10 同年代の少女
明るさを抑えた緑地と茶の制服姿が、戻った少年王を出迎えた。
「お帰りなさいませ、陛下」
「アンエスカ」
ハルディールは騎士団長に向かって軽く片手を上げた。
「僕を待っていたのか。何かあったのか?」
「いえ」
シャーリス・アンエスカ。濃い茶色の髪に鳶色の瞳を持つ、四十代半ばほどの男だ。〈シリンディン騎士団〉の長である彼は、彼の王の言葉を聞くと、眼鏡を片手に首を振った。
「お戻りになったらお知らせするよう、エルレール様から言いつかっておりましたので」
「エルレールが? 何だろう」
「お話しして参ります」
「いや、いいよ。僕が行こう。姉上はどちらに?」
〈峠〉の神の巫女となったエルレールは、一日の大半を神殿で過ごすようになっている。だが彼が先ほどラシャを送った神殿にはいなかった。
「庭園の見える客間にいらっしゃいます」
「判った」
うなずくとハルディールは踵を返した。
上がってきたばかりの階段を下りて部屋に向かえば、すれ違う使用人たちが王ににこやかに挨拶をする。大国であれば平伏が義務づけられているようなこともあろう。だがここシリンドルにおける王と使用人の距離は、大きな街の大商人と雇われ人よりも近い。
ハルディールもそれら全てに――と言っても、やはり小国であるから、人数はそんなにいなかった――挨拶を返し、目的の部屋にたどり着くと扉を叩いた。
「姉上? 僕です、戻りました」
かちゃりと彼は扉を開いた。
「僕に何か……」
そこで少年は、ぴたりと動きをとめた。
「あら、お帰りなさいハルディ……陛下」
王姉エルレール・シアル・シリンドルは親しげに弟の名を呼びかけ、はたとなって敬称に言い換えた。
ふたりきりのときや、アンエスカやクインダン、レヴシーといった苦難を共にした騎士たちだけが近くにいるようなときは、彼女は以前のように弟を呼んだが、人前では公私をきちんと分けた。
つまり、その部屋には、エルレール以外の人物がいた。
「お帰りなさいまし、ハルディール王陛下」
「あ、ああ。いらしたのですか」
こほんと咳払いをして、少年王は取り繕った。
「フィレリア殿」
巫女姫の向かいで王を迎えるべく立ち上がったのは、年の頃十五になるならず、ハルディールと同年代の少女であった。かすかにきらめく茶金髪はゆるやかに波立ち、肩より長いところまで下りている。はっきりとした瞳は少し細められ、嬉しそうにハルディールを見ていた。
「フィレリアが、陛下とお話しをしたいと言うので、お呼びしたのよ」
「エ、エルレール様、わ、私はそのような」
「言ったじゃないの」
エルレールは笑った。
「もうお判りでしょうけれど、この国は、カル・ディアルのような忙しないところではないわ。陛下のお仕事が一分一秒刻みで定められているということはないの。半刻ほど、他国からのお客様とのお茶を楽しむくらい問題ないわ。そうでしょう、陛下?」
「あ、ああ」
ハルディールはうなずいた。
「問題は、何もありません」
「お座りになって、陛下。そうだわ、陛下のお茶も運ばせなくては」
エルレールは両手を軽く打ち合わせた。
「行ってくるわね」
「ちょ、ちょっと、姉上!」
いくら使用人の数が大国より少ないと言っても、せいぜい、ちょっと扉を開けて誰かを呼べばいいだけのことだ。しかしエルレールはそうせず、さっさと部屋の外へと出て行ってしまった。
あとにはハルディールとフィレリアだけが残される。
しばし、沈黙が降りた。
「……あの」
それを破ったのはフィレリアの方だった。
「ご迷惑、でしたでしょうか?」
「とんでもない」
ハルディールは手を振った。
「エルレールの言う通りです。半刻程度でしたら、何も」
「よかった」
少女はほっとした顔を見せた。
「私、心細くて。陛下やエルレール様がお優しいので、ついつい甘えてしまっていますけれど、図々しいと思われていないかと……」
「とんでもない」
少年は繰り返した。
「あなたは、たいへんな目に遭って、逃げてこられた。そうしたことは、私やエルレールにも経験のあることです。迎えの方がおいでになるまで、どうぞシリンドルを故郷と思ってお過ごしください」
「ああ、何てお優しい陛下」
フィレリアは祈りのような仕草をした。
「それにしても、あのときは驚いた」
ハルディールはひと月弱前のことを思い出しながら言った。
「ルー=フィンが突然、あなた方を連れてきたときです」
「騎士様には、とても親切にしていただきました」
笑みを浮かべて少女は言った。
「国境付近で私と兄が途方に暮れていますところを……助けてくださって」
「兄上殿にはその後、お会いしていませんが」
彼は心配そうに首をかしげた。
「お変わりありませんか」
「ええ。彼はあまり、人と会うことを好まないのです。何しろ」
フィレリアは息を吐いた。
「あの仮面……ですから」
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