91話 片鱗

 ――俺はギターを背負って家に帰宅した。


 家族の誰にもまだギターをするとは言っていなかった。

 みんな何か言うだろうか。それとも勉強の邪魔になるから止めたほうが良いなどと言われるだろうか。


 一度くらいは相談しておけば良かったかなと今更少し後悔していた。


「光流っ、どうしたの。さそこに立って……ってあれ!?」


 俺は玄関の前で少し立ち往生していると後ろから聞き慣れすぎた声がした。


「姉ちゃん」


 高校の制服を着た姉の灯莉だった。友達とどこかで遊んでから帰ってきたのだろうか。


「ギターやるのっ!?」

「あー、うん。やるつもり」

「おおおおお〜っ!! 良い! 良いぞ弟よっ!」


 なぜだか凄く喜んでくれた。

 小動物を可愛がるように俺の背中にあるギターケースを撫で撫でし始めた。さすがにこれは謎だ。


「喜びすぎじゃない?」


 嬉しいけど。


「だってさ。光流が何か新しいことやるって言うんだよ? そりゃ嬉しいよっ!」


 今まで勉強と筋トレとジョギング。趣味というにはちょっと乏しかったかもしれない。

 それを言うとこれを趣味にしている人に失礼だが、ギターならもっと趣味としてはわかりやすい。


「そう? 喜んでくれてるなら嬉しいけど」

「早速お父さんとお母さんに言わなきゃっ!」

「ええ!?」


 すると姉はその勢いのまま玄関をバッと開けて、リビングへ突入した。

 俺はゆっくりとその後を追って家の中に入ると開いているリビングの扉の奥から姉の声が聞こえてきた。


「ねぇ、光流ギターやるんだって!!」

「そうなの? 良いことじゃない」


 母は肯定的だった。


 俺も靴を脱いでリビングへと向かった。


「母さん、ただいま」

「おかえり。ギターするんですって?」

「うん。知り合いに借りたからお金は気にしなくて大丈夫だよ」


 一応先んじてお金のことについては言っておく。


「何言ってんのよ。今までほとんどお金かからない子だったんだから、何か欲しくなったらちゃんと言いなさいね」

「ありがとう。その時は言うね」


 まぁこうなるか。予想はしていた。

 事故に遭ってから家族全員がより優しくなり、俺に対して何かしてあげたい欲があるようだった。

 ただ、それほど欲しいものはなかったために、その機会はあまりないまま四年が過ぎていた。


 ちなみに父はまだ仕事で帰ってきていない。

 現在は午後六時半頃。父は定時で帰れるようなホワイト企業だが、それでも家からの距離の関係で家に帰るのは午後七時ほどになる。


 母は絶賛夕食の準備中だった。

 俺は自分の部屋に荷物を置いて、父が帰ってくるまでダラダラと過ごした。




 …………




 しばらくすると父が帰宅。

 俺は二階の部屋から一階に降りて、リビングへと向かった。


 テーブルには既に夕食が並んでいて、姉はテーブルの前で座っていた。

 父はスーツのジャケットを脱ぎ、それを一旦ソファの背に掛けていた。


 そしてリビングに入った俺は父に挨拶した。


「父さんおかえり」

「あぁ、ただいま。ギターやるんだってな?」


 俺が言う前に既に知っていた。

 テーブルの椅子に座り、ふんぞりかえっている姉の顔を見た。すると俺を見ながら親指を立てる。


 口が早いな。まぁ……いいけど。


「うん、そうなんだ。それで自分の部屋で練習するんだけど、うるさかったら言って? アンプなしだと静かみたいだけど」

「そうなのか。とりあえず好きにやってみなさい」

「父さん、ありがとう」


 この家には拒否するという言葉は存在しないのか?

 スムーズ過ぎてこわい。


 夕食が揃ったので皆でいただきますをした。


「光流、ギターはどうするんだ? 色々買わなくちゃいけないものあるだろう?」


 当然の疑問だった。母にはお金がかからないことを説明したけど詳細は話していない。


「俺さ、しずはのお父さんに誘われてやることにしたんだよね。だからギターとか機材も貸してくれるって言ってて」


 何がどのくらいかかるかはまだわからない。

 今度楽器屋に連れて行ってくれるらしいから、そこで相場くらいは確認したいな。


「藤間さんのところか。あちらがそう言うならいいんだろう。大切に扱うんだぞ」

「うん。もちろん大切に扱うよ」

「なら良い。したいことやりなさい」

 

 詳細を話しても特に否定されることはなかった。


 うちの両親としずはの両親は授業参観などで顔を合わせることはあったかもしれないが、特に今まで繋がりはなかった。


 その後、しずはについては何度か家に来たことがあったことと、花火大会の日に俺がしずはの家に泊まった際、花理さんと母は会話していたので覚えていたのかもしれない。

 しずはという名前だけで藤間という名字まで思い当たっているので、多少なりとも認識はしているらしい。


「ちなみに勉強も疎かにしないつもりだから安心して」

「お前なぁ……」


 父が持っていた箸の動きを止めて、ちょっと呆れたような声でそう言った。


「なに?」

「勉強することは良いことだ。俺達は多分だが一度も勉強しなさいとは言ったことはないぞ?」

「――え?」


 どういう意味だろうか。

 確かにそう言われたことはなかったような気はするけど。


「勉強、疎かにしても良いんだぞ? 正直光流の成績はかなり良い。親からこれ以上言う事なんて何もないからな」

「でも、今までずっとやってきたことだし……」


 俺はいつの頃からか、勝手に勉強し始めて、今ではついにテストの順位も学年で一桁に届き始めた。

 いつの頃というのは、まぁルーシーと出会った後の時からだとわかってはいるけど。

 今更勉強を疎かになんかできないし、したくもない。


「言いたいことはな。光流には自分の好きなことをしてほしいってことだ。お前は出来の良すぎる子だ。だから勉強についても、したいならして、したくなかったらしなくてもいい」

「それは極端だと思うけど」

「確かに極端だな。勉強を全くしないのは良くないな。はっはっは」


 自分で言ったくせに笑い出す父。

 すると静観していた母も会話に加わる。


「前々から言ってたけどね。あなたの好きなことして良いのよ。勉強もギターも、筋トレもジョギングも。全部したいなら、ちゃんと自分で時間管理しなさい」

「うん、わかった。やりたいこと増やせば増やすほど、時間ってなくなるね」


 正直あまり両立できるとは考えていない。

 ギターと勉強の時間は減らせないし、この中で減らすとすればジョギングだろうか。筋トレは家でも休憩時間でもできるからな。


 でもジョギングもたまにやらないと。あの公園にも通いたいしね。


「子供の特権よ。大人になってきたら、やりたいじゃなくてやらなきゃいけないことがたくさん増えてくるもの。ねぇ、あなた?」

「そうだ。やりたいことは今のうちに全部やっておくんだぞ。――後悔ないようにな」


 ――後悔。


 最近までも後悔しないようにとか本気とか、そんな言葉が俺の周りでよく聞こえていた気がする。

 もちろん俺だって、そう生きてきたつもりだ。


 多分人によっては、疲れて休みたい時とかも出てくるんだろう。

 でも俺はそう考えたことは一度もなかった。


 俺の中のある気持ちがずっとそれを後押しして、努力を努力と思わなかったのかもしれない。


「ありがとう。そうするよ」




 ◇ ◇ ◇




 俺はそれから、毎日のようにギターに触れて、コードを押さえる練習をしていた。


 学校が終わると真っ先に家に帰り、部屋に入るとカバンを置いてギターをケースから出す。

 床に座るとあぐらをかいて、その上にギターをセット。


「C……Cメジャー……Cセブンス……」


 コードをそれぞれ順番に押さえて音を鳴らしていく。


 しかし、実際にネットでコード表を調べて見ていくと百個以上の数があった。

 とてもじゃないが二週間では覚えられないと思い、透柳さんに連絡するともっと覚えやすいやり方があると言われ、それを教わった。


 全部のコードを覚える必要はないらしく、なにやら法則的なものがあるようだ。

 ともかく言われた通りに俺は練習していった。


 そんな中、姉が時々、俺の練習を部屋に見に来るようになった。

 『まだ曲弾かないの?』とか『早く弾いてよ』とか言ってくるものの、まだまだその段階ではなかった。


 たまに触らせてとせがまれた時はギターを貸してあげた。

 なんとなくだが、女子高生の制服にギターは何か合っているような気がした。





 ◇ ◇ ◇




 ――そんなこんなで二週間が経過した。


 俺は透柳さんに連絡をして、しずはの家で見てもらうことにした。


 学校が終わると一旦家に帰ってからギターを持ち出して、しずはの家に向かった。

 まだしずは以外には知られていなかったので、学校にギターを持って行くという所業は恥ずかしくてできなかった。


 俺はしずはの家のインターホンを鳴らす。


 すると以前と同じように透柳さんが出迎えてくれて、俺はギター部屋へと通された。


「よーし。調子はどうだ?」


 お互いに椅子に座ると透柳さんが状況を聞いてきた。


「まだまだ難しい感じがします」

「そりゃーそうだろうな」


 ガハハと笑い、透柳さんは俺にギターを持つように指示する。

 ギターを持つと俺の正面にきて、手元に目線を送る。


「じゃあ、ドレミでもいい。覚えたコードを順番に弾いてもらってもいいか? コード表を見ながらでもいいぞ」

「わかりました」


 俺はとりあえず何も見ずに記憶の中にあるコードを順番に弾いていくことにした。

 左手で弦を抑えて、右手で持つピックで弦を揺らしていく。ちなみにこのピックは透柳さんからもらったものだ。


「……どうでしょうか?」

「…………」


 透柳さんが目線をギターから俺の顔へと移した。


「毎日どれくらいやった?」

「そうですね、四時間くらいだと思います」


 家に最速で帰っても十六時。そこから夕食前と夕食後にギターの練習。その後の残った時間で勉強や筋トレをした。ちなみにジョギングは土日だけやることにした。


「……上出来すぎる。天才か?」


 透柳さんは少し驚いたような顔でそう言った。天才なわけがない。


「ありがとうございます!」

「光流くん、君、覚えがいいって言われない?」

「いえ、言われたことはないですね」


 というかそういう機会はなかっただけかもしれない。

 学校の勉強でも国語や歴史など覚える系の方が得意な気はする。


「ここまでできてるなら、やりたい曲を一つ決めてそれを弾けるように練習するだけだ」

「もう曲を弾いていいんですか!?」

「あぁ」


 思ったよりも早かった。

 ということは、次どうすれば良いのだろうか。なので聞くことにしてみた。


「好きな曲選ぶのはいいんですけど、どうやって練習すればいいですかね?」

「あぁ。ピアノの楽譜と一緒でタブ譜ってのがある。好きな曲のがネットに落ちてないか探してみてくれ」


 タブ譜か。そこにコードが載ってて、その通りに弾けば良いんだな。


「わかりました。まずは曲考えるところからやってみます」

「ちなみに調べてもタブ譜がなかったら、こっちで用意するから言ってくれよ?」

「わかりました!」


 この後、しばらくコードの押さえ方の練習をこの場でして、透柳さんにはこの部屋にあったタブ譜を見せてもらったり色々とアドバイスをもらった。


「やってるー?」


 すると途中でしずはが学校から帰ってきて、ギター部屋に突入してきた。

 透柳さんは謎に空気を読んだのか、今日はもう教えることはないと言って出て行った。


「やってたよ」

「どう? うまくなった?」


 しずはが先ほどまで透柳さんが座っていた椅子に座り、リラックスした様子で俺に向き合った。


「まだコードの押さえ方だけだからね。まだまだだよ」

「そうなんだ。じゃあ一回弾いてみてよ」

「いいけど」


 さっきまで透柳さんに見せたように、しずはにもコードの押さえ方を見せた。


「――もうそんなにできるの? 早くない?」


 透柳さんと同じような反応だった。


「まだ曲すら弾けてないんだから早いも何もないでしょ」

「いや……それでも……これはどうなんだ?」


 しずはが考え込むように独り言を呟きだす。


「久しぶりにしずはのギターも見たいな」

「ん? いいよっ」


 小学生ぶりだろうか。

 ピアノとギターとベースができるマルチプレイヤー。

 まぁ、ギターとベースはプロみたいには出来ないと思うけど、ある程度はあの時でも弾けていた。


 そうしてしずはが適当にギター持ってきて弾いていくと、ブランクがあるはずなのにスラスラと指が動いていた。


「やっぱすごいなぁ。早くそんな感じで弾きたい」

「光流ならすぐできるようになるよ」

「そうかな。頑張ってみるけど」


 それにしても、あれからのしずはは本当に普通に接してくる。

 遠慮がなくなって、学校ですれ違った時も気軽に話しかけてくれるようになった。

 以前までは、他の人がいる時には軽く手を振ったりするくらいだったのに。


 それを見かけた女子たちにはコソコソと俺達の関係を疑うような話声も聞こえてくる。


「……ねぇ、クラスでも変わったって言われるでしょ?」

「まぁね。見た目もそうだし、性格も言われるね」


 クラスでのしずはが前よりも明るくなったり話しかけやすくなったことで、深月以外にもどんどん会話できる相手が増えたようだった。


「なに、気になる〜?」


 ニヤニヤとした表情で俺の顔を伺うしずは。

 楽しそうでなによりだ。


「そりゃあ気になるでしょ。無理に明るくしたりしてないかなとか」

「たまにそういうことはあるけどね。でも、前よりは凄く生きやすいよ」


 生きやすい、か。

 前までは初対面の人には人見知り発動したりしていた。

 遠慮がなくなったことで、人見知りも克服できたということだろうか。


「良い方向に変われてるなら良かったよ」

「前までの私って今思い返せばほんと静かな子だったかもしれない」

「今はうるさいってこと?」

「言い方ーっ! でも皆には明るくなったねって言われるよ」


 確かに心許せてる人との会話じゃないと、静かなイメージだったかもしれない。

 せっかくの学校生活だし、色々な人と関わった方が良い思い出になるはず。

 

「ごめんごめん。俺はどっちのしずはも好きだよ。良いと思う」

「ちょっ!? はぁ!? バカ!」


 ヤバいことを言ったかもしれない。

 つい最近あんなことがあったというのに。


「あっ……好きってそういう意味じゃなくてっ。いや、ええと嫌いってことじゃないよ!?」

「そんなのわかってる! もう……私を次の恋に進めさせるつもりないでしょ」

「いや……そんなこと……」


 必死に弁明をしてみたが、しずはも一応理解しているようだった。

 少し頬が紅潮しているところを見ると、申し訳ないとは思った。


「ふふ。私も次の恋に進むつもりは今はないからだいじょーぶ。気にしないでっ」

「気にするでしょ……」

「気にしてくれるの?」

「しずはこそ、俺をおちょくるつもり?」


 なんかこういうのって難しいよな。

 俺のせいで、しずはの人生を奪っているような気持ちにも少しはなる。

 でも、しずはは俺を好きになれて良かったと言っていたし、彼女の時間を無駄にはしていないとは思うけど。


「さぁね〜っ。でも勘違いさせるようなこと言ったら、私だって感情動いちゃうから言葉選んでね」

「わるい……会話……難しい」


 こうして話しているとひしひしとしずはから好意を向けられているのがわかる。

 前よりは遠慮はないし、元気だし明るい。でも、俺と話す時だけたまに見せる哀愁漂うような優しい表情。その優しい微笑みを見ると、少し心が締め付けられる感じがした。


「私のことで思いつめちゃだめだよ?」

「はは、無理な相談だろ?」

「ま〜、私も光流の立場なら簡単には割り切れないよね」

「だろ?」

「もう……一緒にいると好きって言いたくなっちゃってくるから困る〜」


 少し恥ずかしそうな表情を見せながら自分の頬を両手でつねるしずは。

 つねった頬をぐにぐにとしていき、今の本当の表情を気取られないようにしているのがわかった。

 こういう男を虜にするような仕草。口には出せないが可愛いと言わざるを得ない。


「マジでコメントしにくいんだけど」

「女子は結構すぐに切り替えられるって人が多いって聞くけど、全然そんなことないわぁ」

「それは人によるでしょ。多分俺だって切り替えられないタイプだと思うし」

「光流と私って、なんか似てるようなところある気がする」


 それは俺も前から思ってた。

 しずはほど人見知りはしなかったけどね。


 まぁ、つまりは"重い"ということなのかもしれない。

 別に俺はそれが悪いことだとは思ってはいない。


「似てるだろうね。それは俺もそう思うよ」

「嬉しい〜っ」

「そんな共通点だけで喜ぶなよ」

「えへへ〜」


 つねった頬が少し赤みを帯びていて痛そうだが、ニコニコと笑っているせいでそれを感じさせない。

 こういうデレっとした笑顔も、俺のことを良く思ってくれているから見せてくれるものなのだろう。


「ほら、練習続けよ? さっきから思ってたけど光流姿勢悪い」

「ギターって姿勢関係あるの?」

「あるよ〜。姿勢が良いと疲れにくいし集中力も続くよ」

「確かにずっと変な姿勢で練習してたら疲れる気がする」


 さすがピアニスト。姿勢の鬼だ。

 イメージとしてはお尻を突き出し腰を反るようにするのが良いんだとか。


 あとは椅子に座るなら足台のようなものに足を置いたり、地面に座るなら、お尻にクッションを敷いたりとかで調整すると背骨が伸びて良い姿勢を保てるらしい。


 そういう基礎的なことも教わりながら、俺は練習していった。



 そろそろ家での夕食の時間が近づいてきたので、しずはの家から出て帰宅することにした。




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