205話 身体測定
『ほらっ! 走って!』
『ちょっとごめんね!』
「〜〜〜〜〜っ!」
あの時のことを思い出すと体の内側が熱くなる。
お姫様抱っこだなんて、人生で初めて経験した。
しかもムカつくことに私の敵の弱みである九藤光流にだ。
「なんであんなに軽く持ち上げられるのよ……」
確かに私の体重は軽いとは思うけど、人一人を持ち上げるだなんて普通なら苦労するはず。
……いや、その答えはわかっている。
ママがあいつの腕に触れた時に言ったこと。あの見た目にはそぐわない筋肉を持ち合わせているらしい。
あいつの腕は固くて力強くて……なんだか熱かった。
「そういえばあの体育館で揉み合った時も……」
私からスマホを取り上げようとした時の力は強かった。
バンドをしているやつなんてガリガリ体型の人ばかりだと思っていたのにあいつはなんだ。
なんでムキムキなんだよ。脳筋…………首席かよ。
ムカつく。なんであいつが……。
「そういや連絡先交換したんだっけ……」
スマホを開いて、あいつのメッセージ欄を開く。
アイコンが犬だった。
可愛いアピールか? 犬飼ってますーって。
キモっ。
「…………」
『助けてくれて、あり――』
「っ!?」
今、私なんて入力しようとした?
ママにメッセージでもお礼しなさいって言われはしたけど、そんなことするつもりなんてない。
「なんかムカつく!」
『死ね…………!』
いや、これ送っていつかママにバレたら怒られる。
入力欄から言葉を削除する。
「――――」
ちょっと待てよ。もしかしてこれ、使えるんじゃないか?
あいつを呼び出して、宝条への弱みとするネタ写真を撮る。
……よし、これで行こう。
『――お礼したいから今度ご飯でもどうですか?』
ポチッと。
「…………」
自分で送信しておきながら、なんて恥ずかしい文章なのだろう。
こんなの私じゃない。なんだか……なんだか恥ずかしい。
しかもなんで敬語なんだよ。
何やってんだ私……。
そう自分のバカさ加減に嫌気を差しながらスマホを置きベッドに寝転んだ。
――今日の撮影だって、少しおかしかった。
…………
「――火恋ちゃん、今日の撮影とっても良かったじゃない! やっぱりあの子に助けられたから!?」
「そんなことあるわけっ!」
今日はドラマ宣伝用の写真撮影の日だった。
ドラマ用の衣装に着替え、メイクをして、ポーズをとって撮影に望んだ。
「火恋ちゃん良いね〜。なんか良いことあった?」
「な・い・で・す!」
「あったって言ってると同じじゃないそれ」
よく私の撮影に同行する三十代の女性カメラマンの
彼女がカメラを向けながらそう言った。
「なんだか表情も明るいし……それに――」
「なによ」
「――あなたずっと笑顔よ」
「っ!?」
巴さんに指摘され、動揺してしまった。
「あら、今気づいたの? 少しは可愛いところあるのね」
「わ、私はいつも可愛い!」
「ふふ。わかってるわよ。いつも以上に可愛いってこと」
プライベートまで踏み込んでくる巴さんはいつもうるさい。
でも、私が気付けない自分の状態を知らせてくれるのは嬉しい。
体調管理だって女優の仕事だ。
「まぁ、こういう時は決まって男絡みなんだけどね」
「〜〜〜〜っ!?」
「ほ〜ら」
な、何を言ってるのかわからない。
巴さんの言葉が理解できない。
クソ……顔が熱い……。
この時から、私はおかしくなりはじめたんだ。
…………
今日の撮影のことをベッドで思い出しているとスマホの通知音が鳴った。
あいつからの返事だ。私はメッセージを開いた。
『行きません。また変なことされそうだし……』
…………は?
こ、この私からの誘いを断った?
この大女優――になる予定の私の誘いを?
「――やっぱり殺す!」
『死ね!』
そう打ち込んで送信ボタンを押した。
◇ ◇ ◇
休日が明け、月曜日。
窓から外の光が差し込むトイレまでの通路。
ホームルーム前、俺はそこを通り抜けた先――トイレ横の階段の隅で壁ドンをされていた。
「――なんで断ったのよ!」
怒鳴りながら俺を壁際に押し付ける体操着姿の女子。
「ほ、焔村さん。いや、だって明らかに変なことする気でしょ……」
つい先日、ナンパから救出して彼女の母とも話し、連絡先を交換するまでになった人物。
そして、ルーシーたちに嫌がらせをしてクラスで人気者になろうとしている人物でもある。
メッセージで彼女からお礼をしたいからご飯に行かないかと誘われた。
俺はあのカフェで十分お礼を言われたと思っているし、絶対裏があると思っていた。
だから誘いに乗るわけがなかった。
「し、しないわよ!」
「信じられない……だって俺のこと嫌いでしょ?」
この動揺した表情。
裏があると言っても良い。
「き、嫌いじゃないわ。だってママにも仲良くするように言われたし……」
確かに先日までの焔村さんではない。
俺に対しては絶対に下手に出なかった彼女が、俺の顔色を伺っている。
ただ、嫌いじゃないと言った時の顔は引きつっていた。
「…………本当に何もしない?」
「じゃ、じゃあ一緒にいる時はスマホをあなたに預ける! それなら良いでしょ!」
まさかの申し出だった。
俺は考える。
さすがにスマホを持っていないと何もできないのではないだろうか。
「それなら、良いけど……」
「ほんと!」
「う、うん……」
でも、ボイスレコーダーなどを持っていないか当日確認する必要がある。
警戒は怠らずに行動しよう。
「なら、あとはメッセージで予定決めよっか」
「うん……」
「もうすぐ身体測定だよ。戻ろう」
「わかった……」
彼女と仲良くなること。
もしかすると、本当に実現するかもしれない。
心配ではあるけど、ひとまずはその第一歩として考えたい。
そして今日は身体測定の日だった。
だから一年生は一時間目から皆体操着を着ていた。
「…………」
光流と火恋が廊下で一悶着している間。
影でその様子を眺めていた人物がいた。
「うーん。また厄介なことになりそうだけど大丈夫かな〜?」
ポケットからスマホを取り出し、二人の様子を影から写真撮影。
そしてメモ帳に経緯を入力。
「一応お兄ちゃんに連絡入れておくかぁ」
そう呟いてその場からゆっくりと離れた。
◇ ◇ ◇
「――ちょっと待って……」
光流がその場から去ったあと、火恋は一人で呟いていた。
「これじゃあただのデートじゃない……」
一緒にいる間はスマホを預けるだなんて、なぜそんなことを口走ったのだろう。
つい話の流れで、いつの間にか考えていたこととは別の約束を取り付けてしまっていた。
火恋は自分の失態に頭を抱えた。
「あ〜、本当にどうしよう。普通にデートだけするの? あんなやつと……」
あいつなんてただの一般人。
一方の自分は芸能人。
住む世界が違いすぎるのにデート?
しかもなんで私が頼むような立場になっているのよ。
「でも、考えようによってはプラスなのかな……」
――九藤光流を惚れさせる。
そうすれば、あの宝条だってショックを受けるだろう。
そしてその結果ダメージを受ければ御の字じゃないか。
「ふふ……そうだ。それで行こう。スマホなんてなくても私の美貌と色気があれば行ける……」
火恋は思い描いたものとは違っていても自分の選択が正しいと思い行動している。
自信家で頑固な故に自分が正しいと思うしかなかった。
しかしそれは、彼女にとって思いも寄らない選択肢にはなるとはこの時はまだ知らずに――。
◇ ◇ ◇
体育の授業がない日の体操着。
誰もジャージという上着は着ずにTシャツ・短パン姿。
だから普段体育の時にジャージばかりの女子も少しばかり手足の肌を露出していた。
「うひょー。今日は最高だな!」
野球部の家永潤太が廊下に並ぶ女子の姿を見て鼻の穴を大きく広げていた。
「ほんっとお前ってキモいよな」
そう家永を侮蔑した目で見たのは彼と同じ中学だったという堀川暖。
「うっせー。思ったことを口にしただけだ。なっ、九藤もそう思うよな?」
家永にいきなり振られて驚いたものの、その通りだとは思った。
少し遠くに並んでいるルーシーの姿。
細く華奢な白い肌が露出しており、それだけで少し胸がドキドキする。
俺が見ていると、ルーシーがこちらに気づいた。
するとパッと笑顔になりこちらに手を振ってきた。だから俺も小さく手を振り返した。
「家永の言うことも確かにわかるけど、口に出すとただの変態だよ」
「ムッツリよりは良いだろ〜。あ、また宝条さん手振ってる……」
「てか九藤……お前やっぱ宝条さんと付き合ってるだろ?」
すると今度は堀川にそう言及される。
そう言われるのにも心当たりがある。
少し前、体育の時間にボールが当たって倒れた時、俺の下にルーシーが駆けつけてきたらしい。
ルーシーだけがわざわざ仕切りネットを越えて来たんだとか。
俺を心配する様子はただごとではなかったらしく、それを見た男子たちも何かを感じ取ったようだった。
「ううん。本当に付き合ってないよ」
「信じらんね〜」
「そう言われても本当のことだし」
否定しても信じてはくれなかった。
俺とルーシーの関係はまだクラスメイトには話していない。ただ、元々知り合いだったと言っているだけ。
広めるような話でもないし、それにはデリケートな話も含んでいる。
二人共、腎臓が一つ欠けていること。
それはつまり障害者ということなのだ。
素晴らしい手術によって、俺とルーシーの手術痕はほぼ見えなくなっている。
現在も問題なく過ごせているために、健常者と変わらない生活をしてはいるが、互いに病院は定期的に通い続けている。
俺とルーシーとの出会いを語るには、こういったことも関わってくる。
だから気軽に話せるような話ではなかった。
もちろんルーシーのいじめの話だって同じだ……。
そんな会話をしながら俺たちは身体測定をするための教室に入っていく。
ちなみに秋皇は生徒数が多いため、保健室だけでは時間がかかるということで、こうして余っている教室を使っている。
中に入って数人が並ぶと担当の医者が聴診器をあてる。
そのため、付き添いの看護師が体操着をめくり上げてくれた。
「やっぱえげつねぇな九藤の筋肉……」
近くで見ていた家永が俺の腹筋を見て呟く。
体育の授業で着替える時に既に上半身は見られている。だから俺の肉体のことは男子には知られているのだが、改めて言われた。
「その顔からは想像できない筋肉だもんなぁ」
「そういえば顔って筋肉つかないもんね」
筋トレやジョギングをしても顔つきはシャープにはなるがムキムキになることはない。
逆に言えば顔に筋肉をつけるメリットがそもそもないような気もする。
だから顔は普通でも首から下は以外と……なんて人は結構いるのかもしれない。
◇ ◇ ◇
今日は身体測定の日。
私もTシャツ短パン姿で身体測定に臨んだ。
女子用の教室に並んでいると光流がこちらを見ていることがわかった。
彼に見られているとわかるだけで嬉しかった。
だから手を振ったら、光流も返してくれた。
そうして教室の中に入るとお医者さんと看護師さんが待っていた。
身長や体重など測っていくなか、突然並んでいる列で事件が起きた。
事件というほどでもないが、驚いたことだ。
「わっ。なに真空〜やめてよ」
突然後ろから私の胸を鷲掴みにされた。
さらにはお尻まで触ってきた。
こんなことをするのは真空しかいない。だからそう言ったのだが――、
「ん? どうしたのルーシー?」
「……え?」
なぜか横から真空の声がした。
じゃあ今、私の胸とお尻を揉んでいるのは誰……?
びくびくしながら振り返ってみると、その人物が判明した。
「ひ、樋口さんっ!?」
「あ〜……ごめん。しんどいから寄りかかってた……」
「どんな寄りかかり方!?」
胸を鷲掴みにしながら寄りかかるとは言い訳にしては下手なものだ。
彼女は光流の右隣の席の樋口ラウラさん。
私よりも身長が高くてとっても綺麗な子だ。
ただ、いつも授業では寝ていて、体育の授業の時もぽわっとしてほとんど動かない。ともかくよくわからない子だった。
「そろそろ良いかな……?」
「うん。だいたいわかったから……」
「え……?」
よくわからないことを呟いた樋口さんはゆっくりと動き出し、自分の身体測定を進めていった。
「――きゃあっ!?」
そうホッとしていた時、突然誰かの声が上がった。
その声の先を見てみると、焔村さんだった。
そして、焔村さんに樋口さんが抱きついていた。
その抱きつき方は私と同じで胸やお尻を触っていた。
さらには私に言った時と同じような謝り方をしていた。
「…………」
「なっ、なに!?」
しばらく樋口さんを観察していると次は深月ちゃんから声が上がった。
そのあとは真空にしずはと同じように続いた。
意図的に触っているように思えた。
ただ、悪気はなさそうというか、樋口さんの動かない表情からはほとんど何も読み取れなかった。
女の子のことが好きな女の子もいるということを真空から借りた漫画で知った。
樋口さんもそっちなのだろうかと思ったのだが、彼女の表情からはそういった感情は湧いていないように感じた。
なら、なんのために……?
結局、私にはその理由がわからなかった。
◇ ◇ ◇
午前中で身体測定が終わり、四時間目からは普通の授業が再開された。
今日は身体測定だからと制服でなくても許される日だった。
そのため体操着から着替えて制服を着る人もいれば、そのまま上着としてジャージを着て過ごす人もいた。
そんな俺の隣の席にはジャージ姿のルーシー。
彼女は制服には着替えずにそのままジャージで過ごしていた。
華奢なのにスポーツもできるというルーシーは、着ているジャージが少し大きく見える。
それは真空やしずはも同じなのだが、男とは体格が違うせいか細い体にジャージという組み合わせはそれだけで尊い。
ジャージの袖から指先だけが出ており、ペンを持ってノートに黒板の内容を書き込む。
所謂萌え袖状態なのだが、その姿がどこか心くすぐられる。
あ……。
ふとルーシーと目が合うと彼女が無言で口を動かした。
『な・に・み・て・る・の』
そんな口の動きから読唇術でふんわりと言葉を読み取った。
『な・ん・で・も・な・い』
俺はそう口を動かして返事をした。
ルーシーがニッコリとした表情になると、ノートに何かを書き込み、その切れ端を俺の机に置いた。
『しずはとデートする前に私とも時間作って』
わざわざ口の動きでやりとりせずとも、紙に書いてやりとりした方が理解が早かった。
『いいよ』
ルーシーのメッセージに、俺は簡単な返事を返した。
そもそもノートの切れ端で伝えなくともルーシーのためならいつだって時間を作るよう努力する。
『じゃあ土曜日ね』
次にそう書かれた紙を渡された。
俺は返事をせずにルーシーの顔を見て、頭を縦に振った。
しずはとのデートは今週の日曜日になっていた。
だからルーシーと会うのはその前の日。
俺はその紙切れをジャージのポケットに仕舞い、息を吐いて落ち着いた。
そんな時ふと右に視線を向けてみた。
「――――!?」
驚いて机の下に足をぶつけてしまうかと思った。
視線の先には、机に顔を倒し口からよだれを垂らしていた樋口さんが、ガンギマリした目を大きく開いて俺の顔を見ていたのだ。
そして驚いた拍子で俺は視線を前へと向けた。
なんだ。何が起こってるんだ?
樋口さんの目があんなに大きく開いた日は見たことがなかった。
だらだらとした歩き方で、たまに誰かに支えられて歩いたりもしている彼女はいつも眠そうだった。
一呼吸おき、再び樋口さんのほうへと視線を向けてみた。
…………目を瞑っていた。
つまり、いつもの樋口さんだったのだ。
なぜ俺を見ていたのかよくわからない。
そもそも彼女とは基本的には話さないし、彼女とよく話しているクラスメイトもあまりいない。
委員長の的場さんが気にかけて話したりしているくらいだ。
不思議な体験をした俺は、しばらく授業に集中できず、昼休みを迎えた。
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