147話 もう一度始まる物語

「はぁっ……はぁっ……はぁっ」



 俺は必死に、必死に、足場の悪い雪道を走っていた。


 大切な約束の日なのに、絶対に遅れてはいけない日なのに。

 その事を思うと、悔しくて申し訳なくて――。


 でも、冬矢に背中を押されたお陰で我を取り戻し、足を動かすことができた。



「――――」



 いつもより距離が長く感じる。

 何百回と訪れたはずの公園。家からの距離もそれほど離れていない。


 あの交差点からだって、すぐに到着するような距離。 


 けれど、足が重いせいなのか、少し怪我をしたせいなのか。

 それとも、俺の焦る気持ちが感覚を鈍らせているだけなのか。


 あの公園まで中々辿り着かなかった。



「クソ――――っ」



 何度も瞼を擦り、悔しい気持ちを投げ捨てるように涙を振り落とす。

 そうしながら冷えて固まった雪をザッザッと踏みつけ、白い息を吐きながら懸命に走る。



 辺りは薄暗くなり、道沿いの街灯が灯り始めた。

 その明かりの下に影が作られ、また次の明かりへと走る影が移ってゆく。


 それを繰り返し、一番見覚えるある直線へと辿り着く。



「――――っ」



 ルーシー……頼む。まだ、そこにいてくれ……っ。



 もう何十分遅れているかもわからない。

 スマホを取り出して時間を気にする余裕などなく、ただ前を向いて走り続けた。


 これだけ遅れたくせに、まだそこにいてくれなんて、どの口が言えるのか。


 あの、手紙や動画でのルーシーの言葉。

 俺に会いたいという気持ちが胸いっぱいに伝わってきた。


 なら、ルーシーも俺と会えることを楽しみにしているはずなのに。

 それなのに、俺は、悲しませるようなことをして――。



 ごめん……ごめん、ルーシーっ。



 もう少し、あと少しだから。



「はぁっ! ……はぁっ! ……はぁっ!」



 息も絶え絶えに全ての力を振り絞って走り続け、ついに公園の入口が見え始める。



 すると、公園の入口から少し奥。

 その路肩に見覚えがあるような車が停車していた。


 黒く、長い――あの五年前と同じようなリムジンだった。



「――――っ」



 俺はその車を認識したと同時に、体の中から瞳へと水分が上っていくのを感じた。



 いる……! まだいるんだっ!



 その車を目の前に、俺は足を切り替えして急カーブ。

 公園の入口へと入った。



 公園の中央付近で立ち止まり、全体を見渡す。


 しかし、誰一人として姿は見えない。

 そんな中、ふと地面を見た。


 すると、地面にはたった一つだけある痕跡があった。



「――――っ」



 ずっと前にこの道を歩いたような雪上の小さな足跡。

 その足跡が降り積もる雪で消えかけていた。


 それが続く先――見えたのは、俺とルーシーの約束の場所。



 小さな足跡が、公園の入口からドーム型遊具まで繋がっていた。 



「はぁっ……はぁっ……はぁっ」



 俺は再び走り出す。


 息が苦しい。もう、満足に走れない。

 それほど、全力でここまで走ってきた。


 俺はドーム型遊具の前で足を止めた。



 すると、公園の電灯がドーム型遊具の一つの穴を照らしているのが見えた。


 ゆっくりと、その明かりを手前から奥のほうへと目で追った。



 すると――、



 ――中で体育座りで蹲っている少女の足と、背中に流れる長い金色の髪が視界に映った。



 その瞬間、心臓が……腎臓が――その相手と共鳴するかのように飛び跳ねた。




「――ルーシーっ!!!」




 俺は叫びながらドーム型遊具の穴へと飛び込んだ。




「――――ぁ」




 そこにいたのは、五年前ここで出会った時のように一人で蹲って泣いていた女の子。

 その時の光景が思い返され、そして、今の大きくなった少女の姿と重なった。


 俺が名前を叫んでも、耳を塞いでいたせいかまだ反応がなかった。

 だから、もう一度――、



「――ルーシーっ!!!!」



 世界一大切な人の名前を叫ぶ。


 名前を呼ぶ度に、自分の視界に靄がかかる。

 目の前にいる人の名前を呼ぶだけで、こんなにも嬉しくなる。


 金色のその綺麗な髪色が、これが夢ではないのだと答えをくれる。


 俺はドーム型遊具の穴を完全に潜り抜けて、目の前まで足を進めた。

 すると、少女の耳を塞いでいた両手が下ろされる。



 呼べ……呼ぶんだ……。

 もう一度、この時のために……俺は――――、



「――ルーシーっ!!!!!!」



 目の前で、うるさいくらいに、大切な人の名前を叫んだ。



「え……っ」



 三度目。

 名前を呼ぶと少女は俺が目の前にいることにやっと気づき、ゆっくりと顔を上げた。



 その顔を見た瞬間、俺はもう前が見えなくなっていた。

 溢れ出る感情のまま、瞳に雫が溜まって前が見えない。


 でも、その少女の顔の包帯の隙間から見える青い瞳から、俺と同じく涙が流れているように見えて――、



「ひか……る……?」



 震えながらも細く綺麗な声から俺の名前が紡がれる。



 ずっとこの時を待ってた。

 ずっと、ずっと、ずっと……ずっとずっと。



「ルーシぃぃぃっっ!!!!!」

「きゃあっ!?」



 俺はしゃがみ込みながら彼女の背中に腕を回し、抱き寄せた。



 強く、強く。もう離さないと。絶対に離してやらない、と。

 驚いたように悲鳴を上げた彼女の声すら無視して、俺は強く抱き締めた。


 彼女を抱き締め、触れた瞬間。

 あまりにも冷たくなっている体の温度を感じた。


 その体温から、この寒い場所でずっと長いこと待っていたことを認識し、それほど約束の時間に遅れてしまっていたと痛感してしまった。


 だから俺が最初に言うべき言葉は――、



「ルーシーっ!! ルーシぃぃっ!! うぅっ……ごめんっ……ごめんっ……! こんなに、待たせて……っ……ごめんなぁ……っ」



 彼女――ルーシーからの手紙の返事と同じく、謝罪の言葉だった。



 こんなにルーシーの体を冷たくしてしまった原因は俺しかいない。

 申し訳ない気持ちがドッと溢れ、同時に流れ続ける涙がさらに上乗せされた。



「ぁ……ぁ……っ」



 俺が抱き締めたことで、ルーシーが息を詰まらせるように小さく声を漏らす。

 それがどんな意味なのか俺にはわからなかったが――。



「顔……見せ、て……」



 すると、顔のすぐ横で震えるようなか細い声が聞こえた。

 俺はルーシーの声に従い、強く抱き締めていた腕の力を緩めて少しだけ離れた。


 ルーシーのサファイアのように輝く双眸と目が合い、お互い見つめ合う状態になる。


 するとルーシーは着けていた手袋を外し、素手で俺の顔に手を伸ばした。



「ひかる、なの……?」



 ルーシーの口からもう一度、俺の名前が紡がれる。

 それは、確認の言葉だった。


 両頬に触れたルーシーの冷たい手が、その指が、俺の目元に移動し溢れていた涙を拭ってくれた。

 そのまま、ふにふにと優しく指を強弱させて、俺の顔の形を確かめるように触れていった。



「うん……光流だよ」



 拭ってくれたはずなのに、まだ視界がぼやけていた。



「ぁ……ぁぁ……っ」



 ルーシーの声がさらに震える。

 俺を顔を確かめたその手が、徐々に下に下がっていき――、



「ひか、るぅ……ひかるぅっ! 会いたかった! ずっと会いたかった!! あいだがっだよぉぉぉっ!!!!」



 ルーシーが俺の両腕を掴みながら胸に顔を埋め、子供のように泣き叫んだ。



 俺が言って欲しかった言葉。

 俺が望んでいた言葉。

 俺が同じように思っていた言葉。



 全身で受け止め、震える声を絞り出して想いを叫んだ。



「ルーシー……っ! 俺も、俺もっ……本当に……ずっと……会いたかった……っ」



 しがみついているルーシーをもう一度優しく抱き締める。


 想いが通じ、やっと成長したルーシーを感じることができた。



 五年前とは変わったルーシー。

 白く細い体は華奢なまま大きくなり、少し大人になった声とあの時の記憶とは違う良い匂いは新鮮に感じて。


 髪の色や青い双眸。そして、俺と同じくすぐに泣いてしまうところは変わっていなくて。



 これが、ルーシーなんだ。

 ずっと待ち焦がれていた世界一大切な、本物のルーシーなんだ。



「ほんものだ……ほんものなんだ……やっと、やっと会えた……」

「そうだね、やっとだ……」



 再会を喜ぶように体を互いに接触させる。

 ルーシーの全てが愛おしくて、自然と頭や背中を撫でてしまう。


 すると、ルーシーの口から、溜め込んでいた感情が吐き出された。



「ごめんっ……ごめんなさいっ……連絡しなくて……私の勝手な……エゴで……本当は、すぐ連絡すればよかったのに……私に、大切な腎臓をくれたのに……たくさんの幸せをくれたのに……ひぅ……っ……グスっ……ごめんなさいぃぃぃぃ……!!!」



 約束の時間に遅れたこと。

 それに対する怒りを吐き出されるかと思ったのに、ルーシーはそれを口にも出さず、謝罪の言葉を述べた。



 手紙――そして、動画。

 ごめんなさいを言いに行くという言葉の通り、ルーシーはそのことを謝ったのだ。



 でも――、



「違う……違うよ、ルーシー。俺だって、ルーシーが目覚めたって聞いた時に、すぐに手紙か何か送ればよかったんだ。だから、これはお互い様なんだ……」

「だって、だって……光流に色々なもの……もらったのに……全然恩返しできて……なくて……っ」



 俺にはまだわからないルーシーの色々なもの。

 この五年間でルーシーは俺にそれほどのことをもらったと感じてくれていたのだろうか。


 けど、ルーシーの考え。

 俺は恩返ししてほしくて何かしたわけじゃないんだ。



「それも違う。ルーシーを助けたかったのは俺の意思。だから恩返しとかそういうのは考えなくていい。……友達なら、恩とか関係なく助け合うのが当たり前だろ……?」



 あの時、ルーシーともう会えないのは絶対に嫌だった。


 今まで平凡だった生活に光が灯ったように感じた。

 あの一週間が本当に楽しくて、毎日毎日学校が早く終わらないかと思い、心躍らせた。


 だから、違う。恩を求めて助けたわけじゃない。

 また、こうやって目覚めているルーシーともう一度話すために。


 生きててくれて……こんなにも、こんなにも嬉しいから――。


 瞬間、ルーシーの手に力が入る。



「もうっ……もうっ……離れたくないよぉぉぉっ!!!」

「俺も、俺もだよ、ルーシーっ……!!」



 嬉しい。そう言ってくれるルーシーの言葉が嬉しい。

 もう離れたくない。離したくない。もう――遠くに行かないでくれ――。



「ひかるぅ……ひかるぅ……っ!! 私、私ね……話したいこと、たくさんあるの……っ!! もう、光流のお陰で叶った夢がたくさんあるのっ!!」



 包帯の隙間、ルーシーの宝石のような碧眼から涙が溢れ、真っ直ぐに俺の目を見つめる。

 そうしながら、必死になって言葉を、声を届けてくれた。



「うん、うん……俺だってルーシーに話したいことがたくさんある! だからっ、これからっ……お互いに……それを、話し合って……この五年間を……少しずつ、埋めていこう……っ!!」



 俺もルーシーに負けないくらいたくさん話したいことがある。

 一日じゃ足りない。だから何日でも何週間でも、いくらでも話したい。


 そして、ルーシーの話もずっと聞いてあげたい。



 あぁ……あぁ……。

 こんなにも、ルーシーが愛おしい。

 

 先ほどまで、約束に遅れたことへの申し訳なさでいっぱいだったのに、ルーシーの言葉でその後ろ向きな気持ちが吹き飛んでしまう。

 今、頭を支配しているのは、目の前にいる世界一大切な人が俺のことを想って話してくれていること。その嬉しさでいっぱいになっていた。



 だから、だから――、



「ぁ……ぁ……ひか、るぅ……ひか、るぅ……あぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!!!!!!」

「ルーシー、ルーシー……うぅ……うぅ……っ」



 ルーシーが俺の胸に顔を埋めて大声で泣き叫んだ。

 その彼女を見て、俺は包み込むようにして抱き締めて、嗚咽混じりの詰まる声で一緒に泣いた。



 今、ルーシーが目の前にいること、それだけで奇跡だと言うのに。

 触れることができて、離れたくないとも言われて……これ以上何を望めば良いと言うのか。


 幸せすぎる気持ちがどうしようもなく溢れ、自分がこんなにもルーシーのことが好きなんだという気持ちを再認識させられる。


 五年前に気付いたあの気持ちは、嘘じゃなかった。

 諦めずに、また会えるって信じていて良かった。



 おばあちゃんを助けたことで、この場所に遅れてしまったこと。

 神様は俺とルーシーを会わせないようイジワルをしているのだと思ってしまうほど落ち込んでしまっていた。


 最初にルーシーが顔を上げた時に微かに見えた涙。

 そして、寒さに耐えるようにして身を縮めていたことからも、俺が約束の時間に来なくて不安になっていたことは明白だった。


 でも、俺が遅れたことに対して問い詰めもせずにいてくれて。

 俺に会いたかったという気持ちをぶつけてくれたことが嬉しくて――。



 

 なぜ、ルーシーは俺にとってこんなにも特別な存在なのだろう。


 五年前に公園で見つけた時に綺麗だと思ったから? 車の中で楽しい会話ができたから? 腎臓の片方を渡したから?


 ――それとも、絶対に死んでほしくない……生きてほしいと、心からそう思ってしまっていたから?



 いつも感じていた。


 術後の診察や薬をもらいに病院へ行く度、自分の腎臓の片方がないんだと、そして――もう片方が大切な人の元にあるのだと。

 そう考える度にルーシーと同じ腎臓を共有し合っている気持ちになっていた。


 

 多分、特別だと思える出来事は一つだけじゃなかった。


 ルーシーにかかわる全ての出来事が、俺にとって特別で大事で、そして大切だから。

 言葉では伝えられない何かが、そこにはある気がした。



 だからあの日、ルーシーと出会った瞬間から――俺の物語が始まったんだ。



 それまでの俺は順風満帆に、普通に、平凡に、それほど没頭できることがあるわけでもなく、勉強も平均的で。


 でも、ルーシーと出会った瞬間から、真っ白なキャンパスに色が塗られていくように楽しい出来事が増えていった。


 勉強に筋トレ、ジョギング。大切な友達にギター、歌……バンド。

 家族の大切さだって気づくことができた。



 どれも、ルーシーと出会わなければ、手に入っていなかったかもしれないもの。

 頑張ろうだなんて思いもしなかったこと。



 これは、ルーシーが俺にくれた新しい人生なんだ。



 平凡に暮らしていくことが悪いことだとは思わない。


 でも、平凡だとはまるで思えない人生を歩めている今……幸せじゃないわけがない。




 ――体が熱い。



 必死に走ってきたお陰で、汗をかくほどに体が熱い。


 しかし、それだけではない。


 ルーシーと再会できたことで、燃えるような情熱が吹き出し、それが体全体に伝わっている気がした。



 その一方でルーシーの体は待たせてしまったせいで凍えるような冷たさになっていた。


 だから、少しでも温めてあげたい。

 俺の体の熱が彼女に伝わるほど、ぎゅっと――。



 息を吸い込む度に冷たい冬の匂いが鼻腔をくすぐる。

 ただ、同時に世界一大切な人から香ってくる、今まで嗅いだことのない甘くとろけてしまいそうな良い匂いで、その冷たさもかき消されてゆく。


 

 もう、遠くになんて行ってほしくない。


 もう、離したくない。



 叶うなら――この先も、ずっと……ずっと――永遠に。



 今、この公園にいるのは俺とルーシーだけ。

 ドーム型遊具の穴から差し込む電灯の光だけが、俺たちをスポットライトが当たったように照らす。



 五年前。二人が出会い、始まった新しい物語。

 しかし、すぐに止まってしまった二人の運命。



 でも、この日から。


 クリスマスイブという素敵な記念日から。


 五年も待った、待ち焦がれた……大切な人と再会できた今日という特別な日から――、




 ――俺とルーシーの物語は、もう一度始まり、動き出すんだ。









 ―▽―▽―▽―


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