第24話 初詣に参りましょう

 縁側に面したふすまをパカーンと開く。いつもだったらそんなことはしない。外からの冷気が入ってきて寒いしな。

 しかし外一面の雪景色となると話は別で、俺とイヅノは用意してあったぬくぬくのにそそくさと潜り込む。


 はんてんを着たイヅノは、髪を後ろでまとめているせいか普段よりも和の雰囲気に近い。褐色の肌をしているし、顔立ちが少し派手だけれど、最近の彼女はなぜか和装も似合う気がした。


「雪に覆われた山でも眺めながら、ぼけっとこたつで過ごそうぜ」

「いいですね! とっても贅沢な感じがしますよ、あなた!」

「うへへ、おしるこを用意したんだ。一緒に食べようぜ」


 きゃあああ、とイヅノは小さな拍手と共に歓声を上げてくれた。


 おしるこはそんなに食べないし好物でもない。しかし、おわんに入れたものを箸ですすり、白いお餅をにゅーっと伸ばす様子はなんだか可愛くってさ、用意しておいて良かったなって思う。


「うん、自然な甘さが染みますね。私、餡子が好きなんです」

「そういや親父さんの出す和菓子を、いっつもぱくぱく食ってたな」


 親父さんというのは、武具を手掛ける職人さんだ。このあいだ鎧の制作を依頼したこともあり、週に一度くらいのペースでお邪魔している。


 ほら、そのせいだよ。イヅノって美味しいものを食べるとき可愛いだろ? だからあの偏屈ジジイもさ、ほっこりしながら食べる様子を見つめてんのよ。孫が来てくれたおじいちゃんかっての。


 そう口にすると、ふふっとなぜかイヅノは笑う。


「ん、なにかおかしかったか?」

「いいえ、別に。なんだか可愛いなって思っただけです」


 おう、本格的に意味が分からん。可愛いのはイヅノだろう? そう思ったが彼女には思うことがあったらしく、なんでもありませんと言うように首を振ったあと、こう話しかけてきた。


「わざわざ用意してくれてありがとうございます。すごく美味しかったですよ」


 ブッ、と茶を噴きそうになった。

 おいおいおい、ちょ、待てよ。まさかだけどさ、俺とあの偏屈ジジイって同列なの? 違うよね? 俺のなかでは似ても似つかないはずなんだけど!?


 そう訴えたのに、イヅノはにこにこ笑顔のまま「んー?」と言ってくる。


 くっ、論破できねえ! 悔しいが下手に言っても泥沼になりそうだし、ひとまずスルーを決め込むことにした。決して負けたわけじゃありませんからね。


 さて、みかんをこたつの上に置き、なんとなーくテレビをつけてみたら紅組だと白組だのに別れて大騒ぎするという特番のCMが流れている。

 あれ、いつの間に年末だったの? と思うけれど、俺はあんまりテレビとか見ないし、ぼっちで過ごすから気にしないようにしているだけだった。


「イヅノ、お正月っぽいことしたい?」

「んー、人は年末年始にどのようなことをするものなのですか?」


 お正月といえば、初詣やおせち料理、それに凧揚げなどが風物詩としてあげられる。大して興味はなかったが、そわそわしながら見つめてくる子がいたら話は別だろう。


「凧揚げはともかく初詣くらいならいいかもな。町に行くのなら、ついでに料理の材料を買ってもいい」

「あなたって、楽しそうなことをいつも急に言いますね。もうすっかり慣れてしまいましたが」

「ええ、そう? 俺っていつもそんな感じ?」


 こくこくと嬉しそうにうなずいてくれた。

 大して自覚していなかったが、独り身に慣れたせいか思いつくとすぐ行動する癖が俺にはある。たぶん一人暮らしが長かった弊害だろうな。

 隣人を戸惑わせてしまうときもあるらしいが、もしかしたらそういうことに身に覚えのある人もいるんじゃないかなぁ。


 さて、この大雪だがチェーンをつければ遠出もできそうだ。

 問題は視界の悪さだろうけど、予報ではもう間もなく雪はやむとのことだ。それならばと立ち上がり……かけてから、そうっとイヅノに視線を向けた。


「あのさ、良かったら一緒にお出かけしない? 寒いし、嫌だったら構わないんだけど」


 俺にしては珍しく事前にちゃんと相談したつもりだったが、なぜかイヅノはお腹を押さえて、さもおかしそうにくつくつと笑う。

 ひとしきり笑い終い終えると、指で涙をぬぐってから彼女は立ち上がってくれた。


「いいえ、なんでもありません。面白そうですし、私も一緒にドライブします。初詣なんて楽しみですね」


 そう言われて内心でほっとしていたとき、なぜか頬にやわらかいものがチュッと押し当てられる。唐突でびっくりしたけど、彼女は笑顔のままだった。


「ふふ、あなたのほうが可愛い。早く行きましょう」


 え? あ? うん、どういう意味? なんで上機嫌になったのかぜんぜん分からないけど、背を向けたイヅノにどう問いかけていいのか分からないから困ったものだ。


 るんるんと浮かれるような歩調で彼女は去っていった。




 どろっ、どろっ、どろっ、と車内には細かい振動が響いていた。いつものドライブと違って騒々しいのは、道が雪ですっかり覆われているからだろう。


 なにが危険かというと、道に兎の足跡が点々とついているくらい車通りが皆無なことなんだよね。どこが道か分からなくなりそうだし、だんだん薄暗くなりつつある。そのぶん俺は気を張って運転していた。


「わあ、兎がすぐそこに。見てください、丸くて美味しそうですよ」


 悪路と格闘している俺とは対照的に、イヅノはとても楽しそうだ。もこもこの手袋やニット帽を身に着けており、その服装のせいか「田舎に来た外国人さん」という感じがする。


 ただしオーク族のせいか、ケガをしなければ病気もしない。おまけに寒さにめっぽう強いという超健康体でもあるんだよね。


「そういやオークは冬のあいだどうしているんだ? 寒い時期はあまり見かけないよな。巣にこもっているとか?」

「部族によりますが、たいていは民家におしかけているようですね。薪もありますし食料もありますから」


 ああー、聞かなきゃ良かったし、とっても合理的ですね。


「ふうん、イヅノは人を食ったことがあるのか?」

「私は彼らから離れて、一人になることを選びました。銃器に勝てない以上、徒党を組んでも意味がないと悟ったからです。だから人に近づくことも避けました。人の味は知りません」


 ふうん、とまた俺はひとりごちた。

 もしも「人を食べた」と言われていたら、俺はどう思っただろう。

 少なからず軽蔑するのか、それともまったく気にしないのか、なぜかぜんぜん分からない。


 分かるのは、ほっと安心したことだ。たまたま人を食わなかっただけではあるが、そうじゃなくて良かったと感じたんだ。

 

 無人の交差点に赤信号が灯るなか、ふうとため息を吐く。そんな俺がすぐ隣から見つめられていることには気づいていたが、気づいていないフリをあえてした。


「とても複雑ですね」

「ああ、複雑だ」

「私は人としての考えを植えつけられましたが、そうでなければどこかで殺めたかもしれません。誠一郎さん、あなたはこの世界に神がいると思いますか?」


 彼女の言動も俺と同じように唐突なことがある。

 おいおい、駅前の勧誘かよと茶化すこともできたが、なんとなく俺は正直に話すことにした。


「うん、いたらいいなって思う」


 日本は無宗教な者が多く、海外の人からいつも「信じられない」と言われるらしい。

 しかし、彼らは誤解している。無宗教だから神様を否定しているわけじゃない。俺と同じように「いたらいいな」と願う者はきっと多い。


 そう口にすると彼女は笑みを浮かべてくれた。


「私もそう思います。いたらいいなって。これから向かう初詣、とても楽しみしています。神様にちゃんとお礼を言いたいですから」


 人を殺めずに済んだことを、イヅノはどうやら感謝していたらしい。それはたまたまの結果に過ぎないが、実は俺もそうだ。ほっとしたし、ほんのちょっとでも彼女のことを幻滅などしたくなかった。


「悪い、俺から聞いておいて勝手に嫌な気分になって」

「ううん、ちゃんと分かっていますから。口は悪いけど、すごく優しい人ですもんね」


 はあー? なに言ってんの? 俺が優しいって、価値観が少しおかしいんじゃないですか?


 そう言いたいんだけどさあ、にこにこ笑いかけるとそんな気持ちがしぼんじゃうんだよね。困ったことに。あーあ、どうしちゃったのかなぁ、俺。


 いつの間にか青信号になっていたし、俺はふてくされつつもアクセルを踏んだ。


 ずっと昔の初詣で、俺はいつもぼけっとしていた。

 大したことも考えず、ただ仕方なく親について行った。


 でも今年は少しだけ感謝してもいいかなと思う。彼女が人を殺めずに済んだこと。そしてなによりも彼女と出会えたことに。


 車から降りて、雪深い道をしばらく歩いていたときだったかな。雪のやんだ夜空に鐘が鳴る。

 地域の住民、そして親御さんに手を引かれた子供たちの姿もちらほらと見えて、自然とその列に俺たちも加わった。


 外国人さんなんて珍しいわねと年配の方々から声をかけられつつ、俺たちは一歩ずつ雪に埋もれかけた石階段を上ってゆく。


 お祭りのような賑やかさに彼女は瞳を細めつつ、あの温かそうなけんちん汁はあとで絶対に食べましょうとお願いされて、思わずクスリと笑う。


 ごく小さな御神前に立ち、そして深々と俺たちは頭を下げた。

 お伝えすることはもう決めていたし、子供のころに幾度となく通った場所だ。感動するようなことはないけれど、この空気の冷たさはちょっとだけ特別に感じられたかな。


 帰り道、来て良かったですねと甘酒を手にする彼女から言われて、すごく寒かったけど俺は素直にうなずく。吸い込む夜気がとても清々しく感じられたせいかもしれない。


 わずかに雪がちらつく夜の下で、彼女は子供な笑みを見せてくれた。

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