一月三舟

星宮ななえ

一月三舟


 街灯も疎な住宅地。

 月光に照らされて、自身の影が道にふらりと落ちている。

 知らぬ間に夏は過ぎ去り、少しばかり肌寒い夜長月。

 夜更けに四方から聞こえるのは虫たちが奏でる涼やかな鈴の音だけだ。

 時折吹く夜風に私の髪が巻き上げられる。私は身を縮め、半袖のシャツから出ている二の腕を摩る。

 たいして行くあてもなく、突発的に外に出てしまったのだから、もちろん上着なんて持ち合わせてもいない。

 そんな私の目線の先には、みんなのオアシス、コンビニエンスストア。私は、夜の虫の如く無意識に店内へと吸い込まれた。

 町外れにある深夜のコンビニには、誰もいない。どうやら店員でさえもバックヤードで休んでいるようだ。

 私はなんとなく雑誌コーナーに立ち、ぼんやりと興味のない雑誌を眺めた。

 そして頭の中では、十五分前に起きた出来事を反芻する。

「ごめんね」

 その台詞を吐きながら、全くもってそう思ってもいないであろう彼の顔。

「どうして、わかってくれないのよ」

 やり場のない怒りを抱え、そう言って飛び出した私。

 ──私って、人と一緒に暮らすの、向いていないのかな。

 そう思うと同時に、背後から声を掛けられた。

「みっちゃん!」

 振り向くと、満面の笑顔で手を振る女がいた。朔ちゃんだ。

 朔ちゃんは、彼の大学時代からの女友達である。

 彼と付き合ってすぐの頃に、私を紹介するのが目的であったのであろう彼の友人同士の飲み会の席で、彼女のことを紹介してもらった。彼女の第一印象は、とても可愛らしい人、絶対にモテるタイプの人。

 その朔ちゃんが私に屈託のない笑顔で、次の言葉をかけてきた。

「こんな夜中に、どうしたの?」

 そう言われたが、私は朔ちゃんのコンビニ店員の姿を見て、逆に聞き返したい台詞だった。

「あ、うん。ちょっと買い物」

 私がそう返すと、朔ちゃんは「そっかぁ」と言ってから、ふわふわとカールのついたお人形みたいな栗色の髪を揺らして、私の隣でのんびりと雑誌を読み始めた。

「仕事中でしょ、大丈夫なの?」

 思わず彼女に聞く。

 彼女は少し間を置いてから、あっ、と言って「ここ、私の経営する店」と言ったあとに、すぐにまた言葉を付け足した「なら余計にちゃんと働けよってね」

 朔ちゃんは、彼と同い年だから私と同い年。だから今年で二十三歳。私の周りでは大半の者が社会人一年目というやつで、社会の荒波に揉まれて四苦八苦している頃だ。

 経営する店だと……?

 私は彼女が発したその台詞に、目を剥いていたかもしれない。

 朔ちゃんが、そんな私の顔に気付いてさらに言葉を付け足す。

「旦那とね、一緒にやってるんだ」

 しかし私はその台詞にさらに目を剥いた。なんと、まさかの「ひ、と、づ、ま!」

 あ、よく見れば彼女の左手の薬指にはきらりと光る銀色の輪が。

「子供もいるんだけどね」

 こ、子供っ!? うおぉ、感服。なにこの人間びっくり玉手箱。

 朔ちゃんの見た目は所謂今どきの、白くて細くて兎みたいなゆるふわ女子。彼と彼女は大学時代からの友人だったから、遠回しな彼氏の学歴自慢ではないけれど、彼女も名の知れた有名大学出身の才色兼備なハイスペック女子だ。

 だから、定期的に開催される大学時代の飲み会のメンバーの中に混じる彼女の名前を聞くたびに、少し不安を感じるほどだった。だってこんなに可愛らしい「リカちゃん人形」みたいな女の子が戦略的にでも迫ってきたら、誰だって靡くでしょう。

 その彼女が、どうしてこうして、何がどうなって、どうなったら……。こうなるのだろう。

「え、なんで?」

 私の口から思わず心の言葉が漏れてしまった。漏れた言葉は戻せない。

 朔ちゃんは、私のその言葉に動揺ひとつもせずに「だよね」と言って笑う。

「私ね、竹の中から生まれたの」

 え、そうなの?

「うそ、ごめん。私ね、親がいないの。施設育ち。でも、ほら頭と顔が良かったからお金持ちの夫婦に拾われてね。あ、ごめん私、謙遜とかしないタイプなんだ。それで養子縁組して、ありがたいことに大学にまで行かせてもらったの。養父母は、とても良い人たちだったから本当に感謝してる。だけどさ、やっぱり人って故郷ってやつに帰りたくなるのかなぁ」

 竹の中に? あ、月に?

「違うよ。施設に。養子縁組してからも、心寂しさもあって施設には、たびたび足を運んでたんだけどね。結構、そんな人たちも多くて、まぁ施設オービーってやつ? そんなコミュニティもあったりするのよ。そこで出会った旦那とね、結果的に結婚ナウ」

 ほほう、若いのにすごいね。決断が早いなぁ。旦那さまは相当なイケメンさんとかなのかしら。

「うーん、どうかなぁ。旦那は私よりも二十歳上だから、そこそこいい歳なんだけどね。あ、だからってお金目的とかじゃないのよ。なんだか、一緒に居ると安心できるのよ。旦那の連れ子の子供も、すごく可愛いしね」

 私は、その時かなり訝しげな顔をしていたのかもしれない。彼女の潔過ぎる決断と選択は、私の感覚や価値観と大きく異なっていたからだ。

 そんな私の顔を見て、彼女は次の会話をする前に、首を少しばかり捻った。

「自分が落ち着ける場所ってね、あるようでなかなかないものなのよ。だからその居場所が見つかったなら、ただそこにいればいいと思うの。それが私の生きていく上で一番大切なことだからね。決断はすごくシンプルだよ」

 彼女は、言葉を選びながらゆっくりとそう呟いた。

 それから、レジ横にある見切り品の籠の中からお団子のパックを取って私に渡す。

「それ特別にあげる。日付が変わったからもう昨日だけど、十五夜だね」

 そう言われて、コンビニの窓から眺めた夜空には、ぱかんとまんまるのお月様。

 隣には、私の想像よりも何百倍も野生味に溢れる兎ちゃん。

 手に持っているのは、見切り品のシールが幾十にも貼られたお月見団子スペシャルエディション。

 あら、これはもう、完璧なお月見ですね。

「そういえば、みっちゃんはこんな夜中に買い物だなんてどうしたの? 飲み会帰り?」

 彼女の再度の問いに、私は力無く笑う。

「これが欲しかったんだ」

 そう言って、私は貰ったお団子のパックを持ち上げた。

 もちろん嘘だ。真実なんて、言えるわけがない。

 先月から私と同棲中で彼女の友人でもある彼が、帰ってから食べようと私が一日中、楽しみにしていたプリンを勝手に食べたことに腹を立てて、深夜に家を飛び出したことなんて。ほんと、どうでもいいことなのだ。言わなくてもいい。

 彼女は「じゃあ、ちょうど私が店番の日でラッキーだったね」と言って今、にこにこと、とても可愛い顔をして笑っているのだし。うん、余計なことは言わざるだ。

「夜風は冷たいから風邪ひかないでね」

 彼女はそう言って、私の二の腕を軽く摩った。

 私は彼女にお礼を言ってコンビニをあとにした。

 長居してはいけない。やはり彼女の存在は脅威だ。

 だって、彼女は私にとって、ひどく魅力的なのだから。

 さらに彼氏の友達で、人妻。なんて非道徳。なんて禁忌。

 だからこそ余計に手を伸ばしたくもなる。彼女の柔らかな髪に触れてしまいたくなる。

 でも大丈夫。私は今、彼のことが好きだから、そんな素振りなんて絶対にしない。そう、これは、私のただの空想に過ぎない。

 まぁ、そんな空想をする自分に自身でも呆れるけれど、おかげでその少しばかりの後ろめたさが、家を出てきた理由をすっかり中和してくれた。

 よし、帰ったら彼の前でお団子をひとりで全て美味しそうに食べてやろう。甘党な彼は羨ましがるだろうが、絶対にあげない。少しくらい食べ物の恨みを、私のことを、知ればいい。

 不思議と今は、彼とそんなやりとりをするのが楽しみだ。

 夜道は明るい。

 さぁ、私が一番落ち着ける場所に帰ろう。

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一月三舟 星宮ななえ @hoshimiya_nanae

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