204話 火恋とママ

「――なんでこんな日にマスク忘れちゃうのよ私……」


 焔村は頭を抱えながら小さく独り言を呟く。


 彼女の周りを囲んでいたのは、三人の若い男。

 元々それほど人通りの多くないこの通り。大通りから少し先にある場所だが、休日ともあってかいつもより人が多かった。


 だからなのか、ナンパなんてものに巻き込まれてしまって――、


「ね、ねぇ君。もしかして焔村火恋ほむらかれんじゃない?」

「――――っ」


 一人の男が焔村の名前を言い当てる。

 その瞬間、焔村の表情が硬直した。


「誰だよその焔村って」

「あぁん? お前知らねーのかよ。女優だよ女優。俺知ってるんだぜ。子役からずっとやってきて、最近はドラマも結構出てる」

「まじかよ! ってことは芸能人じゃん!」


 女優と聞いて芸能人だと目の色を変える男。

 ただ、焔村の表情はずっと優れない。


「おー、ちょいちょい。どこ行くんだよ」

「…………」


 焔村はここから逃げ出そうと方向転換するも、すぐに一人の男に道を阻まれる。


 面倒くさい。

 これから仕事だというのに、ここで長く留まってもいられない。

 いつもならタクシー移動だってしていた焔村。しかし今日は歩きたい気分だった。


 だから、久しぶりにウォーキングがてら撮影スタジオに向かおうとしていたのに。

 今日はなんてツイていない日なんだと頭を抱える。


「用事があるので……」

「少しくらい遊ぼうぜ? なぁお前ら?」

「まさか芸能人様に会えるとはなぁ。しかもこんなに可愛い」

「そうだ。カラオケなんてどうよ! 少し歩いたらカラオケあるし」


 ナンパというものは簡単には諦めない。

 人が嫌がっていても、言いくるめられると思っている男も多い。

 そして、断りきれず流されてしまう女性だっている。


 相手が女優だとしても、通用すると男たちは思っていた。


「もう時間がないんですっ!」


 焔村は思い切って、強めに言葉を発した。

 しかし、その判断は良いものではなかった。


「あ? うるせえ声だな。良いから黙ってついて――」

「お待たせしました! すぐに行きましょう! スタッフも待っていますよ!」


 男が焔村の腕を掴もうとした瞬間、そこに光流が割って入った。


「はっ!? あ、あんた……」


 まさかの光流の登場に目を見開いて驚く焔村。

 しかし、その焔村を気にせず光流は話を続ける。


「こんなところで時間潰していちゃダメじゃないですか。すぐ収録が始まるんですから。あ、こちらファンの方ですか? すみませんねぇ。もう時間が差し迫っているもので……。ほら行きますよ!」

「は、はぁっ!?」


 光流はマネージャーになったかの如く、流暢に方便を述べる。

 そして、焔村の腕を取り、男たちの前から姿を消そうと歩き出す。


「お前なんなんだよ!」

「こう見えて私は彼女のマネージャーです。童顔と言われますけど、これでも二十歳を超えているんですよ」

「マ、マネージャー!?」


 どう見ても大人には見えない顔。

 せいぜい高校生が良いところだ。


 嘘とも捉えられない話をその場のアドリブで乗り切ろうとする光流。


「申し訳ございません。もし彼女の連絡先をご希望ということであれば、事務所で禁止されていますので。SNS上のコメント欄のみでお願いします」

「…………」


 三人の男が顔を見合わせる。

 そんな少しの時が止まった瞬間、光流は動き出す。


「ほらっ! 走って!」

「きゃっ」


 光流の手に引っ張られて、強制的に走らされる焔村。


「あ、あいつ! やっぱりマネージャーなんかじゃっ!」


 逃げるような動きを見せた光流に違和感を覚えた一人の男。


「待てっ!」


 追いかけたところでナンパが成功するわけではない。

 ただ、ナンパを邪魔されたという怒りが彼らの足を突き動かした。


「――焔村さん足遅い!」

「は、はぁ!? うるさいわねっ!」


 男たちと少しだけ距離が離れたが、焔村の足の遅さではすぐに追いつかれてしまう。

 そこで光流はとんでもない行動に出る。


「ちょっとごめんね!」

「わっ、きゃああああ!?」


 足が遅い焔村に対し、光流は彼女の体を持ち上げお姫様抱っこ状態に。

 そのまま思いっきり歩道を駆け抜ける。


 光流の目に横断歩道の信号が点滅しているのが見えた。

 赤になりかけている信号を走り抜けると、息を切らしてその場で止まる。


「はぁっ、はぁっ……」


 後ろを振り返る。

 車が左右に交差していくのが見えた。

 そして、その奥。男三人がこちらにはこれずにやきもきしていた。


「もうちょっと逃げるよ!」

「え、えぇ!? 下ろしてぇぇぇぇ!?」


 自分がお姫様抱っこされている状況に戸惑う焔村。

 体重は軽いかもしれないが、それでも簡単に持ち上げられた体。

 焔村の脳が光流の行動によってバグってきていた。


「ほら、とりあえずここでやり過ごそう」

「とにかく早く下ろしてぇ!」


 光流がやっと焔村を下ろして中に入ったのは、先ほどまで冬矢と一緒にいたカフェ。『FOREST BEANS COFFEE』だ。


 そうして、元々座っていた席へと焔村を連れていった。




 ◇ ◇ ◇




「あーっはっは!」


 静かにしろと姉の目が光る中、冬矢が腹を抱えて笑っていた。


 カフェの窓際の席。

 今、テーブルの前にいるのは俺、冬矢、そして――、


「――なんなのよ、ほんとっ……」


 俺に無理やり連れてこられて、ふてくされた顔をしている焔村火恋だった。


 その焔村さんの前には、熱々のコーヒーが注がれたカップが湯気を立てており、とりあえず落ち着いてもらおうと俺が注文したものだった。ちなみに彼女は俺ではなく冬矢の横の席に座っている。俺の隣は嫌だったようだ。


「焔村さん、コーヒー冷めちゃうよ」

「…………ちっ」


 俺がそう言うと、焔村さんが舌打ちしながらコーヒーカップに口をつけた。


「あつっ!?」


 俺を睨みつけたまま飲んだせいか、思った以上にコーヒーを口に含んでしまったようだ。

 熱々のコーヒーは猫舌でなくとも少しずつ飲まないと熱い。


「…………ふふ」

「わ、笑うなっ!」

「ごめん……」

「あーっはっは!」

「あんたもよっ!」

「あ〜わりぃわりぃ」


 その行動が少し可愛くて笑ってしまう。

 しかし、笑われたことが嫌だったのか、焔村さんの眼光がさらに鋭くなった。


「――これから用事とかお仕事じゃなかったの? まだここにいて大丈夫?」


 連れてきてしまったものの、彼女に時間があるかどうかわからなかった。

 だから彼女の予定も聞いておこうとした。


「ママがここまで迎えに来る……」

「ママ……」

「呼び方なんて何でも良いでしょ! うちはママなのっ!」


 そう言えば、先ほどスマホをいじっていた。

 その時に母親に連絡していたのかもしれない。


 そしてママ呼び。

 それだけで母親のことが好きなんだと理解できた。


「久々に光流の面白いところが見れたわぁ。お前といると飽きねーなぁ」

「こっちは結構必死だったんだから。結果良ければってやつかもしれないけど」


 冬矢は俺がここに焔村さんを連れてきてから、終始笑顔だった。

 ナンパから逃げることに必死だったというのにこいつは……。


「…………なんで助けたのよ。私、助けてなんて言ってない」


 ちびちびとコーヒーを口に含む焔村さんが、不本意だと言わんばかりに口を尖らせる。


「助けたというか、勝手に体が動いたから、あんまり理由とかない」


 もちろん助けなきゃって気持ちはあったけど、体が勝手に動いたんだからしょうがない。


「何よそれ。頭おかしいんじゃないの?」

「あー、こいつは頭おかしいぞ。じゃなきゃ首席合格なんてするわけもねぇ」


 おい、便乗するな。

 褒めるのかディスるのかどっちかにしろ。


「ついこの前、あんなことがあったばかりなのに……意味わかんないっ」

「あはは……そうだよね」


 焔村さんにとっても、あの体育倉庫での出来事は記憶に新しいらしい。

 そして、今口に出したところからもちゃんと根に持っていると思われる。


「――あ、火恋ちゃーん!」


 すると、カフェの入口の扉を開けてきた一人の女性客がそんな声を飛ばした。


 露出の多い派手な服装を身に纏い、腰を振りながら歩いてきた人物。


「ママ……またそんな服着て……良い歳なんだから抑えてよ」

「なぁーにぃ? 服くらい好きに着させてよぉ。あれ……男の子?」


 俺たちの前にきた人物は焔村さんの母だった。

 とろけるような猫なで声で娘と会話する彼女は、母親に見えないほど若かった。


 そして、焔村さんと一緒に座る俺たちに視線を移した。


「初めまして。同じクラスの九藤と――」

「池橋です」


 俺と冬矢は軽く会釈をして挨拶をした。


「あ、あ、あ…………火恋ちゃんっ!」

「な、なによママ……」

「あなたやっとお友達ができたのねっ!」

「――――!?」


 そう母親に言われ、焔村さんの頬が少しずつ紅潮していく。


「違うっ! こいつらは友達なんかじゃないっ!」

「ならなんで一緒にお茶してるのよ。ほら、コーヒーだって飲んでるじゃない?」

「そ、それは……」


 いつの間にか俺の隣の席へと座った焔村さんの母親。

 少し強めの香水の匂いが大人の色気を醸し出していた。


 そうして、ことの経緯を説明することになった。


「――あぁ……なんてこと。本当にありがとう。火恋ちゃんは本当に大事なたった一人の娘なの。大事にならなくて良かったわ……」


 ナンパされていたところを助けてこのカフェまで連れてきたことを話すと、焔村さんの母親から頭を下げて感謝された。

 見た目は全く違うが、なんだか深月の母親に似ている気がする。深月も一人っ子だし、親に大事にされているところが同じだ。


「ちょ、ちょっと娘の前で頭なんて下げないでよっ」

「何言ってるの火恋ちゃん! 助けてもらってその態度はないでしょう! あなたもちゃんとお礼を言いなさい!」

「――――っ」


 娘が好きというのはとても感じる。

 しかし、それは甘やかしただけの好きではなかったようだ。この人はこの人でちゃんと母親をしている。


「ほら、どうしたの? 礼儀礼節は当たり前。感情をコントロールできないと素敵な女優になんてなれないわよ?」

「…………」


 焔村さんの母親は女優ではない。

 けど、立派な大人なのだ。


 焔村さんがちらちらと俺の目を見てくる。

 ただ、視線が定まらず、口が動かない。


「火恋っ!」

「あーもうわかったってぇ! お礼を言えば言いんでしょ!」

「わかってるなら良いわ」


 母の声で心に整理をつけたのか、焔村さんは今度はまっすぐに俺の目を見つめた。


「あ、ありがとう……助かったわ……」


 そう言うと、すぐに視線を外して窓の方を向いた。


「それで良いのよ〜。こういう時こそ女優魂見せれば良いのにね。まぁお友達相手には無理かぁ」

「だから友達じゃないって!」

「ふふ。もうお友達のようなものでしょ? よく見たらこの子の顔可愛いし……もらっていこうかしら?」

「ママ正気!? どう見えても冴えない顔じゃない!」

「あなたわかってないわねぇ。ほら、やっぱり。筋肉もこんなにあるじゃない。あなたをお姫様抱っこしただけあるわね」

「ちょ、焔村さんのお母さん!?」


 会話の流れで焔村さんの母親が俺に体を寄せて腕を絡ませる。

 そのまま俺の二の腕をぷにぷにと触り筋肉を確かめた。


 大人の香りが鼻腔をくすぐり、彼女の柔らかなものが腕に触れる。

 さすがに俺も恥ずかしくなる。


「は、恥ずかしい! パパもいるのに他の男にくっつくなんて!」

「あらぁ? パパはパパでしょう? この子はこの子で可愛いじゃない。あ、それとも嫉妬してるのぉ?」

「そんなわけあるかぁ!」


 バンっとテーブルを叩いて焔村さんが感情を露わにする。

 この親子なんなんだ……。


「あ、そろそろ時間ね。今日は撮影時間少しずらしてもらったから」

「そうなの。調整してもらってごめんね」

「このくらい良いわよ。あなたの体の方が大事なんだから」


 今の今まで口喧嘩のようなものをしていたのに、すぐに元通り。

 これが家族の絆なのだろうか。


「あとでちゃんとメッセージでお礼言っておきなさいよ」

「はぁ!? 嫌だよ。今言ったじゃん。てか連絡先なんて知らないし知りたくもないっ」

「お友達なのに連絡先も知らないのぉ!? これだから火恋ちゃんは……良いから早く連絡先交換しなさい」

「交換〜っ!?」


 もう、なるようになれ……。

 結局焔村さんは母親に流されるように、俺と冬矢と連絡先を交換することとなった。


 スマホをかざしてQRコードを読み取る時、焔村さんの表情は引きつっていた。


 そうして、二人は席から立ち上がる。


「今回のお礼よ。これでここ代金を払ってね」

「ちょっと多い気が……」

「娘を救ってくれたんだもの。少ないくらいよ」

「……わかりました」


 そう言われるともらうしかない。

 焔村さんの母親は、コーヒー代を支払ってもかなりお釣りがくる一万円札を置いていった。


「良かったら皆で今度うちに遊びに来てね」

「うちに!? 絶対嫌だよ!」

「ふふ。この子ったら……」


 最後まで荒ぶっていた焔村さん。

 母親に連れられて、カフェの外へと出ていった。


「光流……これは対策を考える必要はないかもな」

「そうだと良いけど……」


 偶然焔村さんを助けることになり、そこに母親がやってきた。

 そして、その母親のお陰なのか、少し焔村さんと打ち解けることができたような気がする。


 冬矢と話して彼女の『友達』というポジションになり、手を出せないような関係になること。

 それは、思わぬ形で良い方向へと進んだのかもしれない。






 ―▽―▽―▽―


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