第2章 ルーシー編
7話 長い夢
ルーシーがアメリカへ渡り、一ヶ月が経過した頃。
「んっ……まぶ、しい……」
私はどこか、知らないところで目を開いた。真っ白な天井、英語……のような声が聞こえ、周りが少し騒がしい。いつもとは何かが違う。そう感じた。
「ルーシー!! ルーシーっ!!! すぐ先生呼んでっ!!!!」
日本語……聞き覚えのある声。誰かが私の名前を必死に呼んでいた。
私はなんでこんなところにいたんだろう。よく思い出せない。
ただ……随分と長い夢を見ていた気がする。
自分自身を否定され続けたような悪夢。でも、その夢の最後の方は、悪夢じゃなかった。
夢なはずなのに、なぜかはっきりとその夢を覚えている。
まだ意識がはっきりとしないまま、私は夢を振り返った。
◇ ◇ ◇
五歳の頃に突然顔全体にできた吹き出物の数々。それが原因で私は周囲から怖がられ、気持ち悪がられ、友達はできなかった。
細かく言えば五歳までは多分……友達はいた。でもその頃の記憶はもうない。だから友達はいないってことにした。
病気で顔がおかしくなってから、誰にも見られたくなくて、毎日包帯を巻くようになった。
お父さん、お母さん。二人のお兄ちゃん。皆私と違って綺麗な顔。私を気遣ってか綺麗だとか、可愛いとかたくさん言ってくれた。
でも小さいながらに感じた。これは家族だから言っているんだ。心からはそう思っていないんだと。
だって、家族以外に綺麗とか可愛いなんて言われたことがないんだから。
必死に小学校には通ったが、教室では腫れ物扱い。『怪人』『ウイルス』『病原菌』『キモ女』『キメラ』『ゴキブリ』『深海魚』『ニキビ星人』『包帯ゾンビ』。よくもこんなに悪口が思いつくものだ。
人に近づけば、近寄るなと言われ。物を拾ってあげれば、もうそれ使えないと言われ。
毎日が苦痛だった。小学四年生までよく通ったものだ。
友達がいなかったせいか、私が学校ですることは勉強だけだった。勉強だけに集中していればいいから、誰よりも成績が良かった。
いつも学校の送り迎えをしてくれたのが運転手の須崎と執事の氷室だ。
彼らは優しくて、私も彼らの嫌いな所はなかった。
ただ、自分の顔のことがどうしても予防線となってしまい、自分からは誰とも仲良くなろうとは思わなかった。須崎も氷室も私から近づけばクラスメイトのように避けられるのではないか、という恐怖があったからだ。
そんな日常が原因で、顔だけではなく手足全て、夏でも肌を晒すことが怖くなった。
だから長袖を着て、足はタイツを履いたり、ズボンを履いたりして肌を隠した。
可愛い服を着ることなんてほとんどなかった。
ある日、いつも通り苦痛な学校を終えた。その日は雨が降っていた。
この雨みたいに、私のダメな部分を全部、洗い流してくれたらいいのに。
そう思って、傘を差さずにどこかへ走った。
須崎と氷室が待っている車を通り過ぎ、必死にどこかへ走った。
数十分走ると、どこだかわからない場所に来てしまった。
さすがにずっと雨に打たれ続けているのはつらくなってきたので、近くにあった公園の遊具の中で雨宿りすることにした。
雨の公園には誰もおらず、一人きりになっていた。
雨が遊具にボタボタと落ちていく音だけが聞こえ、その音が孤独感を増幅させた。
「私って、なんの為に生まれてきたんだろ……」
家族は優しい。執事や運転手、お手伝いさんも優しい。でも、家の人以外は優しくない。
先生だって、私の扱いに困って、親の前ではしっかりしているように見せかけて、厄介者を見るような目で見ていることを私は知っている。でもしょうがない。先生だって頭を悩ませるに決まってる。私みたいな生徒を受け持って大変だろう。
一人になると思い出してしまうクラスメイトからの暴言の数々。近づくなと言われ物を投げつけられたこともある。
両親は嫌になったら転校してもいいなんてことを言ってくれたけど、転校したって同じことが繰り返されるだけだ。どうせ学校に通わないといけないなら、同じ場所で苦痛を受け続けた方がいい。
私はなぜか学校を休むということはしなかった。多分どこかで、まだ私のことを、本当の私のことを見てくれる人がいるかもしれないと、ほんの小さな希望を持っていたからかもしれない。
一人になるとよく泣いていた。どうしても自分の顔のことを考えてしまって、生きるのが辛くなる。本当になんで私がこんなに辛い目にあわなくてはいけないんだろう。自分が知らないところで、実は何か悪いことをしたんだろうか。それなら少しはわかる。でも心当たりがまるでなかった。
「うっ……うっ……なんで……私だけ、なんで……」
ドーム型の遊具は、中で声を発すると反響したのか普通の声より響いた。その音が雨を突き抜けて、少しだけ遠くに届けたらしい。
「ねぇ、そこの君。どうしたの?」
泣き続けていた私は、誰かが近くまで来ていたことがわからなかった。
しかし、気づいた時には遊具の中に入ってきたその人は、既に私の目の前にいて。
「ねぇってば! 大丈夫?」
「え? ……はぁっ!? 何!? こっち来ないでっ!?」
あまりに近くにいたので、反射的に拒絶してしまった。
よく見ると彼、私と同じくらいの背丈に見える男の子は、私の心配をしてくれていたようだった。
いつもは拒絶される側だったのに、今は自分が拒絶してしまった。変な後悔の気持ちに苛まれた。
彼は私のことを気遣ってくれたのか、ただ好奇心で聞いてきたのかわからないが、顔の包帯のことが気になっていたようだった。
包帯はとれないというと、私のことを知りたいなんて言ってきた。"知りたい"なんて言われたのは初めてだった。
今までの人達はそもそも話そうともしてこない。話す時は暴言を吐く時だ。
だから、彼のその言葉に、少しだけときめいたのかもしれない。
いつの間にか彼に従って、包帯を外してしまっていた。小学生になってから、誰にも見せたことのない顔だったのに。
恐る恐る彼の反応を確かめた。驚いた顔をしていた。それはそうだ。私の顔を見て驚かない人はいないんだから。しかし、そんな時幻聴が聞こえた。
「――綺麗だ」
一瞬、何を言われたのかよくわからなかった。家族以外には言われたことのない言葉だったからだ。
私は動揺して、どんなに自分の顔が酷いのか演説してしまった。
しかし彼は、私のことを綺麗だと言い続けた。綺麗なはずがないのに。
私は嘘つきだとか、彼の意見を否定したが、それでも彼は綺麗だと言い続けてくれた。
「じゃあ俺は他の人とは違うってことだね。君が他の人と違うなら俺と同じじゃん。仲間だねっ! へへっ」
ちょっとよくわからなかったが、彼は他の人と違う意見。だから、他の人とは違う私と同じで仲間だと言った。正直意味が通じていないし、強引過ぎる理論だ。子供の私にはもちろんちゃんと理解することなどできなかったけど。
ただ、彼の気持ちが言葉に乗って、私の心に響いたのは確かだった。
「そう、仲間っ!! 俺たち仲間なら友達みたいなもんでしょ? 君、友達いないって言ってたよね? なら俺が今日から友達だっ!!」
勝手に私達は仲間だと言い出し、そして、今までできることのなかった友達だとも言い始めて。
他人の口から発せられた"友達"という言葉。誕生日ケーキのように特別で、とても無視できない言葉だった。
この時の私は恐らくチョロかっただろう。友達だと言ってくれた彼のことを好意的に思えてきて。
また明日も会おうとも言ってきた。その言葉を聞いて、今までの話は嘘じゃなかったんだと確信できた。
私の名前を伝えると、かっこいいと言ってくれた。確かに日本には私みたいな人は少ないらしい。
彼の周囲には私のようなハーフはいなかったらしいから、特別に見えたんだろう。
そして私も彼の名前を聞いた。
『九藤光流』
その名前を聞いた時、体に電撃が走った。『光』という漢字が使われているとわかり、私の胸は高鳴った。
「ね、ねえ!! すごい……わたし、私のルーシーってミドルネーム、意味は『光』って言うんだよっ!!」
「ええっ!? 光って俺と同じじゃん! すげぇ!! 俺たち運命じゃんっ!! これすげえよルーシー!!!」
私も運命だと思った。そして彼も運命だと思ってくれたようだった。今まで生きてきて、こんなに嬉しい日はなかった。
降りしきる雨の中、体はびしょ濡れで、遊具の中という変な場所。
でもこの日この場所――そして光流は、私にとって世界一大切な……特別になった。
彼は友達記念だと言い、私のスマホで写真を撮ろうとしてきた。
こんな顔、写真に残したくない……光流は隠しても良いと言った。記念の写真だ。だから顔は隠しはしたが、一緒に撮ることにした。
その後、氷室がやってきた。私はスマホにGPSアプリを入れているので、見つかることは最初からわかっていた。だから逃げる時もいつかは見つけてくれると思ってそうした。
氷室は、光流と会うことについて前向きに聞いてくれた。初めて氷室に心から感謝したかもしれない。
まだ外は雨が降っていた。いつもなら憂鬱なはずの雨。でも私にとっては傘で顔を隠せる雨は嫌いではなかった。
でも、今日の雨は私に出会いをくれて、友達をくれて。
――私のダメな心を洗い流してくれた雨だった。
光流と別れたあと、家に帰ってからお父さんとお母さんに光流のことを話した。
「ルーシー、そうか。ついにそんな相手ができたか……」
お父さんは嬉しそうな、嬉しくなさそうな微妙な顔をした。
「是非行ってらっしゃい。氷室から話を聞く限り大丈夫そうだし、ルーシーのことをそう言ってくれる素晴らしい子ですもの」
お母さんは笑顔で光流と会うことを肯定してくれた。
翌日、光流と会える嬉しさでクラスメイトの暴言なんて全然耳に入ってこなかった。
自分の気持ち次第でこんなに心が変わるなんて思わなかった。今日の学校はちょっとだけ、勉強に身が入らなかった。
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