92話 冬矢の決断
――十一月中旬。
もうすぐ俺の誕生日だ。
ギターの練習を毎日のようにしていて、ある意味充実していた。
今はルーシーに会えなくても、ギターを手にしたことでそれが彼女のためにしてあげられることの一つではないかと思いながら過ごした。
そんな土曜日の昼間。
俺に一通のメッセージが届いた。
『前と同じ病院の五〇五号室』
このメッセージだけで意味がわかってしまった。
俺はすぐに出かける準備をして家を飛び出した。
病院に到着すると、受付で面会の手続きをして言われた通りの病室へ向かった。
…………
病室の大きめの扉をスライドさせると、その人物の元へと足を進めた。
「――冬矢……」
そこには左足を包帯で巻いてベッドに寝ていた冬矢がいた。
「よお、光流。来てくれてありがとな」
気軽に話しかけてくる冬矢。
しかし、さすがの俺でもわかった。以前とは違う、少し憔悴したような顔。
食べ物を食べていないからとか疲れとかではない、精神的なものでそうなっていると感じられた。
「左膝前十字靭帯断裂。前とおんなじだな」
「まじかよ……」
俺は冬矢のベッドの横にあった小さな椅子に腰掛けた。
やれやれという様子の冬矢だが、俺は心配で気が気ではなかった。
「せっかく復帰したのにまたやっちまったよ」
「そうか……」
正直なんて声をかけていいかわからなかった。
『大丈夫?』なんて大丈夫なわけないし『次いつ復帰できるの?』なんてことも今聞くべきではないと思った。
「実はさ俺、一度目の怪我で復帰したあと、満足に動けなかったんだよな」
「……そうなの?」
ということは、もしかしたらベンチにも入らず試合にすら出れていなかった可能性もある。
最近は冬矢からはサッカーについての話は全く聞いていなかったからわからなかった。
正直しずはのことで俺はいっぱいいっぱいだったので、他に目を向けていられなかったということもある。
「あぁ。上手く走れなかったり、前はできた細かい動きも鈍くてな」
「…………」
これ、苦しいだろうな。海外の国とも試合経験がある冬矢だ。
ジュニアユースでもトップまで上り詰めて、プロも少しは期待できたはずなのに。
「復帰が早すぎたのかもしれないな」
冬矢は確かちょうど怪我から六ヶ月経過して復帰したはず。
この怪我は最大で全治十ヶ月とも言われていると後にわかった。
これを考えると、確かに冬矢の言う通り早すぎた可能性もある。
「そんで二回目のこれだ。一度怪我すれば再発しやすい怪我だからな」
プロ選手でもなる怪我。そして繰り返す怪我でもあると聞いていた。
そして、一度目の怪我でお見舞いに言った時、冬矢が言ったのは――、
「潮時かもしれない……」
「――――っ!」
あの時、冬矢はそんなことも言っていた。
初詣の日もサッカーが全てじゃないとか、辞める時が来るかもしれないとも言っていた。
でも、それでも。
「――今なのかよっ!」
「光流?」
俺は握り拳を作ってそれを震わせる。
「もう辞めちゃうのかよっ!」
「お前、ここ病室だぞっ」
病院では静かに。これは当たり前だ。
でも、なかなか止められるものではなかった。
「もうちょっと……だめなのかよっ!?」
「はは。そう言ってくれるのはお前だけだよ」
半笑いで答える冬矢。
どういうことだろうか。
「母さんも父さんも俺の姿を見て、もう無理させたくないって思ってる」
「それは……親の気持ち考えればそうかも知れないけど!」
親に言われたからって、引き下がるやつなのかよ。
俺が知ってるお前はそんなやつじゃないだろ。
明るくて陽気で、うざいほど人当たりが良くて友達が多い。
でも、裏ではサッカーをめちゃめちゃ頑張ってる。
そんなやつが簡単に諦められるかよ。
「お前の気持ちはどうなんだよ!」
「――したいさっ!! 当たり前だろ!? ……でもなっ! 動かねぇんだよ!!」
「クッ……」
否定できない要素が出てきてしまった。
昔と今では……。
「前まで羽みたいに動いてた足が全然動かねぇんだよ!」
冬矢も静かにしろと言ってたくせに、声を張り上げていた。
「自分のことをメッシじゃねえかとか思ってた時もあったよ!」
息を切らしながら右手の拳でベッドを叩きつけて俺に伝えてくる。
「……まぁ、結局はそんなわけもなかったってことだ」
「冬矢……」
力なく、うなだれる冬矢。
こんな顔の冬矢を見たのは初めてかもしれない。
やっぱり、それだけサッカー好きだったんじゃないか。
「――よう、坊主達。青春しとるなぁ」
すると突然冬矢の向かいのベッドのカーテンが開いた。
「はぁ? なんだよじいさん」
冬矢が答える。
「まずは大きな声を出してごめんなさいってのを聞きたいところじゃが……まぁいい」
声をかけてきたのは、冬矢の真向かいのベッドで横になっていたおじいさんだった。
ここは外科の患者がいるベッドだと思われる。恐らくはおじいさんも骨折とかで入院しているのだろう。
「わしも大学までは本気でプロを目指してサッカーをしてたことがある」
「……だからなんだよ」
今の冬矢はちょっと殺気立っていた。
だからか、おじいさんに対しても少しぶっきらぼうになっていた。
しかし、おじいさんは怒ることなく、大人な対応で話を続ける。
「肉離れ、骨折、半月板損傷、靱帯損傷。数え切れないほど怪我を繰り返してきた」
老齢の人は昔話をするのが好きだと言うが、この人もそうなのだろうか。
「とにかく体が弱かった。でもワシはサッカーが好きでな。何度怪我をしてもサッカーはやめなかった」
「…………」
冬矢もおじいさんを睨みつけながらも話を聞いていた。
「だからサッカーが好きならやめる必要はない。……もし上に行くことだけが君のやりたいことなら、この話は意味がないがな。がっはっはっは! ……いてててて」
おじいさんは大声で笑ったかと思えば、腰を抑えて痛がった。
「看護師さん呼びますか?」
「いい。ナースコールがあるから、必要なら自分で呼ぶ」
一応心配はしたが、問題なさそうだ。
見たところ、腰が悪そうだった。
「……じいさんは上に行けなくても幸せだったのかよ」
すると冬矢が質問した。
年上に対する態度とは思えないけど、今の彼には余裕がないのだろう。
「当たり前じゃ。好きなもんっちゅうのは好きだからやるもんじゃ。他にいくらでも楽しみは見つけられるじゃろう」
「……そうか」
今の冬矢が考えていることはまだわからない。
でもこのおじいさんの話が少しは役立ったのではないだろうか。
「ワシはもう七十だ。ジジイ共が集まるチームで今でもサッカーやってるわい」
「はんっ、ゲートボールかよ」
多分冬矢が言いたいのは、ゲートボールのようにコロコロとボールを転がすようなサッカーをしてるんだろという意味だろう。ちょっと言い過ぎ感もあるけど、今の冬矢は感情的になっている。
「君はまだ若い。後悔がないと思う道を進め。今だからできる選択肢があることを忘れるなよ」
そう言うとおじいさんはカーテンを閉めて静かになった。
「ったくなんだったんだよ……」
そう言うと冬矢がボフンとベッドに倒れ込む。
といっても足が固定されていて動かせないので上半身だけの動きだ。
「俺も後悔ないようにしてほしいな。やめてもやめなくても」
「……あぁ」
俺もおじいさんと同じ意見だった。
だから良い機会だと思い、まだ冬矢に言っていなかったことを言うことにした。
「――俺、ギターやることにしたんだ」
「…………え?」
突然の報告に、冬矢の目が点になっていた。
「なんだって? ギター?」
俺がすると思っていなかったことだったのか、想像以上に冬矢が驚いていた。
「しずはのお父さんに誘われてさ、やらないかって」
「しずはの!? 話が見えてこねぇ……」
確かにそうか。
「突然誘われたんだ。ギターやらないかって。動機は不順なんだけど、女の子の為にギターを始めても良いって言われて、それで……」
「……くく」
「え?」
すると冬矢は一度は顔を伏せ、次に顔を上げた時には先ほどまでとは違った表情をしていて――、
「あーっはっはっは!」
「冬矢?」
突然大きな声で笑いだした。
「最高だぜ光流! 良いじゃねえか! 俺は良いと思うぞ、ギターかっこいいしな!」
冬矢が満面の笑みを見せてくれた。
なんだか理解してくれたようだ。良かった。
親友に否定されたらちょっとショックだったけど。
「……決めたぜ」
「えっ……サッカー続けること?」
「ちげぇよ!」
え。サッカー続けないの?
「俺さ、ずっと昔からお前と一緒に何かやりたいって思ってたんだよな」
「そうなんだ?」
「お前はサッカーしてないからな。まぁ一緒にはできないよな」
「そりゃあ無理だ」
確かに冬矢と一緒に何かできたら楽しいとは思うけど。
何の話をしてるんだ?
「お前、ギターやってどうするんだ? ギターと言えばバンドだろ? バンドメンバーは?」
「いやいや、バンドとかそんなこと全然考えてないよ。とりあえず一人で弾ければいいかなって」
「甘いっ! やるならバンドやれよ!」
「ええ!?」
冬矢が俺の想像外のことを言ってくる。
「俺がお前のバンドメンバーになってやるよ」
「はぁぁぁぁっ!?」
いやいやマジで意味がわからない。
さっきまでサッカーを続けるかどうかで悩んでたじゃん。
「サッカーはどうするんだよ!」
「やめるって!」
「はぁぁぁぁぁぁ!? バカかよ!!」
「うるせぇ! 決めたんだよ!」
こんな簡単に決めるなよ。
こいつの頭どうなってるんだよ。
「お前がギターってことは……俺はベースかな? ベースは一番かっこいいしな」
「なにそれ」
ベースってかっこいいんだ。
個人的にはバンドで一番かっこいいのはボーカルだと思ってたけど。
「あとはドラムとキーボードか……ドラムはまぁ置いておいて、キーボードはサポートでも良いからしずはか深月を借りればいいだろ!」
借りればって、あいつら日本トップだぞ?
そんなの無理だろ。
こいつどんどん話進めてるけど大丈夫か。
「ちょっと話についていけないんだけど……」
「三年の文化祭でやるんだよ! 俺らのバンド!」
「はぁぁぁぁぁ!? 無理! 人前でとか無理だって!」
こいつ、マジでヤバいことを言い出した。
俺がバンドで文化? 無理無理無理。
「んなことでルーシーちゃん落とせるかよ!」
「う、うるせぇぇぇぇ!!!!」
と冬矢に言われたものの、透柳さんが花理さんを落としたのは高校三年の時の文化祭のステージだ。確かに一理あるかもしれないと思った。
「あー、悩みスッキリしたわぁ」
「いや……こっちはスッキリしてないんだけど……」
さっきまで真剣に悩んでいた俺の気持ちはどうなる?
お前だって絶対スッキリしてないだろ。今だけだろ、そのスッキリは。
「やっぱモテるにはバンドだよな!」
「俺以上に不順な動機じゃん……」
こいつの頭はやっぱり女中心に回ってるのかよ。
「なぁ……一旦、一ヶ月くらい考えてみてよ。サッカーの重さと今からやるバンドの重さは一緒じゃないって」
さすがにここは引けない。
決断が早すぎる。もうちょっと悩んでほしい。
「うるさいなぁ……いいじゃん。俺、光流と一緒にやれるってなって、すげぇ嬉しいんだぜ? お前もそうじゃないのか?」
「いや……確かに楽しそうではありそうだけど」
「ほらな? なら良いじゃねえか」
よくないって。
俺の心配も考えてくれよ。
「とにかく! 怪我が治って一ヶ月くらい考えて! 絶対考えが変わるから!」
「あーはいはい。わーったよ。まぁ俺の気持ちは変わらないと思うけどな!」
「…………じゃあこれお見舞いな。俺帰るぞ」
「あぁ! 今日は来てくれてありがとな!」
俺は持ってきた果物を机の上に置いて、冬矢の病室を後にした。
元気になったのは良いことだけど、変な方向に元気になってしまった。
気軽に諦めて良いことじゃないだろうに。
とりあえずこの件は透柳さんに相談しておこうと思った。
あとは練習曲を決めなくてはいけない。
ー☆ー☆ー☆ー
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