180話 合格発表 その2
陽光眩しい初春の空。
雪が降る気配もなくなり、刺すような冷たさも今では和らいでいる。
生命力が強く春の到来を思わせるたんぽぽの花も咲きはじめ、緑の匂いもぐっと感じるようになった。
今日は三月一日。
一般受験の合格発表の日だ。
電車に乗り、イチョウの木が植えられている並木道を歩き、そうやって数週間ぶりに秋皇学園までやってきた。
午前八時四十五分。
数多くの学生が俺と同じように校庭へと足を踏み入れ、受験番号が載る掲示板が出てくるのを待っている。
「光流〜! こっちだぞ!」
同い年の学生たちの波に飲まれていると、見知った声が聞こえた。
その声の方向へと顔を向けると、数人が輪を作っていた。
俺は校庭の地面を蹴ると、小走りで慣れ親しんだ輪に加わった。
「みんな、おはよう」
挨拶をすると、皆、一同に明るく挨拶を返してくれた。
今日はそれぞれ制服を着ており、入試を受けた時のようにばっちりと戦闘態勢だ。
「やばい、吐きそう」
顔面蒼白で呟いたのは理沙だった。
受かるか受からないか、内申点から考えると微妙なライン。
それは隣にいる朱利も同じだ。
彼女たちは三年生の最後とはいえ、本気で勉強を頑張った。
叶うなら努力が報われてほしい。
「大丈夫、大丈夫だから。なっ」
朱理の方がメンタル的には強いようだ。
理沙の肩を抱きながらその手で背中をさすっていた。
「ついにきたな」
「あぁ」
冬矢が一歩前に出て、俺に語りかけた。
彼の目は自信満々だ。
「一年前が懐かしいな」
一年前、冬矢の一言から全てが始まった。
初詣に行ったメンバーで同じ秋皇学園に行こうと、そう誘ったのは彼だった。
「あっという間だったね」
「まぁ、な」
その間、勉強もしたけど、バンドの練習もたくさんした。
ルーシーにも再会できたし、本当に色々あった一年だった。
「しーちゃん、深月。大丈夫。受かってるよ」
少しこわばった面持ちの二人に千彩都が声をかけた。
勉強会メンバーではなかったが、今日は同じく秋皇を受けた千彩都と開渡も一緒にいる。
「深月、一緒にまた学校通おうね」
「うん……」
二人で手を握り合い、緊張を解きほぐす。
深月は多分、しずはがいなければ秋皇に行こうとは思わなかっただろう。
中学に入ってからは共に行動するようになった深月。
今では俺たちのメンバーになくてはならない存在だ。
「あっ、きた」
ふっと、息を吐くように千彩都が呟いた。
視線を向ける先。
校舎の壁際にカラカラと運ばれてくる、大きな白い掲示板。
運ばれている途中でも遠目に番号が記載されているのが見えた。
「――――」
俺たちは全員、息を呑んだ。
「さぁ、行こっか」
皆に声をかけると、足を揃えて掲示板の前まで進んだ。
…………
俺の受験番号は二百十八番。
カバンから取り出した小さな紙――受験票を手に取り、自分の番号を再度確かめながら、掲示板に目を向けた。
左側から小さい番号が数十個ずつ並んでいた。
二百の列を探すべく、徐々に右へとスライドさせるように足を移動させる。
二百番の列を発見。
その十八番。視線を落とせば、すぐに結果がわかるような番号だ。
「すぅ、はぁ…………」
大きく息を吸い込み、長く吐いた。
もう一度、手元の受験番号を確認。
俺は掲示板に目を向けた。
二百三番、二百八番……二百十番。
二百十四番。
「二百十、八番……」
「二百十八番……」
「二百十八番……!」
受験票の番号と掲示板に掲載されている番号を何度も見比べる。
あった。あった……!
これで、これで、一緒に……!
ふと、横を見た。
少しだけ遠くにいた冬矢。俺と目が合った。
ゆっくりと右手を動かしサムズアップした。
その表情は笑顔だった。
俺も同じようにサムズアップで返した。
皆どこにいるんだろう。
それぞれ受験番号が離れているようだ。
同じ学校ならそれほど離れていないはずだと思ったけど、マンモス校なだけにこれだけ人が多い。
俺はかき分けるようにして皆を探した。
「あった! あった! 深月〜〜っ!!!」
「ちょっとそんなにくっつかないでよ! わかったから、わかったからぁっ!」
しずはが深月に抱きついていた。
その行動に嫌がりつつも、深月の表情は明るかった。それだけで合否はわかったようなものだった。
そして、すぐ横には千彩都と開渡。
俺が近づくと、落ち着いた様子で二人がピースを向けてきた。
しずはたちが受かってるなら、当然二人も受かっていると思った。
あとは三人。
首を振りながらその人物たちを探す。
「あっ……」
三人の姿を発見し、近づいた。
「うそ……だろ。あった、あったよ! 理沙っ、理帆っ! 信じられない……」
受験票を握りしめ、涙ぐんだ様子で朱利が呟いていた。
「朱利ちゃん、良かった……良かったね!」
理帆が棒立ちになっていた朱利の手を取ってぶんぶんと振っていた。
その様子から、理帆も受かっていたのだとわかった。
そして、最後の一人。
真剣に受験票と掲示板を何度も見返していた人物がいた。
「……五百六十二番……五百六十二番……五百六十二番……」
先ほどまで顔面蒼白だった表情がさらに血の気が失せていった。
声が震え、持っていた受験票の紙がどんどん握りつぶされてゆく。
「り、さ……?」
その様子を見た朱利が今の今まで喜んでいた表情から一転。
まさかと思うような心配する声で理沙の名前を呼んだ。
「理沙ちゃん……」
同じく理帆も心配そうに声をかけた。
「…………ふぅ」
顔面蒼白だった表情が、元に戻る。
そして、一度顔を空へ向けて大きく息を吐いた。
「はは……私、ダメだったみたいだ」
諦めたかのような、そんな乾いた笑顔。
明るいはずのギャルメイクは見る影もなく、メイクだけでは隠しきれない悲痛な雰囲気を纏っていた。
「理沙ぁっ!」
「理沙ちゃんっ!」
二人同時に理沙を抱き締めた。
「ごめん……ごめんね。あんなに教えてくれたのに。あんなに一緒に勉強してくれたのに。休みの日も家で一緒に勉強してくれたのに……」
三人の思い出を振り返るように理沙が謝罪の言葉を零す。
「今までちゃんとやってこなかったツケは大きかったってことだ。朱利、お前は少しだけ私よりも頭良かったもんな」
「バカぁ……なんで……なんで……」
受からなかった理沙は泣かず、受かった朱利がぼろぼろと涙を流していた。
「朱利の実力じゃ、秋皇の勉強についてくのは大変かもしれないんだから、頑張れよ……。まぁ、理帆もいることだし、教えてもらえれば大丈夫か……」
「理沙、ちゃん……っ」
理帆も理沙の制服の裾を掴みながら涙を流していた。
俺には詳しくはわからないが、この三人はずっと仲良くしてきた。
いつも一緒にいる姿をよく見かけるし、特に理沙・朱利と理帆は見た目や性格が全く違うのに、なぜか仲良くなった。
先ほどの理沙の言葉からも、平日の勉強会以外でも休みの日は理帆に勉強を教えてもらっていたようだ。
たまに俺にも休日連絡をくれて、わからない部分を聞いてきた時もあった。だからずっと勉強してきたのは知っている。
「私……だめだよ。やっぱり理沙がいないと。今までずっと一緒だったじゃん。だから……だから私――」
そんな時、朱利がまさかの事を言おうとしていた。
「――バカ言うなっ! お前……お前……! 辞退するなんて絶対言うな! 朱利が頑張ったから受かったんでしょ! 私のために秋皇に行かないだなんて、絶対に許さないからっ!」
「でも……でも……理沙ぁ……」
しかし、それは理沙が許さなかった。
努力して報われた。でも、一人のためにそれを辞退する。俺が理沙でもそう言っただろう。
逆に朱利の気持ちもよくわかる。
もし、冬矢と同じ学校に行けなかったと考えると……考えたくもなかった。
裏には親だっている。
恐らく朱利の家でも秋皇を受験するための費用も親が出したはず。その金額が多い少ないに関わらず、友達のために辞退するだなんて、親にも申し訳ない。それは朱利の発言を否定した理沙も理解しているはずだ。
「光流……ごめん。せっかくあれだけ勉強教えてくれたのに」
俺がいることに気づいた理沙が、無理やりな笑顔で声をかけてくれた。
「――――っ」
すぐには言葉が出なかった。
こうなるかもしれないとわかってたはずなのに、いざそれが現実になると、こんなにも悔しくてつらい。
俺は理沙ではないのに、その気持ちに強く感情移入してしまっていた。
「はは、なんて顔してんのさ。受かったんでしょ? ならもっと喜びなよ」
「ぁ…………」
俺の目からいつの間にか涙が流れていた。
自分が合格したことがとても嬉しい。ルーシーにはしゃいで報告したい。
でも、でも……やっぱり悔しい。
「理沙……三年生の最後だけだったけど、勉強したことは無駄じゃなかったと思う。だって、あんなに点数上がったんだから」
二学期最後の期末テストでは、朱利よりも理沙の方が順位が高かったし、中間テストより六十九位も上がっていた。
そして、今まで気づくことのなかった社会の教科の適性。九十五点という高得点をとることもできていた。
「うん……。皆と勉強できて、初めて勉強が少し楽しいって思えた。これも中二の時、光流と同じクラスになれたから。本当にありがとう。でも――」
理沙の口元がどんどん震えていく。
我慢していたものを必死に抑えて、抑えて。皆が合格した嬉しい気持ちを壊さないようにと、彼女なりに気を遣って。
「――やっぱり……皆と一緒に秋皇、行きたかったなぁ……っ」
「理沙……」
しかし、ついに理沙の気持ちが溢れ、その目からは涙が溢れた。
「理沙ぁっ!!」
「理沙ちゃんっ!!」
再び朱利と理帆が理沙に抱きつく。
「皆と一緒の学校に行けたら、どんなに楽しかっただろうなぁ……。ずっと想像してたんだ。可愛い制服着てさ、一緒にプリ撮ったり写真撮ったり、学校帰りにそのまま原宿のスイーツ食べに行ったりとかさ……いっぱい、いっぱいやりたいこと……っ」
「やっぱ、やっぱり……私、理沙も一緒がいいよぉ……っ」
「理沙ちゃんっ。私も、私も一緒にいたいっ」
俺含め、その場にいる四人は涙のダムを作っていた。
「クソっ……クソぉっ……。もっと、もっと……早くから勉強してれば良かった。こんなに悔しいの、初めてだよ……」
ぐしゃぐしゃになった顔が、さらにぐしゃぐしゃになり、目元のメイクが崩れていく。
「理沙は頑張った。俺が認める。もし、別の学校行っても友達だから。だから……っ」
言葉が続かない。
いくら言葉をかけたとしても、結果が変わらないだけの慰め。
きっかけは俺の存在だった。
少し好意を持ってくれていたからか、俺たちと一緒の高校に行ってみたいと言うようになった。
だから、少しだけ責任を感じている。
受からせてあげたかった。
「ひかるぅ……悔しい、悔しいよ……っ。涙、止まんないよぉ……」
小さな子供のように泣きじゃくる理沙。
秋皇を目指したきっかけを作った責任者、勉強を教えた責任者としてできること。
それは、理沙の頭を撫でることくらいだった。
「ぁ……ぁ……あぁぁぁぁぁぁっ!!!」
その瞬間、理沙は大声で泣き出した。
「理沙、理沙ぁぁぁぁっ!!」
「理沙ちゃんっ、理沙ちゃんっ!!」
「………っ」
…………
しばらくしたあと、泣き止んだ理沙と俺たち。
冬矢たちもその様子を見ていて、待っていてくれた。
「――一人だけ水さしてごめん」
秋皇学園の校庭から帰ろうとする時、最後に理沙がそう皆に声をかけた。
「打ち上げ、私のことで暗くなっちゃだめだからな。その時までには私も気持ち切り替えるからさ」
「理沙……」
彼女は強かった。
もう既に少しだけ気持ちが切り替わっていた。
俺たちは受験結果発表後の休日に打ち上げを行う予定でいた。
しかし、理沙は自分だけが合格しなかったことで、盛り下がるのは嫌だと、そういうことを言った。
「別の学校になったらさ。関わりは薄くなるかもしんないけど、私のこと忘れんなよ」
「忘れないよ」
そう返事をしたのはしずはだった。
理沙とは直接遊ぶようなことはなかったとは思うが、夏のプールやバンドの打ち上げ、勉強会などでは多少なり仲良くなっていた。
「しずはにそう言われると嬉しいな」
涙の跡が残る目元。理沙は無理やりに笑顔を作っていた。
俺もしずはも努力できる人間が大好きだ。
しずはだって、悔しくて悔しくてそれが叶わなかった気持ちがわかる。だから理沙にも共感できている。
「じゃあ、私は朱利と理帆と一緒に帰るからさ。卒業式するまではよろしくな」
「うん……」
そう言って、理沙たちは秋皇学園をあとにした。
◇ ◇ ◇
「こうなる可能性があるってわかってはいたけど、一人だけああなるとな……」
理沙たち以外、揃って秋皇学園から帰路についていた俺たち。
歩いている途中にしずはがふと呟いた。
「まさか光流まで泣くなんてね〜」
「光流は泣き虫でしょ」
「それ、しーちゃんが言う〜?」
千彩都の言葉にしずはが返事をするも、今度は千彩都に茶化される。
俺は泣き虫だ。それは自分でもわかっている。
多分、普通の人以上に、他の人に感情移入してしまう。
しずはの涙だって、何度か見てきている。確かにしずはも泣き虫かもしれない。
「ちーちゃんは全然泣かないよね。つまんない」
「私はミーハーだけど、意外と冷めてる部分もあるからね」
「あー、確かに。なんか部分的にキャーキャーいうわりにはテレビに出てるイケメンが好きってわけでもないしね」
俺的には、開渡も十分にイケメンの部類に入っていると思うのだが……。
まぁ、二人は幼馴染だし、小さい時から開渡が近くにいるなら、そんな簡単に他の男になびくわけもないか。
「光流、ルーシーに連絡しないの?」
「あ〜、ちょっと感情整えてからにする」
ルーシーには、喜んで合格を伝えたい。
でも、理沙の不合格がかなり影響を与えていて、まだ明るく報告できそうにない。だから少しだけ落ち着いてからにしたかった。
「早くしないと連絡しちゃうぞ」
「しずははそんなことしないから大丈夫」
「いや、ちーちゃんが」
「あ……」
千彩都は勢いのままにメッセージとかしてしまいそうだしな。
それで、俺が泣いてたことも一緒に言っちゃうんだろうな。
「千彩都、ダメだよ」
「わかってるってぇ」
ウキウキした顔でそう言われても全く信じられない。
「でも、深月も良かったね」
「まぁ? これくらいはね」
そうは言うが、深月も結構ギリギリの位置にいた。
本当に良かった。
それは、深月にとっても、冬矢にとってもだ。
さて、早めに気持ちを切り替えて、ルーシーに報告しないと。
◇ ◇ ◇
「ルーシー! 受かったよ!」
合格発表日のお昼。
俺はなんとか気持ちを切り替えて、ルーシーに電話をかけていた。
「ほんと!? 嬉しい! おめでと! やったぁ!」
電話越しにルーシーが飛び跳ねて喜んでいるのがわかった。
学校のお昼休みだったからか、横には真空もいるようだった。
「じゃあ……本当に一緒に行けるんだね、学校」
「うん。行けるよ。またルーシーが日本に来るの待ってる」
「やばい……楽しみすぎてどうにかなりそう」
クリスマスイブの日、おばあちゃんを助けようとした時に走馬灯のようにいくつもの未来が頭に過った。
その時はまだ、確定した未来ではなかった。
でも、今はそんな未来がはっきりと想像できる。
ルーシーとしたいことがたくさんある。
小さなことで良い。誰でもやったことがあるような小さなことで良い。
学校帰りの買い食い、カラオケ、放課後の空き教室でだらだら、雨が降った時の相合い傘、注意されるまで自転車でのニケツ、そして体育祭や文化祭などの学校行事。
もっともっと、数え切れないほどある。
「光流……どうかした?」
「ううん、ごめん。ルーシーと学校に行けるって思ったら、色々したいこと頭に浮かんできて」
「光流……私もだよ。たくさんしたいことある。だからいろんなこと、一緒にしよう」
「うん。それに、忘れてない? 制服のこと」
「あっ……ふふ。光流、そんなに楽しみなんだ〜」
「当たり前でしょ。絶対一番最初に見せてね」
「もちろんだよ。光流だけの特権。楽しみにしててね」
途中、真空が近くにいることを忘れて甘い会話をしながらも、電話を続けていった。
三月の下旬には、ルーシーが日本へやってくる。
始まって、止まって。また始まった物語が動き出すまで、あと少しだ。
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