第2章

01 機会を作って

 穏やかな風が心地よい。

 朝の内は身の縮む寒さだったが、日が出てくればそれは過ごしやすい一日だった。

 鮮やかな緑色の地に茶の刺繍がなされた騎士団旗はふうわりと風にたなびき、若者たちをそっと応援しているかに見えた。

「――そこまで!」

 青年は凛と声を張り上げた。

「集団訓練は、ここまでとする。あとは各自、修練を怠らないように」

「有難うございました!」

 広場に集まった初心者剣士たちは、一斉に礼をした。それは何だか、こそばゆい感じのするものだ。明るい茶の髪をかき上げて、青年はそんなふうに思った。

 クインダン・ヘズオートはまだ二十代の半ばになるならず。本来であればまだまだ、教えを請う立場だ。

 だがいま、彼は〈シリンディンの騎士〉の筆頭だった。団長アンエスカは王の補佐に忙しく、レヴシー・トリッケンは彼よりも若い十代。ルー=フィンはクインダンよりも剣に秀でているが、反逆者ヨアフォードの隣にいたことを誰もが許した訳ではない。

 〈シリンディンの騎士〉の名代を務めることができるのは、クインダンしかいなかった。

 彼ら〈シリンディン騎士団〉は、騎士「団」とは名ばかり、つい先日までわずか三名しかいなかった。長かった平和の時代が、かつて子供たちの憧れであった騎士団を「名誉ばかりの古臭いもの」にしてしまったからだ。

 国と王家を守る彼らの仕事は、他国で言うところの近衛兵、軍兵、町憲兵をみな混ぜたようなものだ。余所と違うのは無意味な反感を抱かれないところであり、それどころか人々はみな彼らに尊敬の念を抱いていたが、自分が騎士になりたいとか、子供を騎士にしたいとか、そういうことを考える者は滅多にいなくなっていた。

 だが〈怪我が招く善事〉とでも言うところか、ヨアフォードが企んだシリンドルの転覆から王子と国を守り通したのが彼ら騎士団と〈白鷲〉だったというので、〈シリンディンの騎士〉への強い憧れは、かつてのように人々の心に宿るようになった。

 「シリンディンの騎士になりたい」、それは再び子供たちの夢となり、厳しい審査に挑戦する若者もぐんと増えた。

 だがしかし。

 生憎なことに。

 例の事件のあと最初に行われた試験で、その基準を通過することのできた者は、ルー=フィン・シリンドラスしかいなかった。

 クインダンは、高すぎる基準が若者たちのやる気を削ぐことを案じ、少しばかり目をつむって熱意ある候補生を通過させてはどうかとアンエスカに提言したが、団長は断じて認めなかった。

 アンエスカの主張も判る。そのような手加減で生まれる騎士など、真なるシリンディンの騎士ではない。

 だが、不安でもあった。

 自分やレヴシーが、最後の騎士になってしまったら。

 そんな思いも湧いた。

(……そのようなことも、ないだろう)

 彼は自分の危惧を打ち消した。

(必ず、新たな騎士が生まれるとも。いまはただ)

(いまはただ少しだけ、狭間の時期だというだけだ)

 青年騎士はそう信じた。

 〈峠〉の神を崇め、国を守り、王家に仕える、シリンドルの精鋭。誇りと名誉を重んじ、驕らず、研鑽を欠かさず。

 シリンドルにシリンディンの騎士ありと、たとえばハルディールが他国の王の前で何の気後れもなく言うことのできる日が、必ず。

 その祈りが伝わったのか否か、つい先日の試験で、新たな騎士がひとり誕生した。

 本来、試験は年に一度だが、アンエスカもこれには例外を許した。

 と言うのも、試験の日程は予定よりも繰り上げられていたからだ。余所の街で修行をしていた騎士候補生にそれは伝わらず、彼は何も――試験のことも、反逆のことも――知らぬままでいた。

 だが実力も熱意も充分であり、団長は再度試験を行って、彼を新たな騎士として認めた。

 現在、〈シリンディンの騎士〉は五名である。

 かつてには及ぶべくもないが、小集団としての体裁くらいは整いそうであった。

「なあ、クイン」

 親しげにかけられた声に、クインダンは振り向いた。彼を「クイン」と呼ぶのは、年下の少年騎士レヴシーだけだ。

「アルドは、どうだ?」

 先輩騎士は指導の進捗状況を尋ねた。

「ん? ああ、だいぶ上達した。アルドもだけど、エリダもね」

 少年は若者たちの名前を挙げた。

「俺自身、教わることも多いよ。人にものを教えることで自分が上達する、なんてこともあるんだな」

「そうだな」

 クインダンは同意した。

 彼らはふたりとも、まだ成長途上だ。彼ら自身、痛いほどにそれを自覚している。

 アンエスカが時折見てくれるが、彼は負傷による後遺症を抱え、以前ほどには剣を振るえない。レヴシーがアンエスカから一本取ることもあるくらいだ。

 もっともクインダンは、アンエスカが彼らに自信をつけさせるためにわざと負けているのではないかと思うこともある。実際のところは、騎士団長の胸のなかだが。

「ところでさ」

 レヴシーはちらりと、広場の一角を見た。

「あいつの、ことなんだけど」

 少年の視線の先を追えば、そこには銀髪の騎士がいた。

「彼がどうかしたのか?」

「あいつ……」

 少し躊躇って、レヴシーは続けた。

「前より、刺々しい感じが、しないか?」

「前、とは?」

「だから、あのあとさ。反乱が収まって……ハルディール様があいつのことを許したあと」

 少年騎士はそっと続けた。

「あのあとは、俺たちもあいつも、まだぎこちなくて。でも何て言うか、あいつ、どうしていいか判らないって感じだったろ? 言うなればさ、『仲間に入れて』って言いたいのに巧く言えない、消極的な子供みたいな」

 その言い方に青年騎士は苦笑した。正直、言い得て妙であったので、叱責はできなかった。

「だけどさ。ヨアティアを追う旅から戻ってきたあとは、前より……何て言うか、冷たい壁を作ってるみたいに感じるんだ」

 彼らがこんなふうに話していたのは、ルー=フィン・シリンドラスが彼の故郷に帰ってきてからひと月近くが経った頃、まだオーディス兄妹がシリンドルを訪れる前のことだった。

 帰国した銀髪の剣士はヨアティア・シリンドレンの死を告げ、もはや憂いはないと語った。何でもその話によれば、彼はヨアティアが北方の町の領主に取り入り、過ごしていたところを見つけたということだった。

 ルー=フィンはその領主に、「客人」がシリンドルの罪人であることを告げ、引き渡しを申し入れた。だが領主が決断を下す前にヨアティアは察知して逃げ出そうとし、領主の護衛に斬り殺された。

 その領主は、客人が他国のとは言え罪人であったということを表沙汰にしたがらず、首級を上げることなどはできなかった――と、そのような話であった。

 もし疑うのであれば、それはあまりにも疑わしい話だった。

 ヨアティアが死んだという証拠は何ひとつない。護衛が斬り殺したというのも、いささか不自然だ。

 だがハルディールは、ルー=フィンを信頼した。

 嘘をつくのであれば「自分が成敗した」と言いそうなものだ、というような判断もあったが、そうしたことよりも、ただ信頼した。

 それから王は改めて〈シリンディンの騎士〉になる気はないかと剣士に問い、彼は少しのの後に、神と王家のためにと言って少年王の前に膝を着いた。

「……拒否していた騎士を拝命したことが、彼を以前よりも厳格にしているんじゃないか」

 クインダンはそのときの光景を思い出しながら言った。

「ヨアフォード・シリンドレンは罪人だが、彼には恩人だった。恩人の息子の死を報告したということにも、何か思うところがあるのかもしれない」

「でも、あいつ自身が、退治に行くって決めたのに?」

「確かにな。彼なりに気持ちの整理をつける意味もあったんだろう。だがやはり複雑なところもあるんじゃないのか」

 青年騎士は新騎士の心を慮った。

 レヴシーの言う通り、戻ってきてからのルー=フィンは、以前よりも遠い感じがする。だがそれは、完璧な騎士たろうと気を張っているためのようにも見えた。

「機会を作って、話をしよう」

 クインダンは言った。

「制服を脱いでふたりだけで話をすれば、思い詰めすぎているところを解消できるかもしれない」

「ええ?」

 レヴシーは顔をしかめた。

「疑わしい、とでも?」

 少年騎士は、彼らの先輩騎士であったニーヴィスを殺したルー=フィンにわだかまりを捨てきれないところがある。もっとも、本当のところを言うならば、それはクインダンも同様だ。彼はそれを理性で抑えてはおり、レヴシーもそんなに言い立てる訳ではないが、より若いだけあってたまに本音が出る。

「……ふたり? 俺は?」

 だが少年は「あいつが打ち解けたりするもんか」などと言うのではなく、不満そうにそう言った。クインダンは少し笑った。

「お前は、今度な」

「何だよ、それ」

 子供扱いされたと思ったのであろう、少年はますます不満そうにした。

「誤解するなよ」

 青年は首を振る。

「俺とお前と彼が顔を合わせたら、どうしたって二対一という感じがするだろう? それじゃ肩の力なんか抜けないさ」

「ああ、そういうことか。まあ、それなら、判るけど」

 渋々とレヴシーは納得した。

「それじゃ任せたぞ、クイン」

「ああ」

 判ったと彼はうなずいた。

 そんなふたりのやり取りを何も知らぬように、ルー=フィンは独り、剣を振るっていた。

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