小説家は出版社の金で銀座のクラブを飲み歩けるの?
んなわけないだろ。いつの時代だ。
* * *
僕がこれまで出版社に奢ってもらった飲み食いの中でいちばん高いのは、台湾でのサイン会を別にすれば(あれはもう渡航宿泊費とかを考えたら桁がひとつちがいますからね)、赤坂の鮨屋だろう。当然、メニューがないので個々の値段はよくわからない。最後にお会計をするときにちらっと領収書をのぞき見て震え上がった。
鮨も美味かったが、とりわけ印象に残っているのは貴醸酒。仕込み過程で水を使うところに代わりに日本酒を使うという大変手間のかかった特別な日本酒で、はじめて呑んだのもあって感動的に美味かった。その後、たまに自分で買って呑んでいるが、とにかくお店になかなか置いておらず種類も少ない。
……酒の話ではなかった。出版社の金で飲み食いできるかどうかの話だ。
ライトノベルの編集部は、あまり作家を飲み食いに連れていかない傾向がある。
これはべつにケチだからとかではなく、いくつかの理由の複合によるものだ。
まずライトノベル作家は全体的に若く、中には20歳未満までいるので酒を嗜まない比率が高い。人と喋りたくなくて外に出かけたくないから小説家になったというタイプもよくいるので会食を喜ばないこともしばしばある。PCやネットに強い分、編集とのやりとりをオンラインですべて完結させることも多く、直接逢って話そうという空気が醸成されづらい。……といった理由が考えられる。なんだか、編集部がケチではないという擁護をしようとすると作家の方をdisることになってしまって心苦しいのだが、大きく外れてはいないはずだ。
しかし最大の要因は、作家と編集部の関係性ではないだろうか。
ライトノベル、特に古くからあるレーベルは、新人賞が非常に強く、活躍している作家のほとんどがお膝元の新人賞受賞作家だ。作家生活のスタート地点からその編集部と二人三脚でやってきているし、デビュー作からシリーズ化して何冊も刊行することが非常に多いので、「そこのレーベルで書く」ことが当たり前という意識が両者にある。
一般文芸にも新人賞はあるが、受賞作を出したところでずっと本を出し続けるというケースはまれで、あちこちから執筆依頼が舞い込む。つまり一般文芸では「編集部の方から頼んで書いてもらう」という関係が生まれやすい。
だから飯を奢るわけです。
とりあえず奢って、只より高いものはないぞと作家にプレッシャーを植え付けて、執筆依頼を断りづらくさせる。これが赤坂の鮨屋につながるわけです。
なお、小説家はわりとろくでなしが多いので、目ん玉が飛び出るような高い飯を奢られても平然と執筆依頼を躱し続ける強心臓の持ち主がけっこういるらしい。聞いた中でいちばんすごい例では書いてもいない原稿の原稿料を前借りしたという豪傑がいるとか。
(具体的な作家名まで教えていただき、もちろんここでは明かせないのだが、名前を聞けば「ああ、たしかにその人ならやりそうだし、編集部としても払ってしまいそうだな……」と納得するビッグネームであった。しかも十数年後にほんとうに寄稿したという。書いたのかよ。豪傑にもほどがある)
杉井はそんな不義理はせず、美味しいご飯を奢っていただきましたら高いの安いのにかかわらずちゃんと執筆いたしますので出版関係各位におかれましては安心して何度でも奢っていただければと存じます。
* * *
ここまでは「飯」の話だが、章題となっている「銀座のクラブ」となると実際の経験もなければ他人の経験談を聞いたこともなく、おそらく僕とまったくかかわりのない文化圏の話ではないかと思う。出版業界のまわりに衛星のようにくっついている各種派生業界でも、「ライトノベル」と「文壇」の間にはやはり数十光年もの隔たりがある。
しかし業界は広いもので、このふたつを跳び越えて人間関係をつなぐ巨人も現れたりする。大沢在昌である。
僕は直接お逢いしたことがないので以下すべて伝聞だが、大沢先生は面倒見の良さの塊みたいな人で、顔も広く、ライトノベル界隈の作家もたまに飲みに誘ってくれていたのだという。だから「出版社の金で銀座のクラブで飲んだ」経験談は聞いたことがないけれど「大沢在昌の金で六本木のクラブで飲んだ」話は何度か聞いた。
大沢先生はその持ち前の後進思いの精神で、「君たちが売れたら同じように後輩たちをクラブに連れていってやりなさい」ということで奢ってくれたわけだが、残念なことにこの話を聞かせてくれた諸先輩の中に僕を六本木のクラブに連れていってくれた人はいない。みんな売れてる人なのに。
……まあ、行きたいかというとべつに、同じ奢りなら美味い飯の方が、と思ってしまうけれど(だから連れていかないのだ)。
一般文芸の方でも、僕以下の世代ではクラブで飲むなんて文化はほとんど聞かない。先輩に連れていってもらった店で夜の街の遊びをおぼえて今度は自分がビッグになったときに後輩を連れていき――という文化継承のサイクルはおそらく途絶したのだろう。その連鎖の最後に侘しく立つ大沢在昌先生を、僕はひそかに「最後の文豪」と呼んでいる。
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