90話 初めてのギター
「――悪い。先にギターの部屋に行っててもらってもいいか?」
一緒に向かうのかと思いきや透柳さんが先に行っていてと話す。
すると水が入ったペットボトルを渡された。
なので、俺は言われた通りに先に行って待つことにした。
「すぐ行くから待っててくれな」
「わかりました」
…………
「――行ったか。はな、ちょっといいか?」
透柳は光流がリビングから出ていったのを見計らって、花理に話しかける。
「透柳ちゃんどうかしたの?」
不思議そうに返事をする花理。
すると透柳がソファの方へと移動して、花理の隣に座った。
「光流くんを家に上げても良かったか? しずはに聞きもせず進めたけど」
透柳は家でのしずはの様子を見てか、何が起きたのかおおよそ理解したような言い方だった。
「大丈夫よ。あの子、多分良い方向に変われてるから」
「そうだと良いんだが」
ただ、透柳の心配をよそに花理はそれほど心配していないようだった。
「心配することないわ。私もついてる」
「そうか。心の負担にならないなら、俺はそれでいい」
娘には多少遠ざけられている透柳もやはり自分の子供ということもあり、常に心配していた。
「透柳ちゃんも気にしすぎよ。あの子も成長してるのよ。深月ちゃんもいるし。それよりも残り数年は日本を満喫しなきゃね」
「あぁ……そうだな」
既にしずはは両親に海外の大学へ行きたいと話をしていた。
しかし一人で行かせるのも心配だったために、自分達もついていこうという話になっていた。
お互いに音楽の仕事としては全盛期を過ぎているので、日本を拠点にしていなくてもよかった。
ちなみに姉と兄は良い大人なので、日本に残ってもらう予定という話だ。
「じゃあ俺は光流くんをイカす男にしてやらないとな」
「そうね。透柳ちゃんみたいにかっこいい演奏ができるようになると良いわね」
透柳は冗談交じりにそう言いながら、ソファから立ち上がりタバコに火を付けて庭に繋がる窓の方へと歩き出す。
基本的にはリビングでタバコは厳禁。外もしくはギター部屋で吸うのが一般的だった。
「ははん。俺の人を見る目を舐めるなよ」
「そう?」
透柳がこれまで人にギターを教えたことはない。
ただ、多数のバンドのサポートメンバーとしてもやってきた。そしてそれは人を見る目を養う機会でもあった。
サポートとしてバンドに参加する場合、演奏をより良いものにするために互いのコミュニケーションや相性が大事だった。つまり、透柳にとっての人を見る目というのは、自分に合う人という意味だった。
「音楽は技術も大事だが、一番は魂だ。はなもわかってるだろ?」
「全てがそうじゃないけど、わかる部分はあるわ」
二人共トップのアーティスト。
努力だけではない他の部分についても十二分に理解していた。
「俺は技術よりもそっちを教えたいからな」
「なら光流くんも熱いロッカーになりそうね」
「いいじゃねえか」
光流がどうなりたいのはまだ透柳にはわかっていないが、勝手に想像するのは自由だった。
透柳は窓を開け、タバコをふかし始める。
「そう言えばあの話、光流くんにしたことまだ許してないからね」
「悪かったって。でも俺の一番の思い出だ。誰かに話したくなるのも仕方ないだろ」
「それでも恥ずかしいものは恥ずかしいじゃない」
透柳が光流に話してしまった高校の文化祭の時の話。
二人にとっては強く心に残る思い出であり、人に話すと恥ずかしいものでもあった。
久々に話題にしたことと娘の友人に聞かれたということもあり花理も年甲斐もなく顔を赤らめていた。
その後、透柳は一服してからギター部屋へと向かった。
◇ ◇ ◇
一人でギター部屋に入り中央に置かれている椅子に座って待っていると、しばらくしてから透柳さんが入ってきた。
「待たせちゃって悪いね」
「いいえ。全然です」
透柳さんも同じく椅子に座ると俺に向き直った。
「今回は俺が光流くんを誘った。だから費用は一円も出さなくていい。好きなギターとかアンプとか全部貸す」
「えええっ!? いいんですか?」
驚きだった。自分で買うものだと思っていた。
でもこれならとても助かる。別にお小遣いはそれほどもらっているわけではないし、ギターの値段はわからないが、高価なイメージだった。
「もちろんだ。俺が誘ったのに中学生に負担させちゃ、光流くんの親御さんに顔向けできないよ」
「そういうものですかね?」
「そういうもんだ」
俺が親にギターをやりたいからギターが欲しいと言ったらどうなるだろうか。
今まで物をねだったことがほとんどなかったし、自分のお小遣いの範囲で好きなものを買ってきた。
でも、多分買ってくれるだろう。
事故が起きてからはすこぶる優しくなった。
それなのに、欲しいものをあまりねだらないから逆に心配もされた。
「でもせっかくだし、休みの日でも一緒に楽器屋に行くか」
「それはぜひ!」
なんか楽しそうだ。
楽器屋は行ったことないけど、何が置いてあるんだろう。
「最初は俺のギター使って、後から自分で買いたいって思ったら買えばいい。自分で買ったもののほうが愛着湧くしな」
「確かに……それはありますね」
その通りだと思う。多分自分のお金で買ったほうが絶対愛着が湧く。
となれば、バイトしなくてはいけない時も出てくるのだろうか。
ギターも練習して勉強もしてと考えたら俺にそんな時間はあるのだろうか。
「とりあえず、好きなギター選んでみなよ」
「こ、この中からですか?」
「そうだ」
俺は部屋を見渡す。
壁際にぎっしりとギターが並んであり、数を数えようとすれば、ざっと五十本ほどはあるのではないだろうか。
「好きなのでいいぞ。色とか見た目でもいい。自分がやる気になるようなものがいいな」
色、見た目……。
音楽は好きだしスマホでいつも聴いているけど、ギターにまで着目したことが一切なかった。
そういえば、世の中のバンドって色々なギターを人それぞれ使ってるはずだよなぁ。
俺は立ち上がり、部屋の入口に近い方からギターを見ていくことにした。
「ちなみに透柳さんは最初、どんな感じでギターを選んだんですか?」
「俺の場合は好きなアーティストと同じギターを使いたくてな。それで決めた」
そういう選び方もあるのか。
俺はバンドのギターを気にして見たことがないから参考にはならなかった。
なら、色と見た目で決めてみるしかないか。
一つずつギターを品定めするように眺めていった。
俺が好きな色と言えば、黒とか白とかあまりカラフルじゃない色。
それなら、そういう方向かなぁ。
「ん……」
俺は一つのギターの前に立ち止まった。
「お、フェンダーのストラトキャスターか。最近は若いギタリストも結構使ってるやつだな」
「そうなんですね」
なんとなく形がかっこいいと思った。色味は濃い目の木の色と言えばわかるだろうか。
そんな木目調で真ん中あたりに白いカバーのようなものがついている。
後で調べたらこの部分はピックガードというらしい。ピックで演奏する時、ボディを傷つけないようにするためだとか。
「俺……これにしてもいいですか?」
「もちろん! じゃあちょっとチューニングするからそれこっち持ってきてもらえるか?」
ギターが立てかけてあったスタンドから取り出し、初めて持つギターの重さ、感触。
その慣れない感覚のまま、透柳さんのところまでギターを運んだ。
「サンキュ。これチューナーって言って、正しい音程が出るようにチューニングするものだ」
ギターを受け取った透柳さんは、チューナーと呼ばれる機械を取り出し、ギターの先端に装着。
そのまま手慣れた手つきで弦を弾いていき、音を調整していった。
「ギターには六つの弦がある。それが先端までペグに繋がれてるだろ? これを回して調整するんだ」
透柳さんはそのペグを少しずつ回転させては、弦を鳴らして音を確認。それを繰り返していた。
「弦も時間が経てば劣化する。いくらいチューニングしてもズレちゃったりする。そういう時は弦の劣化を気にしてみてくれ」
「わかりました」
透柳さんのギターを借りるとなれば、もしかすると新品ではないから弦が劣化して切れてしまうなんてこともあるかもしれないと思った。
「ちなみにチューナーは今じゃアプリもある。インストールしてやったほうが気軽かもな」
「そうなんですか!?」
目の前では透柳さんは機械のチューナーを使っているが、スマホアプリもあるのか。凄い世の中だ。
「これも自分でやれるようにするんだ。俺初心者用の本とかないからさ、今は動画あるだろ。あぁいうの見て最初はコードを全部弾けるようになろう」
「コードですか?」
なんとなくイメージはできてはいるが、コードについてはよくわかっていなかった。
「コードは弦の押さえ方だ。こんな感じだ」
するとチューニングを終えた透柳さんが、ドレミファソラシドとわかりやすい音を出していった。
目まぐるしく変わる指の動き。その一つ一つの押さえ方がコードということか。
「うおおお。なんか凄いです」
「はは、これだけで感動してくれるの光流くんだけだぞ」
初心者ならみんな感動すると思う。
ただ、透柳さんの周囲には初心者はいないだろう。
「コードは意外と種類が多い。ネットで調べれば押さえ方が出てくるからそれをやってみてくれ」
「はい!」
なんだか新しいことを始めるって結構楽しいかもしれない。
最近はあまりそういうことがなかったからか、久しぶりにワクワクしていた。
「とりあえず一週間……いや二週間くらいあれば、大体コードは押さえられるようになる。それまでギター貸すから、家でやってみてもらえるか?」
そういう個人練習は家でやってもいいのか。
「あの、音とかって大丈夫でしょうか?」
ただ、自分の部屋でやる時に音がうるさくないか気になった。
家族に迷惑はかけたくない。
「あぁ、音はな。ギターからシールド……ケーブルのことな。これをアンプに繋げないとデカい音が出ないんだ。さっき俺が弾いたのでわかるだろ? 全然音が出ない」
「確かに音が小さかったですね」
透柳さんが、少し大きな四角いボックスを指差し、それがアンプだと示した。
アンプがあって、ギターは大きな音が出るのか。なら家で練習しても問題なさそうだ。
「もしヤバそうならうちにきてやってもいい。アンプ使うくらいになったら、うちで練習するようになると思うけどな」
「わかりました。とりあえず二週間やってみます。その時にまた透柳さんに連絡しますね」
「おう。いつか俺ともセッションできるようになったら良いな」
「セッションですか?」
二人で一緒に演奏するという意味だろうか。
「あぁ。同じ曲を一緒に弾くことだ。できるようになったら楽しいぞ」
確かに楽しそうだ。
普通に曲を弾けるようになることも楽しいとは思うけど、誰かと一緒にやるというのも楽しそうだ。
「じゃあせっかくだし、少しだけやってみるか」
「はいっ!」
その後、一時間ほど透柳さんにチューニングの仕方やコードの抑え方をいくつか教えてもらった。
巷でよく言われている押さえるのが大変と言われているFコード。
俺の手は大きいほうだったのか、普通に押さえることができた。
「とりあえず今日はこんな感じだな。ケースも貸すからギター持っていきなよ」
「ありがとうございました。こんなに色々と本当に嬉しいです」
「俺から言い始めたことだ。できる限りの支援はするよ」
人から何かを教わるというのは、今までになかなかなかった体験だった。
何か部活でもしていたら違うと思うが、とても新鮮な気分だった。
だからなのか、すぐに時間は過ぎていったように感じた。
その後、俺はギターケースにギターを入れ、背中に背負って帰宅することになった。
なんだかこれだけでバンドマンになった気分だった。
俺は花理さんと透柳さんに挨拶して、しずはの家を後にした。
…………
――そんな帰り道。
「あっ」
しずはの家を出てすぐのことだった。
声がした方を見ると、しずはがいた。
今日は少し遅めの帰宅だったようだ。
ショートカットの髪型。
朝見たばかりだからか、まだ見慣れない。
「……おかえり?」
「おかえり!?」
ちょうど家から出たタイミングだったので、おかえりと言ってみたがしずはが動揺していた。
「もう……(こういうこと普通に言うんだもんなぁ)」
「なんか言った? さっきまで透柳さんに教わってたんだ」
「あ、そっかギターか」
そう言うとしずはは俺が背中に背負っているものを見て、さらに俺の周りをぐるぐると一周する。
「なんか良い感じじゃん」
「だよなっ!」
「生き生きしてるね」
顔に出てたかな。
不思議とギターを背負ってるだけでそんな気分だ。
「新しいこと始めるからね。ちょっと今は気分良くなってるかも」
「うまくなったら聴かせてね」
「もちろんっ!」
ちゃんと弾けるようになるのはいつになるだろうか。
早く弾けるようになりたいなぁ。
「じゃあまたね」
「うん、またね」
しずはに別れを告げて、俺は帰宅した。
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