129話 中学三年生 文化祭その4
――文化祭の一ヶ月前。
いつものファミレスにバンドメンバー四人で集まっていたある日。
「――ねぇ。もし時間が余ったら最後にもう一曲やるの……だめかな?」
俺は三人に向けて一つの提案をしていた。
元々文化祭は三曲だけと決めていた。
しかしあの曲を聴いてから、もう一曲やってみたいという気持ちができてしまっていた。
「お前はドMかよっ」
「光流……俺に死ねって言ってるのか?」
冬矢が少しだけ否定すると体力のない陸も否定の言葉を発した。
「そうなんだけどね……」
「そもそも残り一ヶ月だよ? 練習時間も少ないし打ち込みもしなきゃでしょ?」
しずはの的確な指摘。
とても現実的ではないことを話している。
「で、お前はなんの曲をやりたいんだよ?」
まだ曲のことを話していなかったので、冬矢が聞いてくる。
俺がやりたかった曲、それは――、
「――『エルアール』ってわかる?」
どうしてもその声とサムネイルの姿が目に焼き付いて離れないアーティスト。
「あぁ、あれだろ? 凄いバズってるやつ。俺のクラスのやつらも皆話してたぜ」
「なんかすげぇって話だよな。俺はまだ聴いてないけど」
二人とも名前くらいは知っているようだった。
しずはに関しては、既に聴いていることは教室で聞いていた。
「てかデビューしてるわけじゃないから譜面とかも売ってないだろ。全部耳コピで覚えるしかないじゃん」
「そうなんだよね……」
これも的確な指摘。
色々な面で大変なのだ。
「――光流はなんでやりたいの?」
しずはからそう聞かれた。
正直、かなり言いづらい。特にしずはには。
多分誰もそのことに気づいていないだろうし、本人だとは決まったわけでもない。
もし本人でなかったら、なんのためにって話でもあるけど。
「ええと…………」
頭の中でその回答を考えているうちに口ごもってしまっていた。
「おい、まさか……」
「え? まさかって……は? 嘘でしょ?」
俺のその様子から何かを感じとったのか、冬矢が察したような呟きを見せる。
そして冬矢の言葉からしずはも何かに気づいたようで――、
「い、いや……勘違いかもしれないけど……」
「はぁ……お前なぁ……」
「そんなことある!?」
「今日のお前らの会話意味わかんね〜」
冬矢としずはが察したという前提で俺は会話を続ける。
ただ、陸にだけはまだ話せていなかったので、少し申し訳なかった。
「文化祭までの負担が特に大きくなるのは冬矢としずはになっちゃうと思うんだけど……」
「まぁ、そうだろうな」
だから、強くは言えない。
あくまで提案なのだ。
「エルアールは女性だろ? お前のキーにも合わせなきゃならないし」
「まぁ、ね」
ともかく今までより打ち込みが大変になるだろう。俺たちも耳コピで弾かなければいけない。
「――ったく。頼れって言ったけどよ、本当に大変なことで頼りやがって……」
「できないことはないと思うけどさ。本番は時間あるかわからないんだよ?」
結局はそこだ。当日の時間に余りがなければいけなかった。
「そうだね。そうなったら、本当に申し訳ないけど……」
「なら、余計なことせずにすぐに演奏に入れるように流れを作ればいいじゃん」
陸の提案は前向きだった。
「いいじゃん。さっきは俺もちょっと否定的なこと言ったけどさ。光流から始まったバンドなんでしょ? なら光流が決めれば良いんじゃない?」
「陸……」
陸の言葉に冬矢としずはが顔を見合わせる。
「――今日は全員にパフェだな」
「私パンプキンチョコバナナパフェにする〜」
「俺はイチゴショコラパフェ〜」
冬矢がパフェを俺に奢ってほしいことを言い出すとしずはと陸がパフェを頼もうとする。
「……四曲目、良いってこと?」
「パフェだけじゃ割に合わない気もするが……中学最後の文化祭だしな」
「やりたいこと、全部やったほうが良いよ」
「ありがとう……皆」
こうして、俺たちは残り一ヶ月の間、四曲目を練習することになった。
◇ ◇ ◇
――疲れ果てて腕すら満足に上がらない陸の意気込みを聞いて、力が入った。
少しだけ時間がある。なら、やるしかない。
「――皆、『エルアール』って知ってる?」
俺は観客にそう聞いた。
「知ってる!」「最近のやつじゃん」「えっ、もしかして」「一ヶ月前に出てきた人だよね?」
そんな声がちらほらと聞こえてくる。
「練習期間が凄く短くて……でも、やろうって決めました」
多分他の曲よりも拙い演奏になると思うけど。
それでも、必死にやってやる。
「じゃあ本当に最後の曲です! 聴いてください『エルアール』で『星空のような雨』!」
陸が「行くぞっ!」と声を振り絞ると、四度のスティック音が弾ける。
――最後の曲が始まった。
いきなりサビから始まるエルアールの曲。
つまり、俺の歌から始まる。
「――君が私に教えてくれた世界は ♪」
少しのサビを歌い終わったあとに前奏が始まる。
この時点で疾走感溢れるJポップだと伝わる。
アメリカで作ったと思われるが、日本人向けの曲になっていた。
『――わあぁぁぁぁぁ!!!』
最初のサビが終わった時点で、観客からものすごい声が上がった。
エルアールの曲を知っている人が多いからか、初っ端から観客たちが手拍子でリズムをとってくれていた。
その手拍子に従って頭を少し振りながら俺も痙攣しそうな腕を必死に動かす。
最後の最後の曲ともあって、観客のノリがすごい。
手拍子もそうなのだが、今まで以上に飛び跳ねたり手を上に上げたりしている生徒が大勢いた。
前奏のこの部分はキーボードの音がメイン。しずはが体重をかけて鍵盤を叩き、曲の走り出しを決めきる。
そうしてAメロへと繋がっていく。
「――暗い宇宙に隠れる 小惑星は ♪」
俺と同じく必死に腕を振る冬矢。息も絶え絶えで汗が飛び散る。
イケメンだとその汗すら絵になる。
可能な限り笑顔を作り、口を横に広げて歯を見せている。
こうやって一人一人最後の力を振り絞り、次へ次へと音を繋げる。
苦しい……でも、この苦しさが気持ちいい。
本当にギリギリ。痙攣どころか、腕がつりそうになってきている。
一番心配な陸はというと、一切ドラムの音は途切れることはなく、力強い音が後方からずっと鳴り響いていた。
すげえよ陸。
最後までやりきって、お前に最高の思い出を作らせてやる、
「――眩し過ぎて夢みたいだった ♪」
サビに突入。自分では出ているかわからない声をマイクにぶつける。
目を見開いていて、どんな顔になっているかわからない。でも歌うことと手を動かすことだけは絶対にやめない。
すぐ目の前で鞠也ちゃんのツインテールがぶんぶんと上下に揺れているのがわかる。
応援して、楽しんでくれている。
「――無数に増えていく まるで星空のような雨 ♪」
観客のことを考えるとさらに声に力が入る。
そうして、一番のサビを最後まで歌い切る。
もう腕を止めたい。
惰性で動いているといっても良い。けど、自分の意思が心が腕を止めることを拒否する。
『……ハイっ! ……ハイっ! ……ハイっ!』
するとサビ後の間奏で観客が声を出して手拍子を打ってくれていた。
俺たちが必死に演奏していることを見抜いて応援してくれたのか、それとも最後だから盛り上がってくれているのか。
ともかく嬉しい手拍子だった。
俺は間奏の間、ギターを弾きながら少しだけマイクを離れる。
そうして三人に目線を送った。
皆、目が笑っていない。けど、口は笑っていた。
――無理しやがって……。
いや、四曲目をやりたいって言って無理させたのは俺か。
つらいなんて言ってられないな。
俺はマイクに戻り、二番を歌い出す。
「――聞こえてしまう嫌な声音も 君の傍では宇宙の塵で ♪」
そうして、フラフラながらも二番のサビまで歌い切る。
残すはCメロと最後のサビだけだった。
しかしそんな時、急にドラムの音が小さくなった。
緊張が走った。
頑張ったけどやっぱりだめなのか?
陸……そのまま休んでろと思った時。
キーボードの音が増えた。
ドラムの音量を庇うようにキーボードの音――その数が一気に増えたのだ。
キーボードの音量を大きくしたのではない、音の数を増やしたのだ。
しずはもつらいはずだが、自分のアレンジを加えてドラムを支えた。
その一瞬の助けで休めたのかわからないが、数秒後に陸のドラムの音量が元に戻った。
――最後までやるんだな、陸?
俺はそう受け取った。
「――もう止まらないこの想い 降りしきる雨すら吹き飛ばして ♪」
Cメロが終わり、最後のサビ。
もう少しだ、もう少しだけ頑張れ陸。
けど、俺も人の心配をしている余裕はなかった。
皆頑張れ、俺も頑張るから……。
「――眩し過ぎて夢みたいだった ♪」
指先の感覚が遠くなり、振り絞る喉は細くなる。
『歌は喉で歌うな、腹で歌え』と透柳さんには言われていたが、そんな余裕はなくなっていた。
腹式呼吸も満足にできず、肩を上下させる。
君の歌……難しいよ。こんな歌、歌ってたんだな。
サビの部分は裏声混じりのファルセットも使う。
ファルセットなんて、何度も練習しないと綺麗に声を出せないというのに。
自分でやると言っておきながら、本当に大変な曲を選んでしまった。
でも……やれて良かった。
少しだけ、君と同じ景色が見たかったから。
「――無数に増えていく まるで星空のような雨 ♪」
そして、最後までサビを歌いきり、残すは後奏のみだった。
『……ハイっ! ……ハイっ! ……ハイっ!』
楽器の音だけになると再び観客が手拍子で盛り上がる。
その声と手拍子の音に負けないよう、強く強く楽器を弾く。
もうちょっと、もうちょっとだ。
冬也の煌めくような指使い。そこからクールなベース音が聴こえる。
サッカーでは足ばかり使っていたが、今度は逆に腕ばかり使うようになった。彼にとっては一大決心だったはずなのに。結局今ではここまで真剣にやってくれて。
しずはの巧みすぎるキーボードの音が聴こえる。
彼女は天性のパフォーマーなのかもしれない。ロックな言葉で観客を盛り上げたり、いつの間にか陸を庇った演奏をしたり。さすがはリーダーだ。
俺の立場からまだちょっと気が引けている部分はあるけど、彼女がいたからこのバンドの完成度は上がった。
最後の最後で盛り返した陸の強いドラムの音が聴こえる。
残り火を燃やし尽くすように、力を振り絞る。
ドラムに誘った時は気軽にOKしてくれたけど、今になっては本気でやってくれていたことが十二分に伝わってきている。
そして――、
――四曲目を最後までやり遂げた。
『わあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!』
大歓声と拍手。
今日はもう何度ももらったが、やっぱり最後が一番大きかった。
「はぁっ……はぁっ……はぁっ……」
全員がもう限界だった。
もう拍手が止む。なら最後に言わなければ。
目の前に広がる、とてつもない光景。
まさか自分がこんな景色を見ることになるとは。
最初のリハーサルでは観客の視線が怖いと思ってしまっていたけれど、今ではそれが違って見えて……。
息を整えるまもなく、俺は寄り掛かるようにマイクを握る。
「はぁっ……はぁっ……今日は――本当にありがとうございましたっ!!!!」
そう言うと、俺は深く深く礼をした。
そのほとんどが重力に任せて脱力しただけ。
すると再び大きな拍手を贈られる。
「――赤嶺小学校出身メンバー……『ルーシー』によるバンド演奏でしたっ!!」
司会進行の志波さんの声が体育館全体に響く。
志波さんが気を利かせてなのか、俺にとっては良いのか悪いのかわからないバンド名で最後が締めくくられた。
舞台幕が電子音と共に閉じていく。
幕が閉じていくまでの間、俺たちは観客になんとか手を振った。……引き攣った笑顔で。
そして、幕が全て閉じると――、
「や、やりきった〜っ」
「死ぬかと思った……」
「焼き肉食べたい……」
俺と冬也としずはは、力なく地べたに座り込み呟いた。
ただ、しずはの呟きだけ……焼き肉って、こんな状態じゃ時間経たないと腹に物はいらないよ。プロは体の構造も凄いと感じた。
しかしそんな時、後方から『ガタン』と音がした。
「――陸!?」
ドラムの椅子に座っていた陸が、地面に倒れ込むように椅子から転げ落ちていた。
俺は陸に駆け寄った。
「おいおいお前大丈夫か? よくやったよ」
「ギリギリ持ったね」
冬矢としずはも陸に近づいて、ねぎらいの言葉をかける。
「最後ちょっとやばかったけど、なんとかやりきった……」
ちゃんと意識はあるようだった。
もう体に力が入らないのか手も足もだらんとしていた。
「私がフォローしなかったらどうなってたことか」
「あれは助かった。一瞬だけ休めたからな」
ドラムの音が小さくなった時はヤバいかと思ったが、しずはのフォローでなんとか乗り切った。
「――皆っ! お疲れ様っ!!」
舞台袖からやってきたのは理帆だった。
彼女の目は涙でうるうるしていて――、
「もうっ……泣いてスイッチ押し間違うかと思ったよぉ」
「はは。間違わなくて良かった」
手元が狂いそうになったほど、横から見ていても感動したようだった。
「理帆も本当にありがとう」
「どういたしまして」
彼女が俺たちの演奏のスタートに合わせて音響操作してくれたことで、演奏もうまくいった。言わば五人目のバンドメンバーと言っても差し支えない。
「――りっくんっ!!!」
すると、次に舞台袖から来たのは陸の彼女である山崎さんだった。
わざわざ観客側からこちらに回って来てくれたようだ。
陸の様子が心配だったのだろう。
「蓮ちゃん……見てくれた……?」
「見たよぉ。もうこんなになるまで頑張って……」
山崎さんが陸に寄り添って軽く体を支える。
「立てる?」
「片付けもあるしな。少ししたら……」
まだ動けないようだった。
陸は頑張ったよ。本当にありがとう。
「いいよ、陸はゆっくりしてなよ。片付けられる分はこっちでやっておくから」
「光流……悪いな」
陸には少しその場で休んでもらうことにした。
「ううん。――良い思い出になった?」
四曲目の前にいきなりあんなこと言うんだもんな。
これだけは聞いておきたかった。
「――最高にな」
「なら、良かった……」
最高の答えが聞けた。
俺は笑顔を見せて山崎さんに支えられている陸とハイタッチをした。
「光流……最高だったな」
冬矢が俺の下に来て、手を向けてくる。
同じくハイタッチした。
「うん。最後までやれて本当に良かった……」
「何かを本気で努力して、それを見せる場があるって意外と良いもんだろ」
「はは。本番がこんなにも疲れるものだと思わなかったけどね」
本番ならではの楽しさはとても感じた。
ただ、その一方で練習やリハーサルでは感じなかった本番ならではの雰囲気。それによって必要以上に力を出し切り疲れを感じた。
「しずは……色々ありがとうね」
俺はしずはの前に行くと、何か言われる前に先にお礼を言った。
「そうでしょうね。どれだけ私がこのバンドに貢献したか」
数え切れない貢献度だろう。キーボードだけではない。打ち込みだって冬矢だけではなくしずはも手伝っていた。プロ目線でいつも指示を出してくれていたし、彼女がいなければここまでできなかっただろう。
「感謝してるよ。バンド……楽しかった?」
「ふっ……言うまでもないわ。――すごい楽しかったっ!」
その表情を見ればわかる。
とても良い笑顔だ。
俺はしずはとハイタッチをした。
「光流も、頑張ったね……」
しずはの言葉。
それがなぜか心に刺さって――、
「うっ……ぅぅ……」
自然と涙が出ていた。
初めて本気で努力した何かに対して、褒められたからかもしれない。
「これだからスポーツも何もしてこなかったやつは……」
「うるせ〜」
先に色々な感情を経験してるからと煽る冬矢。
これだからスポーツばっかやってきたやつはと言い返したい。
努力が報われたことが嬉しい。バンドメンバーがやりきった顔をしていて嬉しい。観客が楽しんでくれて嬉しい。
「ほんとに、よかったぁ〜〜〜」
興奮度MAX状態から少しだけ落ち着くと、強い安堵感がやってきた。
「はは。お前ってやつは。まだ今日は少しあるんだ、片付けするぞ」
冬矢の声で俺達は後片付けをはじめた。
…………
終わってみれば、あっという間だった。
時間にして二十分くらいだったろうか。
午後二時過ぎから始まった舞台、まだ三時にもなっていなかった。
あれだけ長く練習しても舞台はたったの二十分。
そう考えると少し虚しくもなるが、その短い時間のためにやってきた。
中身はとても濃厚だった。
なんだか人生観が変わった気がした。今まで見えてきた世界が広がったというか。
俺はどちらかと言えば舞台を見上げる側だったのに、今回はその舞台に立つ側だった。
うまく言葉にはできないが、その違いだけで何かが変わったような気がしていた。
皆、ここまで一緒にやってきてくれて、本当にありがとう。
最高のバンドで、最高の舞台だった。
――こうして俺たちの中学生最後の文化祭が終わりを告げた。
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