210話 アクアリウムリップ

「私、まだあんなことするつもりはなかったの!」


「でもお母さんが光流にあんなことするから!」


「明日だってしずはとのデートもあるし!」


「私って、本当は独占欲が強いのかな……?」



 光流とのデートが終わり、家に帰ってからはずっと放心状態だった。

 しかし、その状態も長くは続かず、現実にしてしまったことを思い出し、恥ずかしくなる。



 その様子を見ていた真空が私に寄り添ってくれて、話を聞いてくれた。


 というか、キスしたことについて真空に話す予定はなかったのだが、吐き出したい気持ちが溜まっていたのか、いつの間にか話してしまっていた。



「――そこは口でしょ!」



 しばらく私の話を無言で聞いていた真空の最初の言葉だった。




「く、口だなんて絶対に無理! だって付き合ってもいないのに……」

「付き合ってないのに頬にキスしたくせに」

「キスって言葉言わないでぇ〜」



 その言葉を聞くだけでも、顔が赤くなる。



「今度は光流くんにねだって見れば? 次は光流から私にしてって」

「そんなのただの変態じゃない!」

「いや、好き同士なら普通だと思うけど……」

「とにかくそんなハードル高いことはまだ無理!」

「ふーん。明日はしずはちゃんにキスされるかもしれないのに?」

「えっ!?」



 そんなことは少しも考えたことがなかった。

 自分のことで頭がいっぱいで、しずはがどんな行動をするかなんてわからなかった。



「だってそうでしょ? ルーシーだって付き合ってないのにキスした。なら、付き合ってないしずはちゃんだって、キスしちゃうかもしれないじゃん」

「あ…………」


 

 自分を棚に上げて、自分以外の人が同じようなことをするだなんて少しも考えたことがなかった。

 私は光流と相思相愛なんだって、少しは思ってはいるけど、それでも、光流が無防備な時に……って時もあり得るんだ。



「ど、どうしよう真空っ!!」

「ふふ。ルーシーくん、私に良い考えがあるのだよ」

「な、なんでしょうか真空先生!」

「それは――」




 ◇ ◇ ◇




 潮風に乗って海の匂いがすんと香る。


 俺は神奈川のとある場所に一人で来ていた。

 そう、今日はしずはとのデートのため、少しだけ遠出をしていた。


 東京からは少し離れた場所だが、しずはがこの場所を指定したためはるばるやってきたのだ。


「ひ・か・るっ!」

「わ……っ」


 待ち合わせ場所に現れたのは、ニッと白い歯を見せながら俺に肩をぶつけてきた藤間しずは。

 

 ある日を境に、俺に対する当たりが強くなったしずは。

 それは前向きに良い方向だとは考えてはいる。だって、彼女はこんなにも明るく元気な性格になったのだから。


 

「しずは……おはよ」

「おはよっ。今日は天気いいねっ」


 太陽の光が眩しい。今日は雲一つない晴天だった。

 そんな太陽にも負けない笑顔のしずはの今日の服装は、ダボッとしたロンTの上にサロペットの片側を肩にかけず外したスタイルでキャップを被っていた。

 最近のしずははもっぱらボーイッシュコーデが多かった。


 今日回る場所も少し歩くからか、足元もスニーカーだし歩きやすい服装できたようだ。


「うん。気温も高くなってきたし、歩いてたら汗かいちゃうかもね」

「じゃあ行くぞー!」

「あっ……」


 しずはが自然と俺の手をとって、先導するように前へ引っ張った。

 彼女の顔を斜め後ろから見ると、少しだけ耳が赤くなっていたように思えた。


 そういえば、こうやって外で手を繋いだのって初めてなんだっけ?

 なぜか保健室では繋いだことはあるけど……。


 今日はルーシー公認のデート。

 手を繋ぐことも大丈夫なんだよな?


 昨日のルーシーからのキスの熱がまだ冷めないまま、俺はこの場に来ている。

 ただ、そんなことを考える暇もなく今日のしずはは積極的だった。




 ◇ ◇ ◇




「あ〜〜〜〜っ! 手繋いだ! 良いのルーシー!?」

「大丈夫。大丈夫。だって私が許したんだから。今日は大丈夫……」


 私と真空は今、光流としずはがいる場所から離れた場所にいた。

 その二人を遠目に尾行していた。


 今回の尾行は真空の提案だ。

 しずはが光流にキスするかもしれないと真空から言われて、動揺してしまった私。


 だから、本当にそうならないか監視するために真空が尾行しようと提案したのだ。

 ただ、もしキスしたとしてもこんな遠くからでは阻止することはできないだろう。


 結局何のために来たのかわからないが、今考えるとただ真空が楽しむだけにこんなことを提案したのではないかと思ってきていた。


「ルーシー。ちゃんと帽子被らないとバレるよ」

「あ。うん……」


 真空が私のバケットハットのつばを掴んで少し前に下ろす。

 今日の二人は変装してきている。


 二人共帽子を被り、サングラス。いかにも怪しい格好ではあるが、遠くからではさすがにバレないだろう。

 ただ、私の髪色が少し目立つ。一応髪をまとめてできるだけ帽子に隠してはいるが……。


「じゃあ着いていくよっ!」

「わかった」


 真空の顔がいつになく楽しそうだ。




 ◇ ◇ ◇




 橋を渡り、しばらく進むと見えてきたのは大きな広場だった。


「でっか!」

「めっちゃ広いじゃんっ」


 俺もしずはも初めて来たので、その広さに驚いた。

 通常水族館は水族館そのものだけ。


 しかし俺たちがやってきた八景島シーパラダイスは水族館以外にも複数の施設が組み合わさっていた。

 なので、一つの遊園地のようでもあった。


「じゃあ、まずはあれ乗ってみようっ」

「お、おうっ」


 ずっと手を繋いだままのしずはに手を引かれ、後をついていく。


 いきなり水族館の中を見るのではなくアトラクションから攻めるようだ。


 まず俺たちがやってきたのは『アクアライド』という乗り物だった。

 これは、チューブ型のボートに乗って川のようなコースを下っていくようなアトラクション。


 俺は最初はただ乗って流れるだけだと思っていたのだが――、



「うおっ! なんだこれっ!?」

「きゃあっ!?」


 俺としずはは叫び声を上げながら、岩壁や他のボートとぶつかったりで結構な衝撃がきた。

 なので、目の前のハンドルを握っていないと、外に飛ばされそうな勢いだった。


 さらに加わったのは水しぶきだ。

 俺としずはのボートにぶわっと水しぶきがかかり濡らしていく。


 というか……結構楽しい。

 このアトラクション自体めっちゃ楽しい。


「衝撃つよっ! すごいなこれっ!」

「水っ! かかる〜っ!」


 しずはも笑顔でアクアライドを楽しんでいた。




 ◇ ◇ ◇




「きゃーっ! 水っ、水〜っ!」

「ルーシー! ちゃんとハンドル握って!」


 私と真空は、光流としずはの最後方に並んで、気づかれないように同じアトラクションに乗った。

 最後方だと二人の姿なんてものは全く見えず、ただ真空とアトラクションを楽しむこととなっていた。


「なに、楽しんでんのよっ!」

「真空だって……きゃあ!?」


 壁にぶつかって、ボートが回転。

 自分がどこを向いているのか一瞬わからなくなり、そう思っているうちに突然水しぶきがかかる。

 私も真空も服に水がかかったものの、普通に楽しんでいた。


「ちょっと待って!? なにこれ楽しいっ!」

「ルーシー! 楽しむのが目的じゃ……ないっ!」

「きゃあ〜〜っ!?」

「回るぅ〜〜〜っ!?」


 私も真空もとびきりの笑顔でボートに乗っていた。

 こういうアトラクションはどれくらいぶりだろう。


 そもそも乗った記憶がない。

 こんなに楽しい遊びがあったんだ。


 これも真空がいるお陰だ。

 光流も一緒にいたらもっと楽しいのかな……?


 でも――、


「今もすっごく楽しいっ!!」




 アトラクション終了後、私と真空はアトラクション疲れをしていた。


「ルーシー……いきなりこれは激しいよ」

「はぁはぁ……でも、楽しかった」

「二人どこ行った?」

「どこだろ……」


 ハンカチでできるだけ服とサングラスを拭きながら光流たちの姿を探す。


「あ……」


 すると、二人の背中を見つけた。

 次のアトラクションか何かに向かうようだった。



「真空行こうっ」

「しゃーないなぁ!」




 ◇ ◇ ◇




「あー楽しかった!」

「うん……めっちゃ楽しかった!」


 せっかくセットしてきた髪も少し濡れて崩れてしまった。

 一方のしずははキャップを被っているので髪はそれほど問題はない。


 問題があるのは……。


「光流、髪拭いてあげる」

「あ、いいよいいよ。自分のあるし……てか……これ」

「ん……?」


 俺は上着のジャケットを脱ぎ、しずはに着せてあげた。


「え……あ……? えええっ!?」

「見てない見てない」

「見たからこうしたんでしょ!? ……いや、気遣いは嬉しいけど……えっち」


 しずはのロンTは白かった。

 それ故に水しぶきによって濡れてしまい、その下の下着が浮かび上がってしまっていた。


 ここは人が多い。他の人の目に晒すわけにはいかない。

 だから上着を着せたのだが、既にしずはのピンク色のブラジャーが目に焼き付いていた。


「わ、私らしくない色だと思った?」

「い、色!? 色とか俺よくわからないしっ」


 確かにピンク色はしずはらしくない。

 しずはと言えば中学三年の時にプールに行った時の黒の水着だ。


「こういう可愛い色もたまには、ね……。今日の服装はボーイッシュだから、中身くらいは……」

「それ男に説明することじゃないでしょ!」

「光流が見ちゃったからでしょ〜」

「とにかく渇くまでそれ着てて!」

「は〜い。……光流の匂いがする」


 しずはが満足そうに俺の上着の匂いをかぎ始める。

 今日はどうなってしまうんだ……。


 楽しいけど、まだ一つのアトラクションしか乗っていない。

 この先が思いやられる。




「次はあれ行こっか〜。にひひ」

「あれって……まさか……」



 しずはが指差した先、そこにあったのは――、



「――やばいやばい! これまじで落ちる! 落ちるって!!」


 俺としずはは今、地上から何十メートルか上のレールにいた。

 目の前には海しか見えず、その海に突っ込むのではないかというほど、今乗っているジェットコースターが突き出していた。


「光流っ……さすがにこれは私でも……っ」


『リヴァイアサン』。それがこのジェットコースターの名前。

 既に最高点まで上りきり、あとは落ちるだけだった。


 そして――、


「う、うわああああああっ!?」

「きゃああああああああっ!?」


 俺としずはの体にGが加わり、急落下していく。

 顔が歪むように風が上半身を貫き、何が何やらわからなくなる。


 左右に移動したり、回転したり、とにかくやばい。


「死ぬっ! 死ぬっ! たまひゅんするーっ!!」

「たまひゅんってなに〜っ!?」


 正直、会話している暇などない。

 ハンドルに必死にしがみつくことしかできなかった。



『――かる〜〜〜っ!!』



 ん?



 途中、俺の名前が呼ばれたような気がしたが、それどころではなかった。



 そして、ジェットコースターに乗り終わったあと。

 俺とキャップを預けていたしずはの髪はボサボサになっていた。


「ちょっとしずは……さすがに一旦休もう」

「そ、そうだね」


 俺としずはは、老夫婦のように腰を折り、休憩できるエリアへと進んで行った。




 ◇ ◇ ◇




「真空、これ私乗っても良かったのかな……?」

「ふふっ。もう遅いよ」


 光流たちの後を追って到着したのは、なんとジェットコースターだった。

 最前列に光流たちがいて、私たちは最後列。


 帽子が脱げそうだったので、しょうがなく預けたのだが、髪を晒しても今のところ気づかれていない。


「やばいやばいやばいやばい」

「ルーシー、来るよ!」


 海と空しか見えなかった。

 飛行機が離着陸するような感覚が体を襲う。


「――きゃあああああああああ〜〜〜っ!?」

「きた〜〜〜〜っ!!」


 ぐわんぐわんと体がコースターの移動によって揺さぶられる。

 もう他のことを気にする余裕などなく、私は力いっぱいにハンドルを握った。

 一方の真空は凄い楽しそうで、ジェットコースターは余裕そうだった。


「だめっ! これだめっ! きゃあああっ!!」

「ひゃっほーいっ!」


 叫びまくる私を他所に真空は元気に声を出していた。

 早く終わってくれと思いながら、途中からは目をつむってしまっていた。


 興奮と落ちないかという恐怖が混在し、私の感情はどこかへ行きそうになっていた。


「まそらぁ〜〜〜っ!!! ひかる〜〜〜〜っ!!!」

「バカっ! 名前呼ぶなぁぁぁっ!!」





 乗り終わったあと、私はしばらく動けなかった。



「――こんなんじゃ尾行どころじゃない。少し休もう」

「ふふっ。ルーシーったら、まだまだだねっ」



 真空はジェットコースターの影響がそこまでないようで、全然元気だった。


 先ほどのアクアライドとは全く違った。

 どこかで休まないとこのあとが大変だ。



「あ、あの二人も休むみたいだよ」

「そりゃそうだよ……」


 私たちも休憩できるエリアへとゆっくり足を進めた。




 ◇ ◇ ◇




「――はい、買ってきたよ」

「光流ありがとっ」



 俺たちは今、クレープ屋さんでクレープを買って、近くのテーブルまで移動し座っていた。


「最初から激しいアトラクションはやばいって」

「ふふ。光流の叫び声。今まで聞いたことない声だった」

「しずはだってそうじゃん。今までで一番大きな声聞いたよ」


 かぷりとクレープを頬張りながら先ほどまで乗っていたジェットコースターの話をする。

 俺もしずはも人ではないような声を出していた気がする。


「どうしようもない状況になると、人間って限界超えられるみたいだね」

「追い詰められたとも言うけどね。未だにお腹あたりが変な感覚だよ」


 クレープをお腹には入れるが、ジェットコースターの影響はしばらくしてからも残り続けていた。


「あ、そういえば、たまひゅんってどういう意味?」

「教えない」

「なんでよ!」

「しずはに説明できることじゃないっていうか……」

「いみふめーい。良いよネットで調べるからっ」

「はっ!? えっ!?」


 するとスマホを取り出してしずはが『たまひゅん』と検索しはじめた。


「タマヒュンとは、男性の睾丸(金玉)が高所やジェットコースターなどの落差、それによる無重力感などに晒され恐怖にすくみ上がるその時に感じるヒュンといった感覚に例えられる感覚である……」

「読み上げるなぁ!」

「ぷっ……ふふふふふっ。ひ、光流の……が、ひゅんしちゃったんだ?」

「だからっ!!」


 こいつはいつから下ネタについていけるようになったんだ……。

 知識を与えるとすれば千彩都なんだろうけど、あの無防備全開の姉もいるしな……。


 男性ならこの感覚はわかるだろう。

 たまひゅんはどうやっても抗えない事象なのだ。


「あ!! ひ、ひかるっ!! あそこ!!」


 するとしずはが突然指を差して何かを見ていた。


 その指が指す方向を見ると、そこには既に人だかりができていた。

 そして、その人だかりの隙間から見えたのは――、


「ペンギンじゃんっ!!」

「可愛い……」


 なんと、人が歩くスペースを飼育員と共にペンギンが行進していたのだ。

 触ろうと思えば触れるような距離を歩いており、俺は目を見開いた。


「光流行くよっ!」

「ちょっ、しずはっ!」


 しずははクレープを片手に走り出した。


 まだジェットコースターの疲れが取れていないが、俺もしずはを追ってペンギンの近くへと向かった。




 ◇ ◇ ◇




「真空っ!  真空っ!! あれっ!!」

「ペンギン!? なにそれ! なんであんなとこに!?」


 

 光流たちを遠目に私たちもクレープを食べていたのだが、なんとそこにペンギンが現れた。

 あのぺたぺた歩く姿が可愛すぎて、目を奪われてしまった。



「わ、私たちも行こうっ!」

「バカっ! 近づきすぎたらバレるっ!」


 真空の忠告を無視し、私の足はペンギンに吸い寄せられた。



「可愛い〜〜〜っ」



 数匹のペンギンがぺたぺたぺたぺたと少しずつゆっくり歩いていた。

 私はスマホを取り出し、写真を撮りまくった。



「ルーシー。あんたねぇ……」

「ごめんってぇ」



 ペンギンに近づく直前。真空に止められ、光流たちがいる方向とは別の方向。

 他のお客さんの列に紛れ込んでペンギンを眺めた。


 あまりにも可愛すぎて、光流たちがデートしていることそっちのけで近づいてしまった。

 危ない危ない。



 そんな光流たちは、ペンギンを見終えると、なんとイルカショーを観に行くようだった。




 ◇ ◇ ◇




「――イルカショー凄かったね!」

「はは。前の方に行かなくて良かったよね。めっちゃ濡れてたもん」


 

 イルカショーは、数匹のイルカが飼育員の指示によって、優雅に泳いで飛んだりと初めて見る光景に驚いた。

 濡れるという情報を知っていたので、できるだけ後方の席に座り、濡れることを回避した。


 さすがに何度もしずはに濡れ透けをさせるわけにはいかない。


 そんなイルカショーを観たあとは、今日の最後、ゆったりと水族館を回ることだった。




 ――水族館は、これまでと打って変わってとても静かで幻想的な空間だった。



「凄い綺麗だね……」

「うん……」


 そう、巨大な水槽――ガラス越しの魚たちを見つめるしずはの横顔。

 青く光る水が彼女の顔までも青く幻想的に照らしていた。



「――今日さ、楽しかった?」



 ガラスを見つめたままのしずはが、ふと、そう聞いてきた。 



「うん。楽しかったよ」

「良かった。でも、光流の顔を見ればわかるけどね。本当に楽しそうな顔してたから」

「そっか。ならしずはも同じだね。楽しそうな顔してたよ」


 俺たちの付き合いも五年。

 表情を見ればどんな気持ちをしているのかわかる。それはしずはも同じだろう。


 多分、お互いに気持ちを隠すのは得意じゃないから。



「私ね。やっぱり心のどこかで、もうルーシーには勝てないんじゃないかって思ってるんだ」

「あ……」


 どこか遠くを見るような目で、優しい表情になるしずは。

 そこから紡がれた言葉は、悲しい言葉なはずだけど、それだけではないような言い方だった。


「でもさ、どれだけ時が経っても好きな気持ちは変わらないから、凄いよね」


 こういう気持ちは本人にしかわからない。

 恋に吹っ切れる人もいれば、その恋が永遠に忘れられない人もいるだろう。


 俺だって、どちらかといえばしずは側の人間だ。


「何度同じような話をしたかわかんないね。でも、これからもこういった気持ち、伝え続けると思う」


「私が光流と今日みたいなこと繰り返してたら、私を煽ってたルーシーだって絶対に嫉妬するし、いつか嫌に思ってくると思うよ」


「それでもやっぱり、どうしても……光流が好きなんだ」


 巨大な水槽を観ていたしずはが俺の方を向く。


「本当に友達続けられる? 嫌になったりしない? ルーシーもいるのに」

「俺は友達でいたい。友達じゃないしずはなんて、考えられないから」

「でも、友達はね。こうやって手を繋いだりしないよ?」

「…………」


 しずはが俺の両手を優しく掴み、熱を感じさせる。


「今回はルーシー公認っていう免罪符があるから大丈夫だって思ってる? そんなの関係なく拒否しても良いんだよ? ――光流が私を思いっきり拒否しないから悪いんだからね」

「それは俺だってどうしたら良いかわかってないから……でも、しずはもわかっている通り、俺はルーシーに……」

「わかってる。けど、本気で拒否しないととんでもないことになっちゃうよ」


 それは、どういう意味なのか。

 今の俺にはよくわからなかった。


 とんでもないこと。

 幻想的な空間にあてられたのか、もしくはアトラクションでの疲れが出ているのか、その意味を予想することもできなかった。



「――私ね、もう少ししたら今までで一番大きなコンクールに出るの」


 しずはは言っていた。年齢が上がると出られるコンクールの幅も広がると。

 そして、それはヨーロッパでのもっと格式の高いコンクール。


 彼女は、俺の知らないところでもっともっと羽ばたいていくのだ。



「だからさ……パワー、ちょうだい?」

「え……?」


 すると、手を握っていたしずはが手を引き、自分に引き寄せて俺を抱き締めた。


「光流からはなーんにもしてない。しなくてもいい。……本当はしてほしいけど」


 そう言いながら、しずはは自分のキャップをとって俺の胸に顔を埋めた。

 目の前で見るとよくわかる、滑らかで艷やかな髪。一本一本が彼女の心を表しているかのように真っ直ぐだった。



 そして、なぜかしずはは、右手で持ったキャップを上に掲げた。




 ――次の瞬間、しずはの両かかとがクイッと持ち上がった。




「――――っ!?」




 左頬、だった。



 そして、掲げたキャップは自分と俺の顔を隠すように影を作っていて――。




「しずは……おまえ……っ」

「だから言ったでしょ? ――本気で拒否しないととんでもないことになるって」

「あ……いや……」



 昨日は右頬で、今日は左頬。



 昨日、ルーシーに初めてキスされたばかりなのに。

 今日はしずはから。



 顔が燃えるように熱くなる。

 ただ、水槽からの青の光が、顔が赤くなったことを隠してくれる。


 

「光流、焦ってる。かわいっ」



 そう言ったしずはの顔。


 青い光でわからない。わからないが、多分赤くなっていて。

 恥ずかしそうな表情をしながらも、笑顔でいて。


 多分、俺が見た中で、今のしずはの顔は今までで一番可愛い表情をしていた。



「ど、どう反応していいかわからないんだよ……っ」

「ふふ。光流は何もしてないんだから、ドンと構えてなよ。私が勝手にしたんだから」

「それはそうかもしれないけど……」

「これでパワーもらったよ。次のコンクールは良い結果残せたら良いな……」


 手に持ったキャップを被り直し、再び水槽の方へ向き直ったしずは。


「良い結果、残せるよ。今までだってそうだったろ? 俺はしずはの努力も凄さも強さも知ってるつもり」

「ありがとう。その言葉、すっごい嬉しい。なら、ちゃんと優勝くらいはしないとね」


 俺なんかいなくたって、しずはは元々凄かった。

 そもそもそんな凄い人が隣にいることすら、普通はありえない。


 けど、なんの因果なのか、しずはと友達になることができた。


「応援してる。結果、ちゃんと教えてね」

「うん。その時はまた、デート誘うから」

「デートって形式じゃなければ……」

「まぁ、それで良いよ。二人で会えるなら」 



 二人でただお茶するだけでも、多分しずはにとっては、デートと変わりないのだろう。

 友達の誘いやお願いは、できるだけ聞いてあげたい。


 特にしずはや冬矢。この二人は俺にとって、かけがえのない友達だから――。



「――最後にさ、一つだけお願い」

「ん? 俺にできることなら」



 そうして、しずはに言われる通りにお願いを聞くと、案内されたのはグッズコーナーだった。



 イルカのぬいぐるみ。


 こういった可愛い系のものはしずはが買っているイメージはない。

 どちらかといえば、深月が好む。


 そんなしずはが、買って欲しいと最後にねだってきた。

 俺は彼女がコンクールで力を発揮でれきばと思い、イルカのぬいぐるみを買ってあげることにした。




 ◇ ◇ ◇




「タイ!」「チンアナゴ!」「エイ!」「カニ〜」


「カクレクマノミ!」「ウツボ!」「グソクムシ!?」「カメぇ〜!」


「カピバラ! カピバラ!」「レッサーパンダもっ!?」


「ホッキョクグマ、おっきぃ〜〜〜っ!」



「ねぇルーシー……流石に楽しみすぎじゃない?」

「だ、だって……楽しいんだもん。全部可愛いし困っちゃう」



 水族館の中は、見るもの全てが凄くて、可愛かった。


 光流としずはを尾行して、何をするのか見張る目的ではあったが、あまりにも楽しくて、普通に真空と遊びにきたようになってしまっていた。


「いや、良いんだけどね」

「真空だって、楽しそうにしてるじゃん」

「私だって、水族館とか久しぶりだもん。いつ振りかわからないくらいだよ」


 真空は日本で過ごしていた幼少期に水族館に行ったことがあったようだが、それ以来らしい。

 なら記憶の片隅にあるだけで、初めて来たと言っても良いのかもしれない。


 最初のアトラクションでは真空が楽しんではいたが、後半になるに連れて私のほうが楽しんでいるように見えた。


「なんかいっぱい写真も撮っちゃったね」

「可愛いから撮りたくなっちゃうのはわかるけどね」


 スマホのフォルダには海洋生物の写真が大量に収まっていた。


 どちらにせよ、光流たちを追いかけたとしても、接触するつもりはない。

 しずはが何をしたとしても、止める権利は私にはないのだから――。


「真空ごめん、私ちょっとトイレっ」

「ルーシー!? もう……」


 私は催したくなったので、その場に真空を置いてトイレへと向かった。




 ◇ ◇ ◇




 ルーシーがトイレに向かい、その場に一人残された真空。


 距離をおきながらずっと光流としずはのことを追いかけてはいたが、しばらくその場で留まっていることが気になった。



「何話してるんだろ……」



 さすがに近づかないと会話の内容は聞こえない。

 真空は大きな柱に移動し、隠れながら二人の会話に耳を澄ました。




『だからさ……パワー、ちょうだい?』

『え……?』




 ギリギリまで近づいたことで、二人の声が聞こえた。


 そして、次の瞬間――、



「――え? えっ、えっ!?」



 キャップを取ったしずはが、顔を隠すように光流の顔の高さまでそれを掲げた。

 そして、しずはの踵が上がるのが見えた。



「うそ、うそっ!?」



 今、目の当たりにした一瞬の出来事。

 衝撃的な場面を見てしまい、真空は動揺していた。



「キスした!? 本当にしちゃったの!?」



 その瞬間はキャップで隠されて見えなかった。

 でも、しずはが踵を上げ、光流の顔に自分の顔を近づけたのは見えた。


 どう考えても顔についたゴミをとるだなんていう動作ではなかった。



「キス、確定じゃん……」



 ただ、真空は考えた。

 どこにキスをしたのかが、問題だと。



「口……じゃないよね? もし口だったら、ルーシーが……」



 絶対にルーシーには言えない。

 今、この場にルーシーがいなくて良かった。


 面白がって尾行を提案はしたものの、本当にしずはが何か行動を起こすとは思っていなかった。


 真空はルーシーがいないことに少しだけ胸をなでおろしたが、キスの結果は変わらない。



「あとで光流くんに直接聞く? うん。これを聞けるのは私しかいない」


 キスしたとしても頬であると願いたい。

 真空はルーシーと光流のファンなのだ。


 なら、口同士でファーストキスをするなら二人にしてもらいたいと思っていた。



「やばいの見ちゃったじゃん……」

「――真空、ここにいたの」

「っ! ルーシー!?」



 突然後ろから声をかけられ、驚く真空。

 再び前を向くと、ちょうど光流としずはが歩き出したところだった。


 大丈夫。ルーシーは何も見てはいない。

 ひとまず安心した。



「遅れてごめんね。日曜日だから少し混んでて」

「ううん。全然大丈夫。それより二人が行っちゃうよ。多分もう帰るんだと思う」

「そっか。なら私たちも帰ろっか」

「う、うん。そうしよう!」

「真空……? なんかあった?」

「な、なにもないよ! 少しアトラクションの疲れが出たみたい」

「そうだよね。私も今日は帰ったらすぐに寝られる自信あるよ」


 真空はしずはのキスのことを隠し通すことにした。

 このことを話してもルーシーが傷つく……いや、ルーシーは多分傷つくというより、嫉妬だろうか。


 ルーシーはしずはのことが大好きで、ライバルだと思っているからこそ、傷ついたりなんてしない。けど、わざわざこのことを伝える必要はない。


 真空はそう思い、伝えないことにした。

 事実、ルーシーはそういう人間だ。


 もしルーシーが傷つくとしたら、もっと別なこと。

 例えば、自分のせいで他人が酷く傷ついたり――。




 ◇ ◇ ◇




 オレンジ色の西日が電車の窓から差し込み、それが私の隣に座る光流の横顔を照らしていた。



「疲れたんだね……私も同じ」



 一日中歩き回ったのはいつぶりだろう。


 昔からピアノばっかりだったけど、遊べる時には遊んできたつもりだ。

 でも、こんなに歩き回ったのは初めてかもしれない。


 小さい時はちーちゃんに連れ回されたりもあったけど、こういう場所ではない。

 そういえば中三の時のプールも疲れた記憶があるな……。


「私の下着が透けたのを見て反応してくれたんだよね……?」


 男の子は、好きな人でもそうではない人でも、そういった部分に目がいくらしい。

 けど、私の何かに少しでも興奮してくれたなら少し嬉しい。


 しかも、上着まで貸してくれたりなんかして。

 確かに他のお客さんに見られる可能性はあったけど、そういった気遣いがまた私の好きゲージを上げてることに気づかないのかな……。


「無防備な顔で寝てると、またキスしちゃうぞ……」


 はは。なんて私は積極的な女になってしまったんだ。


 これも光流のせいだよ。

 あと、ルーシーのせいでもある。


 私は指で自分の唇に触れた。


「ほんとにしちゃったんだね、私……」


 恥ずかしい。本当に恥ずかしかった。

 正直、光流に嫌われるって思われるくらいの覚悟でキスした。


 でも、彼は私を拒否しない。

 恋愛感情的には矢印を向いていなくても、私を嫌いにはならない。


 友達の中でも特別だって思ってくれている証拠だ。


「あーあ……」


 小学生の頃からずっと同じ。

 恋するパワーは、無敵のパワーだ。


 やる気出ちゃったじゃん。

 

 ピアノにおいて絶対に光流のことが必要だというわけではない。

 けど、光流がいることで私は強くなれてしまう。


「ちゃんと優勝しないとね」


 夏にある学生向けの年代のコンクール。

 まだ日本人が優勝したことがないコンクールだそうだ。


 もし、優勝することができれば、もっと自分のピアノに自信がつく。

 上に行くなら、目指すべきところがある。



 ――母を超えること。



 お母さんは海外でも有名なピアニスト。

 もし、それ以上になることができれば……。




「さ・て・と……」



 私は横で眠る光流をそのままに座席から立ち上がった。


 そしてゆっくりと歩き、連結扉を開け二つ隣の車両へと移動した。



「――隣失礼します」

「あっ、どうぞ…………へ?」



 二人の女性が並んでいる席。

 その隣へと腰を下ろした。


 そして、呆けた声を出したと思えば、すぐに私の正体に気づく。



「し、しずは〜〜〜〜っ!?」

「しずはちゃんっ!?」



 帽子を被りサングラスをした、いかにも怪しい二人。

 そして、帽子からはみ出て少しだけ見えている金色の髪。



「――いつから見てたの?」

「いや……あ〜、なんというか……見てないよ?」

「ふーん。てか、帽子とサングラス、外しなさいよっ」

「あっ、ええっ!?」


 私は無理矢理に金髪の女性の帽子とサングラスを外した。


 その人物はもちろん――、



「結局は気になってついてきたんだ、ルーシー?」

「あ、は……いや〜」

「いや、バレてるから。しらばってくれても遅いって」


 そして、ルーシーの隣にいる人物は真空しかいなかった。


「ルーシー。もう白状しようよ。最初からいたって」

「やっぱり……じゃないとここまで追って来れないもんね」


 というか帰りの電車も同じ時間の電車に乗るとか詰めが甘すぎる。


 そもそもこの二人はスタイルが良すぎるんだ。

 普通に歩いていても目立つのに、わざわざ目深の帽子にサングラスというアミューズメントパークにおいて怪しい格好をしていたのは、この二人だけ。


「でも光流は気づいていなかったと思うよ」

「そ、そうなんだ……」


 そして、私は聞くべきことがあった。



「――じゃあ、見たの……?」



「え、何を……?」

「…………」



 今の反応で十分だった。



 なぜかよくわからないが、ルーシーは私がキスしたことを知らないらしい。

 一方で真空の目が泳いでいた。真空は目撃したんだろう。


 私をあれだけ煽ってきたルーシーに見せつけようとも思っていたのだが……。



「なら良い」

「な、なんのこと!」

「どうせ、私たちのことよりも、遊ぶのが楽しくて全然尾行してなかったんでしょ?」

「な、なんでわかるの!?」


 ルーシーは純粋だ。

 だからこういった施設では楽しんでしまうと思った。ただそれだけ。


「これだからバカ天然は……」

「バカぁ!? そ、それにしても随分と光流と二人きりの時はトロっとした顔してたよねっ!」

「わ、悪いか! ルーシーだって光流と二人きりの時はどうせそんな顔してるんでしょ!」

「当たり前でしょ! だってそうなっちゃうんだもん!」

「それだったら私だって同じ!」


 なぜかケンカっぽくなってしまった。

 まぁ、この子とのケンカは、しても良いケンカというか。そんなケンカだ。


「……クラスメイトには見せられないくらい乙女な顔してた。可愛かったけど……」

「うるさいわね。今度は私が尾行してやるんだから。それでルーシーのヤバい顔を写真に撮ってやる」

「な、なにそれ! 尾行とか卑怯!」

「あんたには一番言われたくないんだけど……」

「あ……」


 本当にバカで天然だ。

 けど、見た目はムカつくほど可愛いし、今日も隣に座るだけで良い匂いがする。


「ねぇ、そんな話はいいから、せっかくだし三人で写真撮ろうよ!」

「「そんな話って何よ!!」」


 真空が急にそんなことを言うもんだから、ルーシーとハモってしまった。

 まぁ、結局三人で写真は撮ったけど……。


「じゃあ私は家に帰るまで光流にくっついて帰るから、またね〜」

「なにそれ! 私もくっつく!」

「バカなの? 光流に尾行バレても良いの? あ〜ルーシーがこんなことする人だって知ったら光流は幻滅するだろうな〜」

「えっ……そう、なのかな……」

「いや、冗談なんだけど……。てか光流はそんなことで嫌うような人じゃないでしょ。案外光流のこと知らないのね」

「むぅ〜〜〜〜〜〜っ!!」


 ルーシーが頬を膨らませて、小動物のようになった。

 彼女に煽られるのはムカつくが、煽るのはなかなかに楽しい。


「あ、ハムスターだ。ハムスターは早く隣にいるご主人様に連れられて檻に帰りなさい?」

「しずはのっ、バカ〜〜〜っ!!!」



 ルーシーの捨て台詞を背中で聞きながら、私は光流のいる車両へと戻った。

 そして、電車を降りるまで身を寄せて座った。



「――今日は楽しかったな」



 ね、光流……。


 私は可愛い寝顔でぐっすりと寝ている光流の耳元で小さく囁いた。












 ―▽―▽―▽―


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