第九話

 男は警戒することなく、案外ペラペラと喋ってくれる。

 菜々桜の胸効果だろうか。

 そんなくだらないことを考えていたら、男が周囲を気にするように辺りを見回した。

 咄嗟に縁がこちらに身体を向けて、腕を壁につける。

「わっ……」

 思いがけず、縁の顔が間近に迫り、焦る。

 これは俗にいう、壁ドンっ、というやつではないか。

 縁はあたしの唇に人差し指を当て、黙るように目で伝えてきた。慌てて両手で口を塞ぐ。

 これまた縁の動きがサマになっていて、心臓が飛び出そうになる。

 内心の慌てようを悟られないように、ちらりと縁の腕越しに男の方を見やった。

 件の男はこちらを気にもとめず、菜々桜に何か耳打ちしている。菜々桜は目を見開いた。

「まぁ、それは本当の話かい? 河上の旦那がその娘に惚れて?」

「しっ、声がでかい! どうやら、惚れっぽいたちの御方で他にも何人かの女子おなごに手を出しているんだ」

「じゃあ、わたしなんて到底お眼鏡に叶わないということかねぇ」 

「んなことはねぇさ。なんなら、俺の女にしてやってもいいぜ?」

 下品な笑みを浮かべる男に菜々桜が腕をつねる。

「ちょいっと、どこに手をやってるんだい!」

「あいたたた……! 痛いっ、痛いっ……あがっ」

 男が突然崩れるように倒れた。その背後から現れたのは冬夜だった。自身の爪を刀に変化させている。どうやら我慢できなかったらしい。

 縁が額に手をやり、ため息と同時に首を横に振る。

「ちょっと、冬夜っ! あんた、出てくんのが遅いのよっ!!」

「いやぁ、姐さんの化けっぷりについ見惚れちまって」

「ばかっ」

 冬夜の頭を思いっきり叩いた後、菜々桜の周りが白い煙に覆われた。その煙の影から馴染みの七つの尾と耳のシルエットが現れる。変化を解いたようだ。

「はぁ、気持ち悪かったー。全然イケメンじゃないし」

「ご苦労さまです」

 元の姿に戻った菜々桜が、こちらへ歩み寄る。縁の労いの言葉に彼女はぽっと頬を染めた。

「ああ、やっぱりイケメンは眼福だわー。ゆーくん、最高っ!」

 菜々桜のテンションが回復したところで、本題に入る。

「それで、あの男は菜々桜に何を耳打ちしていたのですか?」

「あ、そうそう。後妻はあんたってことと子供は死産だったらしいわよ」 

「えっ、死産……?」

 信じられない事実が発覚してしまった。雷蔵は子どもがいたと思っている。ということは、河上はずっと雷蔵に嘘をついてお金を貪っていた事になる。

「あんたを後妻にするのは、またお金を巻き上げようって魂胆なんじゃない?」

「どう見ても、ここの暮らしっぷりからしてあまり金は無さそうっすもんねー」 

 見回りをしてきた冬夜も「河上家は金遣いが荒い」という話を聞いてきたそうだ。


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