8話 夢のような時間

 学校が終わるとカバンを持って一目散に外に停まっていた車に乗り込んだ。

 光流に会いた過ぎて、車までとにかく走った。


 車に乗ると、用意しておいた白いドレスに着替えた。『男の子と会うんだから着飾りなさい』とお母さんに言われたためだ。そう言われるとなぜかすごい恥ずかしかった。男の子を意識してしまう。


 公園に車を停めると乗り込んできた光流。リムジンを見て家みたいだと驚いた。私には当たり前になっていたものも彼にとってはそうではなく、反応が新鮮だった。

 私のドレスを見ると可愛い、似合ってると言ってくれた。すごく嬉しかった。この時はお母さんに感謝した。


 そこからはたくさん話をした。

 光流には私のこと全部話したかった。病気のこと、家族のこと、好きな食べ物……。


 光流と話すのが楽しくて、絶対治るわけないのに『もし治ったら』なんて話もしてしまった。

 

 そして叶うことが難しい夢も。幸せそうなお父さんとお母さんを見て、自分もいつかお嫁さんになってみたいと思ったこと。ただ、この顔でその夢が叶うはずもないこともわかっていた。


 でも光流には話してしまった。こんな短い時間しか一緒にいないはずなのに、長く一緒にいる感覚だった。だから思ってしまった。――光流と結婚できたら、どんなに幸せだろうって。


 光流は私と同じく甘いものが好きらしい。だから氷室や須崎が買ってきてくれたデザートを一緒に食べたりできて嬉しかった。


 家では光流を招待したいと両親に話をした。家族にも会って欲しかったし、こんなに素敵な人なんだと教えたかったからだ。

 お父さんはまたもや微妙な顔をして、お母さんはやっぱり肯定してくれた。


 そうして一週間が過ぎた時、なぜか、どうしても光流に触れたいと思った。

 それでまた特別になれるって。それができたら、言おうとしていたこともあった。


 私が恥ずかしがりながらぎゅーってしたいと言った。なんか、お母さんとかお兄ちゃんとかともよくしてるからとか、変な言い訳しちゃったけど。


「それで……いいかな? 今日は、二人がもっと特別になる……その記念日」

「うん、もちろん。……特別、ね……」


 光流は驚いて恥ずかしそうにしてたけど、結局受け入れてくれた。


 光流とぎゅーっとした時は、家族とする時とは違う、心がドキドキして、温かくなる不思議な気持ちになった。

 光流の匂いがして、私にはそれが凄く良い匂いに思えて。光流も私のことを良い匂いだと言ってくれて嬉しかった。


 そして、ぎゅーができたら言おうとしていたことを光流に――、


「それでね。一回しか言わないから、ちゃんと聞いてね……」

「わたし……わたし……わたし……っ!! 光流のことが……っ!!!!」


 しかし、私が光流に伝えたかったことを伝えることはできなかった。


 そこから聞こえる氷室の声。光流が急に私を守るように強く抱きしめてきて。


 ――次の瞬間、強い衝撃で吹き飛ばされ、私は意識を失っていた。


 目を覚ました時には、道路に転がっていたことはわかった。

 体が動かなくて、痛くて痛くて、特にお腹あたりが痛くて。


 でも頭が何かに乗っていて、よく見ると腕だった。光流の腕だと思った。毎日見てた光流の手。今日着ていた服。


 私は光流の名前を呼んだ。

 しかし私の声は掠れて、声にならなかった。


 私は言わなきゃいけないことがあった。伝えたいことがあった。

 だから、それだけでも伝えようと必死に声に出した。


「……か、る……か、る……だい……す……き……」


 光流に届いただろうか? 聞いてくれただろうか? でもこんな掠れた声じゃ聞こえなかっただろうな。でもまた、いつか、ちゃんとしてる時に言いたい。


 光流……大好き。


 ――私はそこで意識を失った。



 ◇ ◇ ◇



 そうだ、そうだった……。

 思い出した。夢じゃなかった、夢のような時間。


 事故に遭ったってことだよね。

 私がこうなってるってことは……光流は、光流は無事なのかな。


 自分の今の状態を見ると、腕に点滴をされていたことがわかった。でも他は特に何もないように見えた。ちょっとお腹に違和感があるくらい。


「ルーシー! ルーシー! 私がわかる!? お父さんもあとで来るからね!」

「おかあ、さん……?」


 お母さんだった。すごく心配したような顔。私はどれだけ眠っていたんだろう。


「よかった……本当によかった……ルーシー……」


 お母さんは泣いていた。お母さんが泣いてるのなんて初めて見た。こんなことってあるんだ。いや、もしかしたら私の見えないところでよく泣いてたのかな? 私と一緒で。私も人がいないところでよく泣いてたし。


「うん……私、事故に遭ったんだよね? ねぇ、光流はどうしてる……?」


 お母さんは涙を拭いながら、呼吸を整えて話しだす。


「光流くんね……彼は大丈夫よ。今は元気になって学校に通い始めたそうよ」


「そうなんだ…良かった。本当に良かった……光流、元気にしてるんだ……」


 光流、会いたいな……今どんな顔してるんだろう。光流の笑ってる顔、見たいよ……。


「それでね、ルーシーにもたくさん伝えなきゃいけないことがあるの……。もしかしたらショックなことかもしれない。でもルーシーには光流くんのためにもちゃんと話さなきゃいけない」


 お母さんは深刻な表情になる。光流が元気ならそれでいい。光流が元気じゃないこと以上にショックなことなんかない。


「うん。聞くよ。全部知りたい。ここがどこで、どのくらい眠ってて、あの後何があったのか。教えてお母さん……」


 お母さんが私の手を握ってきて、ゆっくりとこれまでのことを話した。


 医者が来るまでの間、お母さんから大体のことを聞いて、把握した。


 私はあの後、病院に運ばれて検査したら腎臓が悪いことがわかり、手術したこと。光流が私に腎臓の片方をくれたこと。あれから二ヶ月以上が経過して、今はアメリカにいること。私の容体の確認や拒絶反応が出ないかの確認のためにしばらく入院しなければいけないこと。


「光流の一部が、私の中にあるんだ……。また私を助けてくれたんだ……」


 光流は何度私を助けてくれるのだろう。初めて友達になったあの日、私の心は救われた。

 言葉を交わし、お洒落もして、一緒にデザートも食べて。俯いていた人生が上を向き始めた。


「でも、しばらく光流とは会えないんだ……」

「ごめんねルーシー。あなたのためだったの。光流くんもここにいることを伝えたからわかってる」


 そっか、光流も私のこと聞いてるんだ。なら私が目覚めたことも伝わるのかな。光流、喜んでくれるのかな。

 それとも、遠く離れちゃって……友達辞めちゃうのかな?


「大丈夫。いいんだ。いつかまた光流に会える日を楽しみにして生きるから……」


 その後、医者が来て、どこかに運ばれて検査が始まった。

 容体は安定しているし、問題ないという話だった。


 病室に戻ると、お父さんが来ていた。


「ルーシー……うっ……ルーシー……」


 お父さんはかけていた眼鏡を外し、私に近づいて手を取って泣いた。

 お母さんと同じく、お父さんが泣いてるのも初めて見た。両目から大粒の涙を零し、私が寝ているベッドが濡れていく。

 ちなみにお兄ちゃん達は、日本の学校に通っているので、アメリカには来ていないらしい。


「お父さんも泣くんだね……」

「当たり前だ……お前は世界一大切な娘なんだから……」


 私は唇が震えた。同時に視界も何かに遮られ、ぼやけていった。

 私のことを綺麗とか可愛いと言ってくれたのは、本当だったかもしれない。家族だからこそ信じられなかったけど、今は違う。この人達はちゃんと私のことが大切なんだって思った。


「う……うわぁぁぁぁぁぁん!!!!!」


 私は大声を出して泣いた。家族の前ではできるだけ泣かないようにしていた。でも今は自分が抑えきれなかった。

 愛情ってこうなんだと。大切な家族が自分を想って泣いてくれると、こんなにも心震わされるのだと。

 顔に巻かれていた包帯が目から流れてくる涙を受け止めて、染みていく。


「ルーシー……っ!」

「これから……元気になっていこうね……」


 母さんもまた泣いて、私の手を取った。

 三人一緒に泣いて、私はここで初めて家族の繋がりを深く感じとった。


 ――しばらく泣いた後は、お母さんが涙で濡れてしまった顔の包帯を取り替えてあげると言ってくれた。


「ほら、こんなに濡れちゃって……」

「しょうがないじゃん……」


 片腕は点滴されているので、自由に動かせるのはもう片方の腕だけだった。点滴されている方の腕も頑張れば動かすこともできるが、お母さんが気を遣ってやってくれた。


「あれ……?」


 お母さんが私の顔から包帯を外すと何かに気づいたような声を出した。


「これ、何かしら……」


 包帯の裏についていた、何かの皮のような薄い物体。


「なんだろうね……」


 私にはそれを見せられてもよくわからなかった。


「ちょ、ちょっとルーシー! 顔を、顔をちゃんと見せてちょうだい!」


 お母さんが触れた手で私の顔を正面に向けて、上下左右に顔を動かし、隅々まで確認した。


「ここだわ……お父さん! ちょっと見て! ここ……」

「これ……もしかして、そういうことか?」


 二人が何かに気づいて話していた。


「――なに? どういうこと?」


 お母さんが私の顔の左側の顎のあたりに触れる。


「ここの、吹き出物が……消えてるの……」


 一瞬何を言われたのか理解できなかった。

 ……それってどういうことなの?


「……これは……ルーシーの病気が治りかけてるってことじゃないのか?」


 お父さんが一言、希望を持たせるようなことを言ってくれた。


「で、でも、そんなの!? 絶対治らない病気なんでしょ!?」


 そう。私の病気は治ることのない難病。日本でも症例はたった一人。私だけだ。

 光流には『もし治ったら』なんて前向きな話はしたけど、治るなんて思ってはいなかった。


「そうなんだが……とりあえず医者に聞いてみるしかないな……」


 私の心臓の鼓動はバクバクと音が鳴っていると錯覚するくらい動いていた。


 『もし治ったら』『もし夢が叶うなら』。神様、いたら教えてください。

 私の病気は治りますか……?



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