっちゃ良い! ルーシーの華奢な感じが俺の大きめのジャージがいい感じに味を出してる!」

「何言ってるの!?」


 と、言いつつも、私も似たようなことを考えていた。


「か、可愛いってこと!」

「えへへ……」


 光流に褒められ、嬉しくなる。


「じゃあ俺、グラウンドに戻るから! あとでまた真空たちと迎えに来るね!」

「うんっ! ほんとにありがとうっ! だ……っ」

「だ……?」

「あ、ううん! 何でもないの!」

「わかった。また後でね!」


 濁してしまったが、私は自然と声に出しそうになっていた。

『大好き』って、言葉を。


 でも、大好きなのに、大好きって言えない自分。

 何を我慢してるのだろうとも思う。


 それを言ってしまったら、どうなるのだろうか。

 ああ、だめだ。色々ありすぎて、今日はもう何も考えられない。



「…………お前ら、私がいる前でよくもまぁイチャイチャと……流石に尊敬するわぁ」

「あ……はは…………」


 まちこ先生はキャンディーを咥えなら、少し唖然としていた。


 光流が出ていってから、私は迎えが来るまでベッドで寝かせてもらうことにした。



「なんだか、光流の匂いに包まれてる感じ…………」



 Tシャツは洗いたてで、多分お家の柔軟剤の匂いなんだろうけど、このジャージは競技前は着ていたし、光流のものと思われる匂いがついていた。



「おっきい……」



 腕を伸ばしても、指先までしか手が出ない。

 そのまま袖を顔に近づけ、すぅっと匂いを吸い込んだ。


「あぁ…………」


 さっきまで悔しくて、どうしようもなく申し訳ない気持ちだったのに、グラウンドから離れたせいか、少し落ち着いた。


 でも、もう一度ちゃんと謝りたい。

 それは一緒に走ってくれた三人もそうだし、期待してくれていた皆にもだ。


「一位、なりたかったなぁ……」


 メダルすらもらえなかった六位という順位。

 あのまま走っていたら二位は確実だったはずなのに。


 でも、やってしまったことは仕方ない。


 あの時、光流が立ってと言わなければ、ビリだっただろう。


 私が欲しかった言葉をくれた光流。

 人によれば、女子相手になんてことを言うんだという人もいそうな発言かもしれない。


 でも、私がそれを望んでいた。

 そして彼がそのまま望んでいた言葉をくれた。


 上級生とのリレーには出場できなくなった。

 なら、明日はもっと頑張って応援しよう。


 ジュード兄との対決もあるらしいけど、光流には勝ってほしい。


 というか、ジュード兄のクラスはちゃんと勝ち上がって来るのだろうか。

 まあ、心配するほうが杞憂というものだ。


 私は大きく息を吐き、今日の競技を振り返りながら、白い天井を見上げて目を閉じた。

 



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