181話 折木理沙と二等辺三角形

 合格発表から数日。


 約二週間後の卒業式に向けて、学校でも先生からどのようなスケジュールで行われるかの説明や入場時に何の曲を流すのかなどが話し合われた。


 受験する学校はそれぞれなので、まだ合格発表が遅く、進路が確定していない生徒もいた。

 先生への寄せ書きやプレゼント募金。東京ではない遠くの高校へ向かうクラスメイトへの寄せ書き、卒業式後のクラス会など。

 そんな話も行われつつ、少しずつ中学の終わりに向かっていった。



 その日の夕方。



 下校時間になると、いつも通りに理沙、朱利、理帆の三人が一緒になって学校を出る。


 合格発表の日から時間が経過し、理沙は今ではなんとか笑顔を取り戻していた。

 ただ、今度は朱利や理帆のほうが、どこか暗い顔をしていた。


「もう……結果は変わらないんだから、そんな顔すんなって」

「だめ、今思い出しても泣きそうになってくる」

「私も……」


 慰める役が逆転していた三人。



「はぁ……私だってさ、家に帰ってからすっごい泣いたよ。私だけなんでって。でも、どんなに泣いても変わらないんだもん」



 ――折木理沙。



 彼女はこれまでほとんど勉強もせず、部活にも入らず、ただ流れに身を任せるまま過ごしてきた。

 もちろんそういう幸せもあるかもしれない。ただ、理沙の両親は真面目に勉強してほしいと思っていた。


 勉強しなさいと怒られた時も何度もあった。

 父親とはほとんど話さず、話しかけられればクソ親父と言い返すような、良いとは言えない親子関係。


 小学校での成績が良い妹と比べられ、家には理沙の居場所はほとんどなかった。

 かといって、その状況が変わることはずっとなかった。


 小学校の時から仲の良かった朱利と一緒にギャルファッションを追求し、良い男はいないかとたまに男漁りをしたりしたものの、結局今までそんな相手は見つからなかった。

 イケメンは学校にもいるが、ただそれだけでは好きになるようなこともなかった。



 でも、中学二年生の時のバレンタイン。

 藤間しずはがチョコ渡したという事実から、私も渡しておこうと興味本位で余っていたチョコを渡した。


 しかし、それが全てのはじまりだった。

 九藤光流が手作りで返したホワイトデーのチョコ。


 理沙は今まで男子がそんなことをするだなんて聞いたこともなかったし、見たこともなかった。

 男子は好きな相手にしかホワイトデーはお返ししないし、ましてや手作りなんてもってのほか。


 光流は理沙の想像外のことを当たり前のように行うクラスメイトだった。

 見た目は全くタイプではないし、そもそもパッとしない。興味を持つわけもなかった。


 でも、小学校の同級生だからというだけで、藤間しずはがチョコを渡したのではないということにはうっすらと気づいた。


 好きという気持ちはまだよくわからない。

 ただ、プールでしずはたちをナンパから守った一件から、光流のことをかっこいいと思うようになり、文化祭のバンドのライブではもう見惚れるほどになっていた。


 だから、光流に近づける存在になりたい。

 朱利と共にそう思うようになり、一緒の高校に行きたいとまで思うようになった。


 しかし、時すでに遅し。

 今まで真面目に勉強してこなかったツケが大きすぎた。


 内申点がどう考えても厳しい。

 担任の先生にも無理だと言われた。


 でも、光流は勉強を教えてくれるという話をしてくれた。

 実際、勉強会も開いてくれて、バカと言われてきた理沙たちにも丁寧に教えた。

 それは光流だけでなく、その友達も同じだった。



『――あんた……最近部屋にこもってどうしたの?』



 いつの時からか、夜遅くまで遊ぶことがなくなり、部屋にこもるようになった理沙。

 勉強会が始まってから少しして、理沙は初めて母親に勉強していることを話した。


 理沙の母親はその話を聞いた瞬間、目の色を変えた。それは父親も同じだった。

 そして、理沙は反抗期が終わったかのように父親と話すようになった。


『理沙……すまん。お前の人生なのに、勉強をしないからって口うるさく言ってきて。ずっと嫌だったろう』


 父親から初めて謝罪の言葉を受け取った。


 ずっと嫌いだった父親。『夜遅くまでどこに行ってた?』『勉強しないで何してるんだ』『優沙は毎日勉強してるぞ』、そんな言葉しか吐かなかった父からの謝罪。

 初めてのことに理沙の気持ちが溢れ、四人で夕食をとっている最中、不覚にも泣いてしまった。


 その時から、親子関係は劇的に改善した。

 朝、学校に向かう時には、両親に明るく挨拶をするようになり、比べられて嫌だった妹とも少し会話するようになった。

 妹は妹で勉強ばかりだったので、バカだと思っていた姉のことは見下していた一方、ファッションセンスには少し憧れていた。そんなことも理沙は初めて知った。


 光流は、そんな理沙の人生――家族関係までを変えてくれた人物だった。



「――お母さんだってさ、前までは私のことをただのバカ娘だって言ってたのに、秋皇に落ちたって言った時には一緒に泣いてくれて……。私のことで泣いてるの初めて見た。それだけで、勉強頑張った甲斐があったんだよ」



 ただ、光流たちと一緒に秋皇に行きたいというだけで勉強を頑張った。

 それがモチベーションで頑張ってみると、二学期の期末テストで思いも寄らない結果が出た。


 理沙はテスト用紙を家に持って帰るとすぐさま母親にテストの点数を見せた。

 社会・九十五点という高得点をとったテスト用紙を見せた時には、母親は失神しそうになった。



「私、光流や皆には本当に感謝してる。それは朱利も一緒だろ? 本当に良い友達を持ったよ」

「理沙ぁ……」


 数日前と同じように朱利の目に涙が浮かんでくる。



 ――そんな時だった。



 理沙のスマホに着信が入った。



「ん? お母さんなーに?」



 電話をしてきたのは理沙の母親。

 基本的には突然電話してくることなどなかった母親に驚きながらも理沙は電話をとった。



「……うん……うん。……え?」


「――――っ」


「うそ……だよね……?」


「え……ほんと、なの……? だって、私、落ちたって……」


「こんなことって、ほんとうに……っ」



 母親と話す理沙の声がどんどん震えていく。

 ついにはスマホを持っていない手で目元を押さえ始めた。



「理沙……?」

「理沙ちゃん……?」


 その様子を不思議に思った二人が眉を寄せて理沙を心配をした。



「わかった……わかった。うん、お母さん、ありがとう……っ」



 上ずった声のまま、通話を終了した理沙。

 その目が涙ぐんでいたので、朱利と理帆が顔を見合わせた。




「――受かった」



「え?」



 理沙が短く言葉を言うと、朱利が呆けた声を出した。



「今、秋皇から電話があったってお母さんが」

「え、それって……まさか……っ」



 続く理沙の言葉に理帆が察したように手で口を押さえた。



「何人か辞退した人が出たから、繰り上がりで……」

「えっ……えっ……それってつまり……!」



 朱利の目が見開く。



「私、みんなと……一緒に……秋皇、い゙げるよぉぉぉぉぉっ!!」



 理沙は震えた声を振り絞り、目の前にいる二人に対して、秋皇に補欠合格したことを伝えた。

 最後にはその事実があまりにも嬉しくて、そのまま泣き出す。


「理沙っ、理沙っ、理沙ぁぁぁぁっ!!!」

「理沙ちゃんっ! 理沙ちゃんやった! やったよぉぉぉっ!!!!」


 朱利と理帆は大声で叫びながら、歩道で理沙に抱きついた。


「嬉じぐで……嬉じぐで……どうにがなりぞおだよぉぉっ」


 数日前、ぐちゃぐちゃに泣いたはずの三人。

 しかし、再度ぐちゃぐちゃになって泣き叫ぶことになった。



 補欠、というギリギリの合格。しかし、理沙にとって大きな分岐点となった受験。

 光流と同じ学校に行けるという嬉しさより、朱利と理帆と同じ学校に行けるという嬉しさ。



 三人を何かに例えるなら二等辺三角形のような関係だと言えただろう。

 二等辺三角形とは、三本の辺のうち二本の辺の長さが等しい三角形。その二本は理沙と朱利で残りの一本は理帆。


 しかし、彼女たちは自分たちのことを正三角形のような対等でバランスのとれた関係だと言い切るはずだ。


 見た目や性格が理沙・朱利と理帆で違っても、今では三人の絆は深いところで繋がっている。

 それは親友と呼べるような特別な関係。



「また……高校でもよろしくな、二人ともっ」

「「うんっ!」」



 そんな涙でぐちゃぐちゃな三人が肩を組んで、綺麗な三角形を作る。

 おでこを寄せ合い、理沙の合格を喜び合った。



「理沙っ! 光流に言おう! 受かったって報告しよう!」

「うんっ! ……うんっ!」


 朱利が理沙の肩をゆすって、光流に報告することを進言した。



 こうして、勉強会メンバーは全員、晴れて秋皇学園への入学が決まった。





 ◇ ◇ ◇




 学校の帰り際、来週のホワイトデーを控え、どんなチョコにしようかと悩んでいた。


 クッキー、ケーキ、一般的なチョコ……。

 全く思いつかないはもさておき、大量に作りやすくて去年よりもクオリティが高いものを考えなくてはいけなかった。


 そんな悩み事も増えるなか、歩道を歩いているとスマホに着信があった。


 最近、特に気にしていた人物からだった。


 それはルーシーでも、しずはでもない。

 なんと理沙からの着信だった。



「――光流っ! 光流っ!」



 電話に出た瞬間、焦ったような上ずった声で理沙が俺の名前を呼んでいた。


「理沙ちょっと落ち着きなって」


 電話の向こうから朱利の声が聞こえた。二人は一緒にいるようだった。



「どうかした?」

「光流っ! 光流っ! わたし、わたしね……っ!」



 合格発表の時の悲痛な印象は全くなかった。

 もちろん数日経過していて、ほとぼりも冷めたとも考えられるが、どうやらそんな様子ではなかった。


 そして次の瞬間、理沙の言葉に驚くことになる。



「補欠! 繰り上がりで受かったの!!」

「――――え?」



 何を言われたのか、すぐには理解できなかった。

 でも、理沙は嬉しさのあまり、声が上ずっていたのだとわかった。



「他の人が辞退したから、私がその分繰り上がりで合格したって! さっき秋皇から家に連絡があったの!」

「うそ……そんなことって、あるんだっ」

「だから、光流に早く言いたくてっ! ありがとうっ! 本当にありがとうっ!」

「理沙……本当におめでとう。理沙が頑張った結果だね……」



 多分本当にギリギリだったんだろう。


 補欠ということなら、受験生の数を考えても恐らく数点差だ。

 勉強を頑張ったからこそ、補欠合格という資格が与えられた。


 今思えばそういうことも有り得た。

 秋皇はとんでもない数の受験生。なら、一人や二人辞退してもおかしくなかった。


 補欠であっても、合格は合格。

 本当に誇らしいことだ。



「光流……お礼がしたい」

「え……?」



 理沙からのお願いのような言葉だった。



「卒業式前にさ、ちょっと私と遊びに行かない? お礼、したいんだ」



 まさかの誘いだった。

 今まで誘って来なかったのが不思議なくらいだったが、今になって、しかもこれは二人きりだ。

 


「はっ!? なんで理沙だけ!? ……抜け駆けは許さないよ!」



 すると電話越しに怒ったような声が朱利の聞こえた。



「いいじゃん! だってお礼したいんだもん!」

「嘘つけ! その流れで一発ぶち込む気だろ! そう思うよな理帆!?」

「私ぃ!? 私に振らないでよっ!」



 聞き捨てならない言葉もあったが、そこには理帆もいるようだった。

 しばらく電話の向こうで喧嘩が繰り広げられたあと、話がまとまった。



「――ってことで、私ら三人と光流でお礼デートってことでよろしく」

「ってことでってなんだよ! しかもデートって!?」

「デートじゃなくてもいいからさ、普通にお礼。それなら良いでしょ?」

「まぁ……感謝の気持ちは無下にはできないし……」

「じゃあ決まりね! 今週の土曜の昼間でよろしくー!」



 弾丸のようなスピードで理沙、朱利、理帆とのお礼デー……お礼会(?)が開催されることになった。


 正直、悪い予感しかしない……。






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