02 好いているからこそ
神官はにこにこと、実に満足そうに微笑んでいた。
「ボウリス神殿長のお話は、たいそうためになりました。〈峠〉の神のお話は、私がこれまで調べてきたどんな土地神のものより充実した結果を導き出せそうです」
「それは、何よりです」
ハルディールもまた、笑みを返した。
「ちなみに、これまではどのような神々のお話を?」
「そうですね。有名なところですと、森林神キッサーでしょうか。〈渡る神〉と言われ、伝承はあちこちにあります。もっとも山神ルトレイスも渡る神ですね、〈峠〉の神とは親戚とされる」
「ええ。姉のエルレールは〈峠〉の神の巫女であり、同時にルトレイスの巫女でもあります」
巫女の座には、王家の姫が就くことが決まりだ。世代によっては存在しないこともあり、王の娘が複数いればたいていは長女が巫女となる。
ハルディールの父親には姉妹がなく、祖父にもなかった。エルレールは久しぶりの巫女姫であった。
もっとも巫女の役割はあまり大きくない。巫女だからと言って神秘的な力が宿るでもなければ、儀式のほとんどは神殿長が執り行うからだ。
ただ稀に、彼女らには神の声が聞こえることがあると言う。
記録にあるのは、天空の神の気まぐれが引き起こす災害の予知だ。かつての巫女姫ウーリールは、季節外れの大嵐の到来を神から告げられ、被害を最小限に抑えたとされている。
だがそれも伝説に近く、巫女姫の存在意義は主に「信者のお手本」であることが多い。
麓の神殿ができて以来は「信者の代表」とも言えた。日常の忙しさに紛れて滞りがちな祈りを彼らに代わって捧げ、〈峠〉の神殿に足しげく通う。〈穢れ〉の期には禊ぎをし、神殿の一室にこもって神の祝福を願う。そうしたことが巫女姫の任だ。
「その辺りのお話も伺いました。通常、自然神の神殿や神官は存在しないものですが、巫女と呼ばれる者はたまに現れます。こちらでもルトレイスを崇めているというのとは違いますね。あくまでも信仰対象は〈峠〉の神であり、しかし巫女はルトレイスの巫女でもあると言う」
興味深いです、などと神官は言った。ハルディールにとっては「そうしたもの」であるので、いまひとつよく判らなかった。
「ルトレイスは静かなる神ですが、〈峠〉の神は〈白鷲〉を送るなど、なかなか活動的ですね」
「はあ」
少年王は曖昧な返事をした。
「……何かおかしなことを申しましたでしょうか?」
ラシャは心配そうな顔をした。
「いえ、われわれには当然のことなのです。シリンドルの危機に、神が〈白鷲〉を送るというのは」
神が「活動的」などとは考えたことがなかった、とシリンドル国王は笑った。
「〈白鷲〉……ヴォース・タイオス殿と仰いましたか。是非、お会いしてみたいものだ」
「会うことがあれば、落胆なさるだろう」
と、口を挟んだのはアンエスカであった。
「彼はただの戦士です。四十を越した。引退間近の」
「アンエスカ」
ハルディールは咎めるように言ったが、顔は笑っていた。
「お前はどうしても、タイオスが〈白鷲〉であることが気に入らないんだね」
「仕事を果たしたことは認めます。ですが、神はとっととあれから護符を取り返すべきだ」
「アンエスカ」
ハルディールはまた呼んで、笑いをこらえ切れぬようにした。
「ラシャ殿、彼はこんなふうに言いますが、本当はタイオスをとても信頼しているんですよ」
「それは大いなる誤解です、陛下」
苦虫を噛み潰したような顔で、アンエスカは抗議した。
「あの騒ぎの間は、職業戦士の判断を信頼しました。ですがそのことと、彼の人間性を信頼することは別です」
「判った、判った。そういうことにしておくさ」
手を振ってハルディールは言った。
「タイオスには、私も常々、また会いたいと思っています。ですが彼は、危機のないシリンドルに〈白鷲〉は必要ないと考えるようで、一切音沙汰がありません」
そう、ハルディールのもとには届いていなかった。一通の書状も。
「なかなか潔い人物なのですね」
ラシャは評した。
「一国の王陛下にそこまで称揚されながら……」
「何のことはない。ぼろが出るのを怖れているだけだ」
やはりアンエスカはタイオスを腐した。
「アンエスカ。お前は本当にタイオスのことを好いているんだねえ」
少年王は感慨深げにそう言った。
「何故、そうなるんですか」
騎士団長はもっともな台詞を返した。
「思い出せば気分さえ悪くなりそうですのに」
「好いているからこそ、厳しいことを言うんだろう」
にっこりと王は言った。
「陛下……」
「だってそうだろう? もちろんだ。シリンディン騎士団長が、選ばれし神の騎士のこと客人の前で貶めたりするはずがない」
「う」
アンエスカは詰まった。これはどうにも、ハルディールの勝ちであった。
「……無論です」
仕方なく、騎士団長は咳払いなどして認めた。
「彼はしがない中年戦士ですが、〈白鷲〉に相違ありません」
一言つけ加えることは忘れなかったものの、壮年の騎士は譲歩した。
もっとも、ハルディールは何も「客人の前なのだから建前を話せ」と命じた訳ではない。アンエスカが本当にタイオスを信頼していること、少年王はよく知っていた。
「平時に〈白鷲〉は必要ない」。そう言ったのはほかでもない、シャーリス・アンエスカだ。彼はタイオスが〈白鷲〉として去ることを認めているのである。
ただ、どうにも相性というものが悪いらしく、文句を言わずにいられないだけだ。
「〈白鷲〉の護符というものがあると伺いましたが、それはタイオス殿がお持ちなのですね」
「ええ。ですが護符はふたつ存在します。〈白鷲〉にひとつ、シリンドルにひとつ」
「それは、変わっていますね」
神官は驚いたように言い、少年王も驚いた。
「変わっていますか?」
「そうしたものは通常、しるしですから。ひとつで充分だ。ふたつは存在しません」
「騙りを防ぐため、とも言われていますが」
「成程。長い時間を置いて護符が戻ってきたとき、自称〈白鷲〉が本物かどうか見極めるという辺りですか」
「ええ」
「ですが、それも変わっています」
ラシャは首をかしげた。
「〈白鷲〉は一代限りなのでしょう? 子供に称号や資格が受け継がれる訳ではない。当人がやってきて誰も判らない状況というのは起こりにくいのでは……」
「確かに、あまり意味のない確認とも思えます。もとより」
少年王は苦笑した。
「このような小国の英雄を騙るために、わざわざ護符を作る利点があるとも思えませんし」
自嘲や皮肉と言うよりはちょっとした冗談のつもりであったハルディールだが、ラシャとしてはそうですねとも言えるはずがなく、困ったように笑みを浮かべた。
「偽物を駆逐するためというのは、後世で考えられた理由に過ぎません」
アンエスカが言った。神官はもとより、王も騎士団長の言葉の続きを聞こうと彼を見た。
「私は、護符と護符は呼び合うのではないかと思っています」
「護符が?」
「ええ。遠く距離を隔てた神の騎士にもしも再び役目が生じれば。シリンドルの護符は〈白鷲〉の持つそれを……呼ぶのです」
「アンエスカ」
彼の考えに、王はにっこりと笑んだ。ラシャは、〈白鷲〉に神秘など見ていなさそうなことばかり連発していたアンエスカの言葉であることに驚いたらしく、目を丸くしていた。
それに気づいて騎士団長も笑みを浮かべた。
「私も、シリンドルの人間なのですよ、ラシャ殿」
〈峠〉の神を信じる者だとアンエスカは言った。
「しかし、だからこそ、国の平穏は保たれなければなりません。〈白鷲〉は神の騎士ですが、『何かあっても神の定めた英雄が助けてくれる』では情けない」
ましてや、と騎士団長は続けた。
「あの男がその役割にある間は、厳重に」
またタイオスを〈白鷲〉と呼ばなければならない羽目に陥るなどご免だ、とアンエスカはやはり言うのだった。
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