企画を通さなきゃ本が出ないんじゃないの?

 ところで、ここまでで「小説は書けば書くだけすぐ金になる」と何度も書いているのを読んで、違和感をおぼえた人もいるかもしれない。そんなあなたは同業者かもしれない。


 書く前に編集者に企画を通さなきゃいけないんじゃないの?

 企画が通らなくてみんな本がなかなか出せないんじゃないの?


 小説を書く前に編集に企画書を提出。OKをもらったら書ける。実際に色んな小説家が言ってますね。たしかにそのやり方をしている人は多いが、実は

 理由を詳しく説明する前に、「著者の企画書なしに出版された小説の実例」を挙げておこう。べつに少数の特例ではないどころか数え切れないくらいあるので具体的な作品名を並べていたらきりがないほどだ。そう、「新人賞受賞作」である。

 新人賞受賞作を出版するにあたって企画書を書いた、という小説家はちょっと聞いたことがない(広い世の中だから一人もいないとは言い切れないが)。もちろん僕も書いていない。でも多くの新人賞の応募要項には受賞作の出版は確約、と書かれている。

 なぜ受賞作には企画書が要らないのでしょう?

 それは、作品のクォリティがすでに下読みと編集者と審査委員によって何重にも精査されて強力に担保されており、出版社が宣伝費を投じて受賞作だと大々的にお披露目するという売り方までもが決定済みだからだ。


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 そもそも企画書というものがなんのために存在するのか、小説以外にまで視野を広げて考えてみよう。

 なにか作品を制作する場合、実際に大量のリソースを投じて制作に入ってしまった後で「やっぱり予算内で作るのは無理でした」「この納期で間に合うわけがありません」「作ってみてわかったけど品質が低すぎて売り物になりません」なんて事態になったら大損害である。そうならないように、実作に入る前に、大丈夫かどうか制作陣で吟味するためのものが企画書だ。

 だから企画が通る=制作に入る=完成したら世に出す、である。映画なんかの特に大きいプロジェクトなら企画が通ったところで各種契約が結ばれる。金の動きがすでにそこで発生するからだ。


 小説はどうだろう?

 小説の場合、稿ことがある。どれくらいの頻度で発生する悲劇なのかはわからないが、原稿を修正するように言われて何度も何度も書き直してついに編集者のOKが出ずに作者の方があきらめた、みたいなケースも含めれば、少なくないはずだ。

 けっきょく企画書がどれだけ見栄えが良くても、完成原稿でもう一度ジャッジされるのである。編集長のチェックがここで入る編集部もあるし、出版会議だって完成原稿を前にしてまたやるのだ。このすべてを通過するまで、小説は依然として「出版未定」なのである。

 この「企画通過後ボツ」を問題視している人もまれにいるが、問題だと思うなら企画段階で出版契約を結ぶように提案すればいいだけの話だ。しかしおそらくその提案を呑む文芸編集部は存在しないだろう。

 なぜかといえば、小説の原稿は完全に著者単独で作るものだからだ。考えてもみてほしい。編集者が企画書にOKを出さなくたって、作者は小説を書き始めることができるし、最後まで書き切ることができるでしょう? 出版社側からのどんな出資も執筆段階では必要ないのだから。

 つまり書き上がる前は出版社は「制作陣」に含まれていないのである。「良い物ができなくて出版がポシャっても損害を被らない」&「良い物を作るためになにかしたくてもできない」という状況だ。言うなれば著者と同じ舟にまだ乗っていない。一緒に漕ぐことができない代わりに舟が立ち往生しても特に困らない。これで出版の約束なんてするわけがない。

 となれば、小説の企画書というものはビジネス的な視点からするとと考えた方がわかりやすい。


 じゃあ、あれってなんなのか。

 小説の企画書というのは「著者と編集者がお互いに安心するためのもの」なのです。

 著者は、何十日もかけて書いた原稿が金にならなかったらどうしよう、という不安を抱えたまま書きたくない。書く前に大まかな内容を編集者に見せ、できればアドバイスなどももらって、これならいけますよと背中を押してもらいたい。編集者も、いくら制作にリソースを投じていないとはいっても書き上げてもらった原稿に面白くないから出版できませんとはなるべく言いたくない。面白い原稿が来た方がお互いに幸せになれるにきまっている。書く前に大まかな内容を見せてもらって、できれば明らかに駄目だとわかるポイントは潰しておきたいし、もうどう考えても無理だろうというものなら執筆を思いとどまらせたい。……という両者の願いの交錯点が小説の企画書なのだ。

(「安心のためのもの」、ぶっちゃけていえば「気休め」なので、ビジネス面での実効力はない)

 だから、不安を抱えるタイプの小説家であれば大いに役立つだろうし、構想段階で意見をもらいたいタイプの小説家であれば執筆面での助けにもなるだろう。だが、出版のために必須ではないのだ。

 僕はというとどちらにもあてはまらないので、企画書を送って読んでもらって返事を待つという時間がお互いにもったいないと考えて、特になにも言わずに原稿を書く。人それぞれ、さらに言えば作品それぞれだろう。


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 じゃあ杉井は企画書を一切書かないのか、というとそんなことはなく、いっぱい書いております。

 いちばんよく書くのは「原稿が書き上がってから出版会議に出すための企画書」。最近は編集者に「書いてくれ」と必ず言われるので書く。会議を見たわけではないのでどう活用されるのかは知らないけれど、作品の内容をコンパクトに把握できるサマリーは無いよりあった方が絶対にいいだろうと理解できるので、しっかり書く。新潮文庫nexから出した2冊は、いずれもふと思いついてばーっと書き上げ、初稿完成の段階ではじめてストレートエッジ(出版エージェント会社)の編集に読んでもらい、その後企画書を添えてあらためて新潮社に提出してもらった、という流れだ。というか1冊目(『この恋が壊れるまで夏が終わらない』)はそもそもどこで出版するかのあてもない状態で原稿を書いている。いっそメフィスト賞に送ってやろうと思いついてサイトを確認して「デビュー済みの方NG」になっているのを読んで絶望したりしている。昔はプロもOKだったよね? ちがったっけ?

 あとは編集者に執筆前の企画書を頼まれることもある。編集者には安心してもらいたいのでちゃんと書く。そして僕は企画書だけじゃ小説の面白さなんて絶対わからんだろうと考えているので冒頭の何十ページかを添付することが多い。実に人それぞれ、作品それぞれ。


 ビジネス的な意味合いがちゃんとある企画書を書くこともたまにある。雑誌掲載のときだ。これは「やっぱり駄目でした」となったときに著者側が時間を損しただけ、では済まず、誌面に穴があくので、これならおおむね掲載可能なものがあがってくるだろうと編集者に安心してもらって掲載を取り付けるために必要なのである。


 以上、色々書いたが、とにかく世間でよく言われる「書き下ろし小説は書く前に必ず編集者に企画を通さなければいけない」は間違いなので、ここで正しておきたい。


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 しかし、他の場所ならともかく、このエッセイを読んでいる人にとっては「書く前の企画書は必須ではない」なんてあらためて説くまでもなかったかもしれない。なんせ目の前に実例がいくらでも並んでいる。そう、カクヨムの書籍化作品である。間違いなく原稿が先にあって、その後で企画書が作成されているはずだ。

 であれば、(出版に値する原稿を)書けば書くだけすぐ金になる、もまた実例がたくさん目につくので納得していただけると思う。書く人は書きまくってるもんな。すごいよほんと。

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