212話 麻悠の本気
放課後。今日は部室へと集まり氷室麻悠についてのことを皆に共有するところから始まった。
テーブルの上に茶菓子と紅茶やコーヒーを並べ、四人向かい合って話し合う。
「――ってことなんだけど、大丈夫かな? 特にルーシーには確認しなきゃいけないことだから」
麻悠がキーボードとして参加してくれること、その参加を考えてくれる条件として二つの条件を提示された。
その一つが俺とルーシーについて教えること、そして二つ目が次の中間テストで俺が麻悠に総合得点で勝つことだった。
「氷室の孫なんだもんね。なら麻悠ちゃんは良い子だよ。私は大丈夫」
「わかった。ありがとう。俺のほうから麻悠に言っておくね」
ルーシーも氷室さんについては全幅の信頼を置いているようだ。
だからその孫である麻悠も信頼に値するという考え。
血縁関係があるからと言って全てを信頼しても良いわけではないと思うが、自然と信頼してしまうのはしょうがないだろう。
それにあのように抱きついたりしているところも見てしまったし、おじいちゃんのことが大好きなことが伝わってきた。
「麻悠……」
「あ、いや……氷室さんと区別つけるためにね……?」
するとルーシーが下の名前呼びしたことについて気になったのか、そう呟いた。
一応説明しておいたが、一日で名前呼びになるなんて距離の近づき方が早いと思われても仕方ないかもしれない。
「ルーシーちゃん。そういうこといちいち気にしてちゃこのあと大変だぞ。こいつこう見えて無自覚に女たらしだからな」
「女たらし……」
ルーシーからの視線が少し痛い。
けど、俺は別に自分から女性と仲良くなろうと近づいたことは基本的にはない。
確かに周りには可愛いと言われる子は多いけど、それは自然とそうなっただけで……。
「それはそれとして、二つ目の条件の方は問題ないんじゃないのか?」
「いや、そう簡単じゃない。麻悠は入試で二位だったらしい……」
「マジかよ……じゃあほとんど学力に差はないってことか」
冬矢は簡単そうに言ってくれるが、どちらかと言えばこちらの方が問題だ。
やる気のなさそうな顔をしておいての実力。地頭がかなり良いと見える。
なら、俺はそれを努力で補うしかない。
もちろん成績上位を中学から同様に狙いたいが、今回は勝たなくては話が進まない。
「だから、特に五月に入ったら少し部活早めに切り上げて勉強に時間費やしたいんだ」
ルーシーたちもそういう条件なら仕方ないと同意してもらった。
ともかく今の俺たち――具体的には俺だが、やることが多い。
真空の誕生日のための曲作りからの練習に皆での合わせ練習もある。
勉強だってちゃんとやらなくてはいけない。
筋トレとジョギングも時間がある時にはやっているし、もうほとんどルーティン化している。ルーティンというのは生活の一部だ。やらなくては少し生活が崩れてしまうことにもなりかねない。
ただ、今回ばかりはこのルーティンを崩さなくては麻悠に勝てないと思っている。
◇ ◇ ◇
その後、ルーシーと真空は個別練習で、俺と冬矢は真空のための曲作りを部室ではじめた。
ちなみに真空にはバレてはいけないので、ルーシーの歌詞ができるまでの音作りなんていう適当な言い訳をしている。
俺が冬矢に協力することが少なくなってくると、休憩がてらルーシーの様子も見に行くのだが、今日のルーシーはどこかいつもとは違った。
廊下に椅子を二つ並べてルーシーとギターの練習をするのだが、俺がその場所に行って早々、ルーシーは身を寄せてきたのだ。
「あ、あの……ルーシーさん?」
ルーシーは無言で俺の左腕に絡みつく。
少し頬がぷっくりとしている気がする。怒っているのだろうか。
ただ、その頬がハムスターみたいで可愛いかったので、ハムスターみたいだねと言ったらなぜか怒られた。
ハムスターは可愛いはずなのに、なぜ怒っているのか俺には理解できなかった。
「もっと名前呼んで?」
「えっ……」
甘えるような猫なで声で俺にお願いをしてくるルーシーの目は上目遣いでドキっとしてしまう。
なぜ、こんなことを言ってきたのかわからないが、俺はルーシーの名前を呼ぶことにした。
「ルーシー」
「もっと」
「ルーシー」
「もっと」
「ルーシー」
「にひひ……」
なんだこの可愛い生き物。
名前を呼んだだけなのに、顔がとろけて満足そうな表情をした。
「だって光流は女たらしなんでしょ?」
「あ、あぁ……そういうこと」
ルーシーは先ほどの冬矢の言葉を気にしていたようだ。
「でもいつも一緒にいるのはルーシーだよ」
「しずはとのデートは楽しんだんでしょ?」
「そ、それ聞くのはズルいよ」
ルーシーはしずはから俺とのデートの様子を聞いたりしたのだろうか。
まさか、キスしたことをルーシーに言ったり……。
いや、真空はルーシーには話さないって言っていたし、つまり真空はしずはから聞いていない。
ルーシーのことだ。もしそうなら、真空に相談しているはずだ。
だから、勝手にルーシーはしずはが俺の頬にキスしたことは知らないのだなと考えることにした。
「光流ってさ。やっぱりモテるんだね」
「そっくりそのままお返しするよ」
「今はそういうことじゃない。光流のことなの」
返事を間違ったようだ。
最近の俺と一緒にいない時のルーシーはどうしているだろうか。
できるだけ一緒にいようとは考えているけど、現実的ではない。
他のクラスから誰か押しかけてくるようなことは今のところない気がする。
あの倉菱さんを除いてだけど。
「モテるっていうのはあんまりよくわからない。でも友達が増えはじめたのはルーシーと出会ってからなんだよ」
「え、そうなの?」
あの小学四年生の時にルーシーと出会って事故が起きて、入院することになってから周囲の環境が一変した。
それまでは冬矢以外には関わる友達の関係性は薄かったが、そこからグッと仲良くなれる友達が増えた。
「だから、今こうなってるのもルーシーのお陰だよ」
「うん……」
ルーシーが猫のように体を擦り付けてくる。
制服越しに彼女の柔らかい体を感じ、マーキングされているようでもあった。
「ほら、練習続けるよ」
ずっとこうしてサボっているわけにもいかない。
ルーシーにもちゃんとギターをうまくなってもらわないといけない。
歌いながらやるのが一番大変なんだから。
◇ ◇ ◇
翌日、俺は麻悠と話すことにした。
昨日皆に話したことの共有とルーシーと俺のことを話すためだ。
ただ、デリケートな話にもなるので、学校ではないところで話したかった。
なので、今日は先に部活を上がらせてもらって、麻悠とカフェで話すことにした。
そのカフェとはもちろん姉が働いているカフェだ。
「……あんた、また別な女の子連れてきて……ルーシーちゃん怒るよ?」
「ルーシーにも了承済みだよ」
「えっ、あの歳で寝取られに目覚めた?」
この姉は麻悠の前でなんてことを話すんだ。
冗談だとはわかっているけど、ちゃんと店員としての仕事をしてほしい。
ひとまず俺と麻悠はコーヒーを頼んで、軽く口に含んだ。
最初は姉のことを聞かれたりもしたが、それほど話すことはないのですぐに本題に移った。
そうして、俺とルーシーの馴れ初め、デリケートな部分をやんわりした言い方に変えて麻悠に伝えた。
「――じぃじはそのターニングポイントになった事故を目の前で見てたのかぁ」
麻悠はまず、自分の祖父がその場に居合わせたことに少し驚いたようだった。
氷室さんとは毎日のように顔を合わせていた関係だった。
俺もすごいお世話になったと思ってる人物だ。
「君たちみたいのが運命って言うのかなぁ。生きてきた中で一番壮絶な話だよ。特にルーちんのほうの話がね」
いじめの部分についてはやわらかく伝えたつもりだが、病気のことについてはルーシーの了承もあり、顔が酷い状態になっていたことを伝えた。
ただ、麻悠も氷室さんから、ルーシーがどんな病気だったのかは知らなかったが、病気をしていたことは自体は聞いていたらしい。
「私もさ、じぃじとは数ヶ月に一回くらいしか会ってなかったけど、シワは増えたのに雰囲気は柔らかくてなった気がするんだよね。思えばその頃に二人は出会ってたのかもね」
それは俺も思う。
氷室さんはどこか凄みがある何かを纏ってはいるが、年齢を重ねるにつれ柔らかくなっている気はする。
それもそうか、ルーシーを孫のような気持ちで見てきたはずだ。
「それにしても、光流っちはほんと面白いね」
「何が?」
「愛のパワーでそんなに成績伸びる? 私、今まで誰にも負けたことなかったんだよ?」
負けたことがないという話もとんでもないけど、確かにルーシーのことを想って努力してた時の俺はとても強かった。自然とその努力はルーティンになって、努力とは思わなくはなっていたけど。
「でも中学の時は最後まで一位取れなかったからね。最高順位が三位だったから」
「じゃあ私がその二人に負けたみたいになるじゃん」
「そうは言ってないんだけど。……麻悠って結構負けず嫌いだよね」
「ははぁん。そういうこと言っちゃうかあ」
麻悠はコーヒーを口に運びながら目を細めると、核心を突かれたのようにニヤッとした。
条件の二つ目がもう負けず嫌いを表しているしね。
麻悠のことが少しずつ分かり始めてきた。だから――、
「麻悠も本気だしてよ。俺も出すから」
「ふっ、ふふふふ」
その言葉を発した瞬間、ずっと笑わなかった麻悠が久しぶりに笑ったような不思議な笑い方をした。
口角が上りきらず、少し歪な笑い方。
麻悠みたいなタイプは普段からあまり笑わなそうな感じはする。けど、今こうやって笑ってくれたのは嬉しい。
「入試の時も少し手抜いてたんでしょ?」
「私、今まで本気出したことないから。本気出したら誰も勝てなくなるしね」
さすがに全国の天才たちと比べると劣るとは思うけど、今の話で手を抜いていたことは確定した。
こういう相手と仲良くなる為には少しくらい煽ったほうが良いような気がした。
「でも、いいの? 私がそんなことしたら本当に勝てなくなるよ」
「俺は麻悠が納得する形で勝ちたいから。もし、本当にバンドすることになって、あの時本気だなさなかったから、この演奏も本気じゃなくていっかってならないように」
やる気の違い。
これは冬矢にもサッカーの話の中で言われたことがある。
同じチームでも一人一人の士気の高さが結果に繋がると。その中でも士気――つまり、やる気が少ない人が一人でもいれば、そこが穴になる。
バンドでも、その意識の高さの違いで空中分解しかねない。
もし一緒にやることになるのであれば、今の段階からの仕込みが必要だ。
「光流っち言うねぇ。私にそこまで言う人初めてだよぉ。さすがの私もピキンときたよ」
「うん。だから本気でぶつかり合おう」
この日、俺は麻悠と少し打ち解けたような気がした。
普段はだらっとして見える彼女も本気を出せるような相手がおらず、悶々としていたのかもしれない。
俺は彼女のように天才タイプではない。
だから今回中間テストに勝つには、勉強時間を増やさなくてはいけない。
特に俺の場合、普段はテスト三週間前から追い込みに入る。
ただ、真空の誕生日会と曲の練習がある。
どうしたものか。
全ては手に入らない。時間は有限。
今回は特に何かを削らなくてはいけない。
筋トレとジョギングは削れるとして、バンドの練習か……。
真空の誕生日から中間テストまで二週間弱。
まずこの期間は部活の休みをもらうことにしよう。
◇ ◇ ◇
そうして金曜日。
俺たちバンドメンバーは二回目の合わせ練習をルーシーの家の地下室で行った。
前回よりも良い出来になったのは当たり前なのだが、まだまだバンドとしての完成度は低い。
ルーシーも少しずつ手元を見ずに前を向いて歌えるようになってきたり、真空もちゃんと俺のギターの音について来ている。
冬矢の方は全く問題なさそうだった。
そんな平日最後の日を終えてやってきた休日は、あの焔村火恋と食事に行く日だった。
現時点で焔村さんはルーシー、真空、しずはに対して敵対心がある人物。
だから今回の話をルーシーたちにするわけにはいかなかった。
つまり内緒で女子と二人で外で会うことになるのだが、正直これは良いのかとも思っている。
もし誰かに見られて変な誤解をされても困る。しかしそれをルーシーたちに話すわけにもいかない。
八方塞がりだった。
今回の目的は、焔村さんと仲良くなって、ルーシーたちに手出しできないようにすること。
誘えそうなら、ラウちゃんのコスプレ撮影のことも話してみることだ。
今から気が重いが、とりあえず盗聴器やボイスレコーダーなんてものがないか警戒するところから始めようと思う。
「く、九藤っ……」
待ち合わせ場所で待っていると、焔村火恋が現れた。
初めて名前を呼ばれたような気がする。
焔村さんはサングラスをかけていてファンにバレないように変装をしていた。
ただ、全体的な服装が問題だった。
まだ春だというのに色々と露出度が高くて、なぜか気合いが入っているように見えた。
スカートもミニだし、しゃがんだらパンツが見えてしまうのではないかという短さだった。
俺は目線に困りながらも挨拶をした。
「焔村さん。こんにちは」
食事だけだったはずの焔村火恋との長い一日が始まる――。
―▽―▽―▽―
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