02 寂しいような

 吐く息が白い。

 彼は寒さには強い方だが、冬は好きではなかった。

 単純に、身が縮まって動きが鈍くなる。剣を握る手がかじかむ。戦士キエスにとって致命的だ。

 戦士同士のやり取りであれば、条件は相手も同じである。だが街道には獣も魔物もいる。それに、もし仮に魔術師リートが相手であれば。

(……嫌なことを考えちまった)

 四十を越した中年戦士は、厄除けの印を切った。隣で少し年下の女が笑う。

「どうしたの、ヴォース」

「いいや、ちょっとね」

 まじないだ、とヴォース・タイオスは肩をすくめた。

「ティエ、寒くないか」

 白髪混じりの黒髪をざっとかき上げて、彼は相手を気遣った。

「これくらい、平気よ」

 小柄な踊り子はにっこりと言ってのけたが、顔色はあまりよくなかった。ふむ、とタイオスは考える。

「もうひと頑張りして、宿場町まで行くとしよう。深夜近くまでかかるかもしれんが、今日は冷え込む。屋根のあるところの方がよさそうだ」

「判ったわ」

 旅慣れた戦士の決定に、彼女は素直にうなずいた。

「ごめんね」

「何だって?」

「ヴォースひとりなら、とっくに宿場町までついてるでしょう」

「かもな。だが、俺がひとりでここを旅する理由はない。お前さんの護衛についてきてるんだから、謝る必要なんかない」

「じゃあ『有難う』」

 ティエは言い換えた。

「助かってるわ、とっても。私は、こんなふうに歩いて旅をしたことなんかないんだもの」

「一座じゃ馬車に乗ってたもんなあ」

「揺られて気持ち悪い、なんてわがままも言ってたけど、いまにして思えば楽な旅だったわねえ」

 かつて芸人一座に籍を置いていた若き踊り子は、一座の解散に伴って旅暮らしをやめ、長いこと娼館で働いてきた。〈紅鈴館〉は芸事も見せる娼館だったから、彼女は春女として身を売るばかりでなく、踊りの技も維持し続けてきた。年を取った最近は、春女として店に出るより若い娘たちの指導をするようになっていた。

 そこを見込まれ、旅の劇団ホルッセに誘われたのだ。

 迷いもあったと言うが、タイオスと話したことで心を決めたのか、ティエはコミンの町を出て再び旅の暮らしをすると言った。そしてタイオスは、彼女を一座のもとまで送り届けることにした。

 それはもう、ひと月以上前のことだ。

 ホルッセ劇団はカル・ディアル国を東へ旅し、アル・フェイル国へ向かったと言う。タイオスにとって、個人的に好ましからぬ人物のいる国だが、首都を避ければ問題はない。

 もっとも、向こうはタイオスを見ているかもしれない。

 ただ、暇人ではないはずだから、年がら年中見張っているということもないだろう。

 だいたい、「嫌いな奴がいるから行かない」などと子供じみた発言をする気もなかった。ティエを劇団まで送ると決めたのは自分なのだ。

 国境を越え、目的の町への到着も見えてきた。

 普通の護衛仕事ならば、もうすぐ終わるとほっとする気持ちや、油断は禁物だという気を引き締める思いが浮かぶ。だがこれは、普通の護衛仕事ではない。

 終われば、馴染みの女と分かれることになる。

 ティエとタイオスは、長いこと春女と客としてつき合ってきたが、同時に仲のいい友人同士でもあった。

 おそらく、ティエが何かしら別の仕事に就いていたとしても、関係は持ったのではないかと思う。だが彼らはやはり友人同士であっただろう。彼女と恋愛をして結婚をして家庭を持つという方向には行かなかったのではないかと、タイオスは何となく思っていた。

 その代わり、ティエの方では誰かと恋をして結婚をして、やがてタイオスとは疎遠になっただろう。そんなことを想像すると、正直、寂しいものがあった。コミンの町で彼らが続けてきた関係は、少なくともタイオスにとっては非常に心地よいものだったのだ。

 しかし、それが崩れる。

 ティエはコミンを出て、新しい暮らしをはじめる。

 彼はそれを応援するつもりだが、少しだけ、やはり寂しいような。

「ええい」

 戦士は首を振った。

(いい年して。何を考えてるんだ、俺は)

「ヴォース?」

「いや、何でもない」

 今度は彼は手を振った。

「見ろ、灯りだ。思ったより進んでたようだな。夕飯時に間に合うかもしれん」

 一年、二年先のことよりも半刻先のことだけ考えることにして、中年戦士は歩を進めた。

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