35話 素顔
しばらくして、お互いに泣き止み、少し落ち着いてきた。
でも、まだまだドキドキが止まらない。
ずっと待ち焦がれていた、この瞬間。……体は寒さで震えているはずなのに、ドキドキで体温が上がり、心も温かい。
目の前にいる光流が、本当に実在しているのか、などとも思ってしまう。でも――、
「ひかる……いい匂い……」
五年前のあの時も嗅いだ光流の匂い。本当にいい匂いなのか、当時の私にはわからなかったけど、でも特別な彼の匂いは、いい匂いに感じていた。そしてそれは今も。
「ルーシーだって……すごい、いい匂いがする……」
あの時も光流はそう言ってくれた。多分昔より今のほうが身だしなみや匂いに気を遣っている。だから、変な匂いはしないはず。
朝もお風呂に入ってきたし……そう言ってもらえて嬉しい。
「ふふ、ありがと……」
ゼロ距離で互いにクンクンと匂いを嗅ぎ合っているこの状況は、もしかすると変なのかもしれない。
でも、私達にとっては、五年前を繰り返しているだけ。恥ずかしいことなんて、ない……よね?
ただ、五年も経過すれば、あの時はわからなかった"恥ずかしさ"というのをどうしても理解してしまう。
しかも、嗅がれているのは首元。自分が嗅ぐのはいいけど、光流に嗅がれるのって、やっぱり恥ずかしい……っ。
私がそんな動揺を必死に隠していると――、
「ルーシー、これ……寒かっただろ?」
光流がダウンを脱いで、私が着ているコートの上に被せてくれる。
私の体より大きな光流の体。ダウンは光流のサイズだからか、コートの上から羽織ってもブカブカなくらい体全体を包んでくれた。
「あった、かい……」
光流の匂いがさらに感じられ、そして光流の体温で温まったダウンの温もりを感じられた。
「ルーシー、大きくなったね……」
「それは光流も……」
まだ立ってないので、互いの身長はわからない。でも、体はお互い大きくなったんだと、抱き締めた時にわかっていた。
「相変わらず、綺麗……」
「………っ!?」
私は一気に顔が赤くなった。包帯でわからないはずだけど、何を見て私を綺麗だと言ってくれてるんだろう。
というか、よく普通にそんなセリフが言えるものだ。
「いっ、今でもそんなこと言って……」
「俺の中のルーシーは、ずっと綺麗だった。思い出の中のルーシーも、今も……」
私は光流の顔をじっと見た。
「ひかるも……かっこよくなったよ……」
近距離でも聞こえないくらい、すごく小さな声で私は呟いた。
「今なんて?」
「い、いやっ……なんでもないっ!」
私にそんなセリフ、今は無理。こんな恥ずかしいことを光流はなぜ堂々と言えるの? 頭の中はどうなっているのだろう。
「あ、そういえば。クリスマスプレゼント……」
感情がぐちゃぐちゃになってしまって忘れていたけど、少し落ち着いたことで思い出した。私はカバンをゴソゴソと漁って、それを取り出す。
「これ……なに?」
渡したのは封筒。
「開けるよ?」
「うん……」
すると出てきたのは一枚の紙。全然豪華ではない。
私は少しずつ、また顔が赤くなる。
「チケット……? ええと『正月まで私を自由にできる券』……へ?」
光流の顔がキョトンとした。
「あ……はは……クリスマスプレゼント……凄い悩んで……それなら、光流がしたいこと、してあげたいなって……」
目を丸くした光流が私を見つめる。
「あの……迷惑、だった、かな……?」
「い、いや……! 全然迷惑じゃない! 嬉しいっ!! けど……」
嬉しい…良かった。でも、なんだろう。
「けど……?」
「なんか、変態っぽい……」
「へ……?」
あれ、やっぱり。これ、ミスした?
冗談とは言え、真空のアドバイス……私、やっちゃった?
「――いやあぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
「ルーシーっ!?」
光流に変態扱いされて、私は恥ずかしさで大声で叫んでしまう。
包帯が巻かれているけど、赤面した顔を覆い隠し、ぶるぶると身悶える。
「わたしっ、変態なんだあぁぁぁぁぁ!!!」
半分だけ真空を恨みながら、ドーム型遊具の中で私の叫び声がキンキンと反響して鳴り響いた。
◇ ◇ ◇
「落ち着いた……?」
私は変態扱いされて叫んでいたが、もうどうしようもない。
「うん……」
恥ずかしいものは恥ずかしい。光流の顔が見れない。
けど、光流が話を逸らしてくれた。
「バングル、してくれてるんだね……」
「あっ……、つけられる時は毎日してるよ。光流も……ヘッドホン……」
私の左腕につけられていたバングル。
そして、光流の首元には、私が誕生日にプレゼントした白いヘッドホン。
「うん。俺も出かける時はいつもつけてるよ」
「へへ……嬉しい……」
実際に身につけているのを見ると嬉しいものだ。
「あ、俺もプレゼント……」
光流はゴソゴソとダウンジャケットのポケットを漁る。
「はい、ルーシー」
すると、私と同じく封筒だった。
あれ……?
「ありがとう……開けるね?」
私はその封筒をゆっくり開ける。そして、中から出てきたのは――、
「チケット……?」
『正月まで俺をいつでも呼び出して使える券』。
「へ……? わたしと、同じ……?」
「あ〜、なんか、似てるね……」
どういうこと。さっき私を変態みたいって言ったよね? 光流も……同じ?
「ね、ねぇ! さっき変態って言った!!」
「言ってないよ……?」
「言った!!」
「忘れた……」
「う〜〜〜っ!!!」
光流の体をポコポコと叩いた。
楽しい。なんか……私、凄い笑ってる。光流も笑ってる。可愛い……。
「ごめん、ごめんって……!」
「はぁ……はぁ……」
ポコポコしてると疲れた。
私が息を切らしていると、光流が真面目な顔で言った。
「ルーシーの顔、見たい……」
「…………うん」
光流への誕生日プレゼントの時の手紙に限定公開動画のURLを記載していた。
その動画で病気が治ったことを伝えていた。本当は会ってから伝えるつもりだったが、光流に早く伝えた方がいいんだと思って、そこで伝えた。
「変だったら、ちゃんと言ってね……」
「俺が言うと思う……?」
「……いわ、ない……かも」
私は下を向きながら、ついに少しずつ包帯を解いていく。
顎の下から、口、鼻……。
光流の喉元がゴクリと動いた気がした。光流も緊張しているのだろうか。
私は……とても緊張している。
鼻の次は目……そして最後におでこ。
はらりと全ての包帯が冷たい地面に落ちる。
――そして、目を瞑りながらゆっくりと顔を上げた。
「…………」
「ルーシー……目、開けて……?」
緊張と恥ずかしさでどうにかなりそうになっていた。
光流はこの顔を見て、どう思うんだろう。
私は、世界がスローモーションになっているかのように、ゆっくり、ゆっくりと瞼を開いていった。
瞼を開くと、目の前にあった光流の目をまっすぐに見つめた。
恥ずかしくて、すぐに目線を逸しそうになる。
でも、光流はずっと私の目を見つめて――、
「――綺麗だ」
あの時と同じだ。あの、優しい声。さっきも綺麗とは言われたけど、顔を見てではなかった。
今は、私の顔を見て……。そして、あの時とは決定的に違う、病気の吹き出物が全て消えた、本当の顔を見て、だ。
「うれ……しい……っ」
その言葉が聞きたかった。ずっと聞きたかった。嘘でも、本当でも、どちらでも良かった。
光流から『綺麗だ』って。その言葉だけで、私の世界は光に照らされた。
ポロリと、枯れたはずの雫が、また一つ、また一つと零れてくる。
さっきまで笑っていたのに……すぐに感情を揺さぶられる。
光流は、本当に私をおかしくしてしまう存在だ。
「やっと……やっと、見せれた……っ」
私は、泣きながら笑って喜んだ。
親友の真空にすら、ずっと隠していた顔。
私をずっと縛っていた白い鎖から、ついに開放された。
もう、今日から包帯なんて巻かなくていい。顔を隠さなくてもいい。包帯をしていることで、人目を気にして歩かなくてもいい。私の本当の顔――素顔を晒してもいいんだ。
――私の世界は、今日、この瞬間から、また一歩大きく広がった。
「ルーシー……本当に綺麗だよ。こんなに綺麗な人、見たことない……」
「はは……ひかる、言いすぎ……っ」
真空だってとんでもなく可愛いし、他にも可愛い子は、この世の中にはたくさんいるはず。
「顔だけじゃないよ。ルーシーの全部……ルーシーの全部が綺麗なんだ」
「それも言いすぎ……。私だって、汚いところ、あるんだから……」
人を憎んだり、羨ましがったり、自暴自棄になったりした暗黒時代があった。だから、その名残りで、私にも黒い心がまだあるんだ。だから、全部が綺麗だなんて、思えない。
「やっぱり俺の目は間違ってなかった……」
「え……?」
光流が、何かを確認するように呟いた。
「あの頃はうまく説明できなくて、ただルーシーを綺麗だって言うことしかできなかった。でも今は違う。――綺麗な金色の髪、青い瞳、長いまつげ、少し日本人とは違う彫りが深い骨格、少し高い鼻、ぷるっとしてる柔らかそうな唇、お人形さんみたいな小さな顔……全部綺麗……」
「えっ……えっ……!?」
事細かに私の顔のことを綺麗だと言ってくる。さすがにここまで言われると恥ずかしい。
あの頃からそう思ってたの? あんなに汚い私の顔を見て。凄い……凄いよ光流。やっぱり、他の人とは全然違うんだ。
「悪く言えば、顔だけかよって思われるかもしれない。だから、これから俺の知らないルーシーを教えてほしい。それ含めて、ルーシーのこと綺麗だって、言うから……」
「ほん、と……?」
光流はまっすぐに私の目を見つめて、そう言い放つ。
「うんっ!」
「あり、がとう……ありがとう……っ」
私は光流に感謝しながら、彼の手を取った。
「光流に触ってほしい……」
光流の手は指先まで冷たくなっていた。同じく私の手も冷たい。それが少し嬉しかった。都市伝説だけど、『手が冷たい人は心が温かい』って聞いたことがある。だから、光流は心が温かいんだって勝手に思った。冬の寒さで冷たいだけなのにね。
光流の両手を自分の頬にピタッとつける。私は彼の手の上から自分の手を重ねる。
光流の手が冷たくて、触れられた顔がビクッとした。
「…………」
少しだけ静寂が流れた。
光流は重ねた手を動かして、指先で私の頬をスススとなぞっていく。
「すごい……すごいよルーシー。こんなっ……こんな綺麗な肌……うぅ……治って……良かった……本当に、良かった……っ」
「光流……」
光流は私の頬に触れながら、涙を零す。彼も私と同じく、この短い時間の間、何度も涙を流していた。
「あんなに……ルーシーが苦しんでた病気……どうにか変わってやれないかって、治してあげたいなって思ってた……でも、でも……本当に良かった……っ!」
「うん、うん……っ! これも全部、光流のおかげなんだよ? 担当の先生は、治った理由はわからないけど、考えられる理由は二つだって言ってた」
「え……?」
これは限定公開動画の中でも言っていなかったこと。あの動画では病気が治った、ということだけしか伝えていなかった。
「一つは光流との出会いで、私の心の中が明るく変わったことでの精神状態の変化。そしてもう一つは光流が腎臓をくれたことで、私の体の中で何かが変化して、良い方向に変えてくれたことだって……」
「そう……なの?」
「うん。だからどっちが理由でも光流のお陰なの。こんなに……こんなに苦しんでた病気も、光流が友達になってくれたこと、腎臓をくれたお陰で、治ったんだよ……?」
私もこの話をしているうちに、少しずつ涙が込み上げてくる。
「はぁっ……はぁっ……そんなのって、そんなのって……」
「だから……私っ……光流に、感謝してもしきれない……っ」
光流は激しい動悸を伴っているかのように、息を詰まらせていく。
「あぁ……あぁ……俺は……俺は……ルーシーと友達になれて……腎臓をあげられて……本当に、良かった……っ!!」
「うん……うん……っ! たくさん、たくさん光流からもらったの。たった一週間しか会ってないのに。その後の全部が光流のお陰で、人生が明るくなったのっ」
あぁ、この話はダメだ。光流への感謝で感情が抑えられない。でも、何度でも、何度でも感謝を伝えたい。
「光流……っ……友達になってくれて、腎臓をくれて、私を救ってくれて……ありがとう……本当に、ありがとう……っ!」
「あぁ……あぁ……あぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」
今度は光流だった。私がさっき大泣きしたように、今度は光流がドームの中に声を響かせて大泣きした。
――私は、そんな光流を優しく、優しく抱き締めた。
◇ ◇ ◇
鼻水を何度も啜り、目を赤く腫らした光流。それを見て、私も何度も泣いたお陰で同じように目が赤くなっていると思った。
光流はまだ頬に涙の跡が残ったままニッと笑顔を作り、私の手をとって、ギュッと掴む。
あれ、この握り方って……。
私の指と指の間をスルスルと隙間を埋めるように光流の指が交互に差し込まれていって。
(これ……、恋人繋ぎ!?)
「ほら、ルーシーの体冷たくなってる。もう出よう」
「あ……っ」
光流が強引に私を起き上がらせて、恋人繋ぎのまま、ドーム型遊具の穴の外へと連れ出していく。
――私を外へ連れ出す光流を見上げながら、一つわかったことがあった。
それは、私の気持ちが、この五年間全く変わっていなかったということ。
……あの事故の日に言えなかったこと。今は恥ずかしすぎて、まだまだ頭が整理できなくて……言えるわけがない。しかも再会してからまだ一日目。
『わたし……わたし……わたし……っ!! 光流のことが……っ!!!!』
『……か、る……か、る……だい……す……』
今では、走馬灯のようにはっきりと思い出せる事故の時の記憶。この言葉は多分、光流にちゃんと伝わってはいない。
でも、今度こそ、今度こそ――私が覚悟できた時に、言えると良いな。
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