253話 解決と制裁と

 父の不倫の話で騒然となったあと、母のお陰で家族の信頼が保たれた。

 そんな時やってきたのが、雰囲気が冬矢にも似た軽薄そうなカズヤと名乗る男だった。


 年齢は二十代半ばほどに見える彼は、なぜか父と知り合いなようで——、


「カズヤくん!?」

「なんでここにって顔してるな。まっ、とりあえず座らせてもらうわ」


 すると彼は勝手にダイニングテーブルの空き椅子に座りだす。

 これはもう冬矢以上の軽薄な人だ。冬矢ならもっと人に気を遣える。


 ともかくだ。なぜこのタイミングで家に来たのかが気になる。

 そしてなぜ父と知り合いなのかも。


 ひとまず、立っていた姉も座り、テーブルには五人が座ることとなった。


「何の話をしてたのか、大体わかる。なぜなら俺も少なからず関わったからだ。わかるだろ、おっさん?」

「ああ、そうかもしれないけど、あれはカズヤくんがナンパをして——」


 このあと、カズヤさんから一通り説明されたのは、父がまだ説明していない今回の不倫疑惑の内容だった。


 自分が女性にナンパをしていたところ、それは父の協力会社の社員で、父が声をかけて助けたこと。

 色々あって、そこでカズヤさんと連絡先を交換し、その後、父はその女性のヒールが折れていたことから家まで付き添った。

 その写真を撮られていて、不倫だと会社にばら撒かれたということだった。


「なぜそこまで知ってるんだ……」


 カズヤさんの話を聞いて驚いたのが父だった。


「ほらこれ」


 するとカズヤさんがなにかテーブルの上に置いた。

 それは馬のストラップで、


「ティープインパクター! 君が持ってたのか」

「ああ、これ落としたのが見えたからおっさんを追いかけてみたんだよ。そうしたら、あの女に肩貸してるんだからよ」


 それで、後を追ってみたということらしい。


「んでな。怪しいやつがいたんだよ。望遠レンズ付きのカメラで写真を撮ってたやつがな」

「それって……!」


 俺は思わず声を出してしまっていた。

 父の不倫疑惑の真相が近づいていく度に、父の不倫が嘘だったとわかるから。


「ああ、送りつけられた写真は恐らくそいつが撮ったやつだ。で、こっちで勝手に調べて、後でとっ捕まえてみた」


 カズヤさんは何者なんだろう。

 調べたり捕まえるとか、そんな簡単にできるものなのだろうか。


「既にデータは送られてたあとだったけどな、まあ背後関係はバッチリとわかったよ」

「それで、背後関係というのは——」


 父が息を呑みながらカズヤさんに質問をした。


「——そこは秘密だ」

「なんで!?」

「威勢がいいな——九藤光流」


 つい突っかかってしまったが、なぜか俺の名前を知っていたカズヤさん。

 疑問が多すぎてどうしたら良いというのか。


「まあ、知らなくても良いことが世の中にはあるってこと。とりあえずだ、おっさんの潔白はこっちで証明する。安心してくれ」

「話が見えない……カズヤくんがどうしてそこまで……」


 そうだ。先程の話だと、カズヤさんは父とまだ一回しか会っていないし、そこまで義理立てする必要もないはず。


「まあまあ、安心してくれ。明日になればわかる——んじゃ、俺はもう帰るわ」

「まだ来たばかりじゃないか」

「俺はそのストラップを渡しに来ただけだ」

「そうは言うが……」


 カズヤさんはそのまま席から立ち上がってしまい、玄関へ向かう。

 家族全員眉をひそめ、彼の行動に困惑していた。


「じゃあ、また。なんかあったら連絡するからよ」

「あ、ああ……」


 カズヤさんは、家を出ていった。


 ただ、俺は気になって彼の背中を追って、外に出てみた。

 すると路地を歩くカズヤさんを発見して——、


「あの!」

「ん?」


 俺に気づいたカズヤさんは、振り返り立ち止まった。


「九藤光流じゃねーか」

「あの、父さんのこと、まだちょっとよくわからないけど、ありがとうございます!」


 何かしてくれた彼にちゃんとお礼を言いたかった。


「ああ…………本当に俺のこと覚えてないんだな」

「え?」


 一方的に俺のことを知っているというわけではないのだろうか。

 今の言い方だと、俺とも会ったことがあるような言い方で。


「ま、あの時はしょうがないか。状況が状況だしな」

「あの時って……」


「はは。社交界だよ。君、宝条家の令嬢と踊ってたろ?」

「ええっ!?」


 カズヤさんは笑いながら答える。

 まさかここでそのことが出てくるだなんて思いもしなかった。


「てことは、あの場にいたんですか?」

「ああ、一応な」


 それなら、尚更気になることがある。

 あの社交界という場は普通の人は参加できないはずだ。俺だって参加することができないはずだったけど、あの時はアーサーさんにハメられて……。


「カズヤさんって、何者なんですか……?」

「俺か? こういうもんだ」


 すると、彼は上着の内側のポケットから名刺を一枚取り出し、俺へと渡してくれた。


「代表取締役社長……切原数弥……ええええっ!?」


 そして、その横に書かれていたのは、俺でも知っている超大手通販サイトの名前だった。


「CMで見たことがあります……」

「そうか、何なら今度買ってくれてもいいぜ」

「あはは……」


 ただ、気になったのはカズヤさんの年齢が若く見えたということだ。

 なのに、俺でも知っている会社の社長で……。


「気になるか? 俺は高校の時に起業したからな。これでも十年近くビジネスやってきてるんだぜ」

「高校の時からですか!? なら僕と変わらない年齢の時ってことじゃないですか」

「そうなるな」


 いるところにはいるらしい。とんでもない才覚を持っている存在が。

 ごく僅かだとは思うが、カズヤさんはその一人ということだ。


「まあ、お前の父のことは安心しておけ」

「はい……」


 結局、なぜそこまでしてくれるのか聞けずにカズヤさんと別れた。


 家に戻ると、俺も姉も先程の母と同じように父を励ました。

 父を信じ、不倫はしていないのだと、そう思いたくて、自分に言い聞かせるように大切な家族を信頼した。




 ◇ ◇ ◇




 カズヤが光流と別れたあと、ズボンのポケットからスマホを取り出し、ある人物へと電話をかけた。


「——これでいいのか?」


『ええ。助かりました。でもまさか、家族にまで手を出すとは思ってませんでした』


「嫉妬ってのは恐いもんだな。それにしても俺をこき使いやがって」


『勝手に動いてくれたのはカズヤさんですし……てか自分の立場わかってます? 路上ナンパがバレたら株価に影響しますよ?』


「はんっ。俺は基本表に出てねーから顔なんか誰も知らねーよ」


『ともかくです。色々助かりました。これで材料が揃いましたから』


「なら、来週でも酒飲みに行こうぜ」


『ちゃんと仕事してください——でも、来週末なら』


「ははっ。言いながらお前も飲みたいんじゃねーか。じゃあまた連絡するよ——アーサー」


『はい。ではまた』


 カズヤは電話を切ると、夜空を見上げ、彼を取り巻く出来事を思い返す。


 アーサーから一通り彼のことは聞いた。そして、今回の父に関する事件も、彼が狙われたことが発端。

 もし、このことを彼が知れば、自分の責任だと責めるかもしれない。

 だから、伝えるわけにはいかなかった。


「良い知り合いを持ったな、九藤光流」


 一仕事終え一息ついたカズヤは、微笑みながら帰路についた。




 ◇ ◇ ◇




 人生で一番の窮地に陥った出来事から一夜明け、正臣はいつも通りに会社に向かった。


 家族からの信頼とカズヤからの言葉があったとはいえ、未だ自分が窮地に立たされていることには変わりなかった。


 カズヤに安心しろと言われていたとしても、その言葉を簡単には信じることができなかった。具体的なことは言われていないし、あの状況からどう解決されるのかも予想できなかったから。


 それでも、今は別の意味で気分が晴れ、会社へ向かう足取りは軽かった。

 その理由は——。


 昨夜、いつも一緒のベッドで眠る希沙良との一幕。

 もう互いに良い歳。一緒には寝ることはあっても、若い時のように身を寄せ合って……ということまではしなかった。


 しかし、昨日だけは違った。

 正臣を安心させるように希沙良が身を寄せてくれて、軽く唇にキスをした。


 そんなシーン。子どもには見せるわけにはいかない。

 希沙良なりの励ましと愛の伝え方。正臣をどこまでも信頼するその姿勢に、正臣自身はとても救われた。


 そして、希沙良に言われた一言。


『光流も灯莉も大きくなったし、私が弁護士として返り咲こうかしら』


 その言葉は、もし正臣の仕事がなくなったとしても、私が働いて支えるといった希沙良なりの励ましだった。

 希沙良は子どもが生まれる前までは、若い年齢で司法試験に合格してしまうほどのエリート弁護士だった。


 しばらく仕事からは離れているが、弁護士資格というのは更新制度がなく、一度取得すれば一生物の資格。復帰しようと思えば復帰できる仕事だった。


『俺に家事ができるかな』


 と正臣は言ったが、『私と子どものためなら家事くらいできるでしょ?』と、微笑みながら返された。

 それもそうだなと思いながら、正臣は自分の未来に少し安心できたのだ。



 そうして、到着した会社。

 本社ビルのエレベーターに登り、自分の働くフロアに足を踏み入れると、一斉に自分に視線が集まる。


 希沙良や子どもたちの言葉で足取りは軽くなってはいたが、その視線に一瞬だけビクッとしてしまう。

 一夜明けてどう思われているのだろうと、部下たちの考えていることも気になったが、今やるべきことをやろうと、自分のデスクに座った。


 そうして、朝礼が始まる前、昨日と同じように常務に呼び出された。


 会議室に案内されると、そこには専務や副社長の他、社長までもが座っていた。

 その姿を見た瞬間、やはり解雇だろうと感じたのが正直なところだった。


 着席を促された正臣は、面接を受ける時のように四対一の体制で向かい合った。


「九藤くん、率直に結論から言おう——よくやった!」

「へ?」


 社長からの一言だった。

 そもそも、今日この場に呼ばれたのは不倫疑惑の話だったはず。どう考えても褒められるようなことはしていないのに。


「まさか君があの宝条グループと知り合いだったなんてな。驚いたよ」

「は……え? ほ、宝条グループですか?」


「ああ、そうなんだろう?」

「知り合いといえば、知り合いなのですが、仕事上関わったことは……」


「ともかくだ。あちらからジョイントベンチャーを持ちかけられた」

「すみません。ちょっと頭が回らないですね……」


 正臣は宝条グループと言われ、色々と思い浮かべた。

 まずは、光流とルーシーのことだ。そもそも二人が仲良くしていなければ、宝条家とも繋がることもなかった。


 確かに宝条勇務とは互いの子供のことについて、この五年間やりとりをしていた。

 その中で一度も仕事の話が出たことはなかったのだ。それを考えると、今の状況は殊更おかしい。


「それは良いとして、私が関わったプロジェクトの件は……っ!」

「その件はだね、先方から謝罪の電話が入ったよ」


「謝罪?」

「ああ、間違いだったと。女性側が意見を翻したとかで、先方の社長も頭を悩ませたあと、謝罪の電話をしてきたんだ」


「その女性は解雇されるようだがね」

「え……っ」


 正臣はそれを聞いて、心が痛くなった。

 自分に対してハニートラップを仕掛けた相手。自分を陥れ解雇直前まで追い込んだ元凶。

 そのはずなのに、どこか気分が晴れなかった。


「ともかく、君の疑いは全て晴れたんだ。喜びたまえ」

「あ、ははは……」


 つまり、破綻しかけていたプロジェクトは継続ということになる。

 今まで通り、そのままということだ。


 その後、自分のフロアに戻った正臣。

 常務から誤解だったことを全員に通達された。


 信じていた西口や部下たちに良かったとデスクの周りに駆け寄られたが、正臣はずっと気持ちが晴れなかった。

 自分は何もしていないのに本当にこれで良かったのかと。


 昼休憩。正臣は勇務に電話をかけてみた。

 すると、JVジョイントベンチャーの話は本当だと聞かされた。ただ、それを発案したのは息子のアーサーということだった。

 正臣はアーサーにお礼を言ってほしいとだけ話し、電話を切った。




 ◇ ◇ ◇




 そわそわした状態で学校を終え、父が帰宅するのを夜までまった。

 帰宅した父から聞いた話は、会社を辞めることもなく、誤解も解け、さらに宝条グループの関連企業とも協業することになったという話も聞かされた。そして父に不倫疑惑を押し付けた相手は解雇されるという話も——。


 宝条家の名前が出たことで、どこか裏で何か絡んでるのではと勘ぐったが、余計なことは考えないようにした。


 そうして食事を始めようとした時、昨日と似たようなタイミングで、チャイムが鳴った。

 姉が玄関で出迎えると、やってきたのは、カズヤさんと一人の女性だった。


 家族揃って玄関へ向かうと、その女性は頭を地面につけて土下座状態で待っていた。


「ま、まさか……坂巻さん……?」


 父が声に出した相手、その反応だけで父にハニートラップをかけた人なんだと理解した。


「ごめんなさいっ! わたし、わたし……本当にしてはならないことを……っ」


 父が坂巻と呼んだ女性は、俺が思った通りで、玄関の床に頭を擦り付けて謝罪していた。


「こいつがどうしても謝りたいって話でな。俺が連れてきた」


 そう話したのは、カズヤさんだ。

 そもそもカズヤさんだって、聞いた話からだと坂巻さんと会ったばかりのはずなのに、なぜ一緒にいるのだろう。


「坂巻さん……」


 父はどうして良いかわからず、母の方を見た。

 母がいる手前、どう声をかけたら良いのかわからないように見えた。

 ここで、彼女を擁護するような行動をとれば、家族からの信頼を失ってしまうと、そんな表情で。


「坂巻さんというのね、あなた」


 すると、ため息を一つ吐いたあと、母が坂巻さんに声をかけた。


「は、はいっ……私が、私が……っ」


 顔を上げた坂巻さんは、涙を流しながら口を震わせていた。


「光流、灯莉。ごめんね。ちょっとだけ自分の部屋に行っててもらえる? お母さんこの人と話したいの」


 その話の内容を聞きたいと思っていたのだが、母は俺たちには聞かせたくないのか、そう言った。

 俺と姉は顔を見合わせると、母に従って二階の部屋へと上がった。




 ◇ ◇ ◇




「じゃあ子供たちがいなくなったことだし、聞くわね。——なぜ、こんなことをしたのかしら?」


 光流と灯莉を部屋に行かせたあと、希沙良は土下座して泣いていた坂巻を立ち上がらせ、リビングへ通していた。

 キッチンからは、既に用意された夕食の香りが流れてくるなか、早速本題に入った。


「はい。実は私——」


 その内容は、ある人物から脅され、実家の工場を潰されたくなければ、正臣にハニートラップを仕掛けろと言われていたこと。

 ただ、なぜそんなことをさせるかまでは知らなかったこと。実家と会ったばかりの相手を陥れることを天秤にかけた時、後者を選んで行動してしまったことなど。一通り坂巻から話を聞いた。


「カズヤくんと言ったわね。あなたが大体のことを知っていると見て聞くわね。この子の言う事に間違いはないわね?」

「ああ、間違いない」


 希沙良は坂巻からの話を聞き、確認のためにカズヤへと質問をした。

 そのカズヤは全てを知っているというような口調で、希沙良の言葉を肯定した。


「……そう。なら、しょうがないわね」

「えっ……?」


 希沙良の言葉に、ずっとテーブルの前で俯いていた坂巻は、顔を上げて希沙良の瞳を見た。


「脅されたのでしょう? なら、あなたのせいじゃないじゃない。その脅した人のせいということになるわね」

「あ……え……でも、やったのは私で……っ」


「ええ。あなたじゃなくても、似たような境遇の人ならやったでしょうね。そんな中、たまたまあなたが利用された。それは運が悪かったというしかない。だからあなたのせいじゃないの」

「それでも……奥様には、大切な旦那様に……酷いことを……っ」


 希沙良が許そうとしても、坂巻はどうしても自分を許せないようだった。


「確かにこれで会社を辞めることになっていれば、私だってあなたに怒ったかもしれない。私がいいんだから、あなたもそう思いなさい。それとも私にビンタされたほうが気が済むの? それって暴力に訴えているようで私は嫌だわ」

「うう……」

「なら、しばらく宝条家で働く? 光流が話すにはたくさん使用人がいるみたいだし、一人くらい増えても大丈夫だと思うわよ」


 坂巻が解雇されたという話は、正臣から聞いていた。

 なら、彼女はこの先仕事を探すところから始めなくてはいけないのだ。


「ちょっと待ってくれ奥さん。京架はは俺んとこの秘書として雇うことにした。だから仕事の心配はしなくていい」

「あら、そうなの。じゃあまずはそこで仕事を頑張りなさい。時間が経ってもまだ罪を感じるなら、その時にまた顔を出せばいいわ」

「あぁ……すみ、ません。ありがとう、ございます……」


 やっと話に収拾がついたのか、坂巻は希沙良の言葉を呑み込んだ。


「あなた、何か彼女に言うことはある?」


 すると、今まで何も話さなかった——否、話せなかった正臣に希沙良が話を振った。


「そうだね。私は坂巻さんのこと、悪い人だとは最初から思っていなかった。だから、ずっと違和感を感じてたんだ。君が本当に悪い人でなくて良かったよ。私から言えるのはそれだけかな」

「九藤さん……ありがとうございます……」


 正臣はずっと坂巻のことを気にかけていた。

 突然自分を犯罪者呼ばわりしたと思えば、意見を翻したことで、解雇にまで追い込まれたり。でも、謝罪を聞くことができたし、カズヤが引き取ってくれるとも聞いた。正臣の心の引っ掛かりは、スッととれていた。


「話がもうないなら、先に車に戻ってくれ。少し話して帰るから」

「はい……」


 するとカズヤは先に坂巻を家から出し、自分一人だけその場に残ったのだ。


「ずっと気になっていたと思うが、京架に指示したやつの話だ」


 正臣も希沙良も、それが知りたかった。

 彼女の意思でこんなことをしていないなら、誰がそんな悪意を持っているのか。


「——ホームセンターを中心としたビジネスを展開している企業がある。そこの社長の息子が今回の黒幕だ」


 正臣と希沙良は想像外の相手を知り、不思議に思う。自分たちとはあまりにも接点がないから。


「社交界の話は聞いているよな? 俺もそこに参加していて、そこの息子——来馬空我も参加していたんだ」

「え、社交界って、光流が参加したやつだよな? 宝条さんのところの」


 社交界と聞いてピンと来た正臣は、過去光流に聞いた話を思い出す。

 北海道旅行中に突然東京に戻るという話になったあと、なぜか宝条家が参加する社交界に参加していたという話だ。

 そこでは、光流がルーシーとダンスをしたという話を聞いて、盛り上がった記憶がある。


「まあ、簡単に言えばだ。その九藤光流が来馬空我に嫉妬されたんだ」

「…………ええ?」


「ほんっとバカみたいな話だよな。あの、宝条家の令嬢にダンスのお誘いをした数人のうちの一人で、誰の手を取らないなかその令嬢は九藤光流の手だけを取った。それで逆恨みをして、最終的に回り回って家族にまで手を出されたってわけだ」

「ああ…………」


 正臣は希沙良と顔を見合わせた。まさか自分の息子がそこまで嫉妬されていたとは思わず、敵を作っていたなんて。

 もちろん自ら敵を作るようなことはしないだろう。それに光流だって、ルーシーを他の誰かにとられたくはなかったはず。

 そして、二人の関係を見ていれば、手を取ることは想定内だ。しかし、そんなことを知らない連中からすれば、それは狙っていた女性をとられたと思うかもしれない。


「ということは、もしかして光流は今までも何かから狙われていたの?」


 鋭い指摘だった。カズヤの言い方だと、父親にターゲットが移る前は光流本人だったと言っているようなものだった。


「ご明察。でも、大丈夫。何があっても宝条家が裏で守っているらしいから。そこは安心して良い」

「そう…………あの子も本当に苦労してるわね」


「心配じゃないのか?」

「もちろん心配よ。でも、わかるわ。ルーシーちゃんを助けた恩人、宝条さんたちはそう思ってる。だから光流のことも守ろうと

するのはよくわかる。多分私だって権力があればそうしたもの。それで、今回の件も裏で宝条さんが助けれくれたということね?」


「おお……そこまでわかるのか。さすがはおっさんの奥さん。そうだ、JVの話だって、全部そこから来てる。あ、ちなみに俺が関わったのは本当にたまたまだからな。でも俺が知り合ってなかったらもっとやばかったかもしれない。でも、おっさんが解雇されたとしても、宝条家のどこかの企業に誘われていただろうよ」

「ああ、やっと話が全部見えてきたよ。それなら尚更感謝しないといけないな」


 全体像が見え、正臣は安心する。

 ただ、光流が狙われていたことに関しては、少し心配だった。ただ、宝条家がどこかで守ってくれているならそれ以上ない安心材料だった。


「ん、俺にか?」

「はは。宝条さんにだよ」


「なんだよ。俺にも感謝してくれよ」

「カズヤくんにももちろん感謝してる。……ありがとう」


「かしこまって言うなよ。俺みたいなやつは適当にあしらうくらいが良いんだよ」

「社長さんなんだろう? なら、尚更だな」


 カズヤが全貌を話したことで一段落。

 ひらひらと手を振りながら、九藤家を出ていった。——最後、ちゃんと黒幕には制裁が下ると言い残して。



「まさかな、そういう裏事情があったとは……でも、安心したよ」

「どうして?」


「俺が原因で家に迷惑をかけることはしたくなかった。でも、光流が関わっているというなら、俺たちのやることは決まっている」

「……そうね。もっと迷惑をかけても良いだなんて言ったけど、結局迷惑なんてかけずにどんどん頭も良くなっていくんだものね」


「家族として、できるだけ支えてあげよう」 

「ふふ、久しぶりにあなたが大きく見えたわ」


「なんて言ったって、大黒柱だからな。俺はまだまだ働くぞ」

「あなたが張り切ると余計なことにしかならないから、普通で良いのよ」


「なんだ余計なことって」

「ほら良いから二人を呼んできて、ご飯温めるから」


「はいはい」

「はいは一回」


 九藤家の絆はいつでも強かった。

 光流が原因のトラブルだったと知り、安心した二人。ただそれも光流が起こしたトラブルではない。

 結局、光流は変わらないまま一生懸命今を過ごしているだけ。そこに誰かの嫉妬や妬みが混ざることだってある。


 なんて言ったって、相手はあの財閥系の令嬢であるルーシーだ。

 これからも光流にはそういった障害は出てくるだろう。そういう時、家族としてできることは、いつでも帰ってこれる温かい家を用意しておくこと。


 光流を取り巻くトラブルが一段落した今、九藤家のリビングには美味しい豚汁の匂いが漂っていた。




 ◇ ◇ ◇




「——空我ぁぁぁぁぁ!!」



 広い建物の中、ある部屋に向かって、男はドアを壊さんという勢いで息子の名前を叫んでいた。

 そして、ついには自らの足で、ドアを蹴破り破壊。


「と、父さん。どうしたのさ……」


 そこには、驚いて尻もちをついていた来馬空我がいた。


「空我、お前がしてきたこと、わかるよな? 俺が怒っている理由、わかるよなぁ?」


 空我の父は鬼の形相で、息子を問い詰めていた。

 それは、今まで息子のすることを放置してきた、自分への怒りも含まれたものだった。


 しかし、やってはならない一線。それを何度も超えている。

 他者から聞かされなければ知ることもできなかった、息子の犯罪。警察に届け出るようなことにはならなかったが、それに制裁を加えられるのは家族しかいなかった。


 だからこうして父は息子に対して、怒りをぶつけているのだ。


「な、なんのことだよ。俺は何もしていない、俺はただ見ていただけなんだから……」

「まだ言うか! お前のせいで、どれだけうちの会社が窮地に立たされるかわかっていないのか!」


 権力というものは恐ろしい。

 突然契約を打ち切られたり、流通経路を断たれたり、積み重ねてきた信頼が崩れた時、それは当たり前のように怒り得る事象だった。


 ある大きな企業一社がそのような判断をすれば、五月雨式に他の企業も手を引くことだってあり得た。

 そして今回は初っ端から最後通告だったのだ。


 来馬家の企業は、直接、宝条家や切原数弥の企業と取引をしていたわけではない。

 しかし、巨大企業ともなれば首を突っ込むことだって可能だ。


 そして、社交界にも参加していたように、宝条家とは顔見知りではあった。

 空我の父は、宝条家から今回のことを全て聞いていた。もう、許されないところまで来ているのだと実感した。


「お前にはもう金は持たせん。そして明日からしばらく海外へ行け。その腐った根性が直るまで日本に戻ることは許さん」

「そ、そんなことっ!」


 未だ反省の様子を見せない空我。彼は典型的なボンボンで、自分で何かを成し遂げたことは一つもなく、全て親のものでしか自分を表現できなかった。

 それ故にとんでもないワガママに育ってしまい——、


「まだわからんのか! 迷惑をかけた相手に土下座して、許してもらえるまで何度でも謝るのが筋だろう! そういった考えが出てこない時点で終わっている。元はと言えば、お前の育て方を間違った私たちの責任だ。だが、もうそうはいかない。息子一人のために会社の命運、全ての従業員の命運を委ねるわけにはいかない」

「と、父さん……っ」


 空我は歯を食いしばりながら、拳に力を入れる。

 そう抵抗を見せながらも結局は父に従うことしかできなかった。


「荷物をまとめろ——今すぐにだっ!!」

「——っ。クソっ、クソっ! クソぉぉぉぉぉっ!!」


 翌日、来馬空我は日本を飛び立ち、監視付きで海外生活を送ることとなった。

 空我の父は宝条家のある人物に直接謝罪しに行き、このようなことはもう起きないようにすること、近いような出来事が起きた時、協力することも誓った。


 来馬空我が日本からいなくなったことで、九藤光流への嫉妬から始まった一連の事件は幕を閉じた。


 光流やルーシーだけが、何が起きていたのかを知らない。

 その周囲の協力で、本人たちには伝わらないよう、ことを収めた。


 それは、彼ら二人には幸せになってほしい、平穏に過ごしてほしい。

 そう思う数多くのファンがいるから、結果的にことが収まるまで、特にルーシーは全てのことを知らないまま、怒涛の事件の幕が閉じた。


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