第三十七話

 一泊して翌朝。疲れていても体が習慣を覚えているのか、いつも起きている時間に目を覚ました。


 寝ぼけ眼で起き上がり部屋を見渡す。

 暗闇の中、うっすらと浮かび上がる馴染みのない内装に混乱したが、目が覚めるにつれてすぐに宿の一室だと思い出せた。


 隣のベッドからはオリガの紫銀の髪が布団からはみ出ていて、彼女の寝息が聞こえて来る。静かな部屋に窓からうっすらと外の光が差し込んできて。わずかに外の喧騒が聞こえてきていた。


 それが気になったオレは、暖かな寝床に後ろ髪を引かれながら、暗い部屋を窓際まで歩き。カーテンを開けて外を見る。


 窓は丁度、通りに面していて。そこから覗く町は、日の出前の僅かな空の明かりの中で人々が歩き回り、各々が自分の仕事を始める様子が見えた。


 どうやらこの時間から出発する船が幾つもあるらしい。足りない灯りを魔石灯で補い。積み荷を運ぶ馬車や旅装の人々が、同じ方向へ向かっているのが見える。それはオレの記憶が正しければ、桟橋の方角だったはずだ。


 町の営みを見て目が冴えたので。一足先に身支度を終えると、部屋を出てオリガが起きて来るまで宿のエントランスで時間を潰す事にした。ここは色々な人が利用しているので、朝食をとりながら横目で見ても面白い。


「ふむふむ……『今日のお天気!コルノス空域全域はしばらくは安定して晴れるでしょう!』いいな!先週はひどい天気だったからな!次は『新型飛空船開発難航!?』まだ出来ていなかったのか!」


「テックアウトしたイ。これカギ」

「テックアウト!?何の話だい?鍵?出かけるのかい?」

「テックアウトちがウ?……チェ、チェ、チェク「ああ!チェックアウトかい!そうならそうと早くお言いよ!」


 ソファーを占拠する大柄な獣人が新聞を広げて音読していたり、蟲人の冒険者の訛りの入った言葉を受付のおばちゃんが聞き返していたりする。朝からみんな元気いっぱいだ。


 淹れてもらった眠気覚ましのコーヒーを楽しんでいると、まだ眠そうな眼のオリガがおぼつかない足取りで降りてきて、オレの座るテーブルの対面に座る。


「はよアイヒル。ワタシにもコーヒー頂戴」

「おはようオリガ。はい、熱いよ」


 「ありがと」という礼と引き換えに飲み物を渡した後。朝食が来るまでの間、彼女と今日の予定について軽く打ち合わせをしておいた。


 取りあえず燃料には困っていないので、その補給はしなくてもよい事と。ここからは船の負担を考えてゆっくり進むかどうかを話し合い。湯気を立てて運ばれてくる朝食が来る前に結論が出た。




 その後、朝の一時を穏やかに過ごした後は、出航の準備を始める。チェックアウトを終えて人通りの増した町を歩きだす。


 早朝から幾つもの船が出て、人が減ってもこの町は動きを止めない。出て行った分の人がすぐに訪れて、所狭しと人も物も動き回り。それぞれが目指す場所へ運ばれてゆく。


 予定している出航の時刻まで少し余裕をもたせてある。この時間で出発前にブリッツ・スパロウを軽く点検し、次の中継地までかかる時間を軽く計算するのだ。


 故障個所を中心に二人で各所を見て来たが、特に問題はなさそうだ。

 「それなら早速出発しよう」とオレは桟橋の管理人室まで赴き、彼らへ停泊料と修理代を支払う。


「それじゃあ、いってらっしゃいませ!あなた方により良い追い風が吹きますように!」


 係員に見送られながら、ブリッツ・スパロウの主機を蒸かし桟橋を離れ出航する。島の付近には既に多くの船が行き交っていて、誤って接触しない様に気を使って操船した。


「風に吹かれたのかな、今日は雲も少なくいい天気になりそう」

「スパロウの調子も良いし、このままイイ感じで居て欲しいよオレ」


 既に遠くに見える島の最上部にある建物、そこに据えられた大きな風見鶏もオレ達にとって都合の良い方角を指している。


 島を出てすぐ、船の周りに幾つも小さな影が舞っている事に気づいた。どうやら島にいた渡り鳥の一群が、この船に着いて飛んでいたようだ。


「あれ?この鳥、もしかして……」


 オレにはこの鳥に見覚えがある。ゲームのイベントで言及されていた、コルノス近辺でよく見る種類の鳥だ。こういう細かな所で記憶が刺激され、自分があの世界に足を踏み入れた事を教えてくれる。


 見張り台にいるオリガは、この鳥がここにいる意味を知っているだろうか?


 自然と舵輪を握る手に力がこもり、興奮している事を自覚する。ここから先にある諸々にも、心の奥底から期待がドンドン増してゆくのが分かる。


 鳥に合わせて速度を調節し、船を労る様に進めていくと。いつの間にか近くに船の姿が見えなくなっていた。


 さっきまで周りには裸眼で確認できる距離に他の船もいた筈なのだが。選んだ航路が違ったのか、今はその姿は何処にも無い。まるで空を貸しきったみたいに。


 気流に乗るまでの数十分。この空間を独り占めできる時間は長くなかったが。その間、この目に収めた風景はきっと何度も思い返すだろう。


 どこまでも行ける、遮るものの無く広大な青い空と海に。オレは無印スカラベのパッケージを幻視した。

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