260話 体育祭 その4
円陣を組んで気合いを入れたあと、リレーの集合場所へと向かう。
教師から競技の説明がなされたあと、チームの四人それぞれが自分のポジションへと向かっていく。
「——はじめまして。君が九藤光流くんだね」
優しい低音。耳心地の良い声が背中から聞こえた。
振り返る前に、俺はその声の主が誰なのかわかっていた。
「君塚、くん……だよね?」
自分は九藤光流だと答える前に、相手の名前を聞き返した。
上背は俺よりも少し高い、百七十五センチほどだろうか。優しそうな笑みで話しかけてきた彼は、細くしなやかな体で、うっすらと筋肉があるように見て取れた。
顔は正統派イケメン。佐久間くんとはまた違ったイケメンの種類ではあるが、俺よりも何倍もかっこいい顔だというのが、すぐにわかる。
「そうだよ。一年F組の君塚来人だ」
「そっか」
正直、俺から話すようなことはない。できれば話したくもない。
でも彼は会話を辞めなかった。
「話は聞いてくれたよね?」
「聞いたよ」
「なら、勝負だ」
「————うん」
彼は自分がしたことを正しいと思っている。
純粋でまっすぐで、綺麗な瞳から伝わってくるのは、自分のことを少しも疑ってないこと。
『パンッ!』
そんな時、ピストルの音が鳴り、リレーがスタートした。
俺も君塚くんも一走者目の走りに目線を向けながら、その場に立っていた。
俺から彼に話すことなんてない。
でも、一つだけ彼に言いたかった。
それは————。
◇ ◇ ◇
光流が君塚と会話している最中、ピストルの号砲が鳴り、リレーがスタートした。
レーンの内側や外側には多数の一年生が並んでおり、スタートと同時に大きな声援が走者たちへと送られた。
C組の第一走者は
体型は痩せ型で光流ほどではないが筋肉はそれなりについている。野球部での走り込みからある程度のスピードも持っていた。
ただ、C組だけが速いというのは幻想。他のクラスも部活に入っていて足が速い生徒を厳選して送り出している。
「うおおおおお!!」
ピストル音が聞こえた瞬間、家永は赤いバトンを持ちながら足を前に動かした。
序盤は三、四番手を争う位置。ここから次の走者へバトンを渡す順位が重要になってくる。
「潤太頑張れ〜!!」
30mほど走ると、クラスメイトで同じ中学校出身だった堀川暖からの声援が聞こえた。
他の声援と混じっていたが、聞き馴染みのある声に、誰が叫んでいたのかよく理解できた。
バトンをぎゅっと握り、家永は地面を蹴り続ける。
「家永、行けー!」
「家永、頑張って〜!」
委員長の
まさか自分が女子から応援されるとは思ってもいなかった。
走る前には、ついに俺の時代がきたと冗談を言ってはみたが、本当になるとは——。
その中でも一人、とびきり可愛い声と容姿に目を奪われる。
ドキッと胸が跳ねた。
「家永くん〜! もうちょっとだよ!」
女子顔負けのツルツルの髪に綺麗な肌。可愛い服を着せれば絶対に似合ってしまうとわかる容姿。
小さい体でぴょんぴょん跳ねて応援するその姿は、とても可愛らしい。
だが、男だ。
「——っ、お前っ、かよおおおおっ!!」
もちろん金剛以外にも応援してくれていた女子はいたが、反応してしまったのは金剛のことだった。
勉強合宿でも一緒だったし、たまに教室でも話す関係。
女子だったら絶対に好きになっていたであろう相手。
でも、友達として本気で応援してくれることは嬉しい。
だから家永はそれなりに彼から力をもらっていた。
「今原ぁぁぁぁぁぁっ!!」
家永は横並びになっていた相手を僅差で躱し、三位の状態で次へとバトンを渡した。
家永からバトンを受け取ったのは、サッカー部の今原修。
まだ秋皇学園のサッカー部に入って二ヶ月だ。それでも今原は実力を認められサブメンバーとして名を連ねていた。
ポジションは右サイドハーフ。ディフェンス・オフェンスどちらもこなすが、彼の武器は体力とスピード。
そして瞬発力が飛び抜けていた。ボールをタッチした瞬間に足を踏み込み、ドリブルしながら瞬時にトップスピードへと到達することができる。
だから今原は家永からバトンを受け取った瞬間、隣で競っていた四位の相手との距離を一気に開くことができた。
一位と二位との差はそれぞれ一秒程度。まだ挽回可能だ。
ただ、短距離走もリレーも、どちらもこの一秒の差がとても大きい。
「今原くーん!」
「今原〜っ!」
「修くん頑張れーっ!」
ルーシーたちとは別に形成されている女子グループ。そのひと塊が今原に黄色い声援を送っていた。
チア部の
席が近い影響もあり、今原とはよく喋る関係だ。
「——っ」
今原も男だ。女子からの応援はとても嬉しい。
いつもよりグッと力が入り、足の回転数が多くなる。
100mなどかなり短い距離だ。たった十数秒で終わってしまう距離。
なのに今日はとても長い距離に感じられた。
「一人抜けるぞ〜〜っ!」
「走れ走れー!」
こちらも席が近い男子。副委員長の
残り30mほどの距離で二人の声が聞こえた。
最後の力を振り絞り、二位の走者へと肉薄。
「——冬矢! 後は頼むっ!!」
今原はバトンを冬矢に繋いだ。
「任せとけっ!」
バトン受け取った冬矢は今原に対し、ニヤリと白い歯を見せ自信満々に走り出した。
◇ ◇ ◇
「冬矢くんの番だ!」
「ほら深月、応援!」
ルーシーが冬矢にバトンが渡ったことに気づくと、しずはが今までリレーを静観していた深月の肩を揺らす。
「もう……わかってるって」
深月はしずはには言ってない秘密があった。
別に秘密にすべき内容ではないかもしれない。言わなかったのは、本当になんとなくだ。
それは、数週間前のこと。
『ちょっと練習付き合ってくれよ』
冬矢は自分がリレーのメンバーに決まってから、深月にお願いした言葉だった。
『なんで私が……』
『こんなことお願いできそうな人、深月しかいないからだろ』
ちょうど、文化祭で演奏する二曲目を作っている途中だった。
しばらく作曲を手伝ったあと、唐突に冬矢にそう言われ、嫌な顔をした深月。
二度の膝の靭帯損傷。サッカーを諦めベースに取り組むようになった冬矢は、ジョギングや筋トレをしつつ体力も肉体も取り戻していた。
ただ、短距離走の練習は体育の時間以外はしていない。せっかくリレーをやるならと、多少は走っておきたかったのだ。
それから深月は時間がある時にだけ冬矢に付き合い、スマホのストップウォッチで時間を計り、彼の成長を見守っていた。
あれだけ自分を付き合わせたのだ、結果を出さないなんてこと、していいわけがない。
それに、良い姿を見せたいと思うなら、あと一人くらい抜いて見せなさいとも思っていた。
だから——、
「走れっ! バカーっ!!」
深月はたった一言だけ、冬矢に声をかけることにした。
声が届いた瞬間、冬矢の口角は上がった。
たった一人、応援されて嬉しい人がいる。今までの自分では考えられない感情。
その人のために、そして光流のために。良い演出をしてやると、スピードを上げた。
「あと少し!」
「冬矢行けー!」
ルーシーと真空の声。
「抜けるぞ!」
「走れーっ!」
開渡と千彩都の声。
耳馴染みのある連中からの声に最後の力を振り絞った。
「うおっ! あいつはええっ」
サッカーをやっていた時のような全盛期のスピードはない。しかし、あれから身長も伸び、体格も大きくなったことで、似たようなスピードで走ることができていた。
冬矢の最後の追い上げに、唯一前にいた生徒——F組と並んだ。
「——俺が勝ったら、二度とルーシーに近づかないで」
冬矢がラストスパートに入る前、光流は呟いた。
勝手に条件をつけて勝負を挑んだんだ。こちらだって勝利した時の条件を求める資格はあるはず。
「好きになった人の連絡先を景品として扱うなんて、許せないよ」
「ぁ…………」
光流の言葉に君塚は何かに気づく。
「その様子を見ると本当に気づいてなかったみたいだね」
君塚の反応を確認し、言葉を続ける。
「本当に相手を大切に思うなら、強引さは履き違えちゃだめだよ」
もしかしたら、人によってはこういった好意は嬉しいのかもしれない。
でも、光流にとって、今回のことは許せなかった。
君塚には一生わかることのない、光流とルーシーの二人だけの大切な気持ち。
そこに割って入るということが、どれだけ覚悟がいるようなことなのか。
「——でも」
君塚はそれでも言い訳の言葉を述べる。
何を言われるのか、光流はわかっていた。
「やると決めた勝負、勝てば良い——でしょ?」
「————っ」
思考を読まれ、ぎゅっと手を握った君塚。真面目に冷静に、ただ純粋に気になった人へ向けて走ろうと思っていた。
けど、その直前に心を揺らぶられ、変な力が入った。
「さあ、来たよ」
残り30m、20m、10m…………。
「光流ぅぅぅぅっ!!」
長い髪を揺らす冬矢が叫びながらバトンを前に出す。
「——勝負しよう」
一瞬遅れてF組の生徒もバトンを前にだした。
「————っ、ああ!」
光流の言葉を受け、君塚は内から燃え上がるような感情を認識した。
ほぼ同時にバトンを受け取り、二人は並んで最後の直線を駆けた。
この状況に観客が盛り上がるように声を出す。
「君塚くんっ! 負けないでー!」
「君塚いけええ!」
黄色い声援の他、男子からも声援を送られていた君塚。
クラスでも人気だとわかるような、彼への声援だった。
「九藤くんっ!」
「く、九藤くん頑張れっ」
「光流っち〜」
「九藤くんファイト〜」
少し前に会話した佐久間くん。図書委員で一緒の千歳さん。
やる気のない声の麻悠と守谷さん。
それでも応援されていることに変わりない。
皆の期待を背負い、光流は走った。
並ぶ二人。まだ差はつかない。
互いに自分たちが並んでいることに気づき、負けたくないと必死に足を前に出す。
「俺はっ……バスケ部のルーキーなんだぁぁぁっ!!」
自らの部活を明かし、そのプライドがあるかのように叫ぶ君塚。
彼は光流のことを軽音部だと知っていた。それ故に文化部のやつに負けるわけがないと思っていた。
毎日のように体育館でダッシュをしているし、常にで動き回っている。
勝負を持ちかけ、その条件を飲んでもらった時には勝ったと思った。
なぜなら、普段のバスケに命を捧げている自分と、体を動かさずギターに捧げている相手。結果は走る前からわかっているようなものだった。
なのに、なぜ……なぜ差が開かない。
君塚は焦っていた。
そして気付かない。
ここからが本当の勝負だったということに。
「光流っ! 頑張れっ! 頑張れっ!!」
異性の中で一番大切な友達の声が聞こえる。
「…………」
何も言わないが、いつの間にかそこにいた、ダークブロンドの長い髪を揺らす彼女がいる。
「光流! 負けないでーっ!!」
最初は光流の事が大嫌いだった彼女の声が聞こえる。
「光流くんっ! いけぇぇぇっ!!」
大切な人の、その親友の声が聞こえる。
「光流っ! 光流っ! 光流っ!」
何度も何度も名前を叫ばれる。
そして——、
「最後! 行けっ! 走れっ! ————勝ってぇぇぇぇっ!!」
世界で一番大切な人からの力強い声が聞こえた。
「————っ!!」
皆の声が光流に届き、残していた最後の力を振り絞る。
「んああああああああああっ!!」
腕を振り、足を回し、顔を突き出す。
どこの学校にもあるリレー競技。たかがリレーなのに、ここまで本気になる必要があるのか。
けど、当人からすれば、それも当たり前のことだった。
手を抜くことが苦手な彼は、大体のことを全力で取り組んできた。
君塚だってそれは同じだったかもしれない。
でも、二人の速さが僅差だった場合、どこで差がつくのか。
この二人の場合、それは自分がかけられた声援をどう受け止めるかだった。
人気はあるが、表面的な応援が多かった君塚。
それに対し、光流は内面的な気持ちからくる応援がほとんどだった。
二人が並び、徐々に差がつき、のこり10mのところで、一歩だけ前に出た。
「うああああああっ!!」
「んああああああっ!!」
光流も君塚も叫び、ゴールする瞬間まで全力で駆けた。
そして、ゴールテープが切られ、決着がついた。
◇ ◇ ◇
「はぁ……はぁ……はぁ…………っ」
午前に走った100m走以上の力で走れたからか、とんでもなく疲れた。
体が熱くなり、息を整えることに精一杯で、頭がふわふわしていた。
いつゴールしたのか、はっきりとはわからなかった。
少しでも先にゴールすることに必死で、自分では先にゴールできたのかもわからない。
膝に手を起きながら隣を見ると、君塚くんも同じような体勢で息を切らしていた。
後方から他のクラスの走者がゴールしていく様子がわかった。
周囲は誰が誰を称えているのかわからないくらい盛り上がっていて、結局、勝ったのか負けたのか……。
「九藤っ! おい九藤っ!!」
「九藤!!」
「光流!!」
家永と今原、そして冬矢がこちらに駆け寄ってきた。
俺は顔を上げ、彼らを迎えると、無理矢理に家永に右肩を組まれた。
「えっ」
困惑していると、今度は冬矢に左肩を組まれた。
そして、その理由がやっと明らかになった。
「勝ったぞ! 勝ったぞ光流!」
「よっしゃあああっ!」
「うお〜〜〜っ!!」
三人が円陣を組み、ジャンプして喜び合っていた。
「や……やった……!」
走り終えたばかりでジャンプする力がないので、俺一人だけ、その円陣では元気がなかった。
でも、勝ったんだ。勝てたんだ……。
「光流っ! 光流っ!!」
周囲が様々な盛り上がりを見せるなか、金の鈴が鳴るような声が聞こえた。
「うおあっ!?」
バッと背中から飛び込まれ、円陣を破壊。
シトラスのような香りを感じると、後ろからぎゅっと抱きしめられた。
「ちょっ、ここ学校っ! 皆見て——」
「光流〜〜っ!!」
「うぇぇっ!?」
恥ずかしさでどうにかなりそうだった時、今度は横から飛びつかれる。
人目もはばからず、長くなってきた艷やかな髪を俺の体操着に擦り付けた。
「ひ、光流っ! おめでとうっ!」
「ちょっとぉ!?」
今日はツインテールにしていた若手女優。
こんなところ写真にでも撮られたらマズいんじゃと思ったが、彼女は顔を赤くしながら俺の左脇にくっついた。
「ついでに私も〜〜っ! おめでとっ! 光流くんっ!」
「ついでってなんだよ!? 見られてる! めっちゃ見られてるからっ!!」
明らかにノリで、面白がってやっている。
長いストレートの黒髪が前から突っ込んできた。
「もう、離れてえええええ!!」
嬉しさと恥ずかしさと、色々入り混じった気持ちの中、俺は疲労困憊で彼女たちの包容を解く力が残っていなかった。
しばらくして離れてもらえると、俺の体操着は汗で臭かったはずなのに、いつの間にか女子の良い香りにすり替わっていた。
◇ ◇ ◇
「なあ、今原……俺、九藤に殺意持ってもいいよな?」
女子四人に囲まれた光流の姿を見て、家永は鋭い眼差しを向けていた。
「ははっ。あんなの見せられたらな……」
「なんで九藤がっ! なんで九藤だけがあんなに良い思いを……っ」
「家永くん、おめでとうっ! 頑張ったね!」
家永が怒りを露わにしていたところ、そこにやってきたのは金剛だった。
「う、うう……」
「家永くん?」
「俺の友はお前だけだああああっ!」
「うわああああっ!?」
家永は女子のように可愛いく良い匂いがする金剛を抱きしめ、光流への怒りを発散させた。
別のところでは、開渡と千彩都もその様子を眺めていた。
「俺、光流のこと誠実って言ったけど、やっぱあれ取り消す。——あれは誠実には見えないよな……はは」
光流が四人の女子に囲まれている姿を見て、開渡は笑いながら冗談交じりに呟く。
もちろん彼が誠実なのは知っているが、あのように女子に言い寄られている姿を見ると、そう言わざるを得なかった。
「ふふっ。間違いないね。中学の頃はまだあそこまでじゃなかったのにね」
「光流のやつ、どんどんモテていって……本当にどうなってるんだよ」
光流の魅力をわかっていながらも、美少女たちにモテ続ける彼を見て、末恐ろしく思った開渡だった。
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