自伝
下上筐大
今に至るまで
今僕が悩んでいることや考えていることは全部過去とつながりがあるうに思う。僕にとってもう今の状況はどうしようもなくて八方塞がり、まさしく詰みのような状態になってしまっている様に思うのだがいい機会のように思うのでここに至るまでを振り返ってみようと思う。
小学校の記憶はあまりないのでとりたてて書くことは無い。書くとするなら、地元はあれていて、中学生がタバコを吸い暴力沙汰は日常茶飯事というようなおよそ平成の後半モラルが向上し治安もよくなっていると思われた時代とは全く異なるようなところだった。そんなこともあってか地元の中学はラグビー部が以上に強く全国大会常連、優勝すらしているというレベルで強かった。当時小学生の僕は小学生にしてはかなり身長が高く160cm後半という高身長だったので中学生の先輩の方々からよくラグビーの熱い勧誘を受けていた。僕はこの中学に入ったら死んでしまうと直感していたので中学受験をし、私立の中学に入るのだがここで僕の人生は大きく変わったのだと確信している。過去に戻れるのなら僕は過去の自分を監禁して、今の僕の気持ちを伝えまともな中学校を受験すると過去の僕が言うまで開放しない。決して僕の行った中学、高校が最悪だったとは思わないが偏った環境で人格形成の最も大事な時期を過ごすと将来にどんな悪影響が出るかは想像にたやすい。そう、僕は社会不適合者生産工場として全国に幅をきかす男子校という地獄に迷い込んでしまったのだ。
とはいっても今だからこう思うというだけで、男子校をわざわざ受けたのは当時の僕の意思だし、そこで出来た友達というのは僕の大事な人たちだし畏友ともいうべき尊敬の領域にまで到達している人もいて他の学校に行っては出来なかったものだろうなとも思うのでその点は良かったと思う。しかし、男子校に通っていたものなら分かる通り、学生の人々は皆ある病気、アレルギーを在学中に獲得しそれはその後の人生で深刻化するか、治るかのどちらかしかないのだが僕の観測する限りにおいてはほとんどの人が深刻化して手のつけようがないという状態になっている。そしてその病は感情を暴力的にし、嫉妬が憎悪に昇華し、そういった感情を持ち合わせる僕ら男子校生徒たちの結束を強めるのだが、その病の名というのはずばり‘女子恐怖症‘である。共学の学校に通われた人にはピンとこないだろうが、我々にとってこれは笑い事にはすまされない重大問題なのである。男子なので我々は当然女子というものに興味がある。しかし、我々にとって女子というか女というのは母親、兄妹、電車とかで見かける名前も知らない女子中学生、女子高校生、きれいなお姉さんといったような人たちだけなのである。当然、シャイな中学生や高校生の子供が名前も知らない人に声をかける勇気があるはずも無く遠くから指を加えて視姦するというのが我々の唯一できることなのだがこの見ることしかできないという事実、そうなってしまった現実がさらに我々を拗らせいよいよ女性への恐怖、畏敬にも似た感性を養い、女性恐怖症を加速、深化させているのだと思う。
ここで一つ僕のことを書こう。僕は電車通学であり、女性というものを学校の外で見る機会には恵まれていた。しかし当然、自分から何かするということはやはりなかった。しかし、そんな僕にも少し気になるというか目を奪われる人がいた。こんなところで意地を張りたくもないので白状するとこれが僕の初恋だったのだと思う。その人は僕の通っていた学校の近くに位置する学校に通っていたのだが、半月型の目、つんとした鼻、他のパーツを邪魔しないそれでいて確かな存在感のある唇、少し丸みを帯びたシャープな輪郭、その全てが完ぺきだった。神に愛されたとしか思えないような美しさに見るだけで動機が激しくなったのを覚えている。一度だけ、たまたま駆け込みで電車に乗ったとき、彼女もまた駆け込んできて隣合わせになったことがあり、思い切って声をかけてみたことがある。喋ったこととかその時の彼女の顔とか今でも鮮明に覚えていてまだ夢のように感じているのだけど、結局彼女の名前は聞いてないしそれで良いと思う。後日、彼女が彼女と同じ学校の男子生徒と登校するのを見るようになってから僕の初恋はほんの少しの花を咲かせて終わった。悲しくなかったと言えば嘘になるかもしれないけど、悲しいというよりかは自分の中に芽生える新たな思想の息吹を感じていた。この時から僕は美しいものは美しいままに関わることなく理想のままでとどまってほしいと思うような感覚、美しいものの華麗な側面だけを見ていたいと強く思うようになった。
女子との関りという点でいうと実はまだ一つあるのだが、それを書くのはまた今度ということにして、受験の話でも書こうかと思う。僕は中高一貫の私立の学校に行っていたので、高校受験はしなくてよく、中学受験の次に受ける試験は大学受験だった。はっきり言って私はこのときに今後の人生を踏まえたうえでも指折りの失敗を犯してしまった。普通、大学受験の際は自分のそれなりに興味のある学部を選んで受けるというのが一般的で僕もそうしたはずなのだがそこに自分でも気づいていなかった重大な見落としがあった。僕は中学1年生のころに母親に勧められて「動物のお医者さん」という漫画を読んだ。この漫画は北海道大学の獣医学部の学生の生活を面白おかしく描いたものなのだが、実に面白く中学一年生の僕が大学受験の際に北海道大学の獣医学部を受けようと思ったのは何も無理のないことだった。そしてその後は高校三年生に至るまで全ての模試の第一志望の欄に北海道大学 獣医学部と記載した。そして、第二、第三志望の欄には他の大学の獣医学部を記載したのだがこれが間違いだった。今になってようやく気付くのだが僕が行きたかったのは「北海道大学」の獣医学部であり、他の有象無象の大学の獣医学部などでは決してなかったのだ。気づくのがあまりに遅く、受験生のときにはあまりに自分に関することなどに無関心すぎたため私は結局地方の大学の獣医学部に入るに留まってしまう。
とまあ色々あって生来の内気な性格もあいまって入学してしばらくは友達も作らず(いやまあ作るチャンスはあったのだが運悪くタイミングよく見計らったかのように足が痛くなるなどアクシデントも相まって同回との関わりを作れなかった。)、しかも21世紀最大級の未来永劫地球が存在する限り語り継がれるであろう出来事、人社会のあり方を根本から変えてしまうような、いやそこまでのインパクトは無かったように思うのだが、心躍る新生活を夢見ていた全国の新大学生を部屋に押し込め、人との関わりをおもしろいほど減らしたらしめ、特に私のような内気でシャイな自己主張のままならない赤子のような存在の大学生をさらに孤独にした憎たらしいコロナウイルスの出現が私の人生を少しばかりおかしな方向に進めたのだと思う。
私と同じ時に大学に入学した密かな犠牲者たちの多くはサークルなどには入らなかったと思う。入らなかっただろう?というかサークル活動が禁止されて無かったように思う。なので、私もサークルに入ることは無く、なんとか入学3ヶ月ほどして同じ学部の友達が出来始めサッカーなどをして時間を消費していたように思うが、まあこれはこれで悪くなかったと思う。多分本当に悪く無かった。私は結局1年生から4年生、私が学校を去ることになる年まで学部外の友達は出来なかった。私が思うに人はさまざまな依存先を作るのが肝要なことだと思う。依存先が少ないと一つ一つがあまりに重すぎる。ずっと上手く振る舞って白々しくヘラヘラ軽くやっていける自信があるならいいんですが。だって世の中は嘘でのみ成立してるじゃないですか、嘘に疲れて綺麗に生きるなんて、凄くむずかしい。書いているうちに自分のことを出来事そのままに書くのはなんだか恥ずかしくて疲れるのでここで一旦やめにしよう。人物を作ってその人たちに自分の理想を押し付ける小説でも書いて過去の穴埋めとでもしようかな。
自伝 下上筐大 @monogatari
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