239話 疑似結婚式 その1

 翌日、日曜日。


 お昼過ぎ、太陽がちょうど真上を通り過ぎる頃。

 俺はルーシーとの思い出の場所——あの公園に来ていた。


 昨日、あの後。

 ずっとルーシーの家にいてもしょうがないので、すぐに家に帰宅した。

 勉強やギターの練習にも励んだ後の夜、ルーシーからメッセージが届いた。


 それは直接話をしたいという内容だった。

 もちろんルーシーの為に時間をとった。ちょうど翌日が日曜日だったこともあり、すぐに会うことに。


 わかっていた。その話の内容がルーシーのおばあちゃんに関わる内容だと。

 そして、もしおばあちゃんが長くないのであれば、すぐにでも会わなければいけないということも。




 ◇ ◇ ◇




 ギコギコとブランコを一人で揺らす。

 この場所はルーシーよりもまだ少年だった頃のアーサーさんとの思い出のあるエリア。


 ドーム型遊具の中で話すのも良いとは思ったのだが、せっかくの天気。

 暗い場所で話すこともないと思い、俺ははじめからこのブランコで待っていた。



「——光流! お待たせ」



 公園の入口近くに停められた黒い車。

 そこから降りてきたルーシーが、こちらに手を振ってやってきた。


 いつだって天使のルーシー。

 思ったよりその表情には悲壮感がなくて、どちらかと言えば、緊張感の方が伝わってくる表情だった。


「今日は、ここなんだね」

「うん。なんとなく、ね」


 ルーシーが俺の隣のブランコに腰を下ろす。

 ブランコからは少し遠目に数人の子供たちに加え、その母親たちが集まっている様子が見えた。


 俺が適当にギコギコしていると、ルーシーもギコギコとブランコを動かしだす。

 ただ、ルーシーは乗り慣れていないのか、動きがかなりゆっくりだった。


「その、ええと……天気、良いよね」


 うまく言葉が出なかった。

 昨日は大丈夫だった? なんて、大丈夫なわけがないんだから、そんなこと言えるわけもなかった。

 かと言って、なんて聞けば良いのかもわからず、結局天気の話をするという愚行をしてしまった。


「ふふ。気を遣ってくれてありがとう。……おばあちゃん、大丈夫ではないんだけど、あまり長く持たないらしいんだ」

「そっか。それは……」


 やはり悲壮感というより、別の何かを感じる声音。

 まだ一日しか経過していないというのに、それを受け入れて、何かを決めたような話し方だった。


「何か、お願いがあるんだよね?」

「あっ………………うん。わかるよね」


 直接話したいというメッセージから、何かお願いがあるというのはわかった。

 ただ、内容までは想像できなかっただけで。


「これから光流にするお願いはさ、なんというか……すっっごい勝手で、恥ずかしくて……でも、光流にしかできないことなの」

「うん……」


 徐々に、ブランコに揺られるルーシーの横顔が火照っていくのが伝わってきた。

 おばあちゃんに関係する話なのに、なぜそんなことを言うのか、全くよくわからない。


「先に一つ言うとね。おばあちゃん、光流に会いたがってた」

「えっ!?」

「これは直接聞いたんじゃなくて、伊須実おばさん——お父さんの妹さんが言ってたことなんだけどね……」

「ん……誰だろう。会ったことは、ないよね……?」


 聞いたことのない名前だった。

 でも、俺のことを知っているということは、俺のことを誰かから聞いたということだろう。

 その、おばあちゃんからだけなのかもしれないけど。


「私たち、全部知ってるんだ。光流がおばあちゃんを助けてくれたってこと」

「え…………え? えっ!?」


 助けてくれたって……あの、クリスマスイブの時に遅れた理由のことだよな。

 いや、そうか。でも、助けたのが俺ってわかるのは時間の問題だよな……。

 だってあの場には冬矢が残ったし、その時に何か伝えていてもおかしくない。


「ずっと言ってなかったけど、あの時、おばあちゃんを助けてくれて、ありがとう。あの日、光流が遅れてくれたから、おばあちゃんは助かったの。だから、私だけじゃなく、家族全員が光流に感謝してるんだよ」

「あ……そう、だったのか。はは……俺もルーシーのおばあちゃんだって気づいたのは、ほんの少し前だけどね……」


 北海道の祖父母の家であの写真を見なければわからなかっただろう。

 人はどこで繋がっているかわからない。遅れてルーシーに悲しい思いをさせたかもしれないけど、結果的には感謝される行動だった、ということか……。


「だから半年も長生きさせてくれたのは、光流のお陰だよ。だって、本当なら、もう……」

「なら、冬矢にもお礼を言ってあげてほしいな。あの時、俺に代わっておばあちゃんの傍にいてくれたんだから」

「えっ? そうだったの……? それは聞いてないかも」

「そっちは詳しく情報が伝わっていなかったみたいだね」

「冬矢がいなかったら、もっと遅れてたかもしれないから」

「そっか……そうだったんだ……。それで、あのあと公園まで様子を観に来たんだね」


 あの日、冬矢がいなかったらどうなっていたんだろう。

 ずっとおばあちゃんの傍を離れられずに、ルーシーを冷たく寒い場所に待たせて……。

 でも、そのおばあちゃんはルーシーのおばあちゃんで……。


 正直、どちらかを取るという選択肢はなかった。

 でも、俺の心がおばあちゃんを一人で放置するなんてことはさせなかった。

 結果的におばあちゃんを選んでいたのかもしれないけど。


「…………」


 そこで話が途切れ、ルーシーは何かを言おうと、一旦心を整えていたような気がする。


「————それでね。お願いっていうのは、おばあちゃんに会ってほしいのと同時に、やってほしいことがあるんだ」


「これはおばあちゃんの、多分、最後の……最期の願い。だからできれば、叶えてあげたくて——」


「……こういう言い方はズルいよね。断りにくくしてしまうから。でも、ちゃんと、お願いするね」



 一呼吸一呼吸、ゆっくりと伝えてくれるルーシー。

 そして最後には意を決したようにして、ブランコから立ち上がり、正面から俺の目を見つめた。




「——私の花婿になってくださいっ!!」




 一瞬、何を言われたのか全く理解できなかった。

 いや、その後もしばらく理解できなかった。



「……………え? し、花婿っ!?」

「あ、あ……違う! ……違うってのは、違うんじゃなくて、花婿じゃないの! あぁぁぁ、花婿なんだけど……あ! 花婿役なの!!」


 ルーシーは緊張のあまり伝えたいことが頭から吹っ飛んでしまったようで、言ったあとで、焦った様子を見せた。

 ともかく…………花婿役って、そういうことだよな?


「ルーシー……とりあえず、落ち着こう」

「落ち着く!!」


 落ち着くと言いつつも、そうは見えない言動だった。

 いつの間にかルーシーの顔が真っ赤になっていた。

 俺も体の内側が熱くなっていくのを感じていて、もしかすると既に顔が赤いのかもしれない。


「ええと……俺が花婿役をするってことなんだよね?」

「うん!」

「ってことは……ルーシーが花嫁役ってこと……?」

「そ、そうなの!!」



 俺とルーシー……結婚式、するの?



 ヤバい。そう理解すると、やっぱり意味がわからなくなってきた。

 俺とルーシーが花婿で花嫁。


 ん?



「ぎぎぎぎ、擬似的な……擬似的なの! アーサー兄がそれでも良いだろうって! ととと、とにかくおばあちゃんが私の花嫁姿が見たいって言ってて、でも私だけドレス着てもあんまり信憑性がないというか、だから……相手が必要で……それでそれで……光流が花婿さんなのっ!!」



 未だにしどろもどろなルーシー。

 でも、彼女の話の断片的な言葉から何をしたいのか徐々に理解してきた。


 疑似……ということは、おばあちゃんの為に、擬似的な結婚式? もしくは新郎新婦の姿を見せたいということだろう。

 結婚式をやるのか、ただドレスとスーツを見せれば良いのかわからないけど、おおよそのことは理解した。



「大丈夫、理解できてきた」

「ほ、ほんと!? 本当に理解してる!? だ、だってだって、花嫁と花婿って、それはそれは、擬似的なんだけど、け、けけけけ結婚みたいな!? あああああああああっ!?」



 ルーシーが壊れた。


 最後に言った『結婚』というキーワードをきっかけに容量がキャパシティオーバーになったようだった。


 今までで一番、おかしくなっているルーシーが見れた気がする。

 一方の俺も驚いてはいるのだが、ルーシーがおかしくなっているのを見て、逆に冷静になれていたようだ。



「ルーシー、深呼吸。とりあえずブランコ……ブランコに座りな?」

「ブブブ、ブランコね! 座る! 座るから座る!」


 顔だけでなく、首も耳までも全部赤くなっていた。


 結婚。たとえこの後俺とルーシーがもっと良い関係になったとしても、あまりにも早い話。

 まだ十五歳だし、将来なんの仕事をするのかとかも決まっておらず、暗闇の中。


 アーサーさんと倉菱さんは婚約しているそうだが、ルーシーは今までにそういった話はなかったようだし、こう取り乱すのもしょうがない。


 疑似だったとしても、実際に服を着て式を挙げれば、もうそれはどうしても考えてしまうことなのだ。

 だから最初にルーシーは、勝手とか恥ずかしいという話をしたのだ。



 でも、どんなお願いをされても、どんな無謀なことを言われても。

 俺はやるって最初から決めていた。



 ルーシーのためなら、ルーシーのお願いなら、ルーシーの大事な家族のためなら。

 俺は頑張れるし、覚悟を決められる。


 告白すらしていない俺が覚悟なんて変かもしれないけど、今やれる最大限のことをしてあげたい。

 だから——、



「——いいよ。花婿役……俺で良ければ、喜んでさせてもらう」



 やるに決まっている。



「————いいの?」



 ブランコに座ってしばらくして、ルーシーは少しだけ落ち着いていた。

 そして、俺の答えにきょとんとした表情でこちらを向いた。



「もちろん。ルーシーの為にできることなら何でもしたいから」

「光流ぅ…………」



 声を震わせ、青色に瞳を揺らすルーシー。

 いつの間にか俺はルーシーのブランコに近づいていた。


 そして、ルーシーの手を取り、手前に引く。

 彼女を立たせると、一言。


「ルーシーの素敵な花婿……役になれるよう、おばあちゃんに良い姿見せられるよう、できる限りのことするね」

「光流〜〜〜っ!!」


 俺のルーシーに対する気持ちが届いたのか、彼女は俺に抱きついてきた。

 公園の中には人がいるが、その目も気にせず、ぎゅっと——。



「あー! あのお兄さんたち抱き合ってるー!」


 遠くから、そんな子供の声が聞こえてくる。

 でも、俺たちは互いの抱擁を止めなかった。


 しばらく互いの体温を感じたあとは——、


「時間がないんでしょ? 俺はこれから何をすれば良い? すぐに行動しよう」

「……うん! お家の人に連絡してみる! 光流は一旦お家に戻ってて?」

「わかった。連絡、待ってるね」


 ルーシーはスマホを取り出し、母親のオリヴィアさんに連絡したようだった。

 俺は黒い車に控えていた須崎さんに軽く会釈をしてから、ひとまず家に戻ることにした。




 ◇ ◇ ◇




「九藤様、動かないでください——」


 四方八方から体を触られ、体にフィットする布を一枚一枚選んでゆく。


 全て着たかと思えば、ちょっと違うと言われすぐに脱がされ。

 それを何度か繰り返し、着せ替え人形になったかのように俺は彼女たちに身を任せていた。


 今回は、社交界の時とは全く違った。

 恐らくルーシーも同じことを思っているだろう。


 逆に良かったかもしれない、そういうことをだ。


 でも、結婚式のやり方は人それぞれ。

 そうだとしても、俺は確信に近いことを想像していた。

 ルーシーは多分、結婚式で一番着たいのはウェディングドレスだと。



 俺は今、病院の空部屋の一つで、宝条家の使用人に囲まれ、袴を着させられていた。

 スーツではなく、袴だ。正式な名称だと紋付羽織袴というらしい。


 これは誰の意向なのかわからないが、外人の血が入っているルーシーだからこそ、日本式の結婚スタイルを祖母に見せることがより嬉しいと感じるものになる——そう思ったのかもしれない。


 おおよそ、和装での結婚式というのは、神社で行われる神前式ですることが一般的なようだ。

 でも、そうしたくても、もうできない。


 ルーシーのおばあちゃんは、もうベッドから動かせないほどの状態だということだった。

 病院で擬似的にとはいえ、結婚式を挙げること。


 人が多く亡くなる場所で祝い事をするなんて、罰当たりかもしれない。

 けど、これはその本人からの最期の願い。

 誰も罰当たりだなんて、思わないだろう。


「九藤様……似合っておられますよ」

「完璧です!」


 そう、俺に声をかけたのは侍従長の大八木さん。

 次いで声をかけたのは使用人の及川さんだ。

 牧野さんはルーシーの方の着付けを行っているらしい。


「うわ……本当に、すごい……」


 スーツの時とはまた違った雰囲気。

 自分で言うのもなんだが、とてもキマっている……気がした。


「まさか十五歳で袴を着るとは思わなかったなぁ……」

「袴自体は七五三とかで人によっては着る機会はあると思いますけどね〜。でも結婚式での袴でその年齢ってのは経験ない人がほとんどでしょうね」


 及川さんがニヤニヤしながら説明する。

 それもそうか。七五三などでも着る機会はあったか。懐かしい記憶だ。

 俺って、何着て撮影してたっけ。


「お嬢様の着付けは少し時間がかかりますので、そのままでもう少々お待ち下さい」

「わかりました」


 着替えた部屋でしばらく待機することとなった。




 ◇ ◇ ◇




「お嬢様、お綺麗ですよ」


 牧野さんを中心に数人の使用人が手伝い、着物の着付けをしてくれた。

 ウェディングドレスではなかったけど、聞くところによればこれは母が提案したものらしい。


 母は日本文化大好き人間だ。

 そのこともあり、祖母のためにも和装での結婚——疑似結婚式をしようということになったのかもしれない。


 帯によりきつく締め付けられた胸とお腹。

 着慣れない着物に顔を歪ませてしまうものの、完成した自分の姿は、いつもの自分の雰囲気とは全く違っていた。


「わあ……」


 等身大の鏡の前で私は軽く一回転しながら全身を見渡す。

 いつも以上に白く塗られた化粧にも目を引いたが、それ以上に着物がすごかった。


 恐らく光流の袴と合わせた黒を基調とした色ではあるのだが、そのほとんどは派手な花柄。

 描かれていた素敵な花と赤い帯が綺羅びやかに全体のデザインを整えていた。


 頭には『角隠し』という帽子を被っていて、これは怒りの象徴である角を隠し、嫁ぎ先に従うといった意味を持つんだとか。

 嫁ぎ先という言葉を聞いた時、ドクンと私の胸は震えた。だって、それは勝手に反応してしまう仕方のないことだから。


「お嬢様は身長も高いですし、いつもの服もそうですが着物も似合いますね」

「ありがとう。お母さんがいつも着てるから見慣れているんだけど、自分が着るとまた違った印象に見えるね……」


 母はよく着物を着て行動している。

 だから、見慣れてはいたのだ。

 けど、見るのと自分が着るのとでは全然違った。


 体は重いし窮屈だし、お洒落は我慢とは言われていることが詰まったような衣装だ。

 でも、その我慢以上に素敵な着物だった。


「あら、ルーシー。さすがは私の娘ね。素敵よ」


 すると、ちょうど部屋に入ってきた母。

 私の着物姿を見るなり、嬉しい感想をくれた。


「うん。お母さんの着てる着物とはちょっと違うよね?」

「それはそうでしょう。結婚式用のものを選んでるんですもの。そもそも角隠しなんて、この時しか被らないもの」


 あ、そっか。私が角隠しをしてることだけでも、衣装が違っているんだ。

 着物だけじゃない。全体的に母が普段から使っている着物とは全然違うんだ。


「なんか、ドキドキしてきた……」


 だって、もう後はおばあちゃんの前で光流と一緒に出るだけ。

 準備はできてしまったんだ。


「まあ、なるようにしかならないでしょ。ただ、次にお義母さんがいつ目覚めるかわからない。それまではしばらく待つことになると思うわ」

「わかってる……」


 そんななか、牧野さんが一歩前に出て、緊張を和らげるように私の手を握ってくれた。


「お嬢様。一つ言っておきますと、結婚式は何度やっても良いんですよ」

「えっ……そういうものだっけ?」

「ええ。芸能人なんか都内の高級ホテルで式を挙げたかと思えば、次にハワイで挙げたり、どこかの教会でも挙げたり……。だから今日、これっきりだとか思い詰めずとも良いと思います」


 そうなんだ。結婚式は何度やっても良いんだ。

 なら、今日のこの結婚式が最初で最後なんて、変なことを思わなくても良いんだ。


 おばあちゃんのためとは言え、私にとっても結婚式は人生で一番大切なくらいの将来のイベント。

 だって、それが私の夢の一つでもあるから。


 できるなら、病室ではなく正式な場所で。そして白くて綺麗なウェディングドレスを着て——彼と……。


「ありがとう」


 牧野さんのお陰で少し心が安心できた。

 私は息を整え、もうすぐやってくる結婚式の時間まで待つことになった。






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