小説ってどうやって書いてるの?

 小説家が小説をどうやって書いているのか。ハウツー本、技術指南本の類いは数多くあれど、「実際になにをどうやっているのか逐一記したもの」はなかなか見かけない。個人配信全盛のこのご時世、たとえば漫画家やイラストレーターは「作業配信」と称して描いている過程を公開したりしているが、小説家はだれもやらない。

 ほとんど頭の中でやってることで、全然面白くないからね……。

 しかし、だれもやっていないなら、ここで敢えてやってみる意義もあるのではないだろうか。

 ということで、とある小説家(ここでは仮にSとしよう)が実際にゼロの状態から原稿を完成させるまでの全過程を追って書いてみよう。


       * * *


 次に書く作品についてまったくなにも思いついていないとき、小説家Sはとにかく色んなものを読むことから始める。

 このときのSが手がけようとしていたのはシリーズ続刊だったので、キャラは決まっていたし音楽ものであるということも確定していた。でも材料はそれだけ。だからとりあえずジュンク堂に出かける。

 資料本を買うときのコツは、、ということだ。面白そう、ということは自分が興味を持ちそう、ということであり、つまりは自分の知識で手が届きそうな話ばかり載っているってことになってしまう。今回は音楽プロデューサーやエンジニアやスタジオワークについての本を買い込んだが、めっちゃ重版がかかっていて有名人の推薦帯がついていて読みやすそうな新書がいちばん役に立たなかった。内容はまあ面白いのだが音楽プロデュースというものを噛み砕いてエッセンスを取り出して軽妙な文章で綴っているので、いやいやそこはやらなくていいですよ、となる。すでに料理されているものじゃなくて原料を仕入れてこないと自分の料理が作れないわけだ。ポークソテーを作りたいのに豚カツを買ってきてはいけない。必要なのは生のロース肉だ。噛み砕いてエッセンスを取り出して軽妙な文章にするのこそが小説家Sの仕事なのだから、元情報はごつごつしていて捌いたり削ったりする余地がたくさんないといけない。

 で、読みます。

 資料本を読むときのコツは、平行して複数読むこと。なんせ面白くないからね。いやすみません、そういう理由もあるにはあるが、主な理由はもうひとつの方。複数平行して読み進めていると情報がクロスしやすいのだ。さっき読んだのと同じことが書いてある、とか、同じことをちがう側面から書いてある、とか同じことのはずなのに全然ちがうように書いてある、とか。クロスが起きると情報が脳みそに刻み込まれやすい。気がする。あとはシンプルに、そのまま小説で使えそうな記述があったら付箋を貼っておくが、そんなのは一冊に二箇所あったらいい方だし、主目的ではない。重要なのは情報とか知識よりも、まずこと。だから使えるか使えないかなんて二の次でひたすら読む。だいたい初見ですぐ小説に使えるってわかっちゃうような情報は大した情報じゃない。

 こんな読み方をしていると疲れるので、しばし休憩する。

(エッセイ的にもクソ真面目な文章ばっかり1000字くらい続けてしまったのでしばし休憩したいところだろう、読者が)

 休憩中にやることは昼寝やゲームや手間のかかる料理などが多いので、しばし休憩といいつつそのまま一日が終了することが多い。ということで資料本を読み切るのだけで一週間くらいかかる。もちろんゲームや食事も大切なインプット、仕事のうちだからおろそかにはできない。ジュンク堂で資料本と一緒に見繕った完全に表紙買いの百合漫画などもしっかり読む。インプット。大事。今回買った百合漫画が良すぎて滾りすぎて勢い余ってamazonに親が見たら泣くような恥ずかしい長文激推し☆5レビューを書きそうになるが思いとどまる。amazonって百合漫画の評価が異様に高くつくけどあれって一体なんでだろうね? と長年の疑問だったが小説家Sみたいなやつがたくさんいるからだろう。


 資料読みの次は、ひたすら考える。

 考えるというか、「面白くなってくれ」と祈る。神ではないなにかに(小説家を救ってくれる神は基本的にいない。神についてろくでもないことしか書かないので)。キャラは決まってるし水着でどう美味しい展開に持っていこうかとかそういう細かいところはぽつぽつ考えつくのだが、それだけでは書き始められない。もっと内圧が高まって噴き出すようなものがないと書けない。小説家Sはこの時期のことをひそかに「浣腸期」と呼んでいる。浣腸をした後でなるべく便意をこらえてこらえてこらえた方がすっきり排泄できる、というのに非常によく似た状況だからなのだが、こんな尾籠な話を公開してしまうと、切ない青春小説を売りにしている小説家Sとしては若い女性ファンが離れてしまうかもしれないので、心の中で呼ぶに留める。

 トイレに駆け込む――じゃなかった、原稿に実際に向かうための契機となるのは、だいたいクライマックスの展開を思いつくことだ。展開、というか、、を思いついたら、書き始められる。予想できる方向からのパンチは大してダメージを与えられない。見えない一撃こそが脳に届いてふらふらにさせてノックアウトできるわけだ。ただし「予想できない角度」だけでは駄目。ただ「予想できない角度からのパンチ」ならだれでもすぐ繰り出せる。全然関係ないことをいきなり書けばいいだけだ。読者に命中させなければいけない。ここまででまったく具体的なことを語っておらずオカルトじみていると読者は思っていることだろうが、実際ほぼオカルトで、どうやって考えついているのか自分でもわからない。いつか唐突にまったく考えつかなくなったらどうしよう、という恐怖と常に戦っている。

 でも毎回なんとか考えついているからSはこれまで飯を食えているわけだ。

 なお、浣腸期はひたすら考えるだけの時期なので特に逃避しやすく、積みゲームを何本か崩したり読みかけだったミステリを全部読み切ってしまったりドカ食いで体重が8kg増えたりする。しかしこれもインプット。大事。


 さて、クライマックスを考えついたらいよいよ執筆に入れるわけだ。

 しかしなぜかSはここで数日間止まる。フォルダを作ってまっさらな.jtdファイルを新規作成して[ENTER] [SPACE] [1] [ENTER] [ENTER] [SPACE]と最初の章のナンバーを入れて一行目の字下げまでやったところで止まる。この状態のファイルをデスクトップに開きっぱなしにしたままのPCがぽつりとデスクの上に取り残されている――というのは小説家Sのオフィスでよく見られる光景だ。原稿を放置して、なにをするでもない。コーヒーを淹れたり(Sはコーヒーが大好きだ。淹れている間は原稿から離れる口実になるから)、届いてもいない荷物を確認しに宅配ボックスを見にいったり、コンビニで「シュークリームはほとんど空気だから肥らないのでは」とつぶやきながら2個買ったり。

 べつに書くためのなにかを考えているわけではない。Sはプロットを一切作らない。昔とあるブログでえらそうに小説の書き方について解説し、プロットについても骨だとかテーマだとか三幕構成だとかあれこれ語ったが、実際には自分でそんなことは一切やらない。めんどくさいので。なんかこう大体のあたりをつけてぴゃーっと書いて、後々伏線が必要そうになったら遡って書き加える。それだけ。だから書き始める前に数日間も止まる理由などない。

 単純に、書きたくないのだ。たいへんだから。

 書かなきゃ書き上がらない。それは重々承知しているが、たいへんなのがわかっているから書き出せないのだ。この状態を「書くための身体になっていない」とSは呼んでいる。どうしたら書くための身体になるのかというと、書くしかない。なんという矛盾。

 ちゃんとした小説家はこの無駄な数日間を経ずにさっさと書き出せるのだろう。Sもそうありたいと常々思っている。


 しかしいつかは覚悟を決めて机に向かう。

 Sがタイトルの次に重要視するのは書き出しだ。当たり前の話だが読者は必ずタイトルを見て、第一章の第一行目から順番に読んでいくのだから。

 書き出しでなにより大切なのは、スッと入ることだ。

 読者の興味を惹けるようなインパクトとか、物語の雰囲気がわかるようにとか、キャラや舞台がすんなり呑み込めるようにとか、最初の展開への自然な導入とか、なんか色々と言われているが割と全部どうでもよくて、スッと言葉の刃が読者の心に入って、痛みも感じさせないうちにきれいな切れ目を刻めることが大事。切れ目が入ったらもうそこから酢だろうが油だろうが毒だろうが蜜だろうが注ぎ込み放題だ。スッと入るかどうかがすべて。

 シーンの変わり目とかもなるべくスッと刃を入れることを目指す。でもとにかく書き出しで切れ目を入れておけば後がやりやすい。古傷は何度でも開く。文章についての話は書き出す前の話よりもさらにオカルトですね。でもしょうがない。自分でもよくわかっていない。


 で、あとは最後まで書くだけ。過程を大幅にはしょっているように見えるかもしれないが、ほんとうに「ただ書くだけ」としか書けない。途中で起きるめぼしいことといったら、担当編集からのメールに胃袋がまくれ返るような申し訳なさをおぼえつつも書けているところまでのファイルを添付して返信することくらいだ。

 ここだけは具体的で役に立つ内容を書くが、


(1)編集者からのメールにはなるべくすぐに返信すること。「あと二、三日返事を引っぱって、ましな進捗を報告できるところまで書き進めてから返そう」などという無駄なことは絶対に考えない。

(2)進捗状況と脱稿予想に嘘をつかない。その嘘はだれも幸せにしない。

(3)編集者からのメールを受け取ったときにちょうど原稿をやらずに遊んでいたとしても格別の申し訳なさを感じてはいけない。書き上がっていない以上は申し訳ないことに変わりはない。


 最後まで書き上がったらそのまま.txtに落として編集に送る。

 ほんとうは最初からざっと読み直して誤字脱字修正や推敲をしてからの方が絶対にいいのだけれど、ここ最近のSはそんな時間的余裕のある状態で脱稿を迎えられた試しがないので、そのまま送る。編集からの返事待ちの期間中に手直しをする。当然、自分でもすぐ気づくようなミスを編集に指摘してもらうという二度手間をかけさせてしまって申し訳ないのだが、やむを得ない。

 打ち合わせをして大雑把な改良点や提案を聞き、第二稿に取りかかる。改稿は晴れ晴れした心境でPCに向かうことができる。筆もさくさく進んで一週間くらいで終わることが多い。なにをどうすればいいのか最初からわかっているからだ。ゼロから1をひねり出すのがとにかくたいへんなのである。


 最近はだいたい第二稿でOKが出ることが多いので、もうルビや傍点の指定も入れてしまって送る。問題なさそうならこのまま入稿してください、と。

 なお、Sは著者校正で赤を入れて修正するのが大っ嫌いなので(手書きで修正なんてめんどくさいにもほどがある)、なるべく入稿段階で完成品になるようにする。ここまでさんざんオカルトなことばかり書いてきておいて随分な態度かもしれないが、Sは「紙に印刷したものを読むと新鮮な気持ちになって推敲しやすい」とか「実際の本の字組になると気持ちが切り替わって推敲しやすい」とかいうのは全部オカルトだと思っているので、執筆段階から実際の本の字組そのままのフォーマットで書くようにしているし、なるべくPCの画面上ですべての修正が終わるように心がけている。

(たまにノートPCを携帯して打ち合わせに行くと、「でかい!」と驚かれる。最低17インチないとページ見開きが一画面に収まらないのだ。だから最近はもう毎回ゲーミングPCを買っている。決してゲームのためではない。ほんとだってば)


       * * *


 実際に最初から最後まで書いてみたが自分でびびるぐらい内容のない文章になってしまった……。

 しかし小説家の仕事なんてだいたいこんなもんなのだ。

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