103話 バイト先

 ――今日は姉と約束していた、一緒にカラオケに行く日。


 自分が文化祭で選ぶ曲を歌えるかどうかの確認のためだ。


 俺は冬矢を先に家まで送り届けてから、姉と待ち合わせをしていた駅前まで来ていた。


「あ、いたいた。光流〜っ!」


 すると、正面から姉が手を振ってこちらへ歩いてきていた。


 今日の姉は、肩までの長さの髪に二本のヘアピンをつけ、マフラーにベージュのコートを着ている。

 中はもちろん高校の制服だ。


「待った?」

「ついさっき来たとこ。……なんか彼氏みたいな言い方だね」

「そんなことないでしょ」

「ふふ……じゃあいこーっ!」


 こうして、姉はるんるんと歩きだした。

 ただ――、


「これ……」

「いいじゃんっ」

「まぁ……いいか」


 姉が俺の右腕に自分の腕を絡ませてきていた。

 最近交流も少なかったし、それほど気にすることもないと思って、そのままにしておくことにした。


 このあと少しだけ面倒なことになるとは想像もできず。



 …………




 姉の先導で駅から十分ほど歩くと、なぜかカラオケではない場所に到着した。

 大通りに面してはいるが、あまり目立たない外観だ。


「とりあえずお茶しよ〜」

「まぁ……いいか」


 今日は同じことしか言っていないような気がする。


 目の前には『FOREST BEANS COFFEE』と書かれた看板。


 かなり古めの建物。

 古民家カフェというものだろうか。


 チェーン店とは全く違い、落ち着いた雰囲気のカフェに見えた。


 姉が入口のドアを開けて、店内に中に入る。

 俺もあとに続いて中に入った。


「マスター! 来たよっ!」

「――いらっしゃい灯莉ともりちゃん。そういえば今日だったね」


 すると、姉がお店に入ってすぐにカウンターに立っていた人物に挨拶した。


 姉がマスターと呼んだ人物はメガネをかけた四十代くらいの少しだけ顎に髭が生えている男性。

 カフェの雰囲気同様に落ち着いた印象だった。


「この子、私の弟です!」


 姉がそう紹介したので、俺は軽く会釈をした。


「はじめまして。光流と言います」

「そうか。君が弟さん……。ゆっくりしていってくださいね」


 マスターの胸には小山内おさないと書かれたネームプレートがつけてあった。

 名前は小山内と言うらしい。


 店内は全部で十五席ほどだろうか。カフェとしてはそれほど広くはなく、今日はマスターの他に店員がいないようだった。


 姉はマスターに案内される前に自分の家のようにズカズカと足を進め、好きな席へと向かう。


「いいの?」

「うん。ここ私のバイト先だから」

「あ、あ〜。そういうこと」


 姉のバイト先だったらしい。

 姉も俺もコートを脱ぎ、椅子の背もたれにかけ、選んだ席に座った。


 この席は窓際の席。歩道を歩く人々やちらちらと降る雪が見える良い席だった。

 店内には優しいジャズがBGMとしてかかっており、店名のように森の中にいるような静かさを感じられた。


「ここのコーヒーはハンドドリップなんだよ。それが良いんだよね」

「そうなんだ。あんまりよくわからないけど」


 姉の説明では、一般的な有名カフェはマシンで淹れることが多いんだとか。

 一方ハンドドリップは、マシンを使わずにフィルターに粉を乗せてケトルでお湯を注いで抽出するやり方だそう。


 ただ、カフェラテなどミルクを混ぜるドリンクはエスプレッソマシンを使っているそうだ。


「今日は私の奢りだからさ、スイーツとコーヒーたのもっ」

「いいの!?」

「目の色が変わったね。いいよ。私お金あるから」


 スイーツと聞いて俺の心は跳ね上がった。

 そもそも普段からカフェに行くことはないので、甘い物もほとんど家で食べていた。


 外で食べるスイーツはさぞかしうまいだろう。


 俺と姉はメニューを見て、スイーツとコーヒーを決めた。


「マスター! 注文良いですか?」

「はい。今行きますね」


 そうすると、マスターが俺達の席までやってきて注文を取る。

 そうして、カウンターに戻ったマスターがコーヒーを作り始めた。


「あ〜、この匂いが良いのよね」

「確かに良い匂い。うちと全然違うね」

「それはそうよ。お店だもん」


 数分待っていると、マスターがスイーツとコーヒーを席まで持ってきた。


「こちら『フルーツタルト』『チーズケーキ』そして『オリジナルブレンド』でございます」


 俺が頼んだのはフルーツタルト。姉はチーズケーキだった。

 そして姉のお勧めでマスターが独自に選んだ豆をブレンドさせたコーヒーを頼んだ。


「おお〜っ。めちゃめちゃうまそう。コーヒーも良い匂い……」

「ありがとうございます。……ではごゆっくり」


 優しい声でそう言うとマスターはカウンターへと戻っていった。


「じゃあ、食べよっ!」


 俺達はデザートを食べ始めた。


「うめぇ〜っ。そんで食べたあとに飲むブラックのコーヒーが最高過ぎる」


 甘い物と苦い物を交互に口に入れる行為。なぜこんなにも美味しいのだろう。

 永遠に繰り返したくなる。


 フルーツタルトには苺、梨、マンゴーなどが乗せられていて、その下にカスタードが敷き詰められていた。

 それらを包むサクッと焼けているクッキー生地の食感も最高だ。


「美味しいでしょ〜」

「うん。めちゃめちゃ美味しい……」


 姉もパクパクとチーズケーキを食べ進めていた。

 チーズケーキも美味しそうだなぁ……。


「じ〜〜〜〜〜」

「…………」


 美味しそうだなぁ……。


「……食べる?」

「食べる!」


 チーズケーキをじっと見つめる視線に気づいた姉が、チーズケーキのお皿を俺の目の前に移動させた。


 俺はフォークでチーズケーキを一口食べた。


「――うまい」


 パサパサしていないこのしっとりした感じ。

 チーズケーキはやっぱり水分が含まれたようなしっとりしたものがうまい。


「あんたほんと甘い物好きよね」

「そうだね。昔からだから」


 甘い物と聞いていつも思い出してしまう相手。

 今度こそ車内じゃなくて、外で一緒にスイーツを食べてみたい。


 ただ、もう四年が経過しているし、好きな食べ物が変わってはいないだろうか。


「――いつかここにルーシーちゃん連れて来なさいよ」


 ふと、姉に俺の考えていることが見透かされたように、そう言われた。


「その機会があったらね。てか姉ちゃんずっとバイトするの?」

「せっかく一年ちょっとバイトしてるからさ、大学いってもバイトしたいかな」

「そうなんだ。なら本当に機会があったらね」


 俺が高校生になる頃には姉はもう大学生になっている。

 大学の勉強が忙しくなければバイトを続けてるだろう。


「正直今日さ、友達連れてくるんじゃないかと思ってた」

「あの子たち?」

「うん」


 謎DGダンスガールズのことだ。


「今日は二人きりのデートだからね。他は不必要!」

「そっか。久しぶりだもんね」


 あの人たちが来たら絶対に落ち着かないだろうな。

 こんな静かで落ち着くカフェには連れて来られないだろう。




 ◇ ◇ ◇




「マスター、今日はありがとうございました!」

「スイーツもコーヒーも美味しかったです」


 会計を済まし、カフェを出る前に俺達はマスターに挨拶をした。


「光流くん、でしたよね。またいつでも来てくださいね」

「はいっ……また来ます」


 優しいマスターの表情と声に見送られ、俺達はカフェを出た。


「――じゃあ今度こそカラオケに行こうっ!」


 姉は駅の方に向かって歩きだす。カラオケ屋は大抵駅前にあるからな。



「ここか……」



 そうして数分歩いてカラオケ屋が入っているビルに到着した。

 そして、ビルに入ろうとした時だった。



「――あ、あれっ。九藤くん!?」


「――ん?」


 ビルの中、俺の前方から女性の声が聞こえた。


「松崎さん……」


 そこにいたのはクラスメイトの松崎理帆まつざきりほさんだった。

 松崎さんはもう一人の女の子と一緒だった。

 友達だろうか。学校で一緒にいるところを見かけたことがある。


「あっ、あっ……その人……」


 松崎さんは、姉が俺に腕を絡ませているところを見て、何かを思ったようだった。


「デ、デート中だったんだね。話しかけてごめんねっ」

「あ、いやそうじゃ――」

「――そうなのデート中なの! 君たちもカラオケしてたの? 私達もこれから入るところっ」


 松崎さんに変な勘違いをされていると思った俺は、それを釈明しようとしたのが、それを姉が遮ってきた。


「そうです。友達とカラオケしてて。――九藤くんって年上好きだったんだね」

「ええ!? ……ちょっと松崎さん勘違い――」

「――そうそう、年上からすると年下って可愛いよね〜っ」


 なんだか面倒くさいことになってきたぞ。


「じゃ、じゃあ私達はこれで……」


 松崎さんと一緒にいた友人はぺこりと会釈をして俺達の横をすり抜けて行く。


「まっ、松崎さん!!」

「――え?」

「この人、姉だからっ!!」


 ちゃんと言えた。

 これでもう大丈夫だろう。


「……照れなくていいからーっ!!」


 そう思っていたのに。


「……え?」


 松崎さんが、ビルを出て小走りで街中を駆けていった。


「ちょっと理帆!? 待ってよ〜!」


 その友人も松崎さんを追って行った。


「…………」


 え?


「姉ちゃん……」

「――ごめんちゃい」


 俺はポカンと頭を軽く叩いた。


「いたいーっ!!」

「自業自得だ! 学校で変な噂立ったらどうするんだよ。クラスメイトなのに」

「へへ〜」

「へへじゃない!」


 もう一度ポカンと叩いた。


「悪かったってぇ〜っ」

「もう腕組みしてあげないよ」

「ええ〜っ!? ごめん! ごめんってぇ!」

「なら、もうああいうことはしないでね」

「はーい……」


 松崎さんにはバンドの協力をしてもらうという話をしてもらっていたが、まだ連絡先は知らない。

 いや、冬矢なら知ってるかな?


 とりあえず明日学校でちゃんと話すか。




 ◇ ◇ ◇




 その後、カラオケで受付けをして、姉と一緒に指定された部屋に入った。


「さぁ〜て。心入れ替えて歌お〜っ!」


 姉が部屋のソファに座ると同時に、早速カラオケのリモコンを操作し始めた。


「それ姉ちゃんが言う……?」

「気にしない気にしない!」

「まぁ……いいか」


 何回同じセリフ言えば良いんだよ。




 …………




 そうして、学校で聞いたアーティストから自分で気になっているアーティスト。

 色々と歌ってみた。


「――どう? どれが一番良さげだった?」


 姉に感想を聞いてみる。


「『バンチケ』と『オセコン』じゃない? そこまで音程も高くないし光流にも合ってると思う」

「そっかそっか。ありがと。参考になったよ」


『バンチケ』こと『BAND OF TICKET』は二十年前くらいからインディーズ時代にも関わらず爆発的に流行った人気ロックバンド。

『オセコン』こと『OCEAN KONG GENERATOR』も同じ時期から爆発的にヒットし、アニメ主題歌を複数担当してきた人気ロックバンドだ。


 とりあえず、この二つに絞ろうと思った。

 盛り上がる曲ならある程度絞られるから大体決まってくる。あとは次のファミレスの時に皆の意見を聞くだけだ。


 そうして俺は、翌日のファミレスでの打ち合わせに向けて、準備を整えた。






 ー☆ー☆ー☆ー


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