211話 じぃじ
『――光流くん、次の休み時間にちょっと良い?』
しずはとのデートが明けた月曜日。
三時間目の授業前、真空から直接メッセージが届いた。
真空から個人メッセージが届いたのはほぼ初めてだった。
連絡先は交換していたが、基本的にはやりとりはしたことがなかった。
真空の方に視線を向けると、軽くウインクをされた。
俺はその返事にYESで返し、授業後に指定された場所へと向かった。
…………
屋上へ続く最上階の階段の踊り場。
その場所へ行くと、先に真空が待っていた。
こう、二人きりになるのもなかなかないことだった。
「待たせた?」
「ううん。待ってないよ。わざわざありがとね、光流くんっ」
いつも通りに明るい真空。
普段と変わりないその様子に、なぜ呼び出したのか尚更気になった。
「時間もないし、率直に聞くんだけど――」
「うん」
「しずはちゃんとキスした?」
「ぬあっ!?」
予想もしていない質問に変な声が出てしまった。
だから今、何が起きているのかよくわからなくなっていた。
「いきなりごめんね。ただ、昨日はしずはちゃんとのデートだって聞いてたからさ気になって。それにしずはちゃんがちょっと余所余所しい感じだし」
女性はそんな少しの違いで、いつもと違うってわかるのか?
俺は真空が恐ろしくなった。
「あ、いや……してないよ」
俺はしずはの名誉のためにも否定することにした。
ただ――、
「ほ・ん・と?」
真空が艷やかな長い黒髪を揺らしながら俺を壁際に追い込んできた。
「ほ、ほんと……」
真っ直ぐに俺の目を見つめる。
そんなに見つめないでくれ……。
「…………ふぅ。いや、デリケートなこと聞いてごめん」
「ううん。わかってくれれば良いんだけど……」
「もっと突っ込んで聞くとね、どこにキスしたかが知りたいの」
「なんてっ!?」
それだと俺としずはがキスしたみたいな言い方じゃないか。
決めつけは良くない。当たってはいるのだが……。
「もう大体わかってるから。ちゃんと教えて? ルーシーにもしずはちゃんにも誰にも言わない。だからお願いっ」
信じて良いのだろうか。
俺はまだ真空のことを良く知らないし、仲が良いと言われればそうとは言えない。
でも、ルーシーの親友だ。
悪い子であるはずがない。なら……。
「ほんとに、誰にも言わない?」
「うん。絶対。私の命をかけても言わない」
「それは重すぎるって」
「あはは、そうだね。なら、私のおっぱい一揉みとか? ――なんちゃって」
「ちょっと!?」
真空が自らの胸を持ち上げるかのように腕を組んで強調した。
入学式の朝に聞いてしまった会話。
真空の胸はルーシーやしずはより大きいらしい。
確かにそんな気配はするけど……。
「やっぱ光流くんも男の子だねぇ〜。そんなに見られると私も困っちゃう」
「あ、いや……ごめん」
「ふふふ。良いよ。女の子の胸はルーシーのだけ見てあげてね」
「何言ってるの!?」
確かにこんなキャラだ。
ルーシーの知識に偏りが出てもおかしくない。
「それで、どうなの?」
「うん…………ほっぺたに。しずはから」
俺は真空を信じて教えた。
というかなぜ聞きたいのか聞いていなかった。
やっぱりこれ本当に言って良かったのか?
「頬なんだ! なーんだ! 頬か! 良かった良かった口じゃないんだね」
「口じゃないけど……」
真空の考えていることがわからない。
口じゃなくて頬なら良かったとか。
「じゃあ光流くんは今、ルーシーとしずはちゃん両方から頬にキスされてる状態なわけか」
「ルーシー!?」
「あぁ、ごめんごめん。ルーシーからの話は大体耳に入って来てるからさ。一応相談相手にもなってるわけだし」
「まぁ…………そうだよね」
そうだとしても恥ずかしいよ。
真空には何でも見透かされているようだ。
「聞きたいのはそれだけ! じゃねっ!」
「ええ!?」
真空はそう言うとすぐ様階段を降りて行った。
結局、なぜそんなことを聞きたかったのかわからなかった。
うーん。まぁいっか。
今の出来事は忘れることにした。
◇ ◇ ◇
そうして、四時間目も終わり、お昼休み。
事件――とは言わないが、ルーシーが騒ぎ出した。
「あーーっ! お弁当忘れたっ!」
珍しい。今までそんな忘れ物のようなことをしなかったルーシーが忘れ物。
授業には関係ないことだが、珍しいと思った。
「ん……あ! あぁ……良かった」
ルーシーがスマホを確認したかと思えば、その騒ぎようはすぐに収まった。
話を聞くと、誰かが学校までお弁当を車で持ってきてくれている途中なんだとか。
それを聞いているうちに窓の方を見ると、校門の外に高級車が止まった。
すると、その車から出てきたのはなんと氷室さんだった。
ルーシーがお弁当を取りに行くというので、真空と一緒に着いていくことになった。
◇ ◇ ◇
そういえば、前にルーシーの家にお邪魔した時は氷室さんの姿は見えなかった。
休みとかだったのだろうか。
そうして、一階に降りて三人で校門へと向かったのだが――、
「じぃじ〜っ!」
「えっ?」
俺たちがスーツ姿で待っていた氷室さんの下に行こうとした時、誰かが氷室さんに抱きついていたのだ。
そして、その制服から女子だとわかったのだが……。
「ルーシー……あれ、どういうこと?」
「私も何がどうなっているのか……」
ルーシーも真空も今起きていることが良くわかっていないようだった。
とにかく俺たちは氷室さんの方へと歩いて近づいた。
「久しぶりじゃーんっ。じぃじ元気してたぁ?」
「はは。じぃじは元気にしてたよ。まさかここにいたとは。大きくなったね――麻悠」
「どうだい? ピアノは頑張ってやってるかい?」
「あ〜〜。は〜〜。今はやってない」
「そうかい、そうかい」
「ちょっとじぃじ、くすぐったいってぇ」
孫を見る祖父。そんな優しい表情になっていた氷室さん。
そして、その女子の頭を撫でていた。
そして氷室さんが会話の中で呼んだ名前は――、
「ひ、氷室……麻悠ちゃん!?」
二人の目の前までくると、その女子生徒の正体がわかったルーシーがクラスメイトの名前を呼んだ。
それは、俺たちが毎日のように見ている生徒の名前で――。
「あぁ……そういうこと。お弁当かぁ」
氷室さんに抱きついていた氷室さん――もとい氷室麻悠。
彼女が氷室さんが手に持っているものと、ルーシーの顔を交互に見て、今の状況を理解したようだった。
「えっ……氷室……? 麻悠ちゃんってもしかして……」
ルーシーの言葉を聞いた氷室さんがこちらに向き直ると――、
「お嬢様。想像通りでございます。――麻悠は私の孫です」
「「ええ〜〜〜〜っ!?」」
同じ名字だとは思っていたけど……まさか俺たちが通う学校に孫が通っているなんて、偶然が過ぎる。
でもこれもジュードさんも知っていたのかと思ってしまう。
数の多いクラスの中でも、俺とルーシーと一緒のクラスだなんて縁がありすぎるから。
「も、もしかして最初からルーシーのこと知ってたりした?」
氷室さんに抱きついていたくらいだ。氷室麻悠は氷室さんのお仕事の話を聞いていてもおかしくない。
「ん〜、名前だけ? でも初めて見たのはこの教室に来てからだよぉ」
「そうだったんだ……」
不思議なこともあるわけだ。
それにしても氷室麻悠は氷室さんのことが大好きなように見えた。
抱きついていたくらいだ。しかも『じぃじ』呼びするほど。
「じゃあ、私はお邪魔みたいだからまたね、じぃじ。今度連絡するねぇ」
「あぁ。元気でな」
普段は俺にすらも敬語の氷室さん。しかし孫に対してはそうではなかった。
これが家族なんだろう。
「あ……麻悠ちゃん」
氷室麻悠は氷室さんと言葉を躱すとそそくさと俺たちの横を通り過ぎて校舎へ戻っていった。
ただ、その時に俺たちに軽く手を挙げて戻っていった。
「お嬢様、こちらをどうぞ」
すると氷室さんから近寄ってきて、持っていた弁当箱をルーシーに手渡した。
「ありがとう……孫、いたのね」
「ええ。私も良い歳ですからね」
「改めて自分のことしか考えていなかったんだって思っちゃった」
「使用人とはそういうものです。プライベートな話をする使用人はなかなかいないでしょう」
「私ってうちで働いてくれている皆のこと全然知らないんだな……」
弁当を受け取ったルーシーが、少しだけ物憂げにそんなことを語る。
病気や学校でのことで塞ぎ込んでいた状態では、ルーシーでなくとも他に目を向けるなんてできなかったと思う。
これはルーシーが使用人に興味を持っていなかったということではなく、視野が狭くなってしまっていただけだ。
「これからはもっと皆と話してみようかな……」
「それは良いことかもしれませんね。皆さん宝条家のことが好きで働いていますから」
「そっか。私の病気が治ったことにも喜んでくれてたもんね」
氷室さんは、ルーシーの父である勇務さんが若い頃から宝条家で働いていたらしい。
年齢的にも退職しても良いはずだが、今でもずっと働いているということは、宝条家の人間自体が好きなんだ。
「――では、私はこれで。朝比奈様も光流坊っちゃんもお元気で」
氷室さんは車に戻るまで『麻悠と仲良くしてあげてください』なんてことは言わなかった。
そういったプライベートのお願いごとも主人にはしないということなのだろうか。
◇ ◇ ◇
「――まさかだったね。びっくりしちゃった」
「そうだね。同じクラスなんてもんね」
弁当箱を持って教室に戻る途中、氷室麻悠について語っていた。
「そういえば、二人共気付いた?」
「え?」
すると真空が話を切り出した。
気付いたとは何のことだろうか。
「麻悠ちゃん。氷室さんに言われてたよね『ピアノは頑張ってやってるかい』って」
「あ……」
氷室さんに抱きついていた時、そんな会話をしていたような気がする。
「キーボード。どのくらいピアノができる子なのかわからないけど、一応聞いてみたらどうかな?」
「……うん! 光流はどう思う?」
「そもそも見つけるところから大変だと思うから、聞いてみるだけまずは良いんじゃないかな」
バンドに参加してくれる人なんて、こんなに人の多い学校でも一握りだろう。
なら、少しでも声をかけていくことが重要だ。
「二人は氷室麻悠と話したことある?」
「私はあのトイレの前で話したのが初めてかも」
「私も一緒〜」
俺は、入試の時から今まで何度か話している。
それなら俺の方が話しやすいかもしれない。
「じゃあさ、俺から話してみようか? 実はさ入試の筆記試験の時に近くにいて話したことがあったんだ」
「そうだったんだ! なら、最初は光流にお願いしようかな」
「わかった。話したら皆にも報告するからさ、それまで待ってて」
ということで、俺が氷室麻悠に接触して、ピアノについて聞くことになった。
正直少し不思議な子ではあると思っていたのだが、氷室さんの孫ともなれば仲良くなることができるかもしれない。
俺も氷室さんのことを好きな一人だ。そういう共通点もあるはずだから。
◇ ◇ ◇
ということで、お昼ご飯を食べたあとに、廊下を一人で歩いていた氷室麻悠に話しかけてみるところからはじめた。
「――氷室さんっ」
小柄な背丈にミディアムボブ。そして伊達だと思われる大きめの眼鏡をかけている氷室さんに声をかけた。
「やぁ、光流っち」
トイレに行っていたのか、取り出したハンカチをちょうどブレザーのポケットに仕舞っているところだった。
「まさか、氷室さんの孫だったなんて……驚いちゃった」
「こっちに言わせてみれば、光流っちがじぃじのこと知ってるほうが驚きだけどねぇ」
「あ……そっか。一応五年前にはもう氷室さんとは会ってて……」
会っていない期間は長いが、知り合いとしては古い。
その五年間の間に氷室さんにはシワが増えてはいたが、今でも元気だ。
「まぁ、光流っちとルーちんの仲の良さを見てれば大体わかったけどねぇ」
「そっか。氷室さんはよく見てるね」
「てかさ、じぃじも氷室さんで私も氷室さん。私のことは名前で呼んでよぉ」
それは俺も思っていたのだが、下の名前を呼ぶには少し早い気がしていた。
氷室麻悠の方は最初から俺のこと光流っちと呼んではいたが……。
「下か……麻悠……ちゃん」
「他の仲良い女子にはちゃん付けなんてしてないくせにぃ」
「めちゃめちゃ話聞いてるじゃんっ!?」
「君たちクラスの中じゃ結構目立ってるからね。自然と話くらい聞こえてくるよぉ」
そういうものなのだろうか。
ともかく、麻悠……なんていきなり呼び捨てで呼ぶには……まぁ、これから仲良くしていくことを考えたら良いか。
「じゃあ……麻悠……で」
「ふぅん。男の子で私のこと麻悠って呼び捨てにする人、初めて」
「えっ……なら、良いの?」
「良いよぉ。光流っちなら」
名前の呼び方からも、俺のことは少なからずちゃんと会話ができる対象と思ってくれていると思う。
彼女もあまり他のクラスメイトと話しているところを見たことがないので、特に男子からは呼び捨てで呼ばれることなんて、なかなかないのかもしれないけど。
「――それで、それだけが私に声をかけた理由じゃないんでしょ?」
麻悠はするどい。
そういえば、焔村火恋について気をつけてって話もしていたっけ。
確かにあの時の忠告はズバリ的中だったけど……。
「うん。俺たちがバンドしてるってことは知ってるよね?」
「まぁ」
「いまさ、キーボードがいなくて、バンドに参加してくれる人を探してるんだ」
「へぇ〜」
麻悠の反応はかなり薄い。
「それで麻悠がピアノしてるってさっき氷室さんの前で言ってたから……」
「私を誘ってみてるわけかぁ」
「うん。でも、いきなり参加するだなんてこっちも思ってないから、だからひとまず考えるところからお願いしようと思って」
そもそも麻悠のピアノの実力もわからない。
氷室さんとの会話では、今はやっていないとのことだったけど、中学の時まではやっていたのだろうか。
「――二つ、条件」
「条件……?」
条件か。少し前にはしずはにも出された条件。
こういう時って大変な条件を突きつけられるイメージがあるのだが……。
「一つ目。ルーちんと光流っちの話を聞かせて。本当はじぃじに聞くつもりだったんだけど、まぁバレたし直接聞いたほうが早いからねぇ」
「それは多分大丈夫。全部は無理かもしれないけど、氷室さんの家族なら言えると思う」
これについてはルーシーにも後で確認しておこう。
病気のことについてはデリケートな問題でもあるし。
「んで、二つ目。五月の中間テストで光流っちが私より合計点で勝つこと」
「テスト?」
「言ってなかったけど、私、入試で二番目だったんだよぉ。今までテストで負けたことなんてなかったのに、びっくりしたんだぁ」
「えっ!? そうだったの!」
まさかの事実。正直だらんとしていた何かに対してやる気を出すとは思えないような雰囲気なのだが、勉強は相当できるというギャップ。こういうタイプは天才型だ。
恐らく俺の勉強時間の半分以下で済むような……。
「あ、ちなみに考えるだけね。参加じゃなくて。ま、私のピアノのレベルが低いってこともあり得るし」
「それはもちろん! ……わかった。その条件で行こう」
「ふぅん。私に勝つ自信あるんだ?」
「わからない。入試だってたまたま俺が一位だった可能性もあるし」
「そう。なら決まりだね」
まずは、麻悠に俺とルーシーのことを話すこと、そして次の中間テストの総合点で麻悠に勝つこと。
これを条件として、ピアノの件について考えてもらえることになった。
「連絡先、交換しよう」
「なんだぁ? ナンパかぁ?」
「邪推が過ぎる。普通にこれからのこと連絡するためだよ」
「わかってるってぇ。冗談だよぉ。はい」
こうして俺と麻悠は連絡先を交換した。
まずはルーシーたちにこのことを共有するところからだ。
キーボード探しをどうしれば良いかわかっていなかったところ、こんな近くにピアノをしている人がいたなんて朗報すぎた。
氷室麻悠、か……。
まだ彼女のことはほとんどわからないが、まずは五人目のバンドメンバーとしての第一歩だ。
―▽―▽―▽―
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