240話 疑似結婚式 その2

「——九藤様、準備ができました」


 俺が待機している部屋にやってきた牧野さんがそう告げた。

 椅子から立ち上がり、外に出る。そうして、ルーシーのおばあちゃんがいる部屋の前に向かうと、見えてきたのは——、


「ルー、シー……」


 震えた。

 心臓を掴まれても抑えられないほど心臓が震えた。


 ルーシーの着物姿。そしてそれはただの着物姿ではなく、頭に何かの帽子を被っていて、たまにテレビで見かける芸能人の結婚式で被っているような帽子だった。

 いつもの雰囲気と違い過ぎて、息が止まりかけてしまった。


「すごい……綺麗……っ」


 俺が辿々しくそう伝えると、ルーシーは「ふふ」と軽く微笑み、こちらへと近づいてきた。


「大丈夫? 似合ってる?」

「うん。似合いすぎてて……うまく言葉にできない」


 本当に、ここで結婚してしまっても良い。

 そう勘違いしてしまうほど、俺はルーシーの姿に目が離せなかった。


「ありがとう……光流も似合ってる。とってもかっこいいよ」


 いつもより発色の多い口紅が目立つ口元からそんな言葉をもらった。


 待機時間中にスマホで色々と調べていた。

『紅差しの儀』という和装の結婚式でよく行われるという花嫁の母親が娘に口紅を塗ってあげる儀式。

 それをするタイミングはよくわからなかったが、そういうこともしたのだろうか。

 ルーシーの後ろにはオリヴィアさんの姿が見え、俺の方を見つめていた。


「嬉しい……。なんか、変な感じだ」

「それは私もだよ。私たち、まだ高校生になりたてなのにね」


 結婚式を挙げるにはあまりにも早い年齢。

 前にルーシーに言われた通り、意識してしまう。


 目の前にいる人と結婚がもしできたら、どれほど幸せなんだろうと。

 こんなに美しくて、綺麗で。性格も見た目も、全てが好きで。頭がおかしくなりそうだった。


 でも、今日は俺たちのための結婚式ではない。

 一番はルーシーのおばあちゃんを喜ばせるためなのだ。


 今日は宝条家の人たちもたくさん来てくれて、俺とルーシーの準備を手伝ってくれた。

 だからそんな皆の努力が実ったのか、目の前の扉から合図が送られた。


 それは、ルーシーのおばあちゃんが目覚めたという合図だった。


「——行こう」

「うん」


 俺とルーシーは一緒になって、病室へと歩きだした。




 ◇ ◇ ◇



 入ってすぐ、扉の内側に宮司の服装をした斎主と巫女の格好をした男女二人がいた。


 俺とルーシーはその二人の案内に続いて歩くこととなる。

 そして俺たちの後ろにはオリヴィアさんや関係者、今回は数人の使用人が歩くことになっていた。

 『参進』という行進らしい。


 ただ、後ろ姿だけで気づいてしまった。

 俺たちの前を歩く二人が誰なのかを——。


 それを感じ取ったのかわからないが、首を軽く回し、斎主と巫女が振り向いた。


「みゃ!?」


 ルーシーが一瞬変な声を上げた。


 そこにいたのは冬矢と真空だった。


 恥ずかしすぎる。俺とルーシーの疑似とは言え、結婚式を挙げている様子をこんな身近な相手に見られるとは。

 案の定二人はニヤニヤとしながら歩いて行った。


 そうしてベッドの前に到着すると、電動リクライニングによって上半身を起き上がらせていたルーシーのおばあちゃんが目に入った。


「母さん。来たよ」


 そうおばあちゃんの隣で声をかけたのは、宝条伊須実さん。ルーシーの父である勇務さんの妹だ。

 先程、メイクしている時に顔を合わせていた。

 母の為にありがとうと、そしてクリスマスの時にも助けてくれてありがとうと、二つのお礼をされた。

 ルーシーよりもずっと大きく、ラウちゃんのような身長をしていた綺麗な女性だった。


 伊須実さんの隣には、ルーシーの祖父なのか、それっぽい人が一緒にいた。


「あら、まあ……」


 伊須実さんの呼びかけに気づいたおばあちゃん。

 ルーシー、そして俺の姿を見て、目尻を下げて喜んでいる様子が見てとれた。


 今回の結婚式は、通常の神前式とは違い、色々省いてやるそうだ。

 ここは神社ではなく病院。それもそうだなと理解はした。


 冬矢と真空に誘導され立ち止まると、冬矢が最初に行ったのは、神様に結婚を告げる『祝詞奏上』。

 神様はここにはいないが、彼が祝いの言葉を述べると次の工程へ。


『三々九度』と呼ばれる新郎新婦が大・中・小の三つの盃でお避けを酌み交わす夫婦固めの儀式だ。

 もちろん用意されているのはお酒ではない。

 俺とルーシーは用意された水を三度、口に含んだ。


 そうしてやってきたのは、一番緊張する儀式だった。


 机の上に置いてあったのは一組の指輪。

『指輪交換の儀式』である。


 じっと、目の前でルーシーのおばあちゃんからの視線を感じる。


「ルーシー……」

「はい……」


 ルーシーのうるうるとした青い双眸がこちらを向く。

 震えそうな手で俺は箱から指輪を一つ取り上げる。


 その瞬間、さらに俺たちに視線が集まった気がした。

 圧を感じる方向、そこには勇務さん、アーサーさん、ジュードさんが三人一緒に並んでいた。

 最初にここまで歩いてきた時にちらりと見て以降、それ以上は彼らの方向を見られなかった。


 変な汗が大量に出てきていることを感じ取った。

 ハンカチで汗を拭きたい。しかしそんな余裕は今はなかった。


 俺は覚悟を決めて手を動かした。


 ルーシーの左手を持ち上げる。そこには伸ばしてくれた綺麗な指先があり、その薬指へと指輪をスッと通した。

 簡単に入った指輪は、ちゃんとサイズが合ったもので、一瞬で指の根元まで入ってしまった。


 ……心臓の鼓動が止まらない。汗も止まらない。


 次はルーシーが箱から一つ指輪を取り上げ、俺の左手を持ってくれた。

 そうして俺がしたのと同じように薬指へするりと指輪を通してくれた。


「……………………」


 ルーシーと目が合い、とんでもなく恥ずかしい気持ちになっていると互いに認識した。

 顔を隠したい。


 そして、結婚式はもう中盤だ。

『誓詞奏上』の儀式。


 神はいない。

 だからおばあちゃんに誓いの言葉を読み上げることになった。


 俺とルーシーは、ベッドの目の前に移動。

 懐から一枚の紙を取り出した。


『誓詞奏上』は新郎が読み上げるものらしい。


 一般的な結婚式でのキリスト教式では、牧師から永遠の愛の誓いの問いかけをされる。

 しかし、神前式の『誓詞奏上』は自分たちから愛を誓うのだ。


 俺は息を整え、紙に書かれてある言葉を読み上げた。


「今日の佳き日に私共は、結婚式を挙げました」


「かけがえのない素晴らしい伴侶に出会えましたことを心から喜び、良い家庭を築いていきます」


「信頼と愛情を持って助け合い励まし合い、苦楽を共にし終生変わらない愛を誓います」


「何卒幾久しく御守りください」


「◯◯◯◯年六月十日、九藤光流」

「宝条・ルーシー・凛奈」


 最後だけ、ルーシーが自分の名前を告げ、『誓詞奏上』が終わる。


 紙を閉じて懐にしまい顔を上げると、ルーシーのおばあちゃんの目から涙が流れていた。

 その涙を見て、俺ももらい泣きしそうになってしまった。


 

 その後、『親族盃の儀』にて、参列者一同でお酒——もとい水を三口で飲む。

 両家の結びつきを祝う儀式だが、今日は俺の家族は来ていない。

 だが、それで十分だ。ルーシーのおばあちゃんだって、馬鹿ではないのだ。

 ちゃんと疑似的な結婚式だとわかっているはずだから。



 そうして、最後、斎主である冬矢が前に出て、新郎新婦や親族に向けての祝辞を述べた。

 ムカつくことに、スラスラと何も見ずに言葉を述べ、結婚式を締めくくった。


 斎主の挨拶が終わると退出になる。

 が、結婚式はもうここで終わりだった。


 俺とルーシーは退出しないまま、ベッドのすぐ横まで近づいた。



「あら……ルーシー。本当に、綺麗ね」

「ありがとう、おばあちゃん。お願い、叶った?」


 ルーシーはおばあちゃんのか細い手を握りながら会話をはじめた、


「ええ、最高よ。子供たちの結婚式と同じくらいに感動したわぁ……」


 子供たちというのは勇務さんと伊須実の結婚式のことだろう。

 こんな病室だというのに、おばあちゃんはちょっと言い過ぎだ。


 ルーシーの左手薬指には、先程嵌めた結婚指輪が光っており、それがどうしようもなく、現実と夢の狭間に俺を追いやる。

 今まで指輪なんてお洒落もしたことがなかった為に、自分の左手薬指にすごい違和感がある。

 けど、その締め付けが夢よりもちょっとだけ現実に俺を引き寄せていた。


「良かった……。ここまでやった甲斐があったよ……」


 ルーシーもどこか涙目になっており、おばあちゃんからの言葉に安心したようだった。


「あなた……久しぶりね」

「はい。覚えていましたか……」


 ルーシーのおばあちゃんは視線を移動させ、俺の方を向いた。

 そして、最初の言葉ははじめましてではなく、久しぶりだった。


「名前も言わないままに行っちゃうんだもの……ルーシーと五年振りに会えるって時だったのに、邪魔しちゃってごめんねぇ」

「いや、そんな……今、謝罪とかはいらなくて……」


 おばあちゃんはあの日、何があったのか知っていた。

 共有されているだろうなとは思っていただろうけど、こんな時に謝罪の言葉など、俺は求めていなかった。

 だからか、おばあちゃんのその言葉はなぜか心に突き刺さって、俺の涙腺を刺激した。


「九藤……光流くん、と言ったわね」

「はい」

「ここで、ルーシーのことをこれからもよろしくね、なんてことは言わないわ。だって、そんなこと言ったまま私が死んだら、呪いの言葉になってしまう可能性があるもの」

「そんなことは……」


 自分がこんなお願いをしたことで、俺すらも巻き込み結婚式を挙げさせたこと。

 その申し訳無さが少し滲み出た言葉だった。


「けれどね、一つだけ、あなたにお願いがあるわ」


 そう言うとおばあちゃんは俺を顔の近くまで引き寄せる。

 耳を貸すと小さく告げた。


「——何かに迷った時は、覚悟を見せること。私からのお願いはそれだけよ」


 それは俺がルーシーに対することなのか、人生全体のことを言ったのか。

 その言葉の途中にルーシーの名前が入っていなかったことから、どう受け取って良いのか、よくわからなかった。


 でも、その覚悟という言葉は、人を強くさせる、かっこよく見せることができるものだと知っていた。

 俺はこれまでに何度かそういう覚悟を見てきたから。そして俺自身だって——。


「わかりました」


 そう返して、おばあちゃんの近くから離れた。




 その後は、ルーシーの家族含めて会話を続けた。

 途中、記念写真を撮影した。

 さすがに人数が多くてベッドの左右にぎゅうぎゅうになって俺たちは押し合って写真を撮った。


 しばらくすると話し疲れたのか、ルーシーのおばあちゃんはいつの間にか眠ってしまった。 

 心電図はゆっくりと波打っていて、ただ、眠っただけだと一安心した。


 静かに片付けを始め、俺も袴を脱いで着替えることとなった。




 濃すぎる一日を体験することになった疑似結婚式。

 指輪は結婚式が終わると外すことになり、とても名残り惜しい気持ちになった。


 将来、同じような時が来るのだろうかと想像しながら、ルーシーのおばあちゃんに言われた『決意』のことを心に刻みつけ、今日を終えた。




 その、二日後。

 ルーシーの花嫁姿を見て満足したからなのか、ゆっくりと静かにおばあちゃんは息を引き取ったという。


 ルーシーからは何度も、何度も何度も感謝を伝えられた。

 それ以上にルーシーの家族や親族から何度も感謝を伝えられ、とても申し訳なくなった。



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