146話 また巡ってくる

「本当にもう大丈夫よ。一人で待てるから。あなた……本当につらそうよ?」


 隠しきれない俺の悲痛な表情を見た老婆が、申し訳無さそうに何度もそう語りかけてくる。



「……大丈夫です、大丈夫ですから……」



 けど、俺はその老婆の言うことを聞かずにここに居続けた。


 頭の中が落ち着かない。

 もどかしい感情が行き場をなくし、ただ白い息だけが空へと消えていく。



「――おばあちゃんの娘さん……電話で、腰が悪いのに一人で歩くなって言ってましたよ」



 冬矢が来るまで、どうやってもここを動くことができなかった。

 だから、俺は自分を冷静にするためにも世間話をすることにした。


 余計なお世話かもしれないが、今回のこともあるので釘くらいは刺しておこうと思ってそう言った。



「家の人は出掛ける度にあーだこうだ言うから、一人で動きたくてね……」



 俺と同じように虚空を見つめる老婆が、何かに想いを馳せるように呟く。


 老婆の話だと、いつもは誰かと一緒に行動しているようだ。

 あの腰の悪さを見れば、それも理解できる。




「――数年振りにね。孫の顔が見れたの」




 すると、老婆が一人で出掛けていた理由を話し始める。



「ちょうど、あなたくらいの歳だったかしら……」

「そうなんですね……」



 まだなんの話なのか理解できなかったが、久しぶりに孫の顔を見れて嬉しいということだろう。



「だからね、あの子に何かプレゼントしてあげたくて。それでデパートかどこかに行こうとしてる途中だったの」

「あぁ……それは大切なことですね……」


 数年ぶりに再会した孫。

 その相手に何かあげたいと思うのは老婆心でも何でもなく、誰でもそうしたいと思うのではないだろうか。



「あの子はね、昔のことをあまり覚えていないみたいで……だから何かプレゼントして思い出させてあげたくて」



 覚えていない、か……。

 俺も小さい時のことはほとんど覚えていない。大人になれば皆そうではないだろうか。



「俺だって覚えてないですよ。小さい時のことを覚えている人の方が珍しいんじゃないですか?」


 正論をそのまま老婆に伝えた。



「そうじゃないのよ。だってあの子は――」



 そんな時だった。




「――見つけたっ!!」




 老婆が話の続きを話そうとしていた時、雪が降り積もる歩道を駆けてきたのは冬矢だった。

 彼が俺の目の前までくると――、



「お前……その顔……」



 俺は冬矢の顔を見て安心したのか、それとも申し訳ない気持ちが出てしまっていたのか。

 とにかく何かの感情が溢れてしまい、俺の目にはいつの間にか涙が溜まっていた。



「――冬矢ぁ、冬矢ぁ……俺、約束に……っ」



 縋るように俺は声を漏らす。

 情けない、本当に情けない声だった。



「――立てっ! 今すぐ立って公園に行けっ!!」

「――――っ!?」



 突然、冬矢は俺の両肩を掴み、ベンチから無理やりに立ち上がらせる。

 そして、強い口調でそう言った。



「だって、俺……冬矢の予定も…………」



 自分の予定を潰してまで、俺のところに来てしまった冬矢。

 その申し訳なさで、まだ気持ちの整理ができないでいた。



「俺のことはいいっ! いいから! だから早く行ってやれ! もうお前たちを止めるものは何もないんだよ!」



 しかし、冬矢は俺の背中を押すように言葉を返す。

 何も説明していないのに、なぜ俺がここにいるのか察したように、早く行けと俺を叱咤する。



「遅れたなら謝れ! 許してくれなかったら、それまで何回でも謝り続けろっ!」



 俺の両肩を掴む冬矢の手の力が強くなる。――あの時みたいに。


 冬矢の家でのクリスマスパーティー。

 あの日、俺はルーシーの誕生日すら知らないことに絶望した。しかし、冬矢の言葉で立ち上がり、ルーシーに手紙を書いた。


 その結果、今日という日に繋がることができた。

 こいつは俺を……いつだって俺を――、



「――まだ、何も始まってねぇじゃねーか!!」

「――――っ」



 冬矢の強い言葉が続く。

 その言葉が心に突き刺さり、さらに涙がほろりと増えていく。



「これから……今日から始めるんだろ! ――お前たちは今日からまた、始め直すんだろうがっ!!」


「あぁ……ぁぁ……」



 冬矢に言われた言葉全てが、全身に響いていく。

 これでもかというほど、彼の気持ちが俺へと伝わってくる。



 そうだ……今日からなんだ。


 五年前のあの日からずっと、止まったままだった時間。

 やっと……やっと動き出すんだ。


 俺とルーシーが出会って初めて時計の針が動き出すんだ。




「ほら……あっちだろ、公園」




 冬矢の声音が優しくなり、俺の肩から手を離すと体を反対方向に向かせる。 



「――大丈夫だ。全部うまくいく。お前には、全部うまくいく資格がある」



 俺のほぼ全てを知っている冬矢が背中越しにそう呟く。

 だから、俺が今まで何をしてきたのかも全部知っている。


 それが無駄ではなかったと、やってきたことには意味があると。

 だから、俺にはそんな資格があるんだと言ってくれているようだった。



「…………」



 冬矢が俺の背中に触れる。



「――お前を待ってるやつは、どんなやつだ?」



 ふと、そんな質問を投げかけてくる。



「わからない……。でも、元気で話すことが好きで……多分優しい……」



 ルーシーのことはあの一週間分しか知らない。

 でも、手紙をもらった日から、少しだけ彼女のことを知れた気がしている。



「なら……きっと、遅れたことも許してくれるはずだ」



 そうかもしれない。そうなのかも、しれない……。



「今、お前がすべきことは一分一秒も無駄にせず、会いに行ってあげることだろ?」

「うんっ……うんっ……!」



 俺は両手で両目の涙を拭った。

 すると、冬矢が俺の背中をバッと押し出す。



「――行けっ! 振り向くなっ! 思いっきり走れっ!!」

「――――うんっ!!」



 俺は冬矢と老婆を背にして、振り返らずに走り出した。



「冬矢っ……冬矢っ…………ありがとうっ」



 色々な感情がぐちゃぐちゃになり、足が動かなくなっていた俺は、またしても冬矢に背中を押された。

 



 ――俺は涙を振り切りながら冬矢への感謝を呟き、約束の場所へと向かった。




 …………




「――ばーさん、わりいな。あいつちょっと切羽詰まってただろ」



 その場に残された冬矢と老婆。

 冬矢は老婆に対して、ぶっきらぼうな言葉遣いで話しかける。


「いいえ。あの子はとても優しかったわよ……だから、本当に申し訳なくて……」

「あいつはそういうやつだ」


 今の光流と冬矢のやりとりを聞いて、より一層申し訳ない気持ちが増していた老婆。


「何があったのか、簡単に教えてもらえるか?」

「ええ……」


 冬矢は、光流からは聞いていなかったトラブルの内容。

 何が起きていたのかを老婆から聞き出した。




「――そう、だったのか……あいつ……」

「だから、あの子は私の命の恩人なの。あの子がいなかったら、私は今ここには……」



 老婆からの説明を聞いて、光流らしいなと思った冬矢。

 そして、光流に対しての感謝を呟く老婆。



「――あなただって、急に呼ばれてここへ来たんじゃないのかしら?」

「あ〜〜。まぁ……」



 先ほどの二人の会話を聞いていた老婆は、冬矢にも予定があったことを察していた。

 ただ、冬矢はそれを濁し、空へと白い息を吐く。



「ほら、やっぱり……」

「大丈夫だ。――今なら、少しは理解されてると思うから」

「良い友達……恋人……を持ったのね」



 冬矢がここに来る直前まで会っていた人物。

 老婆にはそれが誰なのか理解できるわけもなかったが、今日がクリスマスイブともあって恋人というキーワードを出した。



「ははっ、勘違いすんな。友達だ……」

「でも、青春……してるのね」



 ひたすらにぶっきらぼうに答える冬矢。ただ、その表情はどこか清々しかった。



「それができてるのも、さっきのあいつのお陰もあるだろうな……」

「二人は良い関係なのね」

「あぁ、俺の親友だ。世界で一番尊敬してる」



 自信を持ってそう言える。

 恥ずかしげもなく言い放つ冬矢の言葉に、老婆も笑顔を取り戻していく。



「けど、たまにああやって勝手に体が動くようにトラブルに飛び込んだり……今日だって五年ぶりに大切な人と会う約束だったのに――」

「え……? 五年振りって……?」


 "五年振り"というキーワードを呟いた冬矢に対し、老婆は気になったようだったが――、



「――お母さんっ!!」



 すると、目の前でタクシーから降りてきた中年の女性が二人が座るベンチまでやってきた。

 身長が高くキリッとした顔つきだが、どこか優しさが滲み出ているようなそんな雰囲気の女性。



伊須実いすみ……」



 その女性の顔を見ると、老婆が自分の娘の名前を呼ぶ。


「あの、ごめんなさいっ! うちの母がご迷惑をおかけしました!」


 すると隣にいる冬矢に向かって深々と頭を下げる伊須実と呼ばれた女性。


「いや……助けたのは俺じゃなくて、もう用事で先に行っちゃった別のやつなんですけど」


 そう返す冬矢は、なぜかこの女性に対しては敬語を使う。

 老婆に対してはタメ語を使っていたが、どんな基準でそんな話し方になるのかは、彼自身も理解していない。


「そうだったんですか……」


 その人にも謝罪と感謝を伝えたいと伊須実は、やるせない気持ちになる。


「お母さん、腰も体も悪いんだから一人で出歩かないでって言ってるのに」


 すると伊須実は再び自分の母へと視線を戻して、説教を始める。


「家の人に言うと心配されて自由が利かないから。居ても立っても居られなくて……」

「それで他の人に迷惑かけてちゃ意味ないでしょ……」

「それは、伊須実の言う通りだわ……」



 親子でそんな会話をしていると――、



「――じゃあ俺は行きます!」

「え? お礼させてください! 命を助けてもらったとあれば、何もしないわけにはっ!」


 冬矢がベンチから立ち上がり、この場から去ろうとする。

 しかし伊須実は、お礼がしたいと引き留めようとした。


「そういうのはいいです! もしお礼するなら俺じゃなくてさっきの友達にしてやってください!」


 しかし、冬矢は伊須実の言葉に応えない。


「俺、もう行かなきゃ! 今日のあいつは心配だ……最後まで見届けてやらないと!」


 

 冬矢は、先に公園に向かった光流がどうしても心配になっていた。

 先ほどまでの光流の表情、態度を見れば、心配するのも当然だった。


「――そしたらなっ! ちゃんと養生しろよ、ばーさん!」


 冬矢がぶっきらぼうながらも老婆を心配する言葉を言い放つと、そのまま走り去って行った。


「あ、名前だけでも! ……行っちゃった」


 伊須実が冬矢の背中に手を伸ばしたものの、それが届くことはなく、すぐに見えなくなってしまう。


「――お母さん。さっきの子とその前に助けてもらった子の名前わかる?」

「いいや。どちらの名前も……」

「困ったわね。どうお礼をすれば良いのか……」


 冬矢はお礼をするなら助けた友達にということだったが、老婆も伊須実も光流の名前は伝えられていなかった。



「伊須実……さっきまでいた子から聞いたんだけどね。私を助けてくれた子が、今日、五年ぶりに大切な人と会う約束があるみたいだったのよ……」

「五年ぶり……? それって――」



 老婆と同じく伊須実も、五年というキーワードに引っ掛かる。


「実際はどうかしらね。ただ、運命はどこかで繋がり、また巡ってくるものよ。あの子とは、いつかまた会える――そんな気がするの」

「お母さんったらそんなこと言って……。こんな無茶してたらすぐぽっくりいっちゃうんだから」


 一人で行動し、死にそうになっていては、また会えるなんていう言葉は夢のまた夢になる。


「伊須実、あの子がアメリカに帰る前に早く何かあげたいわ。とりあえず新宿まで連れてってもらえるかしら? あそこなら――」

「――お母さん何言ってるの!? 今日は無理! 腰がおかしいままでお買い物できるわけないでしょ。お迎えが来たらすぐに帰りますからね」

「……しょうがないわねぇ」

「私だってまだあの子の顔を見てないんだから。お買い物するなら腰が良くなってから今度一緒にね」


 早く孫にプレゼントを渡したい祖母とその娘の言い合い。

 結果は目に見えていた。腰が悪い状態では満足に歩けるわけもなく、ショッピングなんてもっての外だった。



「――あ、きた」


 伊須実がそう呟くと、路肩に黒塗りの高級車が停車する。

 その車から降りてきたのは、長身でガタイの良い伊須実と近い年齢に見える中年の男性だった。


「――母さん! 勘弁してくれよ……話聞いた時は、腰抜かすかと思ったよ」

「兄さん。腰抜かしたのはお母さんのほうよ」

「そういう洒落を聞きたいんじゃないんだが……」


 心配そうに母に近づく息子と思われる人物。

 伊須実から連絡があり、母が死ぬかもしれなかった事故に間一髪で助かったことを聞いて、車を飛ばしてここまで来たのだ。


「――勇務いさむ……。わざわざ来てもらって悪いわね。仕事もあるのに……」

「そういうのは気にしなくて良い。とりあえず今日は自分の家に帰ってくれ。送っていくから。ちゃんと腰を休めてから明日、ゆっくり病院に行こう」


 息子のことを勇務と呼ぶ老婆。

 勇務は頭を抱えながら、これからのことを話した。


「――じゃあ頼む」


 すると勇務は後ろに控えていた黒服――二人の使用人に声をかける。

 その使用人が老婆に近づき、ゆっくりと支えて車まで移動させた。



「ねぇ、兄さん。お母さんを助けた子なんだけど、今日五年振りに大切な人と会うって言ってたらしいのよ……何か前にも少し似たようなこと私にも話してなかった?」


 母を車に乗車するのを見送った伊須実が、気になっていたことを勇務に伝える。


 すると――、



「ふふ。そうか……そうなのか。――運命というものは、本当にあるのかも知れないな」


「これで君に助けられたのは、二人目か…………光流くん」



 自らもその場から移動し、車に乗り込む直前。

 勇務――宝条勇務は、どこか遠くを見つめながら微笑み、小さく呟いた。






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