219話 社交界 その2
乾杯が始まるとまずは普段はこの社交界に参加していない企業の代表者の自己紹介から始まった。
この社交界は会員制のようなものになっているらしく、新たに加わる企業は必ず前に出てマイクを持ち挨拶をするのだとか。
その挨拶では会社の代表だけではなく、その後継者や子供を前に出し結婚相手を見つける意味も込めて紹介するそうだ。
既にいくつかの企業の代表者が前に出て挨拶を済ませている。
業界は様々で私も一度は聞いたことのあるような会社も名を連ねていた。
そんな中、父とアーサーが前に出てきた。
私の知らないうちに会場に到着していたようだ。周囲を見渡してみるとジュードも来ていた。
目が合うとこちらにフリフリと手を振ってくれた。
アーサーは既に会社の仕事に関わっているという話は聞いている。
後継者としては知る人には知られているそうだが、今回の集まりの新参企業の代表者ついてはそのことは知らないので、改めて紹介するようだ。
ジュードはまだ高校三年生なので、仕事には関わっていないがいずれアーサーに近い道を辿るようで、いつか前に出る日も来るだろう。
「――皆様、本日はお集まりいただきありがとうございます。宝条グループ代表取締役の宝条勇務です。昨今は世界的に不景気ではありますが、我々はその流れに負けずに新事業にチャレンジしたり、海外でうまく行った事例を取り入れたりと前へ進んで行きましょう。本日はまだ息子のことを知らない方のために、改めて紹介します」
そう父が簡単に挨拶をすると持っていたマイクをアーサーに渡した。
今日のアーサーはピシッとしたスーツをスマートに着こなしており、家にいる時とは大違いだった。
かっこよく見えるし、大人っぽく見えた。
「宝条・アーサー・登凛です。現在大学三年生ではありますが、既に父親の指導の下、企業に携わらせていただいております。ゆくゆくは父のような経営者になれるよう精進して参りますので、どうぞよろしくお願いいたします」
アーサーが挨拶すると会場全体から拍手が起こった。
確かに今の挨拶だけを見るととても誠実で仕事ができるような人間に見えた。悪い印象を持つ人はいないだろう。
「アーサー様っ! アーサー様っ! 今日もお美しい……っ」
そんな時、横から誰かの声が聞こえてきた。
ファンのような尊敬している人にかけるような声を出して――。
倉菱さんだった。
彼女が両手を合わせて祈るようにアーサーを見つめていて、うっとりとした表情になっていた。
アーサーのことが好きなのだろうか。そんな目に見えた。
そういえば小さい頃に私と会っているということはアーサーもジュードのことも知っているのかもしれない。
私がこういった社交界に参加していない間、倉菱さんとアーサーも交流があっていてもおかしくない。
ただ、倉菱さんには申し訳ないがアーサーには婚約者がいる。
その婚約者は誰なのか私も聞いてはいないが、いずれ紹介してくれるだろう。
アーサーの婚約者はとっても綺麗な人なんだろう。
でも、イタズラ好きのアーサーについていける女性は大変だろうとも思う。
大学生になっても、まだまだそういったことが好きなようで根本の性格は変わっていない。
スマートに挨拶をしたはずのアーサーだったが、そこで話は終わらなかった。
「皆様、ここで一人紹介したい人がいます」
どこかイタズラな笑みを見せた気がしたアーサー。
ただ、一瞬だったので見間違いだと思うことにした。
そして私はハッと気づく。もしかして婚約者がこの場に来ているのではないかと。
その婚約者をお披露目でもするのだろうかとワクワクした。
しかし、その考えは簡単に裏切られた。
「――ルーシー。ちょっと良いかい? こちらに来て欲しい」
え?
……え?
今、なんて?
ルーシーって、誰だっけ。
……私じゃん!
「真空! なんで私!? こんなの聞いてないよ!」
「私も全然聞いてない……まあ、とりあえず行ってきなよ!」
「まそらぁ〜〜〜っ!?」
真空のドレスをガッチリと掴み、ここから動きたくないことをアピールするも、アーサーがそう発言してからしばらく誰も登壇しないので、会場がざわざわしだした。
私のせいでアーサーの顔に泥を塗るかもしれない。
だから私は諦めてアーサーの下まで行くことにした。
「ファイトっ! ルーシー!」
今日の真空からの応援の言葉は全然響かなかった。
真空は絶対に面白がっている。そんな跳ねた声のトーンだったから。
この〜、あとで何か仕返ししてやる。
私が参加者の間を縫って前へ歩き出すとそれだけでたくさんの視線を浴びた。
もう、本当に恥ずかしい。なんてことをしてくれたんだアーサーは。
そうして私が父とアーサーがいる場所に登壇するとアーサーが再びマイクに向かった。
「皆様。本日紹介したいのは私の妹のルーシーです。しばらくの間、理由があってこのような場には顔を出していませんでしたが、この度こうして皆様の前に出ることが叶いました。簡単に挨拶してもらおうと思います」
アーサーは笑うのを我慢しているような顔になっていた。
今度ボクシングでも習って渾身の右ストレートでも食らわせてあげようかと思うほどだった。
私は諦めてアーサーからマイクを受け取った。目の前で父も見ているし、遠くからは母もこちらを見ているのが見えた。
あ、母の隣にとっても綺麗な女性がいる。そのさらに隣にも眼鏡をかけた男の人……誰かに似ている気がしたが、今はそんなことを考えている暇はなかった。
そうしてマイクを持つと、さらに私に視線が集まった。……少し怖い。
こういう時、光流がいてくれたら……。でも今日ばかりはどうやっても光流はここにはこれない。
北海道にいるのだからこれるわけがないのだ。
でも、これからバンドで歌うならこれくらいの注目、どうとでもなるくらいのメンタルでいなければいけない。
学園祭ではもっと大勢の前で歌うことになるんだから。
私は小さく口を開けて、できるだけ息を吸い込んだ。
「――皆様、初めまして。宝条・ルーシー・凛奈と申します。隣におります兄のアーサーともう一人の兄ジュードの妹で、今年で十六歳になります」
そう挨拶をすると、色々な声が聞こえてきた。
「あの若さであの美貌……」「やはり宝条家の……これは逸材だ」「婚約者はいるのだろうか、いないのであればうちの息子を――」
私にとっては雑音に聞こえてしまうような内容だった。だから気にせず話を続けた。
「事情があり五年間アメリカにおりました。日本に戻ってきたのはつい最近です。ですので日本での生活にはまだ慣れておりません。若輩者ではありますが、どうぞお見知りおきください」
簡単に挨拶を済ませて軽く一礼をした。
すると、アーサーが話した時よりも大きな拍手が起こってしまった。
その拍手に驚いてしまったが、なんとか表情を変えずにやり過ごした。
真空の下へ戻る時、アーサーを睨みつけてから離れてやった。
もう、許さないんだから……!
私たちの後もしばらく続いた企業の代表者の挨拶。
一通りそれが終わるとやっと食事が始まった。
基本的にはビュッフェスタイルで好きなものを取ってスタンディングもしくは適当な椅子に座って食べるようだ。
私はお腹がペコペコだった。
「真空! 料理取りに行こうっ!」
「行く! めっちゃお腹空いた!」
そうして、私たちは既に列ができていた料理が置いてある長いテーブルの前に並んだ。
出張シェフに作らせたと思われる料理が並んでおり、見た目もとても美味しそうに見えた。そのシェフはカウンターで注文を受けたらその場でお肉を焼くようなことをしていた。
そして私はまだ一口も料理を食べていないのに、奥にあるデザートに目が移ってしまう。
「ルーシー、まだ早いよ」
「だって美味しそうなんだもん」
「ほんとルーシーは変わらないね」
「真空だってそうじゃん」
「まあ…………そうだね」
「?」
少しだけ真空の言動が気になったが、普段とそれほど変わらないために問い詰めるようなことはしなかった。
とにかくお腹が空きすぎて早く料理が食べたかった。
少しだけ待つと自分たちが料理を取れるくらいまでに列が進んだ。
そんな時だった。
「――素敵なお嬢さん。お好きなお料理取りましょうか?」
顔を上げると私たちの前方で料理を取っていた若そうな男性だった。
別に料理くらい取ってもらう必要もないと思い、私は断ることにした。
「お気遣いありがとうございます。でも、これくらい自分で取れるので大丈夫ですよ」
「そうですか。しかしここは男性である私に任せていだだければ。ぜひ私に料理を取らせてください」
うーん。よくわからない理論だし、少ししつこい。
私は真空の方を見て顔をしかめつつアイコンタクトをした。
「いえ! 大丈夫です! 申し訳ないですが好きな食べ物は自分で取らないと我慢ならない性格で……!」
意味不明な理由で再度断った。
なんだか潔癖症みたいな発言になってしまった。
「そうですか……それは申し訳ありませんでした。――ではこれで」
「…………」
その場から離れた男性。その手元を見るとお皿の上には何も乗っていなかった。
「あれ、ルーシーに声をかけるためにいたんだよ、多分」
「やっぱり、そうだよね……」
「無駄に列を増やしやがって……許せん」
「真空、せっかく綺麗にしてるのに顔にシワ寄ってるよ」
「ああいう輩を見ると冬矢を思い出しちゃって」
「ふふ……冬矢くん? 冬矢くんならもっとスマートにやるでしょう」
「え〜っ!? ルーシー何言ってるの!? 光流くんの友達だからって変なフィルターかかってるって!」
「そうかなぁ……?」
とにかく前にいる人が減ったお陰で、料理を取るスペースが空いた。
私と真空はどんどんお皿に料理を乗せていき、最初に座っていた壁際の席へと戻った。
…………
「おう。さっきは良かったぞルーシー。ドレスも素敵じゃないか」
「お疲れ様。ルーシーも真空もとっても綺麗だよ。特に真空は見違えたよ」
席で真空と一緒に食事をしていると、そこにアーサーとジュードがやってきた。
そういえばドレス姿を見せたのは今が初めてだ。
それは良いとして、私はまだアーサーに対する怒りが収まっていなかった。
ドレスを褒められたとしても許せないことは許せないのだ。
「ちょっとアーサー兄! あんなの聞いてないんだけど! 心臓が三つくらい破裂したよ!」
「はは。でもうまく喋れていたじゃないか。俺は辿々しく狼狽えるお前が見れるかと思ったんだけどな」
「ぜっったいに許さない!」
「はいはい。――でもルーシー。お前は俺に必ず感謝することになるぜ?」
「…………? 何言ってるのよ。そんなことどうでも良いけど何かでお返ししてもらわないと怒りが収まらないんだから!」
何が感謝することになるぜだ。
これから何があるというのか。
私は怒りで腹の虫が収まらず、次々に料理を口に運んでいった。
「ジュードさん、ありがとうございます。これ、似合ってますかね?」
「うん、真空の綺麗な髪にとても合っているよ」
「ふふ。嬉しいです」
こっちはこっちでなんだか良い雰囲気だ。
アーサーさえいなければこんな気持ちになることはなかったのに。
私はどうでも良いから早く婚約者のところにでも行けばいい。
あ、ここに来ているわけではないのか……。
さっきは婚約者を紹介すると思っていたら、私の名前が呼ばれたんだった。
「ア、アーサー様っ!」
すると、先ほどと同じような声が聞こえてきた。
視線を向けると、やはり想像していた通りの人物がそこに立っていた。
「ん……玲亜か」
そこにいたのはやはり倉菱玲亜さん。
名前で呼んでいるあたりやはり顔見知りなようだ。
ただ、アーサーはなぜか倉菱さんを見ると声のトーンが落ち、先ほどまで笑っていた目がいきなり冷たくなったように色がなくなっていた。
「は、はいっ。先ほどのスピーチ素晴らしかったですっ」
「そうか。それは……なんだ。ああ、ありがとう」
キラキラした目で迫る倉菱さん。
しかし、一方のアーサーはぎこちなく端的な返事をしただけだった。
何かがおかしい。
「ちょっと、兄さん」
「あ、あぁ。――悪い、ちょっとトイレ行ってくるわ」
「アーサー様っ!?」
「兄さん……っ」
すると、アーサーが逃げるように会場から出て行ってしまった。
何やら空気がとても重い。
「玲亜さん、兄さんがごめんね」
「い、いえ。ワタクシはお話できただけでも満足ですから…………っ」
「玲亜様っ!?」
ジュードがアーサーに代わって謝罪すると、倉菱さんが悲しそうな顔でそう言った。
しかし、最後には何か思い詰めた表情になると、その場からどこかへ走って行ってしまった。
その倉菱さんを剣持さんと鳳さんが追いかけて行った。
「もう、兄さんは……。朝は気持ちを切り替えるような話をしていたのに……」
え、どういうことだろうか。
話が見えない。
アーサーと倉菱さんに何か良くないことでも起きているのだろうか。
「ジュード兄、これはどういうことなの?」
私も真空も、今何が起きているのか全く理解できていなかった。
倉菱さんは私の記憶にも関わる存在。だから彼女とはもっと仲良くしたいのに。
「ああ、そっか。ルーシーはまだ知らないんだったね」
「え……なんのこと?」
ジュードが頭を抱えながら、アーサーが出ていった扉と倉菱さんが走っていった背中を交互に見つめていた。
そうして口を開くと、私は衝撃的な事実を知ることになった。
「玲亜さん――倉菱玲亜は兄さんの婚約者なんだよ」
「――――え?」
いきなり過ぎて、情報の整理ができない。
整理というほどの情報はないのだが、驚きで受け入れるには時間がかかる話だった。
だって、だって二人は――五歳も年齢が離れているんだから。
高校一年生と大学三年生。
アーサーが高校三年生の時は倉菱さんがまだ中学一年生ということになる。
大人になったら年齢差なんて関係ないんだろうけど、まだ学生の年齢でこの差は大きいのではないだろうか。
いや、年齢のことなんて些細な話。
政略結婚とは聞いていた。倉菱さんのお家は大きいみたいだし、そう考えると腑に落ちる。
でも、今思えば父と母が政略結婚なんて許すだろうか。会社は大事だろうけど、そんなお金目的のような結婚をさせるとは思えない。
これまでの二人に何があったのだろう。
「ふむ。じゃあ少しだけ二人の話をしようか」
そこでジュードがアーサーと倉菱さんの馴れ初めを話してくれた。
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