第25話 お買いものっ、お買いものっ(ヘイ!)

 あー、俺としたことが失敗した。

 なぜこんな店に来てしまったのだろうか。


 色とりどりの反物、そしてカタログや着つけ例などの本に俺は囲まれているし、おまけに目の前にはにこにこ顔の店員さんがいる。

 長いこと一人暮らしで、女っ気のまるでなかったこの俺がだよ、どうしてこんな店に来ちゃったのかなぁ。


「あらあら、まあまあ、ほんっとうに髪がお綺麗で、どんな柄でも似合ってしまいますねえ。あっ、すみません、私ったらつい仕事を忘れて、あれこれお勧めしてしまって! お疲れになったでしょう。遠くから来たところですもんね。いまお茶をご用意いたします」


 うふふふふ、と笑いながら去っていった。めっちゃハイテンションだな、この店員さん。


 ここは呉服屋なのだが、勝手がまるで分からない俺はげっそりしていた。

 くそー、こんなことなら「町に来たついでに着物屋でも見に行く?」なんて誘わなければ良かった。


 だってほら、あいつ着物が好きじゃん。家でも着るようになったけど、背が高いせいで足元つんつるてんなんだよ。それが忍びなくてさ、きちんと寸法を合わせて欲しいなーっていつも考えたんだ。うちのほうだとそもそも店員さんがいないしさ。


 足元の布を払い、イヅノは畳に腰掛ける。色と柄を選ぶために袖を通したものは彼女の瞳と同じ赤色の着物で、内側に見える白い布地がまた上品だなと思う。

 牡丹を模した同色の髪飾りもそうだ。着物の良さについてほとんど分からない俺でも、似合っていることだけはちゃんと分かる。


 その視線に気づいたのか、ふと目が合った彼女はにこりと笑いかけてきた。


「ふふ、いつもと違って苦手そうですね」

「ああ、着物屋なんて普通は来ないしな。あれやこれやと勧められても、どれがいいのかまるで分からん」


 先ほどたくさん褒められたせいだろう。俺と対象的にイヅナは機嫌良さそうで、たくさんの反物を興味深そうにしげしげと眺めていた。


 ちなみにこのお店でも「アニメ好きの外国人さん」で通している。先ほど入店したときに、イヅノの肌、そして長い耳を見つめていた店員さんも、そう俺が口にするだけで「まあ、そうでしたか。私も子供たちと一緒によく観るのですよ」と言い、嬉しそうに笑ってくれたものだ。


 やっぱりあれだな。自分の好きな領域に飛び込んできた外国人さんって愛されやすいよなあってつくづく感じたわ。


 そんな色とりどりの反物で飾られる店内を見渡して、イヅノはゆっくりと俺に顔を戻した。


「ここが本店だったのですね」

「ああ、安全なところまで引っ越したらしい。いつも地元で世話になっているし、知らない店よりかはいいだろう」


 いつもの場所というのは、うちの近所にある無人店舗もとい危険地帯から避難済みの呉服屋さんだ。もちろん拝借などせず、お代はきっちり置いておくけどさ。


「そういうところ、あなたって律儀ですよね」

「いやいや、俺だけじゃないよ。特に田舎はそうかな。相手に迷惑をかけたら手痛いしっぺ返しをくらう。後ろ指をさされたり、村八分にされたりな」


 まあ、うちのほうだとそんなことをする相手さえもいないか。

 などと考えていたときに、ちらっちらっという視線をすぐ近くから感じる。気のせいか、イヅノが褒めて欲しそうに、うずうずしながら俺を見つめている、だと……!


「す、すごく似合うな! 瞳の色と同じだからかなあ!」

「ふふ、ありがとうございます。先ほどのかたからもたくさん褒められて、なんだか今日は特別な日のように思えます」


 ほわほわと浮かれているような気配だ。

 お日様に当たる猫みたいだなと思いつつ、そんなイヅノについ見惚れてしまった。にこりと上品に笑いかけられて、つい心臓が跳ね上がる俺である。


 とてとてと足音を響かせて、おぼんを手にする店員さんが戻ってきた。和菓子まで用意してくれたことに礼を言うと、彼女は上品に笑いかけてきた。


「それで、村のほうはいかがですか?」

「ああ、まあ普段通りですね。山の掃除は続けていますし、数少ない残った人たちもみんな元気です」

「まあ、それは良かった! なかなか話が聞けないでしょう。うちの人も心配していて、たまには顔を見せに行こうかと話していたのですよ」


 良かった良かったと胸を撫でおろす店員さんの様子に、なぜか俺もほっとした。地元の空気感というのかな。ガキのころに感じた空気が漂っているように感じて、それが懐かしく思えたんだ。


「あっちのほうは桜が綺麗ですもんね」

「本当にそれ! 河原沿いの桜並木といえばもう夢に見るような美しさで……! あらいけない。すっかり仕事のことを忘れてしまって」


 バツが悪そうな様子に、つい俺は笑ってしまった。


「鍛冶屋の親父さんと、桜の手入れを続けています。その甲斐もあって、以前と変わらない美しさですよ」

「あらそう! うーん、それは絶対に行きたい……っと、ごめんなさい。また仕事のことをすっかり忘れて」


 イヅノもつい吹きだしてしまうほどおかしかったらしい。店内には女性二人の笑い声が響き、なんだか優しい空気だなと俺は思った。


 とはいえ、着物は高くつく。


 しっかりと高額な品を選ばせる手腕は大したものだし、悩んでいたときに「着物は出会いですものね」という魔法のような言葉をするっと潜り込ませてくるんだ。

 時代遅れの呉服屋さんは、こういう風に成り立っているのだなぁとつくづく思ったよ。


 そんなこんなで予定よりもだいぶ支払うことになったが、助手席のイヅノからほわほわとした空気が流れてくるし、たまにはこれくらい構わないかなっていう気持ちにもなる。


 正直なところ「してやられた」という気もするが、ひとまずそのことは忘れておこう。


「早くできあがるといいな」

「ええ、仕立て終わるのが楽しみで仕方ありません」


 そう言い、窓からの陽に照らされながらイヅノは微笑んでくれた。




 とはいえ遊んでばかりもいられない。


 そのぶん稼がなくてはならないのが男というものだし、俺の仕事は一攫千金を狙うマグロ漁みたいな不定期収入さでもある。


 二束三文の獣肉とは異なる高額な魔物をうまいこと屠る必要があり、イヅノが寝静まったあとに薄暗い個室でノートパソコンをカチャカチャと叩いて収支計算までしていた。


 しかし悲しいかな。ここ最近の山は不気味だと思えるほど大人しくて、とんとんどころかマイナスの収支となっていたのだから笑えない。


 さらに悪い話は続く。まさか着物よりも先に、こっちが出来上がるとは夢にも思わなかったんだ……。




 目の前には、樹齢数百年はあるのではと思えるほど木きな丸太があった。チェンソーをうんせうんせと扱い、半日かけて切り出していそうな巨木だ。


 ちらりと横を見ると、視線に気づいたイヅノがにこりと笑いかけてくる。


「どうしました?」

「いや、それ重くないのかなって」


 俺が指さしたのは手足を覆った重装甲だ。

 身体のすべてを覆っているわけではなく、腕周りや股関節といった全身の関節を邪魔するものがまったくない。形の良いおへそ、そして太ももを覗かせるそれは一般的な防具とは呼べないだろう。


「重いですよ。ですが、しっくりくる重さです。私を安心させる重さですね」


 明るい笑顔を残して、彼女は猫のような軽やかさで歩きだす。そしてすぐに俺は気づいた。イヅノにとってはこの重さこそが必要だったということを。


 ぐるんと宙返りをして真っすぐ放たれた蹴りは、以前より遅いものの反対側まで貫くような衝撃となって丸太を襲う。


 体重のすべてをサンダルのような靴底に集中させて、まるで重力に逆らうようにふわりと宙へ浮く。

 そして放たれた真上からの斬撃は、たとえ木目に逆らっていようとも多量の木くずと共に巨木をあっさりと裂くのだから驚くほかない。刃渡り三十センチぶんの荒々しい断面がそこに生まれた。


 手足につけた装甲の重さは、足枷なんかじゃない。重しとなって彼女をきちんと支えているのだ。

 それを証明するように、開脚したイヅノの後方で、ぶんと長柄の斧が回る。


 あのモデルみたいな長い脚に一瞬でも見とれたらジ・エンドだぞ。遠心力をこれでもかとのせた横薙ぎの一撃により、巨木にはこれで十字の傷跡が深々と刻まれた。


 以前、彼女はノリノリになるほど強くなると俺は口にした。踊るようなステップで次々と破壊してゆく様を見たら、実際に俺の言ったことが真実だったと分かるだろう。


 大人でも持ち上げるのがせいぜいの斧を振り回して、今度こそ巨木を両断して見せたイヅノは、玉のような汗を浮かべながら笑いかけてきた。


「最高です! これこそが夢に思い浮かべた私の防具です!」


 おっとっと、抱きつくなよ? 抱きつくなよ?

 ダチョウ的なアレじゃないし、お礼とかそういうのは別にいらない。お前さあ、いつもと違って装甲があるってことをすっかり忘れてないよなあ!?


 あー、分かってた。分かっていたよ。お前のおつむがオーク族だってことを俺はちゃーんと分かっていたぜ。ドシンと背骨が折れそうなほどの熱い抱擁を受けたが、俺はクールな表情を貫いてやったぞ。立派な男の子だからな!


 もー、ほっぺたチューしてくれるのは嬉しいけどさあ、もうちょっと人目や場所を気にして欲しいかなぁ。


 そんな俺たちを祝福したわけじゃないと思うが、パチパチと拍手の音が辺りに響く。目をやるとそこには作業着姿の親父さんがいた。


「おー、大したもんだ。すっかり使いこなしちまった。鬼みたいに強い娘っ子だ」

「おじ様、このような素晴らしい品に仕上げていただいてありがとうございます!」


 あっれぇ、親父さんったらどうしてほっこり笑顔を浮かべてんの? 渋さが売りじゃなかったの? そんな顔つきをするのは孫好きのお爺ちゃんくらいだよ?


「あに見てんだテメエ! おほん、まあ俺もいい勉強になった。田吾作のせがれ、この請求書を持っていけ」


 くっそ、ついに来ちまったよ。

 悪夢にうなされそうなこの瞬間が。


 嫌で嫌で仕方ないし、口から火を吐いてその請求書を燃やしたい。うん、確かにそうだ。突如としてドラゴンの能力に目覚めて、親父さんごと焼いてしまえば……って、ここまできて脳が現実逃避しやがる!


 うああ゛ー、やだよお゛ー、受け取りたくないよお゛ー。


 のろのろとした牛のような歩みで、紙切れを嫌々受け取ってしまう世界で最も不幸で可哀そうな俺。

 しかしその紙を見て、ひっくり返したり、逆にしたり、陽に透かしたりするほど俺は驚いた。


「え? あの、親父さん、これ安すぎません? パソコンだって買えませんよ?」

「へっ、この俺がガキどもから巻き上げるかよ。魔物どもからこの村を守っているんだろう、お前ら二人はさ。だったら俺たち村人一同の感謝料を差っ引かないと、フェアじゃねえだろ?」


 な、なんだよ、ニヒルな笑みを浮かべてかっこいいじゃん。これだから昔気質の職人は嫌いになれないんだよな。

 イヅノもまったくの同感だったらしく、目に涙を浮かべて「おじさまっ、ありがとうございます!」と言い、抱きついていたのだが……。


「へへっ、ま、まったく、世話のかかるガキどもだ」


 ん? 親父さん?

 なんか、でれえっと鼻の下が伸びてない?


 うわ、信じられねえ、こいつイヅノの色気に屈しやがった! ニヒルなんかじゃなくって、モテたいあまり見栄を張った最低の大人だ!

 うわああーっ、ぶん殴りたいけど安上がりで済んで良かったし黙っておこう!


 その日から、武具の自慢をずーっと聞かされるハメになったが、まあ俺も嬉しいし、お財布にも優しいから良しとしておこう。うん。




―――――――――――――


「お知らせ」


カクヨムコンの選考規定10万文字を超える見込みとなりましたので、本日からまた一日一話更新に戻します。

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