34話 一生忘れられない日
真空からもらったピアス。光流からもらったバングル。父からもらった財布。母からもらったお守り。
そして、光流へのクリスマスプレゼント。
――準備万端だ。
約束の時間まであと一時間。公園まで車で二十分だが、雪の影響で遅くなってしまう可能性もあるので、早めに出発することにした。
包帯の下はメイクなどしていない。ありのままの素顔を見て欲しいからだ。
家の前では、須崎と氷室が待っていて、あの時とは違うのは真空がいることだけ。
真空には車の中で待機していてもらう予定だ。
寒い中、外で会うことになるので、体ができるだけ冷えないように結構な厚着をした。
コートを含めると全部で五枚。手袋にマフラーもしている。
「俺達もついてます。うまくいきますよ」
「お嬢様、近くで見守っております」
須崎と氷室にそう言われて、少しリラックスできた。
あの時のリムジンはトラックとの衝突で大破してしまったので、もう廃車になっている。
しかし、同じようなリムジンが家にあったので、その車で約束の場所まで向かった。
「リムジン凄すぎる……」
真空がつぶやくこのリムジンは、窓側に沿ってソファが並んでおり、一種のカフェやバーのようになっている。
内装はあの時のリムジンとはちょっと変わっているけど、リムジンということは変わっていない。
外装は黒いので、光流と過ごした時と一緒だ。
自然と手に汗をかいてきた。心臓もバクバクと音がするほどに鼓動が早くなっている。
真空が何も言わずに隣で私の手を握ってきてくれている。
しばらく無言のまま車で移動し二十分ほど経過。約束の公園に到着した。
現在は午後四時三十分。約束の時間まであと三十分ほどあった。まだ誰も来ていないようだった。
公園には雪が積もっていて、ドーム型遊具も少し雪で埋もれていた。
あの中で待つのはとても寒そうだった。
「ねえ、あの中で待つの? 寒くない……?」
真空が心配してきた。
「うん。約束の場所はあそこだから……」
「体冷えるよ?」
「それでもいい……」
「寒くて我慢できなくなったら車まで戻ってくるんだよ?」
「うん……」
私はいくらでも待つつもりだ。
光流が約束の時間にもし……来なくても。
「ルーシー……」
車を降りる前、真空が私を優しく抱き締めてくれた。
◇ ◇ ◇
約束の時間の十分前。私は車を出て、ドーム型遊具に向かった。
背が高くなって、穴に入るのも中腰にしなければ入れないほどになっていた。
ドームの中に入ると、あの時のまま広い空間になっていた。ただ、この空間のおかげで、思ったより暖かかった。
「はぁ〜〜〜〜っ」
私は口に手を当てながら、白い息を吐く。
もうすぐ光流が来る。
まだ何を話そうか、まとまっていない。考えはしたけど、結局わからなかった。
だから、会ったその時の気持ちをそのまま声に出そうと思った。
スマホに表示されている時計を見る。四時五十七分……。
公園横の歩道を通行人がザッザッっと雪を踏んで歩く音が聞こえる度に、私の胸は緊張に包まれる。
「五時……」
時間ピッタリだ。
公園の中からは何も音は聞こえず、車が通る音、通行人が歩道を通る音だけが聞こえてくる。
今、この公園は遅い時間だからか、子供一人遊んでいない。
「五時一分……」
スマホの時計に表示されている四桁の最後の数字がゼロからイチに変わった。
「光流……っ」
時間が過ぎても私は待つんだ。
光流は来てくれるって言った。
凍える体を自分でギュッと抱き締めながら、私は必死に待ち続けた。
包帯をしているせいか、顔はそれほど寒さを感じていない。しかし、動かずにいるために体温がどんどん下がっていくのを感じる。
「五時……二十五分……」
――約束の時間から二十五分が過ぎた。
◇ ◇ ◇
温かく暖房が効いているリムジンの中。
「光流くん……いつまで待たせるの……っ」
私は、握りこぶしを作って、車の窓からルーシーがいる遊具の方を見つめる。
「五年も待たせたとはいえ……っ!」
「朝比奈様っ……ダメです」
私がリムジンの扉を開けて、車の外に出ようとする。
しかし、氷室さんが私の腕を掴んで止める。
「氷室さんっ! だって……ルーシーの体が冷えて……っ!」
「お嬢様が決めたことです……もう少しだけ、待ちましょう」
「……っ。光流くん、早く、きて……っ」
私は神様に祈るような表情で歯を食いしばる。
「朝比奈様、あちらを……」
氷室さんがリムジンの後方、リアウィンドウの方に手を向ける。
私は氷室さんが手の向けた方を見つめる。
「あ……っ」
誰かが、必死にこちらに向かって走ってくるのが見えた。
たまに雪に足を取られて、転びそうになりながらも必死に走り、口から大量に白い息が出ているのがわかった。
どんどん近くに見えてくる人影。
まっすぐにまっすぐに、歩道を駆けてくる。
「あの人、なの……?」
――その人影は、公園の入口で急カーブして中に入っていった。
◇ ◇ ◇
「五時、三十五分……」
寒い……。三十分も動かずに雪が降る公園に一人残されて。
より、寂しさが募っていく。
「ひかるぅ……」
もう三十分以上も約束の時間が過ぎた。
約束はしたけど、今になって光流の気持ちが変わったのだろうか。
もしかして、あの返事は光流じゃない誰かが書いて、私を弄ぶ為に一人きりで待たせているのだろうか。
どんどん悪い考えが脳裏を過ぎっていき、私のダメな部分……ネガティブが顔を出してくる。
「ひかる、ひかるぅ……」
あまりの寒さに、私は手袋をしている手を耳に当てる。
耳だけは露出しているため、一番冷たくなっていた。
「うっ……ぅぅ……」
これじゃあ、光流と初めて会ったあの時みたいだ。
あの時は、学校のクラスメイトにいじめられて、雨の中一人で走り続けて、たまたまこの公園に逃げ込んだ。
『私だけ、なんで……』
そう世界を恨んでいた日。人前では泣かない。だから人目につかない場所で一人で泣いて、泣いて……そんな時に光流が来たんだった。
あの時と同じく、私は、このドーム型遊具の中で、一人……独りで、泣いていた。
「うっ……ううっ……独りに、しないで……ひかるぅ……」
耳を手袋で塞ぐと少し暖かかった。でも、その代わりに何も音が聞こえなくなった。
無音の空間。目を瞑ると瞼の隙間から涙が零れる。寒さに耐えるよう必死に、体育座りで体を縮めた。
「…………っ!!!」
耳を塞いでいて、何も聞こえないはずが、それすら貫通して、何かが聞こえてきた。
「……シーっ!!!!」
私は、耳を塞いでいた手を下ろした。
「ルーシーっ!!!!!!」
聞いたことのない声だった。でも――、
「え……っ」
涙で目の前が見えない。必死に手で涙を拭って、私の名前を呼んだ声の元へと目を向ける。
外からの光のせいで逆光になっていて、よく見えない。
聞いたことのない声。でも、でも……私にはわかる。大切な人がくれた、たった一つの腎臓がそう言ってる。その細胞の全てが私に正解をくれる。
「ひか……る……?」
ドーム型遊具の穴の中を潜ってきた人の顔は逆光でまだはっきりと見えない。
でも、私にはそれが微笑み、安堵しているように見えた。
「ルーシぃぃぃっっ!!!!!」
「きゃあっ!?」
その人は、突然私を抱き締めてきた。
ギュッと力強く、私を引き寄せて、離さない。
――あの事故の時のように、私の体を守ったみたいに強く……強く抱き締めて。
「ルーシーっ!! ルーシぃぃっ!! うぅっ……ごめんっ……ごめんっ……! こんなに、待たせて……っ……ごめんなぁ……っ」
私は、抱き締められたことに驚きすぎて、うまく声が出せなかった。
「ぁ……ぁ……っ」
なんで彼はこんなに謝ってるんだろう。謝ってる理由は、遅れたことだとわかっているはずなのに、私はなぜか疑問に思ってしまった。……違う、順序が違うんだ。
――謝るのは、私が先だと思ってたから。
「顔……見せ、て……」
声にならない声を必死に絞り出す。
すると彼は抱き締めていた腕を緩めて、少しだけ離れる。
彼がドームの中、私のいる所まできたので、穴の外から漏れる光が顔を照らしてくれた。
私は手袋を外して彼の顔に触れながら言った。
「ひかる、なの……?」
彼の目からは涙が溢れていた。鼻先と頬が赤くなり、寒さでそうなったのか、涙を流したことでそうなったのかわからなかった。
私は彼の涙を指で拭き取り、ぷにぷにと頬に触れる。
「うん……光流だよ」
彼は笑顔でそう言った。
その言葉を聞いた瞬間……もうダメだった。
さっきまで、悲しい気持ちで泣いていたはずなのに、今はもう、別の感情がそれを全て吹き飛ばしていった。
「ぁ……ぁぁ……っ」
彼の顔は、十歳の頃の面影を少し残しながら、男らしい骨格……顔の作りに発達していた。
あの年齢の頃は、男子も女子も顔が丸くて、そう差はなかった。
でも成長した今は違った。少し男の顔になった彼を感じた。
喉仏も出ていて、声変わりをしたんだと思った。
――だから聞いたことのない声だった。
そして、彼が涙を流しながら笑った、その笑顔。あの時――初めて会った時に、私と一緒に撮ってくれた写真の笑顔と全く同じ笑い方だった。
私は口元を震わせ、必死に声を絞り出す。
「ひか、るぅ……ひかるぅっ! 会いたかった! ずっと会いたかった!! あいだがっだよぉぉぉっ!!!!」
私は全身で叫んで、泣いた。
零れ落ちる涙の数は、光流が送ってくれた手紙を読んだ時よりもずっと、ずっと多かった。
光流の両腕を掴んで、彼の胸に頭を埋めて、顔をぐちゃぐちゃにしながら泣きじゃくる。
「ルーシー……っ! 俺も、俺もっ……本当に……ずっと……会いたかった……っ」
光流が声を震わせながら言った。そして、優しく……もう一度、私を抱き締めてくれた。
光流の匂い、声、体の硬さ。あの時とは全部が違った。
でも、光流なんだと、私の体全部が訴えている。
「ほんものだ……ほんものなんだ……やっと、やっと会えた……」
「そうだね、やっとだ……」
光流は、私の背中を優しく撫で、同じように頭も撫でてくれた。
「ごめんっ……ごめんなさいっ……連絡しなくて……私の勝手な……エゴで……本当は、すぐ連絡すればよかったのに……私に、大切な腎臓をくれたのに……たくさんの幸せをくれたのに……ひぅ……っ……グスっ……ごめんなさいぃぃぃぃ……!!!」
私は感情のままに言葉にした。でも、何を言っているのか自分では判断がつかなかった。
「違う……違うよ、ルーシー。俺だって、ルーシーが目覚めたって聞いた時に、すぐに手紙か何か送ればよかったんだ。だから、これはお互い様なんだ……」
「だって、だって……光流に色々なもの……もらったのに……全然恩返しできて……なくて……っ」
光流は私と違って、もう落ち着いて話を聞いてくれていた。
やっぱり光流は、私よりすごい……。
「それも違う。ルーシーを助けたかったのは俺の意思。だから恩返しとかそういうのは考えなくていい。……友達なら、恩とか関係なく助け合うのが当たり前だろ……?」
私の心の狭さが本当に嫌になる。こんなに私を包んでくれて、体は冷え切っているはずなのに、どんどんあったかくなっていく。
「もうっ……もうっ……離れたくないよぉぉぉっ!!!」
「俺も、俺もだよ、ルーシーっ……!!」
やっと会えた。だから、もう遠くで離れて過ごすことなんてしたくはない。光流の近くにいたい。
でも、一週間後にはどうせアメリカに戻る。次に来るのはおそらく三月。戻るとわかっているくせに、離れたくないなんて、おかしなこと言ってしまって……私は我儘だ……。
「ひかるぅ……ひかるぅ……っ!! 私、私ね……話したいこと、たくさんあるの……っ!! もう、光流のお陰で叶った夢がたくさんあるのっ!!」
「うん、うん……俺だってルーシーに話したいことがたくさんある! だからっ、これからっ……お互いに……それを、話し合って……この五年間を……少しずつ、埋めていこう……っ!!」
この五年間に詰まった全部。良いことも悪いことも、話したい。そして、光流の五年間も知りたい。
寂しかった気持ち、嬉しかった気持ち、傲慢だった気持ち。全部、全部……。
でも今は、ゆっくり話せる余裕がない。目の前の光流の存在を感じるだけで、精一杯だった。
さっきまでの涙は、叫びは、まだまだ我慢してたほうだ。
だから、もう……もう、我慢しなくていいよね?
そして――、
「ぁ……ぁ……ひか、るぅ……ひか、るぅ……あぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!!!!!!」
「ルーシー、ルーシー……うぅ……うぅ……っ」
私は今まで以上に大声を上げて泣いた。光流の名前を呼ぶことしかできず、ただただ叫んだ。
光流の背中に腕を回してギュッと服を掴み、顔を彼の胸に強く押し付けた。
その間、光流は私をずっと優しく抱き締めた。……それと一緒に彼は嗚咽混じらせ、涙を流していた。
ツンと鼻を刺す冷たい冬の匂い。それと一緒に、成長した今の光流の匂い、声、力強さが、私の体に……心に刻まれていく。
嬉しい……なんでこんなにも嬉しいんだろう。
なんでこんなにも、光流は私にとって特別なんだろう。
私を綺麗と言ってくれたから? 初めての友達になってくれたから? 私の病気を治してくれたから……?
――それとも腎臓をくれて、私を助けてくれたから……?
臓器をもらった人は、臓器をくれたドナーの事を特別視してしまうと聞いたことがある。だから基本的にはドナーは誰なのかという情報は開示されないらしい。
でも私達の場合は、特殊な状況だった。身近な人が提供してくれた臓器が、たまたま私に適合した。だからお互いに情報は開示された状態での臓器移植だった。
ドナーだからどうとか、私はそれだけで、光流を特別になんて思わないと思う。
だって、光流と初めて出会って、友達になってくれた日から、私は光流を特別視していたから。
臓器をもらったことは、その気持ちをさらにプラスにしただけ――私はそう思っている。
だから、元々の気持ちからは一切変わっていない。
光流と出会った時から、ずっと……ずっと、私にとって変わらずに特別なんだ。
――その特別な人がくれた、私の新しい人生。
特別な出来事が日に日に増えていった。
写真、家族、友達、歌、楽器、運動、お洒落、メイク……そして、病気の治癒。
全部、光流との出会いから始まったこと。
普通の人なら当たり前に思えたことでも、私にはその一つ一つが幸せで、宝物に思えた。
――私には、特に記憶に焼き付いている、特別で一生忘れられない日がある。
それは、光流と出会った日、事故の時に光流に抱き締められた日、光流から手紙をもらった日。……この三つだ。
真空にこの事を言ったら『私のことも入れてよっ!』なんて言われるかもしれない。でも、私の心は、光流でいっぱいだった。
そして今日、その日がもう一つ増えた。
――光流との再会。
嬉しくて嬉しくて、どうにかなってしまいそうなくらい、こんなに幸せで良いのかと思ってしまった。
ただ、友達と五年振りに再会しただけなのに。
でも、その友達は私の中で、誰よりも、何よりも――特別だった。
まだ何も始まってすらいないのに、特別な人が私に会いに来てくれて、目の前にいて、それだけで私は……
だから……だから……今日は、今日という日は――、
――私にとって、一生忘れられない日の一つになった。
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